φ計画の一歩

――Kai――

「……っつーことで、もうすぐデートなんすよ」


 基地に帰りはじめてから今まさにこの瞬間まで、そのことでずっとウンウンと唸っていたカイだった。リィラにずっと醒めた目で見られている感覚があったものの、今ばかりは許して欲しいと気ばかり焦っていた。


 少女に対して博士は、持っていた機材マニュアルを思わずクシャリと握りつぶしながら腕を振った。


「でかしたぞぉカイ君! 予定を取り付ける手間が省けた。あとはどうあれ、ゴールインの段取りをすればいい。なんならホテルの予約しとこうか?」


「い、いやいいっすよ。すぐそういうのにしようとする……」


「どういうのでも構わんさ。いいかね、次のデートで確実に引き抜ける状況へ持っていき、わたしがクロウディアを暗殺すると同時にパートナーでもトモダチでもなんでもいいから仲間にする。キミにとってそれが、最良かつ最善の作戦なのは間違いないだろう?」


 改めてそう言われると嫌な予感がしてくるから不思議なものだ。


 ずっとずっと考え続けていたが、やはり、最悪のパターンは――。


「というかキミ、念願のデートだろう。どうして暗い顔をしているのだね」


「……実は、まだおれ分からないんすよ。会ったとき、何を言うべきなのか」


「ほう? その心は」


 ミィを思い出す。そして、ファイマンを思い出す。


 ふたりは別人格などではなく、デート着と冠婚葬祭のフォーマル着みたく、異なるキャラクターを、役割別に着替えているだけだった。


 好きな人の『魂』は――行動原理は、ひとつだ。


「おれの立場で色々置き換えたら、気持ちが分かるんです。人を助けるのが好きでやってて、それに誰か助けるっていうのはやっぱ、カッコイイじゃないっすか。だから、いいひとで居たいとも思うんです」


「まぁ、キミはそういうイメージだよ」


「でもそれって結局、みんなから教えられたり、自分で察したりして学ぶもんじゃないっすか。社会規範っていいますか」


「で、ファイマンが教えられてきたことはってことだね」


「そうっす。命令に従って、誰かを傷付けることだけしか知らされなきゃ、その他があることなんか分かんねぇじゃないっすか。他があるって知ったって、それに価値があるかどうかを見分ける余裕があるかも……」


 そう、最悪のパターンは、全てを語り合ったうえで、分かり合えない事だった。


「アイツにとって『絶対に正しいこと』に対して、ただ『間違ってる』って言うだけなのは絶対に違うと思うんすよ。必死になったって、それじゃ説得できない気がするんです」


 彼女は眉間を中指で押し、それから両肩を上げた。


「さっぱり分からん」


 正直、分かっていた。その答えがあっさり分かるようなら、少女に撃ち殺されかけることもなかっただろう。


「そういうのはね、キミに一任するよ。わたしじゃ手に負えん」


「……うす」


「さぁ続きは行きの車で、だ。リィラ君はどうするかね」


「行く。やっと聞いたじゃん。だから最初っから確認をさぁ……」


 カイが出かける度に置いていかれていたリィラの愚痴を聞きながら、車庫へ。三人でニコのホバーへ乗り込んでから、彼女が「おおっと、忘れるところだった」と腕巻きサリペックガジェットを取り出した。


「やぁどうも、所長のニコだ。じき基地にヌコマタという者が到着する。もし入れ違いで来たら、入れておいてくれたまえ。遠いお国からはるばるの帰国だ。もてなしておいてくれたまえ。必要なら共に酒でも呑んでいたまえよ。無論、経費だ」


 それだけで通話を切り、「ふぅ」と微笑んだ。


「で、どこでデートだい?」


「あの」


「ん?」


「オークラーさんって……」


「のわぁっ! 忘れてた!」


 彼女は大慌てで通話をかけ、メーターの目の前にサリペックを置いた。


「あー……オークラー。いいかね」


[おい。わざわざ通話ということは――ロクでもない話だな?]


「ち、違うとも。いまからカイ君がファイマンとデートだ。作戦通りね。ただキミまで連れていくとなると大所帯な上、基地から『攻撃できない理由』を全員連れ出すことになる。なので、通話を繋いでおくことにした」


[気が利いている……何かあるな?]


「ないよぉ。ないともさ。ねぇ……?」


 言葉はつらつら出るが、汗もダラダラ出ている。


「ともあれ、この状態で行くことにしよう。で、カイ君。またノーシースト・モールかね?」


「いや、大工場っす」


 場の空気が凍りついた。ニコもリィラも、画面の向こうのオークラーも唖然とカイを見る。


「……正気かね?」


「か、カイ。いったいどうした」


「あ、あのさ、ごめんどっかで前に言ってなかったんだっけ。大工場ってアップルの……アンタの方の人間の心が食べものに……」


「し、知ってるよ。どこがいいって話になって、慌てて知ってるとこ言ったら、うっかりさ……」


「……今から連絡して変えてもらおうかね? クロウディアが応じるかは分からんが……」


「あ、ほらさ、向こうで集合してから別んところでもいいんじゃない?」


 明らかに気を遣われている。普段が素っ気ない分、少し嬉しかった。


「大丈夫っすよ。ミィと一緒なら……ミィとならどこでもいいっすよねぇ……ホント……」


 会ったらどうしようと悩んで、恐れてさえいたものの、デート自体はすこぶる楽しみだった。リィラの目がまた冷たくなっていくのを感じる。


「なら、そうしよう。ただ、大工場は世界の食料の多くをまかなっている。間違ってもそこで暴れんようにな」


「うす」


 車が動く。何度乗っても不思議なもので、横に曲がる時に車体ごと傾くためか、曲がる速度に対して身体が横に引っ張られる力が弱い。斜め下へ引っ張られるような感じだった。


 少しで大通りに出て、広告の明かりで目が痛い道路をひた走る。車線の関係や道路上の障害物などが分かりやすいように、道路が色々な方向から過剰に照らされているため、現世における夏の日中ほど周囲が眩しい。


「……あの。ニコさん。ちょっといいっすか?」


「なんだい?」


「ニコさんはいたんすよね、φ計画に」


「途中から、だけどね」


「だったら、そのときのミィの様子っていうか。昔話、聞かせてくれませんか。あと、ミィにいたっていう友だち……あ」


 言いながらふと、点と点が同じ点だった・・・・・・と気付いた。


 ニコの友人で、ミィへ遊びを教えたという研究員。それが、ミィへ「死んでもまた会える」と言った研究者だったのだ。


「そっか。『海に投げられたコイン』の人って……」


「コイン、か。懐かしいねぇ。あの子の――アマベ君のことを思い出すよ」


 ニコは運転しながら目を細めた。


「その、アマベさんのこととか、時間がある限りぜんぶ教えて欲しいんすよ」


「まぁだったら、そこから始めた方がいいかもね。実はわたしの後輩だったのだが、なんというかちょっと――」


 彼女は、肩をすくめて笑った。


「――変わった子だった、かねぇ」



――Nico――

「ティアラスッ! ニコッ! 先輩ッ!」


 ほとんど絶叫の呼び声に止められ、ニコは困った顔をした。


「キミ。あーキミ。その感じは文句だな」


 アマベとは学生時代からの付き合いがあり、様々ある怒り顔の中でどれがどの感情だか直ぐに分かるようになっていた。


 小柄ではないが顔が幼く、大きなメガネフレームもあいまって大きな子どもに見える。これでも大学を首席で卒業しているというのだから妙なものだ。


 一方のニコは、上の下くらいでの卒業だった。教えられる前に教科書だけで全てを理解したが、授業態度が最悪だったので成績は低かった。そのため、書類上では自分より優等生だった後輩に、パンパンと論文の冊子を丸めた武器を鳴らされながら近付かれていることになる。


「分かっているようですねぇ。は・か・せ?」


「やだ」


「やだじゃありません。なんですかこの論文!」


 差し出したのは丸めた冊子。『無の等価的存在モデル化と有のモデル的非存在化。またそれによる既存科学への批判と新科学体系』という論文だった。


「タイトルの通りだが?」


「通りだけど。じゃあないですよ!」


 彼女はページをめくり、序盤の文を音読した。


「えーっと、『既存の科学分野には古いものや異端とも呼べる発展を遂げたものも含まれている。今の科学とは、錆びた規格遅れのパーツやパーツですらないものを組み込んだ船である。問題が起こってから修正では手間も多い。ならば、新たな船を作ればよい。』……で、その答えが『いま分かっている情報から組み立て直して科学をひとつの分野に統合』ですって? まぁた学会を敵に回す気ですか」


「だってさあ。ちらかりすぎなんだよ今の理論はぁ。凡ゴースト理論を基準に数学から一新せねばいかんだろう?」


「一新ってなんですか! どこを修正する必要があるんです!?」


「エネルギー式が二元三次と三元三次で別れてるのキモチワルイし、違う分野で同じ名前が違う意味として用いられてるのヤダし、円周率が直径を採用してるのダサいし、カスみたいな査読を通ったカスみたいな理論がけっこう混じってるし、あとねあとね……」


「も、もういいです!」


 途中で打ち切られてしまった。言えって言うから言ったのに……。


「あのですね、それが正しくたって科学は人類のために築きあげられているんです。他の人みんな置いていってどうするんですか。人間主体って忘れないでくださいっ」


「人間主体とは言うけれどね。未来の投資と言い訳をし、その研究でも次の研究でも、成果のために誤魔化し誤魔化しで予算もp値もハックする者ばかりじゃあないか。科学ほど、科学者が崇高だとは思わんね」


「それは……話題そらそうとしてません?」


「ま。ま。ともあれわたしの言いたいことは、論文を読めば分かることじゃないか。アハハ!」


「分からないから! 『ティアラス論文解読会』なんて訳の分からない集会を開いてるんですよ! 全くもう! だいいち、わざわざ別れてる分野を統合してどうするんですか!」


「え? だっていっつも『これはどこの分野だろう』なんてくだらない議題に時間を使っているのが勿体ないだろう? ぜんぶ学んでぜんぶを理解すれば、わざわざ整理しなくたってマルっとぜ〜んぶ分かるじゃあないか」


「それが! できれば! 苦労してないっ! これだからニコ先輩は!」


 コイツはどうしていつも怒っているのだろう。だが妙に懐いているようでもいて、不思議な子だとずっと思っていた。少なくとも、鬱陶しくはない。


「というかね、いまから国家の極秘任務に赴くって段階だよ? ついでに関係の無い論文を持ってくるってどういうことだい」


「どうせ聞いてないので、会う時に言いたい放題したいじゃないですか。ふースッキリした」


「聞いてないって分かってるなら、じゃあ叱らないでくれたまえよ……」


 ふたりして廊下を歩く。国家秘密と聞かされた上での参加だったが、まさかアマベがいるとは思わなかった。当の本人は、研究結果というより優秀な助手かつ、余計なことをしないように監視する役割を任されたのだと考えているらしい。


 倫理観を踏み越える研究に、暴走防止のストッパーを付けるとはな。大学での成果しか見ていないとは恐れ入った。と、ニコは始まる前から呆れていた。


 だが、正規軍の秘密兵器所持に関してはおおむね賛同だった。ナラク国が大工場という世界でも類を見ない人類の命綱マネーメーカーを持っている以上、平和が不安定になり次第、あらゆる方向から兵士が押し寄せてくることだろう。


 特に、資源の底が略奪のスタートラインとなる現代においては。


「で、卒業してからはどうだったかね?」


「私はあのままPG社ですよ。……ふふん。基礎研究部門で、擬似物質ソリッド配向はいこうを工夫したら引張強度ひっぱりきょうどをある程度コントロールできる方法を見つけたんですよ。これで、一部だけ強化したり、あえて強度を下げて安全性を高められるわけです。革命ですよ? か・く・め・いっ」


 勝ち誇った顔であるアマベに対し、ニコは適当な日常会話をしているときの適当な笑顔だった。


「あー、そこまで行けた? よかったね。アハハ」


 当然のように、知っていた。


「……ほんっと! ヤな奴ですね!」


 アマベはニコの背を叩いた。学生の頃からこんな感じだった。


 そんな調子で話しながら、たどり着いたのは研究室だった。懐かしくさえならないような古い物も並んでおり、それがこの計画の歴史を感じさせた。


 古い理論を基底に置いて、城を建てよう、か。報告用の論文があんなザマになるわけだ。


 そこに、大学の『学生に舐められていることを許せないがハラスメント認定されたくないので不機嫌な表情で察してもらおうとしているタイプの歳だけ食った講師』のような顔をした老年が、ポツンと立っていた。


「騒ぎながらくるとは、学生気分が抜けてないらしい」


 嫌味を言う準備をしていたらしい。アマベがムッとするが、彼女が何かウィットに富む言い返しを考え始めたとき、ニコが口を開いた。


「え? 誰だい……あぁ! キミか! わたしが就任すると決まった瞬間にクビが飛んだっていう研究員は! 給料も出ないのにどうしてまだいるのかね?」


 ダーティもクレバーも誤魔化しもない悪口に、相手もアマベも面食らってしまった。


「な、何様だ」


「ティアラス・ニコと言うけど、覚える必要はないよ。もう会わないんだし。たぶんキミのレベルだとわたしの論文を引用できるところまでいかないし」


「何様の意味も分からんのか!」


 こっちはこっちで盛り上がり始めてしまった。アマベがニコの方へ割り込もうとしたら、研究員の方が前に出た。ニコなら気軽に叩けるが、知らない人だとアマベは礼儀の方が勝ってしまう。


「ぽっと出のクセに、人体専門の僕が負けるはずがないっ。い、医師免許まで取ったんだ!」


「専門については実績を聞かずとも、論文を読めば分かるとも。引き継ぎにあたってここまでの成果を読まさせてもらったが……」


 ニコはアマベを見た。気まずそうに目をそらすが、隣で同じものを読んでいた彼女からも、なにか呆れたような雰囲気が漂っていたのを感じていた。


「ひっどい論文だったねぇ。他の研究の傍ら、学部生に書いてもらったのかね?」


「な……なんだね。いったい……いったい何様のつもりだ!」


「それはさっき言っただろう? ……あぁすまん。はいはい、配慮ね。いやー素晴らしい論文だったね。はいもう出て。仕事のジャマだよ」


「バカにしているのか貴様!」


「え〜面倒くさいことになっちゃったぞ? ……アマベくぅん」


 子犬みたいに擦り寄るものの、後輩は冷たかった。


「助けませんよ? ご自分で解決してください」


「んもう。分かった分かった。どうしてダメか説明するから、納得したらご静かに退出願うよ」


「できるものならしてみたらどうだ」


 ニコはうんと伸びてから、ため息をひとつ。


「そもそもデータが足りてない。どの実験も三回のみで終わっていて、再現性の有無を確認する程度に留まっている。これでは客観的に理論が正しい証拠にはならん。正確な式を立てるにあたって、何がノイズとなるか判明し、それをハッキリと分離できるデータ量とは到底呼べんね」


「……そ」


「次に考察だが、『ナントカと考えられる』で終わってるけど、いま言った通りその考察のための式がまだ曖昧なのだよね。それでよく先に進む雰囲気を出してるね? 全体的にそうであるので、一斉に実験し、一斉に少しずつ進めるという方針を取っているのかね?」


「そ、そうだ。人体のことなのだからバランスが」


「バランスとやらを配慮して、様々な変数を一斉に動かしている訳だ。それで独立変数の変域を調べ、それぞれの影響の強さを調べているのならまだ納得できるが、まだその段階じゃないし、まず独立変数の話が一切出ない。ティップスはすべてファイマンの成績という従属変数に関する事ばかりだ。制御変数という言葉を知らずとも、一度に複数の変数を動かせばどうなるかくらい想像できると思うがね」


「……い、いや……」


「ちょっと聞きたいのだが、この研究においてなにが交絡こうらくになると考えているのかね?」


「………………」


「いままで言いたがってたのに黙っちゃった。いまの、本当に学部生レベルの質問だよ?」


「そ、そんなもの、研究結果を見てからの後出しだ! お前みたいにゆっくりやる時間なんてないんだよ! これは」


「ビジネスの研究、だろう。やーっぱり、研究費用のために成果を焦ってやる意味の無い実験してるじゃないか。それが許されるのはギリギリ修士号くらいだよ? これが教授だなんて世も末だな。年功序列を採用してる大学なのかね?」


「…………」


「学生って研究任せたらてんでダメだけど、手としては優秀なのだよね。その点、キミは手にすらならないけど、どうやって国家の命運を任されるに漕ぎ着けたんだい? ひょっとして『何もしてないからミスしたことないってことが、上層部から優秀に見えた』からだったりする?」


「こ、この研究は、時間が無いから……」


「ないだろうねぇ。予定表見た時、タイトだなって思ったもん」


「そ、そうだろうそうだろう! そこが分かるなら……」


「でもさ、その『ちょっとしかない時間』の中で出せるはずの『ちょっとした結果』さえ無いのはどういう了見だい? 前段階の理論構築以外ぜんぶダメじゃないか」


「…………」


「キミは、考えることに時間を使いすぎなのだよ。いいかね。要は、時間をどこで捻出するべきか、さ」


 ニコは両手の人差し指を真上に立て、両手とも相手の目前へ構えた。


「実験を省略すれば、このようにデータ不足を招く」


 ニコは右手を下ろし、左手の人差し指を振った。


「であれば、こっちさ。実験外での考察の時間を無くすしかない」


「そ、そんなこと、それじゃあ次の実験が……」


「実験中に考えたことがないのかね? このような結果が出るなら、次はこうしよう、失敗するならああしよう、と。……普通はそうなのだろう? アマベ君」


 急に呼ばれ、アマベは少しムッとした。


「普通の代名詞に使わないでいただけます?」


「え~? キミまで怒らないでよぉ面倒くさいからさぁ」


「もっとマシな宥め方できないんですか!?」


 その一方で、研究者はどっと老けた顔でニコとアマベを見比べた。それから、ニコを指さした。


「じゃ、じゃあ、お前はどう考えるんだ」


「そもそも考察の時間なんか必要ないだろう。わざわざ考える時間を作らずとも、実験が終わる頃には考えるべきタスクは終えている。実験で出た値に対し『これはどういう意味だろう』と考えてる時点で後手だ」


「そ、そんな無茶苦茶な……」


「無茶じゃあないよ。次のことは簡単に予想できるんだし、実験の待ち時間は当然、論文の文字起こしの時間さ。だからね、キミ。〝手続き以外に時間を使うな〟という言葉を腕に、上下さかさまに刻んでおきたまえ。アハハ」


「バカなことを言うな。予想と違う出来事が起こったらそのご計画もパァになるに決まっている。そうなったときどうしてるのだお前は?」


「分からないねぇ、予想が外れたことないんだもん。あーあ。どうせ合ってるのに確認しなきゃいけないなんて、実験って時間の無駄食いだよねぇ。信用出来る実験機関ないかなぁ。でも金で雇ったらキミみたいの来ちゃうかぁ」


「…………」


「性格が悪いのに腕も頭も悪い。ひとつくらいは持ってるものだと思うがねぇ、世界は残酷だ」


 別人のようになった男が、とぼとぼと研究室を出ていった。


「なんというか、変な人だったねぇ」


「腕が悪いのは認めますけど、変さはあなたほどではないと思いますよ」


 今度はニコがムッとしたが、言い返しはしなかった。



――Phiman――

 あまりにもむら・・がある。それが、ファイマンが思い続けていることだった。


 とにかく、いかに効率よく相手を始末するか。それを今まで学び、実践してきたはずなのだ。


 それが、身体を改造するにあたり、全てがガタガタに崩れていった。今までの身体の動かし方が通用しなくなり、新たに覚えなくてはならなくなる。それを何回も、何十回も繰り返した。最近では、よく周りが聞こえるようになった。余計な音まで聞こえてしまい、判断が遅れることが何度か……。


 ――たまたま上手くいったときと上手くいかなかったときがある。それでいったい、何を評価してるんだろう。


 ファイマンはいつも通りの訓練所で、今回の相手を待っていた。だがいつものような、準備万端の状態とは言えない。


 慣れても、慣れたそばからバランスが崩れる。これでは評価が落ちてしまう。上手くいかないのも、訓練のひとつなのだろうか。


 予感がして、いつもの出入口を見た。すると扉が開き――いつもとは違う白衣がやってきた。


「やぁ。キミがファイマンか」


「……お前は?」


 その悩みをようやく報告する決心を付けていただけに、失望が大きかった。


 やや背が低く、そのわりに胸だけがやけに大きな、凄まじい毛量のピンク髪が笑顔でやってきた。その後ろには、少し怯えた小柄もついている。


「ティアラス・ニコ。今までの研究者がクビになったので、これからはわたしが代わりだ」


「クビ?」


「居なくなった、ということだ」


「殺したのか」


「うーん。生きてるけど、まぁもう二度と会わないんだから、死んだようなものだね」


「言っている意味が分からないぞ」


「気にしないでくれたまえ。これから定例の訓練だと思うが、それは中止だ」


「了解」


 いつも通りの返事をしただけなのだが、彼女は意外そうにしていた。


「不満のひとつもないとはね。仕事がやりやすそうでいい」


「そうなのか」


「そうとも。それじゃあ、まずは……まぁ力を抜きたまえよ」


 言われた通りに、休めの姿勢を取った。すると、小柄の方が目を見開き、口までおおった。


 意味がわからなかったので見ていると、ニコも振り向く。


「あ、いや……コホン。アマベです。アマベ・ウシキ」


「…………」


「……えっと。よろしくお願いします」


「…………」


 何かを期待され、求められている気はするが、まったく分からずファイマンは黙っていた。


「ファイマン君。こういうときは、よろしくお願いしますと返せばいい。挨拶だ」


「了解。よろしくお願いします」


 するとアマベは腰を低くし、何度か会釈をした。


「ど、どうも〜……」


「よろしくお願いします」


「…………」


 何か違ったらしいのは反応で分かる。『どうも』に『よろしくお願いします』は使えない、と覚えた。恐らく、『どうも』には『どうも』だ。挨拶では同じ言葉を返せばいい。


 ニコは「ふむ」と首を傾げ、ファイマンに待機を命じてアマベを連れていった。入口まで離れたが、例の調整のせいで、二人の会話を普通に盗み聞きすることができた。


「アマベ君。いったいどうしたのだね? がら・・にもない緊張などして」


「先輩見てなかったんですか? 力を抜いた顔、めっちゃくちゃ可愛いかったじゃないですか! な、なんであんなに可愛いんですか? あれも兵器としての調整なんですかっ?」


「そんな記録はないから……たまたまそういう顔になったのだろう。まぁ、愛らしい顔つきなのは認める」


「……ファイマンって男ですよね」


「そうだよ」


「あ、頭が混乱しそうです……」


「ふぅん。可愛い子が好きなのかね? わたしに色目を使わなかったくせに」


「だ……だってニコ先輩は中身がなんていうか……ひどいことになってるので」


「むぅ……。とにかく、集中したまえよ」


「はい。……うー、でもちょっと……」


「集中」


「は、はい」


 ……カワイイ、か。カワイイとはなんだろう。なにか、殺すのに使えるものなのだろうか。いや、であれば今までで使うよう指示があったはず……。


 ふたりが戻ってきてからは、これからの方針が変わったことを知らされた。


「……まとめると、戦闘訓練はしばらく中止とする。肉体の調整によってそれぞれのテストでスコアを付け、調整が終わってから訓練に戻すものとする」


「了解」


「さて、これから環境の再設定をすることになるわけだが……その間、暇だろう? そこで、どのような考えを持ち、どのような意思判断をするものか、改めて新人である我々に教えて欲しい。わたしは忙しくなるから……」


 彼女は不意に振り向いて、アマベを手で指した。


「彼女にね」


「えっ!」


 アマベが驚いた声をあげた。


「に、ニコ先輩?」


「まぁまぁ。必要な調査だから。あ、街にでも出かけたらどうかね?」


「極秘研究ですよ!? なに言ってるんですか!」


「有事のときには、どこだって戦場になりうる。その事前の現地調査と言えば上だって文句は無いはずだ」


「やけに口が回る……。授業全欠席して詭弁だけで単位を取っただけありますね」


「賢いからねわたし。じゃ、よろしく〜」


「え〜……?」


 弱々しい声を出した。去るニコの背に「待ってくださいよぉ」と手を伸ばすが、ニコは一切立ち止まらず手だけ振って返事をした。


 そして、アマベと二人きりになった。


「……え、えーっと」


「…………」


「広いですね、訓練所、ふふふ……」


「…………」


「…………」


 なにか言うことを求められている、だがそれ以上のことが分からなかった。


「…………か、顔」


「…………」


「顔、よく見せてくれませんか……?」


「了解」


 小柄な顔に向かって顔を近付けた。するとアマベは「近い近い!」と叫びながら、まるで殴られたように後ろへ仰け反った。


「顔が……顔が良すぎる……」


「…………?」


「フー。いったん……落ち着くのよ、アマベ・ウシキ……」


「…………」


「え、えっと、じゃあお出かけ……いや、調査に行きましょう。いいですか、調査です。着いてきてください」


「了解」


 前任者とはかなりタイプが異なり、見たことの無い存在だった。こちらに話しかけず、一人で呟き続ける点では同じだが、声の明るさというか、反応が違うというか……。


 アマベは周囲を――というよりニコの存在を気にしつつ、やけに忍び足になって歩いていた。


 そして、ある部屋でカバンを取って来て、トイレの入口で頬をかいた。


「……ちょっと待っててください」


「ちょっとって?」


「えっと……えー……私が出てくるまでです」


「了解」


 言われた通り、待った。待ち続けて、やっと出てきたアマベを見て、ファイマンは二度三度と瞬きした。


「お待たせしました。えっと、じゃあ……」


「顔が良くなった」


「へっ……?」


 アマベの顎を持ち、真正面で顔を合わせる。太く大きな四角いフレームから、細いフレームの丸眼鏡になり、目がぱっちりと広がり、肌のきめが細かくなった。輪郭そのものは変わっていないが、変わったように見える。何か、ペインティングをしたようだった。


 じっと見られた彼女は顔を染め、声にならない声を吐き続けた。


「何をしたんだ?」


「……あ……けけ……あの、化粧を……」


「化粧か。覚えた」


「……あ、で、でも、ニコ先輩には秘密ですよ?」


「秘密?」


「言わないってことです。私とあなたのみが知る情報で他に漏らしてはいけません。いいですね」


「……どうしてだ?」


 いつもなら「了解」と終わらせていたところが、口から出たのは質問。自分がいちばん驚いた。


 まずい、間違えた――。そのはずなのにアマベは、まったく気にしていないようだった。


「……実はですね、その……秘密ですよ? いいですね?」


 アマベは携帯を取り出し、あるSNSの画面を見せてきた。


 色々な人が、色々な格好をしているように見えるが、骨格から観察すればそれが全員同一人物だと分かる。


「こういう……裏アカを持ってまして……。それで……こ、コスプレなどをですね……」


「裏アカ? コスプレ?」


「に、ニコ先輩にはゼッタイ秘密ですからね!」


 知らない単語が次々と出てくる。写真の中には、分厚すぎる服や、ほとんど裸みたいな服装まであった。全く法則が見えない。


 よく分からなかった。だが。


 ふと、いいな、と思った。


「……あの、顔が良くなったって言ったけど……良いってどういう意味で……?」


「良いは良いじゃないのか?」


「いろいろあるじゃないですか。キレイになったとか、可愛くなったとか……」


「それ……」


 ドンドンと出てくる知らない単語たちの中で、思わず止めてしまうほど気になるものがひとつあった。


「その、カワイイってなんだ」


「なに? えーっと、なにって言われると……」


 しばらく悩んだ。また待たされ、待たされ、ふとアマベに手を取られた。


「ふふ。じゃあ教えてあげます。着いてきて……コホン。着いてきてください」

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