Turnout

――Kai――

 受付でモリモトの病室を聞いたときでさえ、カイが来たという騒ぎにはならなかった。あるいはプロとして、院内で騒ぎを起こさないように配慮したのかもしれない。ヒーローというより、有名人になった気でいた――実際に有名になりつつあるのだが――ので、できれば後者であって欲しかった。


 だが、そんなことはあまりにも些細だ。目前に三十二部隊の面々がいる現状に比べれば……。


「テメェ、何の用で来やがった」


 九人の中から、喧嘩腰で一人がやって来る。カイの身体であるジェイクの背がそれなりにあったお陰で、見下ろされることにはならなかった。


 が、怖いものは怖い。実質的にだがT.A.S.へ所属したのでもう仲間friendだとはいえ、決して仲良しfriendlyではない。現役の特殊部隊員が凄んでいるのだ。そこいらの不良とは迫力が違う。


「あのぅ……」


 やはりオークラーを連れてくればよかったと後悔していた。が、モリモトと話したいのはオークラーにもリィラにも秘密の会話だ。どちら道、地獄を見るハメになる。


「おい知ってたか? お前がのんびりお出かけしてる間にオレたちの仲間が死んだんだぜ。今さらなにをノコノコやって来てんだ?」


 それは少し違う。死んだ二人はモリモトが撃ち、そのモリモトはカイたち――というかニコが、半殺しの刑で病院送りにしたのだ。それが伝わっていないということは、モリモトはもう首を突っ込まないという約束をキッチリと守って、黙っていたということに他ならない。


 であればこそ、ここでカイが折れるわけにもいかなかった。まるでノベルゲームの、トゥルーエンドに必須のイベントのような気さえしていた。


「だから、来たんす。お、おれが守れなかったこと……守れなかったから、こう……」


「ウジウジ言ってんじゃねえ」


「……さ、先にお見舞いするならしてください。待ってるんで……」


 近くの待ち合いソファへ堂々ドッカリと座ったつもりが、妙に力が入ってチョコンと着地した。


 隊員たちは顔を合わせる。ひとり、イラついたように指を掻いている隊員が気になった。ストレスを感じて掻く場所は、後頭部とかじゃあなくて指なのか。


 隊長だと思われる男が、顎で先を差した。


「とっとと行ってこい」


「え、いいんすか?」


 カイが腰を浮かさせた。隊員たちも予想外だったのか、皆が隊長へと身体を向けていた。


「隊長、なんでコイツを……」


「このマヌケが待ち合いでマヌケに待っているのをSNSに挙げられてみろ。またコイツのせいで俺たちの評判が落ちるぞ」


「じゃあ帰らせりゃいいじゃないですか」


「ハッ。現実を分からせてやりゃあいい。話せば嫌だって解る。……自分がどんだけ能天気だってことをな」


 挑戦的な視線の間を縫い、背中に突き付けられるのを感じながら階段を上がって、カイはようやくエントランスを抜けられた。


 三階の病室は個室のようで、扉の隣にはモリモトの名前が記載された名札がある。ランドマーク道路での事件の参考人のはずだが監視はなかった。逃走の恐れなし、というものだろう。


 扉の前で、この世界にはノックの文化はあるのだろうかなんて関係のないことが頭に浮かんでばかりいた。それから、自分の世界の文化はこの世界に作られたと思い出し、踏ん切りをつけて扉を三回叩いた。


 ベッドには、何かを諦めた表情でうつむいているモリモトがいた。あんな勢いでビルへと突っ込んだというのに怪我は軽いようで、全身包帯をグルグルにされている想像との乖離に、思わずホッとしてしまった。


 当のモリモトは、カイを見るなり目を見開いた。


「――クソッ!?」


 ベッドから飛び出し、窓を背に立つ。もう動けるほど元気になったのなら、都合は良い。


「モリモトさん……」


「ノックなんざお役人みてえなことしやがって。テメェか。やっぱり殺しに来たか」


「ち、違います。あの約束はほら、おれから近付いたんでノーカンっすよ」


「じゃあなんで…………おいウソだろ? まさか、お前……」


 モリモトは目を丸くして、その場を忙しなく歩き始めたと思えば、両手を広げてカイへと向かった。


「……お見舞いに来たのか?」


「そうっす」


「バカかお前? 俺は……」


 彼がカイの背後を見て黙る。誰か来たのかと思いきや、扉が開きっぱなしになっているだけだった。


 慌ててカギごと閉めるなり、モリモトが息をつく。


「そこも含めてマヌケ野郎だな。いいか、俺はお前を殺そうとしたんだ。銃がありゃ、今すぐにだって殺ってやる。そんな俺に、お見舞いだと? いや、分かったぞ。そうやって見下しに来やがったのかテメェ」


「違うっすけど……。心配で来たのはマジですよ」


「ファイマンもお前のためにお見舞いに来てくれんのか」


 それは分からなかったが、病院で苦しんでいるときにミィとして来てくれて、そのまま一緒にいられるならば、ボコボコにされるのも悪くないと思えた。


 空気の読めないそんな思いが、カイに考える余裕をくれた。


「たぶん来てくれますよ。それより、ちゃんと用事があって来てんです」


 懐に手を突っ込むとモリモトが構えた。しかし取り出された大容量のボトルを見て、眉を潜める。


 マッチョの店に寄って買ったものだ。カイにはこの世界の財布のサイズなど分からなかったが、この瓢箪ひょうたんのようなでっぷりとしたボトルが、濃度の面でもっとも多くPpカネを入れられる型らしい。


「受け取ってください」


「カネか。ってことはあのニコメスの差し金ってわけか」


「違います。おれの意思で、おれが選んだ選択です」


「……お前の? カネで、あの二人の命が戻ってくるのか?」


「それは――――」


 答えようとしたら、モリモトが構えるのが見えた。殴る前の動作も、振りかぶるのも見えた。今までの経験のおかげか、これは避けられるなと判断することさえできた。


 しかしカイは、少しも動くことなく殴られた。それから、逆らうこともなく胸ぐらを掴まれる。ボトルが床を転がる音が聞こえた。


「どこまで虚仮コケにすれば気がすむ? 仲間をふたり喪った俺に、テメェこんなもんで許されると思ったのかッ!」


 撃ったのは他でもない、モリモトだった。だがカイは、彼の想いもまた、深くまで感じてしまっていた。


「本当にムカつく野郎だぜ。自分がどれだけ恵まれてるとも知れずに、国の全員を救うくらい強ぇとも知らずにだ、勝ったテメェのが被害者面してこんなチンケな物持ってきやがるのかよ! 公平じゃねえだろこんなの!」


 彼はボトルを拾い、カイの胸へと押し付けた。


「こんなもんじゃ五分五分ゲット・イーブンにもなりゃしねぇ! とっとと失せやがれカマ野郎!」


 だがカイは、それを受け取らなかった。以前なら怒鳴られただけで涙目になっただろうが、今だけは違った。


「……ふたりを撃たなきゃいけない状況に追い込んだのはおれです。だから、もう許されるとは思ってません」


「だったらどうして来やがった!」


「モリモトさん。そのカネを持って逃げてください」


「…………っ!」


 固く握られていた拳が緩む。


「おれなりに、考えてたんです。いま警察に事情聴取を受けてんですよね。もし退院したら、そのまま捕まって牢屋とか入れられて、たぶん裁判とかになってくんだと思うんですけど、そのときまでにきっと、正規軍から来ると思うんですよ。なんていうか、殺し屋っていうかが、モリモトさんを消しに」


「チッ。最低限のアタマはある、か」


 手を下ろし、彼は後頭部をかきむしった。


「たぶん、ニコさんもそういう人を雇うかも……考えすぎかもですけど」


 言うと、モリモトは片方の口角をわざとらしく上げる。


「お前も、アイツを疑ってんじゃねえかよ」


「違います。ニコさんのことは信用してます。その上で〝そういうことをする人〟だって思ったからっす」


「……なんかお前、思ったより……いや」


 彼はまた、ため息をついた。


「この俺を本気で心配してるんだから、やっぱり理想主義ってやつだな。くだらねえ。俺が許せねえって、どうして思わないんだお前」


 確かに、許せない相手だ。それでもカイには、この国を本気で守りたかった志と、仲間への想いが見えてしまった。


「これがおれの選択です。正直ニコさんを撃ったことまだ許してないっすけど、誰だろうが殺されるって知っているヤツを見殺しにしたくねーんで」


「…………」


 彼はただ黙っていた。それでも、さっきカイを見ていたときとは明らかに違う目である。


「じゃあ、おれ、そろそろ……」


「……待てよ」


「ん?」


「お前、正規軍のことについて聞かねえのか?」


「ああ。……いっすよ別に。その用事で来たんじゃないんで」


「別にいいってなんだよ。だって……」


 だってとは言ったが、言葉は続かないようだ。彼の脳裏にはきっと、自分が撃った二人の仲間が見えている。


「簡単に喋っちゃったら、あのふたり、無駄死にじゃないっすか」


「…………!」


 また彼の身体がこわばった。しかし、そこに怒りは感じなかった。感じたのは後悔。


 そしてそれに、カイ自身の自殺という悔いも引っ張り出される。妙なところで共感してしまうのが、少し嫌だった。


「黙るって決めて撃ったんなら、貫き通してください」


「それは……」


 とは言ったものの、またドライな自分が「お前は貫けてるのか?」と肩を竦めていた。


 うるせえ。こっから頑張ってやるっての。


「下に三十二部隊のみんなが来てたっすよ。だから、仲間としっかり最後の挨拶して、早く逃げてくださいね。せめてモリモトさんが生き残んなきゃ、浮かばれねーっすよ?」


 それだけ言って、さっさと部屋を出る。背中に小さく、「なんなんだよ、テメェは……」と苛立つ声が届いていた。あとは、彼次第だ。


 そうして階を降りたら、三十二部隊の面々が何かを期待する目でカイを見ていた。しかしカイは、微笑みを返した。


「お待たせしちゃってすいません。じゃ、用は終わったんでもう行きますね~」


 その軽い言葉に、いかつい顔どもが一斉にポカンとするのを見て、カイは笑いを堪えながらさっさと病院を出た。


 オークラーは、待っているときに前哨帯などに見つかってはいけないとやや離れた路地の方へ車を止めていた。病院の前で彼女のための飲み物を買い、自分にも一本買った。どの缶が何のタイプに属するのか分からないから賭けだ。


 子どもには僅かに高い位置にある取り出し口へ、ストンと缶ジュースが飛び出してきた。いつかニコに習ったように尻を持ち上げ、レールから取り出した。この世界にも、ちょっとは慣れてきたようだ。


 自分の意思で何かをやりとげる。ただなんとなくで流されてきた人生で、胸を張れる初めての一回だ。今までのことが嘘のように爽やかだった。このジュースのように……。


「……ぐっ、ゴホッ、ゴホッ……」


 滅茶苦茶にクセのある味だった。イロモノ属だったようだ。


 やれやれ、飲みきるのに時間かかるなこれ……。


「ま、慣れてきゃいっか」


 海外でのエスニック料理みたいなものだ。きっと、そのうち美味くなってくる。足取りも軽く、カイは病院の敷地の外へと向かった。


 ふと、あの病室の窓を見た。大体の位置に目をやっただけですぐに見付かった。三十二部隊の面々が、カイを睨み付けていたのだ。


「…………ん?」


 ただ、さっきのやり取りが憎いという感じではない。その忙しない動きには、間違いなく焦りも含まれている。


 まさか、彼らと会う前に逃げたのだろうか。裏切った罪悪感を考えればそれも選択だ。気の毒だが、それならばそれでも――――。


 カッと、目の前が輝いた。


 それから深く低い音が振動として辺りを揺らしたと思えば、とっさに頭を守った腕の手前、視界のちょうど中心に、病室の窓の形をした残像が残っているのを見つけた。


 覚えのある音。あの、即興爆弾の音だった。


「…………嘘だろ」


 足元に缶を残して駆け出す。あまりにも突然のことで、この爆発が建物の中なのか外なのか誰も判断がついてないらしかった。


「みんな早く外へ逃げてください! 上の階で爆発ですっ! 外に逃げてください!」


 いつか刑事ものドラマで見た通りそう叫ぶと、みんなが一斉に出口へと向かった。看護師に押された車椅子に足を引っ掻け、もろとも転倒している人もいる。


 どうなんだこれ。合ってたのか? 言わない方がよかったのか? いやそれどころじゃねぇ。カイはさっき上がった階段を駆け上がり、あの扉へ。


「…………」


 息を切らせて、カイは廊下で立ち止まった。じっと立っていても、乱れた呼吸は戻りそうにない。


 よく分からない形だったが、毛がフサフサと生えているのだから、たぶん人間の頭だろう。ただ、角かと思った部分が伸びた肉だったから、自信がなかった。


 取る物も取り敢えずここまで来たのに、もうこれ以上進む勇気がなかった。モリモトは、どうなったのだろう。


「……だ……。通してくれ、T.A.S.だ!」


 階下からオークラーの声が聞こえて、早く彼女と会いたくて階段へとフラフラ戻る。当たり前に彼女と会ったが、まるで幼稚園で迎えに来た母親にさえ見えてしまった。


「カイ! 無事か」


 何度かの呼吸の後、オークラーがあの惨状を見付けてから、カイは指を差した。


「あれ、三十二部隊の人たち……」


 そう言いかけて突然、顎の周りが気持ち悪くなった。事前に腹に沢山の食い物を入れておかなくて良かったと思う。


「何が起こった?」


「……も、モリモトさんと会って、それで話せたから病院を出たんです。あ……その前の、入ってくるときに三十二部隊の人たちがいて、ちょっと、どっちが先にお見舞いするかで話して」


 考えて話している感じがしない。出てきた言葉をそのまま口にしていた。


 おかしいな。ああいう死体は、T.A.S.に入る前に見るハメになったのに。どうして今さら怖いんだ。


『死体を怖がる最終兵器だと? テメェふざけてんのか』


 モリモトの声がそう言った気がした。


「警察だ! お前たち避難を……むっ!」


 階段から駆け上がってきたのは、いつかの老刑事と相棒だった。他にも何人かの、近くにいたと思われる警察が来ていた。


「お前らか。状況は?」


「三十二部隊の、モリモトさんいたじゃないですか。その人の病室が爆発して、三十二部隊の人たちが……」


 その先を言わずとも、廊下の先で壊れた色々な物を顔をしかめて見た彼にはもう伝わっただろう。


「クソ……。口封じか。お前らは?」


「その、おれ、お見舞いに来ただけなんです……。そしたら……」


「分かった分かった。お前がそんなツラでどうする。シャキッとしろ若ぇの」


 老刑事が呆れて慰めるのを見て、他の警官が迷ったように彼とカイを見比べ、耳打ちをする。


「どうします? 一応、署で話を聞きますか」


「いやいい。コイツは無罪ホワイトだ。この子犬みたいなツラを見ろ。これがあんな事件を起こせるか?」


 ちょっと複雑な気分だが、少し前なら問答無用で逮捕されていただろうことを考えれば、ある意味ではこれも信用なのかもしれないとも思えた。


「それで、隊長さん。今回の件は前哨帯の仕業だと思うか」


「モリモトを狙ってのことなら、間違いないでしょうね。ただ、ここまでのことをして消そうとする理由はまだ分かりませんが……」


 それをこの場で知っているのはカイだけだった。正規軍が送った殺し屋が、まさか三十二部隊の面々だとは。しかも、自爆だ。


 確かにモリモトは追い詰められたときに仲間を撃った。最悪は自殺してでも情報を渡すなという命令に従って――。


 そこまで思って、明らかにおかしい点に気付く。


 一人を殺すのに、九人が一気に自爆テロをするだろうか?


 否。一人で十分だろう。それに、三十二部隊の面々はどうやら仲間思い・・・・であることはモリモトが証明している。彼らのうちの一人がまた正規軍に雇われたとしても、モリモトを殺し、かつ他の仲間全員を巻き添えにする選択をするだろうか。


 それに、三十二部隊のあの慌てた様子はなんだったのか。例えば、時間ピッタリに爆発する時限爆弾を抱えていたとして、肝心のモリモトがいなければ確かに慌てる。しかしあれは、命の危機が迫っている者の慌て方でなく、ただ単純にモリモトが姿を消していたことに対するものに見えた。


 その前提でもまた、不自然な点が見つかる。自爆を考えるならいつ終わるかも分からないカイの面会を、先に譲るだろうか? 意地でも先に行き、爆破してしまえば後はなにを言われようが関係ないはずなのに。さらに言えば、あんな火力の爆弾なのだから、病室のどこへ置いたってターゲットを仕留められる。入口を開け、投げ入れ、逃げる。それでいいはずだ。


 つまり――そもそも自爆する必要さえない。


 廊下に転がる肉片の内側は、Pp色に発光している。もしかしたら、三十二部隊以外の誰かがあの病室へ仕掛けていたのか。それが、モリモトの仲間が来た時間で爆発した。だがその結論でさえ、謎が残る。


 じゃあ、なぜもっと早くに爆破しなかったのか。理想を言うならば、仕掛けた直後に……。


「あの様子じゃあ、何人巻き込まれたかもよく分からねえな」


 老刑事の声にハッとして、カイは現実に戻ってきた。


 少なくとも説得したおかげで、モリモトは脱出していたと見て良い。それだけが救いだ。


「たぶん――」


 モリモトを抜いた九人。言いかけて、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。


 警察のうちの一人が、死体には目もくれず、カイを観察していた。


 あれは、自分を疑う目なのだろうか。いや、次の言葉を待つ者の目だ。


 ニコはT.A.S.にクロウディアのスパイはいないと言っていた。だが、正規軍のスパイはどうだ。ニコを理由に決着をつけようとしないクロウディアとは違う。国の利益のために、どんな手でも、躊躇いもなくカイを始末しようと企んでいる存在。


 ウソだろ。三つ巴とか言ってたけど、これ――思ったよりやべぇぞ。


「――じゅ、十人だと思います。モリモトさんと、三十二部隊の九人で……」


 そう言うと、さっきの男は急に興味を無くしたように、廊下の奥、現場の覗きに行く。


 オークラーは暗い顔で、廊下の肉片を見つめていた。


「九人……。ということは、三十二部隊はこれで全員、か」


「全員だ? 一部隊丸ごとか。三十二といやぁ悪名高いって噂だったが、こりゃあ……あんまりにもあんまりじゃねえかよ」


 老刑事もまた、犯人がまだそこに立っているかのように睨んでいた。


 更に上へと上がっていた警察が「誰もいません」と報告に戻る。


「ご苦労さん。撤収するぞ! 戻れ!」


 現場をロクに見ずに行ってしまうのか。カイはオークラーを見るが、彼女もまた号令の通り逃げようとしていた。


「え、あの、オークラーさん、行っちゃうんすか?」


「お前も行くんだ、カイ。爆破テロの基本は、一発目で客寄せをして、二発目で客ごと、だ。ここはまず、爆弾回収班に任せよう」


「あ……。おっけっす!」


 行く前に、もう一度肉片を見た。譲らなかったからこそカイは死ななかった。裏を返せば、譲らなかったせいで九人が死んだ。エントランスで延々と喧嘩していれば……。


 ……それならそれで、モリモトが死んだ、か。なんだよこれ。これじゃまるで、トロッコ問題だ。


 自分と、モリモトと、三十二部隊の九人。切り替えスイッチはふたつで、『面会で先に譲るか』と、『モリモトの説得に成功するか』だ。


 前者を切り替えたら『カイとモリモト』が、後者を切り替えたら『モリモトと三十二部隊』が吹っ飛ばされる。そして今回のルートでは、『三十二部隊』だけが吹っ飛ばされた。


 全員を間違いなく救う方法があるとすれば、事件の参考人であるモリモトを連れ出して、三十二部隊のメンツと一階でひたすら喧嘩でもすることだが、この未来が分かっていなければ選べない選択肢だ。


 トロッコ問題の寒々しい解答で上手いことを言った気になっていた頃を、もう懐かしく感じる。現実ではどうだ。切り替えスイッチが有ったことに、こうして後から気付くことしかできない。


 これが、自分の意思で決めて行動するってことなのか。


 栞機能付きのノベルゲームのように、ちょっと前の分岐点ターン・アウトから再開できればな、なんて思っていた。



――Morimoto――

 俺は、何のために逃げるのだろう。モリモトは満身創痍のようにふらつき、路地を進む。


 Ppでほぼ全てを回復できる赤鬼たちが入院するのは、その再生能力の高さ故だった。いかに早く傷を治すかに特化した結果、逆に害が発生してしまう。骨では変形治癒や、筋肉を巻き込んでの治癒性筋骨複合症と、その合併症で手術が必要になることがある。筋肉ではお互いにペアにならない繊維が無理矢理繋がり、常時ねじれた状態となって一部だけ短くなってしまい、力が上手く入らない筋繊維捻転症などがある。


 そのどれもが、とっくに治っていた。それでもふらつくのは、ただ一つのバカな考えのせいだ。去り際に、自分がいた部屋を見てやろうなんて思ってしまったからだった。


 仲間たちが、わざわざ来てくれたんだ。あそこにいたんだ。俺が消えて、心配してくれているのかなんて、女々しいこと考えちまった。


 それが当たってほっとしていたら――全員消えちまった。


「……畜生…………」


 分からない。カイというカマ野郎が仕掛けたとは思えない。そうなると病院の関係者か、定期的に来ていた警察のどちらかが仕掛けたことになる。


 病院側であれば、爆弾を使わずとも始末する方法なんていくらでもあるはずだ。下っぱの看護師でさえ、一対一で接触できる瞬間なんていくらでもあったのだから。


 であれば――――警察か。俺と同じように正規軍に雇われ、俺を消す任務に出た。


 沸々と、憎悪が腹の底から炎が上がってくる。


 そうか。アイツらを殺した犯人は警察にいる。どうにか調査して、誰がやりやがったのかを見つけられれば……。


 いいや。今すぐにだってできる。俺が行けばきっと、明らかに反応がおかしい奴が出るに決まってる。そいつを殺って仇を取りゃあいい。今からT.A.S.に戻って……。


「……待てよ」


 何かがおかしい気がする。俺が任務に失敗しちまったから口封じと言えば、確かに説得力はある。だが、何かがおかしい。


 今まで警察は、必ずペアで来ていた。二人組で行動しなければならないという規則を知られていると警戒したのだろう。それだけ慎重に動いておいて、爆弾だなんて随分と大掛かりでリスクの高い方法を取った。


 設置する瞬間を見られる可能性。設置した後に見つかる可能性。今回のように、俺がいない隙に爆発してしまう可能性。少なくとも、口封じという確実性を求められる仕事でやるべき賭けじゃあない。


 それに、〝裁判中は警察署内に勾留されることになっている〟のだ。病院よりよっぽど近く、一般人の目を避けられ、あの威力の爆弾を使うなら壁越しにだって殺れたはず。こっちの方がよっぽど安全だ。


 なんだ。何かがおかしい。だがいったい何がだ。


 ――まさか。


「……あいつら……」


 いや、違う。あいつらに限ってそんなことはしないはずだ。


 俺が二人を撃ったのだって、三人で決めたことだ。正規軍の奴らが莫大な額をくれた。だから、失敗してカイあのクソ野郎に負けるくらいならいっそ死んで、仲間に遺してやろうって、そう誓い合ったんだ。三十二は、絶対に部隊を裏切らない。裏切るはずがねぇ。


『もし俺が、カネを相続させてやるつもりだと知ってたら?』


「――――うるせぇ!」


 近場のゴミ箱を蹴り、自分という無意識の声を掻き消す。


 本当に復讐するべきなのは正規軍だ。それは分かっている。だが、何もなく一人で立ち向かえる相手ではない。


 ……いまさら、カイに助けを求めろってのかよ。


 懐から瓢箪型のボトルを出して、振りかぶり、叩きつける直前の姿勢のまま固まった。


 そして脱力し、またボトルを仕舞う。


 今の俺にあるのはこれだけだ。このカネしかない。超高級財布だから、国から逃げるくらい簡単にできる額は入っている。その先の生活の初期費用にもなるかもしれない。


 ――その先の、か。全部なくして、仕返しも何をすることもできねぇで逃げて、まだ生きようってのか?


 仲間のためにと思って受けた仕事が、巡りめぐって仲間を皆殺しにした。思えば、受けること自体、あいつらへの裏切りだったのかもしれない。


 最初に裏切ったのは、俺だ。


 また歩き出す。


 クソったれのヒーローサマ。あいつのせいだ。何もかも、アイツのせいなんだ……。


 ボトルを握るモリモトの背は、尻尾を巻いた、負け犬のようだった。

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