マイン・ゲーム2

――Lila――

[こちらオークラー]


 通信が入り、また車内は安堵した。どこかでえげつない爆発が起こり、何か、巨人が大挙して駆け抜けたような衝撃が壁となって突き抜けた。大通りをいくつか離れているので、建物が崩れるような被害は無かった。だがビルの窓が軒並み砕け、避難指示の出されていないここで、野次馬がパニックになって右往左往しているのが、傷だらけの窓越しに見てとれた。


 路地の奥の方までは致命的な衝撃波は伝わらなかったのだろう。とはいえ相当の恐怖だったようで、マッドと老刑事の相棒はふたりして泣きそうな顔になっている。一方でオークラーと老刑事は、凛としたものだった。


「こちらロック。リィラと共に無事グリーン。カイも同じくグリーンです」


[そうか。何よりだ。どうやら向こうはカイを対象にした罠だったようだな。でもなければあそこまでの火力は要らないはずだ]


「でしょうね。なのでカイに戻るよう言っておきました。応援として必要ならば連絡します」


[いや、そのまま待機で頼む。カイが無事だと知ったら、命をなげうって自爆でもするかもしれん]


 リィラが思わずオークラーとロックを見比べた。考えていることが、ここまでちゃんと一致するとは。チームの絆が深いということだろうか。


 そう思い、いやいや、やっぱりナカマとかバカみたいだしと少女の生意気さで肩をすくめた。


「残りの爆弾は、あと五発です。全て地点ベータの付近に固まっていますね」


 すると画面外から声が響く。


あと・・五発だぁ? あの威力じゃあ、一発だってひとたりもねぇぞ。まだ・・五発もあんだよ]


[だからと言って、撤退はしませんよ]


[昔っからの辞書には〝無謀〟って言葉が乗ってんだ。知ってるか? やっぱり戻るぞ]


[爆弾の位置は判明済みで、相手はカイを倒したかもしれないと浮かれている時です。目的を達成した犯人は、牙の抜けた獣でしかないことはご存じのはず]


[カイを倒すのが目的だって思ってるのか? あのデカい銃を抱えたバケモン、いるだろ。本気で殺る気ならあれが出てくるんじゃないのか? 前哨帯の最終兵器ってやつだろ]


[口喧嘩してる場合じゃ――]


 すると急にオークラーが黙り込んでしまい、それから、来た道を振り返り、また老刑事を見た。


[――いえ。確かに、そうかもしれませんね]


[なんだ、急に物分かりがよくなりやがって。心当たりでもあるのか]


[さっき、位置を見抜かれて危ぶなかったときに、次が来ないので、きっと大通りから入るところを見られ、あの爆弾ひとつで仕留めたと、そう判断されたと思いましたが……]


[……もしそうじゃないなら、つまりこっちの位置が偵察だかでバレ続けてるなら――俺たちがベータへ向かっているのを知った上で、動く爆弾を泳がせているって訳か。ハマる前に気付いてよかった]


 言葉を継いだ老刑事が、危うく罠に掛かったかもしれないという緊張と、事前に気付けた安堵とが混じった、わざとらしい上擦り声を出した。


[撤退しましょう]


[戦況は生きている者にしか動かせねぇってな。だがな嬢ちゃん。問題がある]


 老刑事がポリポリと、こめかみを掻く。オークラーはさっきそうされたように、彼の言葉を継いだ。


[こっちが撤退を始めたら、爆弾が追ってくる……ですか]


[腕に自信はあるか。道中、偵察の者とドンパチするだけの腕だ。足の方は? さっきのホバーに乗って逃げるんだ。乗り付けられる大通りまで、休憩なしだぞ負け犬ども]


[ご老人と手負いの扱いなら慣れています。エスコートが必要なら手を伸ばしてください]


[ハッ! 気に入った。なら――――勝負だ!]


 オークラーたちが一斉に来た道を、全力で駆けて戻る。


 そうして彼女たちが動き始めたとき、爆弾たちの動きも変わった。その場から分散したのだ。


 走る彼女らより、ラジコンの方がわずかに早い。しかし、ルート取り次第ではどうにかなるだろう。


 だが……。


 リィラはロックへサリペックを寄越した。


「おいおい。もういいのか」


 どれだけガジェットが分かっても、人が遠隔爆弾をどう動かすかまでは分からなかった。


「そーいう予測ならできるだろ。アンタの方が……」


「……おう。分かった」


 カイならばきっと、上手くやれただろう。人の予測ならばアイツだ。しかしまだ彼は車にたどり着いていない。


 自分にできるのはガジェットに関することだ。なにか、それで考えるべきことはないのか。


「…………ん?」


 リィラは声を漏らした。そうだ。オークラーも言っていたが、なぜ居場所がバレているんだ。


 リィラの知らない現世の電波ならば、特定の物に対してだけ電波を飛ばすことが不可能なので、その方角全般に飛ばすしかなく、三本のアンテナさえあれば通信機の場所はあっという間に割り出せる。故にアンテナだらけの電気世界で何か信号を出せば、数センチ単位で位置を検知されるだろう。しかしこの地獄では事情が異なった。


 デザエスボトルの機能のように、そのような信号の出し方もあるが、サリペックは基本オフラインであり、また通信もペアリングによる擬似的なトンネルの開通で、基本的には通信機のカップルのみが情報をやり取りできる。ジャックせずにその場所を割り出すのは不可能なのだ。


 となると――――こちらからの何らかの信号を探知しているわけではない。


「やっぱ見せて。でも動きはロックが報告して」


「なにか考えでもあんのか?」


 リィラのコロコロ変わる言にちょっと呆れ気味ながらも、ロックはマップを共有した。


「……隊長、その先の突き当たりを右ですけど、すぐ次の角を曲がらないと鉢合わせです」


[分かった。右だ、右!]


 少ししてオークラーたちが角を曲がる。同時に、残された五つの赤い点が、一斉に動きを変えた。


「やっぱだ。なんかセンサーがあるんだよ」


「センサーだぁ? でもよ、それじゃあ証拠が残っちまうぜ?」


「どーせ爆弾でぜんぶ吹っ飛ばすってことでしょ」


「そういうことか、クソ。無茶苦茶やりやがるじゃねえか。――いや待て。路地の角なんてそこいら中にあるだろ。その全部に着けたのか?」


「それは……待って。考えさせて……えっと……」


 確かに、どの方向から来るか分からない以上、地点ベータの全方位へセンサーを設置する必要があり、数えずとも数十の角がある。本当に全ての角に設置する必要があるのだろうか?


 地点ベータへ近付いたあと、そのまま中に入るか、逃げるなら外の大通りに停車しているはずのホバーで撤退することまで計算済みだろう。とはいえ、さすがにどの位置に到着するかまでは分からないだろうから……。


 少なくとも地点ベータ付近の路地は全て対象内だ。それを踏まえ、中心に地点ベータを据えた蜘蛛の巣の形――リィラにしてみれば違う例えが浮かんでいるが――の円形路地を考える。ただし交点である十字路は十分に広く、左右前後のどの方角にもセンサーを取り付ける余裕があるとする。


 さすがに、厳密な計算をセンサーを設置する下っぱがやったとは思えない。よって全ての十字路で同じセンサーの設置を行う。そして、ループする円の通路は、縦の通路のうちの一本をゼロとすることで、交点へゼロ――ゼロ、ワン――ゼロというようにループ通路対縦通路の命名規則で名前をつける。


 まず全ての路地の全ての方向へ、センサーを取り付ける。十字の数の四倍だ。しかしこれはあまりにも現実的じゃないので、ここから数を減らしていく。


 まず、センサーの路地をひとつ飛ばしで設置するパターンを考えよう。偶数――奇数と奇数――偶数の交点からセンサーを四つすべて取り除く。すると、センサーが取り付けられた十字路とそうでない十字路が上下左右で交互に現れるようになり、センサーの無い路地からどの方向へアクセスしても反応する状態が作れた。これでまず、半分だ。


 待てよともうひとつアイデアが浮かぶ。同じく半分であるならば、ループ通路をひとつ飛ばしにしてしまえばいい。では、どちらの方が採用されている確率が高いのか。それは、ここからいくらセンサーを減らせるかにかかっているだろう。ただし、抜け道を作ってはならないものとする。


 奇数――偶数の設置だと、通路に入った場合は必ず前か左右から出ることになるため、入り口には必要がない。つまりひとつだけ取り除けるので、センサーは元の八分の三。


 それに対し、ループ通路ひとつ飛ばしであるならば……。そのループから出たかだけ見ればいいので、四分の三が消せる。残りは、八分の一。設置の観点からも、ループ通路ひとつ飛ばせるので、こちらの方が倍は早い。ただし左右の動きが分からなくなるので……まだ二択のままか。


「えっと、オークラーっ。次の曲がり角入る前でちょっと止まって!」


[む。分かった]


[あぁ? おいガキの言いなりにもなんのかよ?]


 老刑事の不満げな声に噛み付きたくなるのを抑え、指示を飛ばす。


「そこの角、センサーあるか見て」


 するとマップを見るマッドの焦った顔がぶれ、画面があちこちを映し、オークラーの[見つけた]という言葉と共にまたマッドが顔を覗かせた。と思えば、カメラが変わって前方のオークラーの姿に変わった。


 センサーは、建物に絡みつく束上のPpパイプラインのような顔をして紛れていた。


[ポール型の人感センサーだ。これでこちらの動きを見ているのか]


「設置の数と方角は? 十字路のどこ?」


[……我々が行こうとしている方向にひとつだけ]


 よし。間違いない。ループひとつ飛ばしの方だ。


「さっきの地点ベータ? を中心にして、それを囲うみたいに……」


[何重ものループに何本もの針が刺さったような形、だな。『神管しんかん』状、とでも言うべきか]


「それ。その、ループいっこ飛ばしで、外側の角にだけあるはず」


[なるほどな。――――む」


 彼女がしゃがんで、影に隠れたポールの、さらに影を覗く。老刑事に「そんなことをやっている場合か」といさめれていた。


「申し訳ない。ただ、センサーの裏にも爆弾と思われるボトルがありましてね」


「なんだと? じゃあ対人地雷クレイモアみてぇに……いや、都合よくこの一本だけ、な訳がねぇか。ってこたぁ、今まで通った中にも……」


「あったのでしょうね。それが、爆発しなかった。センサーと同期させていないのは、なにか、保険のためでしょうか」


「自爆防止……だけとは思えんな。俺の勘は間違いないから言うが、『間違って殺したくないヤツ』がいたんじゃないか」


「殺したくないヤツ……」


「って、推理してる場合か!」


「すみません。ならこっちは、透明人間になりましょう]


 そして動き始めた。角ではなく、その隣のマンションの裏口へ侵入し、内部を通って表口から出る。これでセンサーをやり過ごした。


 そろそろ信号が来ると思っている爆弾たちはその速度を緩め、ついには止まった。それでも信号が来ないからか、一台。もう一台と検討違いの方向へ動き始めた。


「へへーん。ざまみろっ。アタシの勝ちだ」


「いいセンスじゃねえか。いち部隊にひとりリィラがいりゃあ、無敵だってのにな」


「……それ誉めてんの?」


「誉めてんだよ」


 車内は完全に緊張の糸が切れ、眠気さえあった。帰ったらと言わず、ここで装備品の上着を敷いて寝たいとさえ、ふたりともほんのりと思っていた。


 ぼうっとマップを見ているリィラが、眉を潜め、何度かの瞬きの後に呟く。


「なんか……爆弾さ……」


「ん?」


 爆弾の赤い点が広がっていく。それだけなら消えたオークラーたちを探そうと散開しているのだろうと思えたのだが、何か妙だった。


「探してんならさ、なんか、こんな広がらなくてよくね?」


 ひとつはオークラーたちがセンサーに引っ掛かった最後の地点でうろうろと動き、ふたつはそれを中心にループ通路を辿って広がっていく。残りのふたつの点に至っては、地点ベータまで戻って通りすぎ、反対側まで向かおうとしていた。


「……そうだな」


「……ヤバい気がすん……」


 言っているその最中。これから何が起こるか、さっきの会話でとっくに出たことを思い出した。


『センサーだぁ? でもよ、それじゃあ証拠が残っちまうぜ?』


『どーせ爆弾でぜんぶ吹っ飛ばすってことでしょ』


『ただ、センサーの裏にも爆弾と思われるボトルがありましてね――』


「やっべ……! ショーコインメツだよ! あの辺をぶっ飛ばす気だ!」


「……クソッ! 隊長!」


 呼び掛けると、今の会話を聞いていたようで、走りながらの深い呼吸で大きくなった相槌が帰ってきた。


[全力で走れ! 真っ直ぐだ!]


「出るぞリィラ!」


 急発進。小さな身体が助手席でひっくり返りかけた。


「その先で待ちます!」


[急げ、ロックッ!]


 急激な加速とカーブで慣性が死にきらず、信号機を擦って火花を散らしながら、ホバーは風のようにオークラーたちの行く先へ向かう。


 リィラはもはや振り返って座席にしがみつきつつ、ロックへ顔を向けた。


「カイは!?」


「集中してんだ! 掛けてくれ!」


 吹っ飛ばされるんじゃないかと恐る恐る、サリペックを取ってカイへコールした。出たのは呑気な笑顔だった。


「リィラだ。どしたー?」


「ベータの近くから逃げて! 早く!」


「ちょ……わ、わかった!」 


 剣呑な雰囲気に圧され、素直に逃げ始めた。そしてカイを通話から追い出キックし、マップのアイコンたちの速度を見た。


 五つの赤い点が、ベータを中心とした円形に広がっていくのと、オークラーたちが大通りへ出られるのはほぼ同時くらいだろう。


 それを認めたあたりで、急ブレーキの前ブースター音と、車の停止に取り残されて衝突したダッシュボードへの痛みが響き、悶絶の中、オートでドアが開く音が響いた。


「った……ざけんな……」


「悪く思うなよ」


「もおっ。それより、エンジン切れ!」


「エンジンを? 逃げられねえだろそれ」


「爆風逃がすんだよ! さっきはそれで大丈夫だったじゃん!」


「ここは近すぎる。飛んできた瓦礫も逃がせるのか? さすがにそりゃ……」


「……それは……」


 そんなことを言っている間に、窓からオークラーたちが走ってくるのが見えた。


「……やっぱ逃げた方がいいかも」


「よし。入ってきた瞬間アクセル全開だ。今のうちにシートベルトでもしとけ!」


 そうして飛び込んで来たオークラーと老刑事の勢いでホバーが揺れる。


「いい体力だな嬢ちゃん」


「老いをまるで感じさせない走りでした」


 それに続いて、路地から男とマッドが走ってくる。その背後がカッと一瞬光り、建物の上、その向こうに瓦礫が巻き上がったのが見えた。その視線の片隅で、マップから五つの赤い点も消失した。


「走れェエエエッ!」


 オークラーの喉が枯れんばかりの声。瓦礫の巻き上がりが絨毯爆撃の如くこちらへ迫ってくる。


 そうして二人が頭からホバーへ飛び込み、オークラーと老刑事とで扉を閉めた。


 それから、世界がぐるりと回った。何が何に当たったのかも分からず、とにかく轟音と回転だった。


 そうして止まったかと思えば、横向きに着地したらしいホバーがまたゆっくりと倒れ、トドメにドスンと正位置となった。


 全員がシェイクされて呻いている中で、しれっとシートベルトをしていたリィラだけが、呆然として、それからやっと追い付いた頭で他の面々を見て、それからシートベルトを撫でた。


「安全確認をゼッタイやれって、こういうことなんだな……」


 やはりホバーを地面へ下ろすべきだったのだろうか。そう思ったが、周囲の風景を見て考えを改めた。カイが見たものと同じ風景だ。


 むしろ、一緒に吹っ飛ばされたからこそ、瓦礫の勢いを殺しつつ軽傷で済んだのだろう。


「クソ……俺もしときゃあよかった……」


 横向きの姿勢で運転席に着地し、脇腹を痛そうに抑えるロックが、呟いた。




――Nico――

 とあるいたずらが済み、T.A.S.の敷地へホバーを滑らせながらニコは、考え事をしていた。全員が無事だったという報を受け、隠して止めていた車に乗って帰路に向かい、凄まじい被害の現場へ向かうT.A.S.部隊の車両とすれ違う。その間ずっと考え、なおも続けていた。


 今回の出来事は、何かが変だ。前にファイマンと戦ったとき、カイを殺す気で来ていた。故に、クロウディアはもうカイを始末するように動き始めているはずだ。


 ところが、だ。今回のあのお粗末な作戦は、いったいなんなのだ。


 普通の人間ならきっと、これでカイを仕留められる作戦だと、ほくそ笑むのだろう。しかしクロウディアに限って、ただ爆弾の威力に任せただけの、あんな低レベルの一手を打つとは思えない。カイが来るかも分からない立てこもり犯行で、カイが確実に食らう位置もハッキリしないで、近付いたと思ったら爆破する。何一つ、確実に仕留める保証がない。


 あるいは、前哨帯の陣営になにか変化があったのかもしれない。あの戦いっきり、ファイマンは鳴りを潜めた。もしかしたらカイを殺さないぞと、拒絶し始めたのかもしれない。内部での仲間割れ……。否定はできん。


 更にあるいは……。彼女自身がすでに、ファイマンとカイの決着への興味を無くしている、か? その上で前哨帯へ、ポーズとしてカイを殺す作戦を用意した……。いや、しかし前哨帯のそもそもの目的はカイの無限のPpだ。どうやってテロリストのメンバーを説得した……? むしろ、説得などしていなかったのだろうか。カイが目的ではなく、警察やT.A.S.の注目を浴びることが目的……果たして……。


 と、ニコはらしくもなく五里霧中で考え続け、いつの間にか自室の扉の前にいた。


 ただひとつ確実なのは、クロウディアは関わっているということだ。あのレベルの即興爆発装置を作れる人間は、彼女をおいて他に知らない。しかし、目的が全く分からない。下らない理由でもない限り、あれはクロウディアの作戦ではなかったと考えるのが妥当だろう。


 下らない理由で、戦争とテロリズムの歴史が変わる爆弾が開発された、か。いかにも面白雑学って感じじゃないか。馬鹿馬鹿しい。


 そうして扉を開け、目前の光景に、頭が真っ白になった。


 まず最初に思い、行動したのは、見られないようにと部屋へ入り、扉と鍵を閉めることだった。


 その間にも、ずっと目が離せないでいた。


「……おかえりなさい」


「……クロウ……ディア…………」


 ニコの汚ならしい部屋の中心に浮かぶベッドの上で、下着さえも脱ぎ捨てたクロウディアが横座りし、その細い太股の上でニコの枕を、まるで愛するペットのように撫で続けている。


 ひどく痩せているというのに、病の気配を感じさせない未熟とも呼べる身体は、穢れを知らない少女のようだった。


「き、来てたのか。少し無謀に過ぎると思うがね」


 必死に抑えようとしているのに、声は上擦り、震えていた。それが自分でさえも分かる。


 どうやって、入ったのだ。


「……どうしても、会いたかったの」


「それは、結構だが……」


 そうか。前哨帯に内通していた三十二部隊員の三人が死んで、連絡が取れなくなったからか。ということはT.A.S.に、他に前哨帯と通じる者スパイはいない。


 ――――待てよ。じゃあ、まさか。


「まさか、クロウディア。たった……このためだけに……?」


「……どうしたの?」


 彼女はただ無表情で、真ん丸なその目で、ニコを見上げていた。それはまるで、下らない日常会話の一端であると言わんがばかりだった。


「あの隠し兵器を、平然と陽動に消費したのかと聞いている。あの、戦争における次の銃と呼べるほどの小型爆弾を、ただわたしと会うためだけに…………!?」


「…………ええ」


 また、小さな返事だけだった。ニコは感情を隠すことも忘れ、クロウディアの身体を見ていた。抱けば砕ける結晶、あまりに脆い体躯たいくだ。


「……ニコ」


「……っ」


 彼女は立ち上がり、その艶やかな黒髪をヴェールのように揺らしながら、ニコの前に立った。


「…………また。愛してるって、言って」


 分からない。どうして彼女は、こんなことをする。何を考えているのか全く分からない。


 なにを、されるのだ。


 ニコは上着の片側をはためかせ、自らの腰から銃を抜き、クロウディアの横腹へ銃口を当てた。


 今ならば、決着がつく。潔白ならば、後で証明できる。撃てば、戦いが終わる。


「…………」


「…………」


 ふたりとも、まるで今から交わる恋人のように、お互いの目を見合ったまま、釘付けで動かなかった。


 指に力を込めろ。なんなら有罪だっていいじゃないか。裁かれるに値する罪を背負っているのだわたしは。


 撃て。


 ――――殺せ。


「……今じゃなくても、いいの」


 クロウディアはただニコを抱き寄せ、唇を重ねた。


 グリップを握る右手が痺れ――――いつの間にか、銃が床に落ちて転がる音を聞いてようやく、取り落としたと気付いた。


 それからクロウディアは、ベッドの横に掛けてあった服を着始める。どうしてなのか、それを眺めていることしかできなくて、それなのに銃を拾うこともできなくて、ニコはただ立っているばかりだった。


 黒装束みたいな服を着て、白い服のニコから出る光を全て吸収するような黒となったクロウディアを目前に、ニコは空虚な笑みを作った。


「まるで……間抜けじゃないか、わたしは」


 今ので終わらせられたのにな。こんなこと。今からだって間に合う。だというのに、銃を拾うことが選択肢として浮かばなかった。


 クロウディアは、またニコの目前へやってきて、頬に手を当てた。


「……そんなことはないわ」


 その手が顔を伝って頭の上へと至り、ニコの頭を、ただ母親みたいに撫でた。


「……ニコは、よくできる子だから。……誰より賢い子だから、撃たなかったの」


「…………」


「……早く家族になるの。……今までのじゃない。…………〝これから〟の、家族に」


「わ、わたしは……」


 言いかけたニコの手に、電話ひとつを握らされる。見たことのない型だった。クロウディアの自作なのだろう。


「……これからは……直に連絡する。……無くさないでね、ニコ」


 もう一度キスをされ、部屋から出ていくクロウディアを、背中で見送ることしかできなかった。


 目眩が過ぎて、目の焦点が合ってようやく振り返る。クロウディアは、あまりにも堂々と歩き、堂々とエントランスから出ていった。エントランスの見張りまで出払った、か。


 それからしゃがんで銃を拾った。安全装置は外れている。撃鉄だって上がっている。スライドをわずかに下げてチェンバーチェックもした。弾は……込められている。やはり、自分の指が動かなかっただけだ。


 ……今のは、なんだ。無意識が、このわたしを支配したというのか。このわたしの行動を、止めたというのか。


 戦争を終わらせるために撃つべきだった。だが、銃を抜いた理由はそうじゃない。何をされるか分からないのが怖かったからだ。理解できないのが怖くて、一糸纏わぬ彼女へ銃を構えた。


「……本当に間抜けだな」


 凡骨が、人とは違う自分へ指を向けた。それと同じように自分は、クロウディアへと銃口を向けたのだ。さんざんやられてきたことを、いま、自分がやった。もはや憤慨する資格さえ……。


 リリースボタンを押してマガジンを抜き、銃の作業台へ置く。それから手のひらを構えながらスライドを限界まで引き、チェンバーから飛び出す弾丸を受け、マガジンの隣へ立てて置く。それから急に、大粒の涙が溢れて止まらなくなった。


 ただ、惨めだった。ニコとは、天才と呼ばれるだけの、卑小な人間の内のひとりに過ぎない。クロウディアはそうと教えに来たのではないかとさえ思えてしまった。


 それともただ本当に、家族に戻ろうとしているだけなのか。わたしが撃てなかったのも、本当は――――。


 ――――違う。


 わたしは、断じて――――。


 ――――断じて、〝家族〟など信じてはいない。

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