誰がリセットしたATM

――Lila――

 警察署前。いまだにファイマンが開けた大穴を見物に来る者と、大穴のせいで減った車線が作った渋滞で今までにないほどの人口密度になっていて、そのためにわざわざ少し遠くまで駐車しに行かなければならなかったとロックが愚痴をこぼす。


 大規模な修理工事が行われているが難儀しているようだ。地下道と、地上に開いた穴を埋め、アスファルトを直すには手間がいるらしい。


「まだ直ってねえんだな。警察の前だってのによ」


 ロックがあの殺し合いと関係のない背中たちとテールランプが忌々しいように睨み、吐き捨てるように言った。


「アイツらの死体、少ししか回収できなかったらしい」


「き、聞いたよ。さ、最悪だね」


 マッドもまた、忌々しげに穴を眺めていた。修理工事の音に、耳を塞ぎたくなるような、そんな様子だった。


「……なぁ。カイってよ、すげぇ良い奴なのはわかんだよ。ただ、それであのファイマンを説得しようってのがどうしても理解できねぇ」


「そ、それはさ、カイ君にとってはこれから行く施設のスタッフぐらいにしか思ってなかったかもだし……」


「だからって、人殺しを庇うってのか? そりゃねえだろ」


「ほ、ほらでも説得してウチの戦力にできたらもう敵無しでしょ?」


「おいウソだろ。お前も庇うのか」


「げ、現実的な解決を考えてるだけだよ。う、恨むべきなのは引き金を引いた人だって誰かが言ってなかったっけ……」


「……ま。確かに使われてるだけって感じだな。だがな、いいか、俺だって現実主義者リアリストだぜ。現実問題あいつにムカついてんだよ俺は」


「そ、それは否定しないけど……」


 リィラにはよく分からなかった。確かにあのファイマンを庇おうとしているのはよく分からなかったが、あのカイがそうしたいと望んでいるのだから、きっと間違いではないだろう。それくらいに思っている。


 むしろ二人が、まるでカイを悪く言っている気さえしたが、きっとそうではないのだろうとも思う。いつもならすぐに噛み付くところだが、カイと出会っていつの間にかちょっとは様子を見るようになっていた。


「あのさ」


「なんだ?」


「じゃあファイマンが、もう戦うの止めるって言って、コーサンしても撃つの?」


「…………。撃ちてぇが、撃たねぇよ」


「なんで? 撃ちてぇなら撃つんじゃないの?」


「T.A.S.の仕事だからだ。ムカついたヤツを殺す仕事なんかありゃしねぇよ」


「自分がしたいことに、仕事とかカンケーある?」


「……ねぇな」


 だがな、と彼は、胸の前に下げたマシンガンの中心に手を添えた。


「一線を越えちまうってのは、越えてねぇ仲間を裏切んのと同じことだ。お互いに裏切らねぇから仲間って呼べんだ。ルールってのは、そういうもんだろ」


「……ふぅん」


 自分なら――もしカイが殺されたなら、絶対に復讐する。例え、カイの望みじゃなくてもだ。


 だがロックも、マッドも、カイまでもがそうじゃないという。不満でも、ルールに従う。そこはまだ、少女には理解できない所だった。


 大通りを曲がり、到着したのはあの路地。


 その風景にリィラは、グレートライフルで叩き潰そうとしてきたファイマンの強大な圧を、まるで今まさに目の前にいるかのように感じてしまい、背筋が冷たくなった。


「よし。ここだ。それで、リィラ。どうすんだ?」


「……え、えっと。まずはさ、周りのマンションの断線の確認チェンバー・チェックしたい」


「あ? 弾倉との接続確認チェンバー・チェックだ? じゃあ銃を持ってる家か……」


「あ~違うって。違う銃の方じゃないの」


「あぁ……? まぁ、任せるぜ」


「じゃ、ちょっと隣のマンション行こ」


 また大通りへ出ると、少しホッとした。ただの路地なのに、まだあそこにファイマンがいるような、まるで何かの場が存在するような感じがして、それもまた不気味に思えた。


 外だけでなく内部までもがレンガ調のマンションは、エントランスに入るなり部屋の隅に作られた小部屋――管理人室があり、その角に沿って埋め込まれた大きなL字型窓から新聞を読む老管理人が見えた。管理人が不要になるほど優秀な監視カメラなど安価かつ豊富に手に入るので、きっと好き好んで昔ながらの方式でいるのだろう。


 それがリィラたち――特に筋骨隆々のロック――に気付くなり、怪訝というか、怯えた顔になった。


 前に出たのはロック。マッドはその背後に徹していた。


「どうも、T.A.S.の者です。逮捕とかに来たワケじゃあないので、そう怯えなくていいですよ」


「じゃ、じゃあなんだお前たち。また人さらいか?」


「人さらいじゃありません。そりゃ誤解ですよ。ただ、テロリストとの戦いに向けて色々と準備が必要でバイトを雇っていたんです」


 χ計画のことだろう。適合する、というより少なくとも命令が聞けるようになるような壊れ方をする被験者を探して人を雇っていった。


 合意式で、ちゃんとカネが払われたってのはきっと事実なのだろうが、その点以外はリィラが隊へ来るまでの噂通り――人を拐って人体実験をしていたということだ。


 ……なんか……ヤダな。そんなことを思った。


「じゃあ、帰って来んのはどういうことだ。た、滞納してたヤツだがな、拐われてからきっちり全額振り込んで、こんな手紙まで寄越したんだ。『今まで追い出さないでくれてありがとう。これでしか感謝できないけど、最後にはきっちり払うんだぜ』ときた。あの若者が、こんな手紙書くものか」


「届いたってんなら、書いたんでしょう。冷静に考えてみてくださいよ。ウチがアンタんところの家賃を肩代わりして何の得があるんです? 本当に悪の組織だったら、ウチは関係ないっつって、逃げた方がよっぽどお得でしょう」


「それで疑われるって分かってるから、疑われないように工作したんじゃないんか」


 ああ言えばこう言う。まさにそんな押し問答で、ロックは呆れて「話にならねぇな」と管理人に聞こえない程度に呟いた。


 そのとき、上への階段から、重い足音が響いてきた。


 いつか翻訳機を買いに行ったガジェット店のオーナー、マッチョだった。


「お、ガキン……」


 リィラを見付けての気さくな挨拶が、陰謀論で黒幕にされがちなT.A.S.を目前にした恐怖で尻すぼみになっていった。


「あ、おっさんじゃん。なんでここに居んの?」


「こ、ここに住んでるからだ。ってかこっちの台詞だぞそれ。どうしてソイツらと一緒にいんだぁ?」


「色々あってさ、アタシの……あとカイの味方になった」


「おいおい、そりゃ……」


 騙されてるって。まさにそう続く沈黙だが、さすがにT.A.S.を目の前にしてそれを言うのも不味いと思ってか、またも言葉が途切れた。


「いや、コイツら意外と悪いヤツらじゃなくってさ。おっさんも中に入ったら分かるって」


「まぁ、まぁ、落ち着けって。えーっと……」


 リィラが興味本意で新興宗教に入会して染められた者の物言いであるために、マッチョがどう説得しようかと思考を巡らせているのに対し、それを何となく察したロックがまた呆れた様子で挨拶をした。


「どうも。T.A.S.の者です。その、人拐い陰謀論、営業妨害なんで止めてくれませんかね」


「営業妨害もなにも、事実じゃねぇかよ。そういやお前ら、カイのヤツを広告ヒーローみたいに悪用しやがってんだろ」


「また増えやがった……」


 チェンバーを見たいと言うだけで、こんな苦労すんの? と、T.A.S.に対して労いの気持ちさえ沸いてしまう。


 リィラが肩をすくめ、まさにやれやれと顔で言うような半目の表情になった。


「アンタらさぁ、ウジウジうるせぇって。T.A.S.の中見てきたアタシが大丈夫っつってんの。だから大丈夫なんだよ。決め付けんなって」


「……いや、それはお前もだったろガキンチョ」


「う……」


 珍しく真っ向から牙を折られ、リィラはむしろロックとマッドをチラチラと見ていた。


「さ、最後には分かってくれればいいよ陰謀とか信じてたとしてもね」


「ん」


「だ、黙って見てりゃそうやって騙してんのか、コラ!」


 ついにマッチョが前に出る。ロックの方が背が高いが、その筋肉は同じだけ隆起している。


「おいバカな真似はよせ。手ぇ出すってんならねじ伏せてやるぞ」


「俺と勝負だ。だがフェアに、力比べパワー・コリジョンでな」


「…………!」


 不自然な言い回しだが、ロックがハッとした。


「……なら俺と、誰よりお前を超えてみろ。マウンテンクライマー・ネヴァー」


「……! よし来た!」


「マッド、持ってろ」


 何かが起こるらしい。リィラが困惑した顔でマッドを見るが、マシンガンなどの装備を押し付けられている彼もまた、同じ顔をしていた。


 そうして、二人が同じ方角を向き、腕立て伏せの姿勢となる。その動作からフォームに至るまで鏡合わせのようで、老管理人さえ固唾を飲んで見守っていた。


「リィラ。開始の合図をしてくれ」


「は? え、えーっと……じゃあ」


 リィラが腕を上げる。その布ずれの音ひとつで、筋肉の熱気が変わった。


「よーい――――どんっ」


 その瞬間に、両者が同時に下半身を浮かせた。そうして右足の膝を胸元まで上げ、左足を伸ばした状態で着地する。まるで走っているようなフォームになったと思えば、また下半身を浮かせ、まさに走っているような疾走感で左右の足を入れ換えた。


 マウンテンクライマーとは、自重トレーニングにおける鬼門である。それを超えた者には、まさに山を登ることさえ苦ではない筋力がもたらされる。


 二人とも、肩と腰の位置がピクリとも動かない。素人目に見ても分からぬほどわずかに、マッチョの膝の軌道がブレていた。


 一切座標を変えぬ持久走で、最初に声を上げたのもまた、マッチョだった。


「く……なんて安定感だよ!」


「筋肉勝負なら、隊どころかT.A.S.の中でも俺の独擅場だ――――なにッ!?」


 隣の好敵手ライバルを一瞥だけするつもりが、ロックは目を見開き、顔ごとマッチョへ向いた。


「そのキレは……!」


 周期が同じでも、膝が胸元へ届くまでの速度に明らかな差があった。その重い足を、ボクサーのストレートが如き鋭さでぶち上げている。


「俺の膝は、大地を刻むナイフだぜ……ッ!」


「パワフルじゃねぇか……!」


 一歩。一歩。その一歩が格闘家の蹴りに匹敵する筋力で地面を擦り筋肉ほどに熱を宿していく。耐久性を重視した強化レンガでなければ、今ごろスプーンで削られたアイスとなっていただろう。


「……なにこれ」


 リィラがマッドへ聞くが、彼もまたその決闘に熱が入り、ロックへ声援を送っていた。見上げれば老管理人さえ、小部屋から飛び出してマッチョへのエールを惜しみ無く飛ばしている。


「……く……」


「うぉおお……!」


 二人が限界を迎え、最初に膝をついたのは――――。


「……くぁあ~~~ッ!」


 ――――ロックの方だった。マッドが惜しいと声を漏らしながら膝を付き、管理人が喜びに震えながらマッチョの背を叩く。


 リィラだけが、負けてんじゃん。と醒めた目で見ていた。


「クソ……やるじゃねぇか……」


「お前もな……」


 二人は座り、そのパンパンの腹と腿を休ませ始める。


「そうら見たか! 目にもの見せてやったな、マッチョ!」


「いいや、管理人さん。そいつは違いますぜ」


 シワと血管の浮く手をいたわるように退け、マッチョはロックの筋肉を眺望した。


「マウンテンクライマーに誠実なヤツは、いつだって、誰にだって誠実なんです。あのフォーム。人一倍に真面目で、自分に打ち克つ者でないと保ち続けられません」


「よせやい。それよりあの切れ味……。マウンテンクライマーの鍛えるべき筋肉を信じて素直に鍛え上げなけりゃ、あのパワーは出ないぜ。そしてなにより……」


「そうだな……」


「「マッスル・スローンズ・クラブ2を見ている」」


 異口同音に言うが、二人以外はピンと来ていなかった。


「その筋肉を見て、もしかしてとぁ思ってたんだ。俺はマッチョ。よろしく」


「俺はロックだ。……そうだよなぁ。真のクライマックスは最終対決の腕相撲じゃねぇ、中盤のマウンテンクライマー・ネヴァーだ」


「自分に勝ち続けた者が真の勝者だって、あのシーンだよなぁ。初めてだぜ名作の名シーンを語れるの……」


「これが民放で流れたことないってのは世界の損失だと思わねぇか」


「全くだぜ兄弟!」


 熱い握手まで交わされた。なぜか老管理人がホロリと溢れる涙を指で弾き飛ばす。


「いいもん見させて貰ったわ。意外と悪い奴らじゃないんだなぁ」


「分かってくれましたか」


「それで、なんの用があったんだ?」


「えー、リィラ」


 突然の名指しで、リィラはキョロキョロとロックと管理人とを見比べ、助走で「あー」や「うー」などの声を漏らした。


「えっと、ブレーカー見たい。それとATMの回路も見たいんだよね。こないだ急に供給が止まったロストしたでしょ」


「なんだ、その調査か? それなら国税庁とかの役員がやっておったぞ。というか、そういうのは専門の……いや、というか君はなんだ。子どもがアーミーに着いて出回るなんて……」


「アタシはガジェットに詳しんだ。必要だから、来てんの」


「はぁ……。いや、そうは見えんが……」


「ハァ? なんでだよ」


「まぁガキンチョ。落ち着け」


 マッチョが割って入る。


「管理人さん、コイツがガジェットに詳しいのはマジです」


「う~ん……。だがどう見ても……」


 リィラが天を仰ぐ。


 その耳に、ご老体説得第二ラウンドのゴングが聞こえていた。



――Kai――

 帰りの車の中でオークラーが下ろしてくれと言うので、彼女と共にカイは歩くことになった。


「すまんな。例の、ファイマンに襲われた現場が近いんだ」


「あ、そういうことっすか。いまリィラが調査してるとこっすよね?」


「そういうことだ。せっかくだから様子を見に行こう」


「いっすね。行きましょう。ちなみに、なんの調査なんすか?」


「ファイマンと交戦していたとき、周りが暗くなったのを覚えてるか? あれについて、リィラが何か引っ掛かったらしくてな」


「あ~……。でもそれ、グレートライフルのなんかとかじゃなかった……したっけ」


「きっとあの子の直感が、そうではないと囁いたのだろう」


 そうして路地を歩く。街頭が無くとも、常に直上で輝く太陽が、薄暗い光を狭い路地へ届けていた。サイバーパンク世界だが、裏路地にはゴミや落書きのようなスラム的な汚さは無く、たまに中年が路地で酔っているくらいなものだ。


 それよりも目を引く、おぞましいとも言えるほどの配管が、まるで古い洋館を包もうとするつるのように壁をびっしりと埋めている。本来は表側にも通るものを裏側へ押しやった、という印象だった。


 その束は、多数の直角を持つ工場的なパイプラインであり、人体解剖図に描かれる筋肉の繊維であった。これこそがPpを運ぶ、文字通りのライフラインであるという。


「……オークラーさん」


「ん?」


「この配管って、ずっとPpが流れてるんすか? でも、お金もPpなんすよね。ずっとお金が流れ込んできてるっていうか……」


「そうはならんさ。だから、給与明細で家に引き込める量が決まるんだ」


「給与明細で? 紙のヤツっすか」


「そうか。見たことないんだな。なら後で私の部屋で見せてやるが、どこの企業も給料がわりに何ボトル分の働きだって記す明細が配られる。そこの配列コードを家のATMに読ませれば、働いたボトル分だけ引き出せるようになる」


「え。家にATMなんてあるんすか。あの、いかついやつ?」


「いや、そこまで仰々しいマシンじゃない。壁付けのウォーターサーバー……というかな」


 現金を取り扱うATMの歴史は一瞬であった。というのも世界に電気が無く、蒸気技術による制御機械を小型化できたのはガジェットの台頭によってだ。しかしガジェットが生まれるとPpの価値が高騰、Ppが貨幣となった。ATMの登場は、ちょうどその切り替えの時。過渡期とも呼べるタイミングであった。そうして現金が淘汰されると、当然ATMも姿を消し、名だけを奪われる形となった。


 そんな歴史ゆえに、給与支払い機は微妙に合っていない名で呼ばれ続けている。


「でも、そんな紙で財産の管理っていうか、怖くないっすか? なんかおれ失くしそう」


「紙っぺらと言うなら、紙幣もそうだったのだろう? 記録は銀行にも残るから、再発行もできる。そういえば、いくつも仕事を持っている者はあえて銀行で発行して、明細一枚にまとめると聞いたことがあるな」


「へぇ~」


 納得はした。が、その心がスッカリと晴れることはなかった。やはりカネの話をしてしまうと、あのことを思い出さざるをえない。


 ただ生きていてもカネが無くなって飢えるだけ。ならば強盗すれば、成功で贅沢三昧ができて、失敗でも刑務所で生きていくことはできる。あの立て籠り犯はそう言っていた。


 その言に、ほんの少しだって奪われる人のことなど出てきなかった。それが彼という人のせいなのか、貧困という窮地のせいなのか、それを見分けろと未だに問いが渦巻いている。


「……ところでオークラーさん」


「ふふ。熱心に知ろうとしてくれているみたいだな。いいじゃないか」


「い、いや、文化的なやつじゃないっていうか……」


 カイが言葉に詰まって、言葉を整理しようとして、ゴチャついているのでひとつ息を吐いて落ち着く。その間にもオークラーは「なんの話でもいいぞ」とだけで、ひたすらに待ってくれていた。


「その、さっき犯人の人が話してたんすけど、お金が無さすぎて強盗するしかないって言って、駄目でも刑務所なら生きられるって」


「最近多い手合いだな。それで?」


「それって、やっぱり国が貧乏なせい……っていうか、なんすかね」


「たしかに、敗戦すると増える犯罪だ。だから、間違いなく貧困が起こしたものでもある。だがそれだけではない。戦争に勝っていようと、金を目当てにした犯罪は起こる。単純に犯罪と言っても、そこに至る原因は一つではない」


 確かにその通りだった。目の前に問題が一つあると理由も一つに定めたくなってしまうが、現実は決してそう単純ではない。そうだとしっかり教えてもらえたおかげか、居残りし続けた問題がふっと消えてしまったような気がした。


「あぁ、そうっすよね。もしかしたらその人のボトルを満たしたら止めてくれるかなって、思ったんすよ。思っただけであげてはないんすけど。どうなんすかね」


 彼女がカイを見た。だがその表情は柔らかい。きっと一番きれいな表情だ。と、カイは慌てて目をそらした。


「その考えはな、多くの新人隊員が通る道だ。お前もそこを通って、嬉しいよ」


「そうすか?」


「同じ道を歩いているってことだからな。だからこそ、教えられることは多い」


「あ、ありがとうございます」


「苦しむ者を見て心苦しくなるのは分かる。だが、それは救いにはならん。今でさえ、強盗はやるだけ得だなんて言われている状況だ。強盗すれば、お前が飛んできてPpをくれるってなったら、どうなる?」


「……それは」


「T.A.S.は、誰かを救う機関じゃない。起こった事件を終わらせる。そのためにある。裁きは司法がするべきで、救いは国がするべきことだ。もっとも、その国がゴタゴタと……いや、余計だった。すまん」


 とにかく、と彼女は続けた。


「誰かを救うのでも、誰かの尻拭いをするのでもなく、犯罪が振りかざしたナイフから市民を守るために目の前の任務に集中する。それが私たちだ」


「そうっすよね……。すんません。危うく余計なことしそうになって」


 オークラーはカイの腕に手を添えて立ち止まり、まっすぐにカイを見つめた。


「お前の現実に囚われない優しさは、何にも代えがたいくらい輝いてるものだ。だが、大きすぎる力を持ったからこそ知って欲しい。力まかせというだけでは、全てを解決などできんのだ」


 カイはただ、頷いた。


 自分の上の立場の人間が、みんなオークラーならいいのに。そんなことを思う。


 いや、思うだけなのは勿体ねぇな。


「この先の人生の上司とか、みんなオークラーさんならいいのに」


「な、なんだ急に」


「だって、もうベストじゃないっすか。オークラーさんより上とか無いっすよもう」


 その言葉の途中で察したのか、彼女は顔を見せないようにプイと前を向いて歩き出した。


「えぇいまたか。よせと言っているだろう。まったく、そういうノリだけはウチと違うというかな」


「オークラーさん、言われ慣れてないんすか? 言われてるイメージっすよ?」


「隊員がそうベタベタと褒めるようなことはないだろう。やれやれ。他の者がいる前では口を慎め」


「……他の人いなかったらオッケーってことっすか?」


 彼女がチラとだけ、カイへ顔を向けた。広告の光で誤魔化されていたって、きっと頬は染まっているのだろう。


「……二人きりのとき、だけだからな」


「…………」


 なにか、カイまで照れて黙ってしまった。


 結局は黙ったまま、件の路地についた。まずロックが見え、その場を歩き回るリィラと、それに対して何かを言っているマッドだ。


「おーい! どしたの~!?」


 カイが呼ぶと、彼女はハッと反応して、それから間があって、バタバタと走ってきた。


「急に来んなし! なに考えてたか忘れた!」


「ごめんごめん。調査、どうだった?」


「なんか変でさ。えっと、周りのマンションのATMがみんな調子よくなったらしくて」


「調子よくなる? なんで?」


「と思ってさ、おっさんの……てかマッチョのATMちょっと見せてもらったら……」


「おっさんって、ガジェット屋さんの? ここ住んでんの?」


「あーそっからか。えーっと、じゃあロック」


「え、俺ぇ?」


 リィラの人知れないやり返しに、ロックが渋々と唸って、言葉を練る。


「ま、隊長もいるし報告形式でいいだろ。調査としてロストしていたこのエリアでATMを調べた。どうにかそのレンガ造りのマンションに在住するマッチョが見せてくれたのを確認すると、ちょうどお前がファイマンとドンパチやっていた時に再起動された形跡があったんだ」


「へぇ~……。ちょっと待ってくださいね?」


 筋肉隆々だったガジェット屋の店主の本名がマッチョらしいという邪念を追い出すべく、カイはひとつ深呼吸をして頷いた。


「おっけっす。そこまで理解できました」


「おう。それで、リィラによるとATMにはエミッションノイズに対する高い耐性があるそうでな。それを貫通するレベルのジャミングとなると半端じゃあない強さらしい。が、これも現実的じゃあない」


「っていうと……?」


「そこは流石に頼むぜリィラ」


「しょーがないなー」


 満面に満足を満ちさせたリィラが仰々しく前に出た。カイの目にはなにか、その背後のマッドが羨ましそうに見ているのが映り、少し気になった。


「綺麗にガジェットだけがリセットされて、チェンバーだけが途切れた跡がなかった。この時点でもうおかしい」


「そうなんだ。どの辺が?」


「ガジェットが止まるような場が生まれるんだから、そういうのに弱いチェンバー……あ、Ppが流れてくる根っこのとこなんだけど……が、真っ先に影響を受けるはずなんだよ。でも、ATMとかガジェットとかしか落ちなかった」


「ほえ~……」


 言いながら、自分の世界だったらどうかを考える。


 電気回路の電源がノイズに弱いはずなのに、そこよりノイズに強いはずの機器がやられて、電源はむしろ無事だった。という具合だろうか。


「……ごめん理解追い付いてないかも。機械より根っこのが弱いの?」


「お、いいとこに目ぇつけてんじゃん。そうそう、機器がエラーとか火災とか起きるようなノイズに晒されたときPpを供給し続けないようにするブレーカーの役割もあって……」


 ブレーカーという言葉で急に理解できた。つまり、チェンバーとはヒューズのようなものなのだ。ヒューズが飛ばず、その先の機器に異常が起きたのだという。


「あぁブレーカーね。それが無事でその先がダメなんだ。それは変じゃん」


「変なんだってば。しかも、他にも変でさ。えっとさ、例えば光あるじゃん。ライトで前を照らしたら、どうなる?」


「前が明るくなる」


「……まぁそうだけどさ、こう、奥にいくほど暗くなるじゃん」


「あー。暗くなるね。え?」


「こう、段々と暗くなってくんだから、ピッタリここが明るくてこっちが暗いってならないの分かる?」


「グラデーション的な?」


「それ。ジャミングの場だって、グラデーションで広がってくはずなんだよ。なのに『ピッタリの丸』で途切れてた。霧っぽいとかじゃなくて、マジでボールなの」


「はぇ~……。それは……それもどうして?」


「それは……う~ん」


 リィラが唸ったタイミングで、マッドがさっと手を上げた。


「い、いちおう理論的にはできるって予言されてるんだよ断続球場きゅうば。で、でも実験で成功した報告はまだされてないからまだまだ未来の技術って感じなんだよね……」


「へぇ~そうなんだ。ガジェットは好きだけど、流石にそういう、理論的なのまでは分かんねえわ」


「お、応用研究はリィラちゃんが押さえてると思うけれど基礎研究は任せて。し、調べるの好きで……」


「ん。聞きたいことあったら頼むわ」


 マッドが明らかに嬉しそうで、さっきの羨望の感は消えていた。


 なんかは分かんねぇけど、よかったねぇ。とカイは思っていた。


「で、まぁよーするにさ……誰かがジャミングでファイマンを止めたってことじゃん。そのせいで弾出なかったんだし」


「あ、そっか。よっしゃ、じゃあ味方じゃん」


「でも、そうじゃなかったらヤバイんだって」


「まぁそれは……」


 そういえばニコの話だと、彼女の姉クロウディアはニコに会うためだけにテロ組織ひとつを私的利用しているという。ならば、χ計画とφ計画の戦いが決着しないようできるだけ引き伸ばそうとするだろう。


 そうだ。クロウディアには、止める動機がある。そう思い付いた途端に、内心かなり穏やかじゃなくなった。


 つまり、敵のボスがあそこにいたのだ。


「そ、そうかな?」


「かな? じゃねーって。忘れてない? どうして自分が何で強いのかさ」


「あ……」


 その通りだった。無制限にPpが使えることも含め、カイが強いのはガジェットの力によるものだ。それが全て停止すれば、カイは普通の人と何も変わらないのだ。


 一方で、ファイマンの強さは、改造された生体そのものによる物。使っているガジェットと言えばグレートライフルひとつだが、グレートライフルを捨てても彼はなお強い。


 で、あるならば……。


「……一対一で使われたら、終わりじゃん…………」

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