サイバーパンクへようこそ

――Prolog――

 走る軽トラックへ正面から飛び込んで自殺をした男カイは、二十二歳、就職活動中の学生であった。


 彼は、疲れていた。


 といっても、特別な不幸が有ったわけではない。なにもかもを受信して、不安だったのだ。失敗続きでフィードバックもなく解決法が見出だせない面接、SNSでもテレビでも触れざるを得ない怒りと不穏で構成させれたニュース、一番中の良かった友人の失踪。


 それを乗り越えられる者や、何とも思わない〝社会人〟ならば、「何だそんなことか」と一笑に伏すかもしれない。だがこれは、社会人になりきれなかったカイには耐えられないものだった。


 人の気持ちが分かりすぎてしまう以外に大きなストレスもなく、どちらかというと幸せに過ごしてきた彼にはむしろ重すぎる負荷で、とっくに心が折れていた。あらゆるタスクをおざなりに済ませている自分にすら気付かず、疲弊し、体力は底をついた。


 一方でカイは、ある意味で図太かった。


 彼なりに思い描き続けた、空想の計画があった。それは異世界転生し、チート能力――規格外の強さ――を得て、ちやほやされつつハーレムを構成するというものだ。『いやいやフィクションだしな』と自分に言い聞かせ続ける彼だったが、現実に異世界転生が起こることがある、という証拠待ちの状態だった。


 もう一度言うが、彼は疲れていた。


 しかしそんな彼が、決定的な証拠を得てしまった。ある出来事があり、行方不明になっていた友人が異世界転生していると知ったのだ。


 そして、カイはトラックへと飛び込んだ。トラックに轢かれて転生というのが、異世界転生の様式、否、もはや儀式であったからだった。


「――――アスタ・ラ・ビスタ。現世」



――Lila――

「おいちくしょう、またかよ」


 陽に照らされた畑で、初老の男、マーカスが舌打ちをする。


 彼が睨むのは畑作業を自動で行うドーム型の機械だ。整地、種まき、中耕と収穫の機能までがある万能型。その廉価型かたおちの中古品を、メーカー保証年数を倍も超過して使っていた。


 同じ機能のガジェットの中では安物でも、この村では最も高価な『ガジェット』だった。それが今、役目の途中で急に動かなくなった。最近は特にこの急停止の不具合が多かった。


 マーカスは無言でガジェットに蹴りを入れる。過去にそれで動き始めたという経験則からだ。しかし中々動き出さないので、蹴りを入れ続けながらため息を漏らす。


「これじゃあ世話ねえなぁ。楽すんのに買ったってのによ」


「あーーーーっ!」


 ほとんど悲鳴のような声が響く。無論、ガジェットが叫んだわけではない。声の主は畑の横にあるマーカス宅の二階窓に居た。


 リィラという少女だった。マーカスの娘で、小学校の終わりか中学生くらいの歳だ。今はもう学校へ行っていないので、本人も性格な学年は分かっていなかった。


 家の中がバタバタと騒がしくなり、玄関をバンと開きながら家を飛び出す。


「やめろジジイ! 蹴るなっつったろ!」


「こいつが勝手に壊れた」


「修理しなきゃ壊れるに決まってんだろバーカ! おーよしよし……」


 リィラが苛められていた小動物を労るようにガジェットを撫で、泥を落とした。父がそれを呆れ果てた眼で見ていた。


「……おい。修理」


「言われなくてもする。誰のせいだよ」


「はぁ。早くな」


 マーカスはいつも通り、娘へ修理を任せて家に戻る。


「…………ったく」


 その背を睨み付け、彼女は出掛けに持ってきた修理工具でガジェットの修理に取りかかった。


 この自動畑作業機が壊れる理由はすでに分かっている。ここの土と相性が悪いのだ。この絶妙な固さによる固有振動の発生で、内部の回路が一部外れてしまう。それと分かってはいるが、『この畑で使う』という原因をどうにもできず、こうして対症療法でメンテナンスしてやっていた。


 リィラはいわゆる、ガジェットオタクだった。


 この村は年齢層が高く、更に言えば貧乏で娯楽らしい娯楽もない。子どもの暇潰しは、大人の面白くもない長話を聞くかガジェットを弄ることしかない。だったらと後者を選び、そのうちに修理くらいならできるようになっていた。規格化されていながらも様々な機能や構造を持つガジェットは一種のパズルのようで、弄り慣れた彼女にとっては立派な娯楽だった。


 すると機械に弱い村人たちがこぞって彼女の元へガジェットを持ち込み、修理を依頼するようになった。ガジェットに触れれば触れるだけ彼女のオタクぶりに磨きがかかり、いつしか彼女が真に心を許す友人はガジェットのみになった。そのため、修理をするとき彼女の感情は心配と楽しみが入り交じる。


 友人に触れ、友人を助けるための価値ある時間だ。


「…………よし、オッケーだよ」


 ガジェットのカバーを閉じながら呟く。


「あんなジジイの言うことなんて、気にすんなよ。……どうせ、分かっちゃくれないんだからさ」


 ガジェットに寄り添って、そっと撫でた。感じるのは人にはない暖かさ。マーカスにとってはただの排熱でも、リィラには芯から通じる熱だった。


 ……あーあ。修理終わったって言いたくねー。そんなことを思いながらリィラは立ち、家へと向かった。


 玄関に入り、すぐ側のソファと足置きでぐうたらしているマーカスを睨み付けた。これが『修理終わった』というサインだった。


 マーカスは「お疲れ」とだけ言って、また畑へ向かう。彼女はその背を睨みながら見送って、工具を置いていくつか袋を持ち、家を出た。お気に入りの袋には、『PURPLE・GADGET』のロゴがこれでもかと大きく印刷されている。


 PURPLEパープルGADGETガジェットとは社名であり、同時にそこで生産されるガジェットのブランド名だった。製造するガジェットの基盤が紫色であるためにこの名で生まれ、PG社が登場するとガジェット革命によって、以前に主流であった蒸気機関の機械が軒並み淘汰され、いつしかガジェットがこの世界の半分を動かすようになった。もちろん同社によるガジェットだけではないが。


 登場した初めこそPGという略称があったが、機械は生活必需品から工業品、武器から医療機械に至るまで、あらゆるところに存在する。この世界に存在しない電気機器ほどに普及した結果、今では単にガジェットと言えば通じるようになっていた。PGの略称を使うのはむしろ、会社の名前を呼ぶときか、本社のエンジニアぐらいだ。


 そしてその墓場は、リィラの村のすぐ近くにあった。当然、村の者たちはそれを気に入らず、定期的に抗議だの小規模デモだので騒いでいる。無くせ無くせと村人は言うが、リィラにとっては村以上に故郷を感じる場所だった。


 捨てられた友人が集うあの場所が本当の居場所だ。そう本気で思っている。


 坂を下り、砕けたガジェットの破片が散らばり刺さる道をゆき、立ち入りを防ぐフェンスの破れ目から中へ入った。


 墓場に送られてきた友人たちの中には、まだ生きているのも居る。まだ使える部品を宿しているのも居る。そのお陰で生き返るのも居る。


 リィラは今回の廃棄分が山となっている中央を見て、優しげな微笑みを湛えた。


「……ただいま」


 さて、今回はどんな子が来たかなと、宝の山へ向かう。欲しいのは内部部品だから、目に見えて壊れたものを探そう。


 外部フレームなんかが壊れていないものは、中身が壊れているから棄られてしまう。逆に外身が壊れているものはそれが原因で棄てられるので、中身が無事なのだ。これは彼女の経験則だった。


 ふと、歩みが遅くなる。視界の隅。巨大なガジェットの影。


 伏せている、人影。


 ――――待ち伏せか。強盗か。アタシを狙ってるのか。分からない――。


 背後へ飛び、適当な鈍器に使えそうな破片を拾って人影の居たガジェットと周囲を警戒する。


「く、来るなら、来いよ……。いんだろ……!」


 強気な言葉とは裏腹に、声は震えていた。


 じっと耳を澄ませ、じっと待つ。


 しかしいくら待てども来ない。リィラはゆっくりと、さっきのガジェットへ近づき、恐る恐るさっきの人影を見る。


 ただの行き倒れた男だった。


「…………な、なんだよもう……」


 死すら予感していた彼女は、安心で地面にへたり込んでしまう。破片を捨て、死体を見る。あれには埃も何も被っていないので、多分、死んでから少しも経ってないだろう。


 そりゃ都合がいいや。ちょっとくらいアレ・・残ってないかな。もしかして寄生ボディガジェットも持ってたりして。そんなことを思いながら死体の服を少し捲る。


 その下から現れたものに、リィラは凍りついた。


「……………………え?」




 ――――やっと、家だ。


 息を切らせてやっと帰ってきた。ぎゅっと握り続けた手が痛い。よくやったアタシ。自分に言い聞かせながら、リィラはやっと家に到着した。


 家に入ろうというとき、ちょうど出ようとしていたマーカスと出会でくわした。


 リィラを見て、引きずっている物を見て、またリィラを見て、露骨に嫌な顔をする。


「また変なモン拾ってきやがって。ガジェットだけが趣味じゃねえのか?」


「ガジェットだけ! ほらこれ、見てよ」


 見せる前から勝ち誇った顔で、死体の服を捲り上げてみせる。常にふて腐れた顔をしているマーカスも、これには目を見張った。


「へぇ……! そりゃ凄いな。ジャンク屋に持っていけば、良い値になるんじゃねえのか」


 リィラは呆れてため息を漏らす。貧乏なくせに、何かあるごとに金だ金だうるさい。ま、どうせ分かんないか。こんなにキラキラしているのに、あの濁った目には見えてない。どうせアタシにしか理解できないんだ。


「ま、だいたい壊れてると思うけどね。一個でも売れるものがあったら売ってくる」


「そのまま持ってけばいいじゃねえか」


「そしたら切り離しパージ料とか言ってクソ高い金とられるだろ」


 そう言うだけ言って、家の中へ引きずって行く。マーカスはそれを手伝いもせず家を出た。


「……ま、一個も売らないんだけどね~」


 彼女は玄関扉の向こうへ行った背中へニヤニヤと言い捨てた。それから自室への階段の下で、どうやって大人の男ひとりを持ち運ぶか悩んだ。この世界の住民は身体能力が高いが、それにしてもリィラは少女で、男は筋肉質気味で重いのだ。二倍以上は離れているだろう。


 なにより、腰への負担や転落事故の危険性がある。子どもにしてエンジニアリングの世界へ触れた結果、そういうタイプの危機管理能力だけはあった。


 ふと思いつくのは滑車による方法。ロープの途中に滑車をかませるように組むことで、引っ張る力は四分の一倍となり持ち上げられる。一方で、引っ張るべき紐の長さも四倍になる。手持ちの紐は、階段の下から上までの三倍程度。ちょっとだけ足りない。ベルトなどによる延長は断線――事故の元だ。


 少し考え、思い付いた。リィラは工具ツールだらけの自室へ戻り、紐の一端を窓の下のベッドへ結び付けた。そうしてもう一端を階段下の男へ、脇の下へしっかり結びつける。あとは、そうしてベッドの上で紐を手繰り寄せ、どれくらい余ったかを確認し、ニヤリと笑う。


 リィラは窓を開け、余った部分を垂らし、その窓枠から垂れる輪になったところへフック付きの袋を下げた。そうしてその袋へ、満杯の工具箱に、ハンマーやレンチなどの可動部が無い重い工具を何本も入れ、十分に重くした。ピンと張った紐がベッドの脚と男の身体を同じ力で引っ張るので、工具袋の半分だけ軽くなるのだ。


 そうして階段の上で紐を持ち、工具袋と一緒に引っ張っていく。中々に重かったが、道を引きずったときよりずっと負荷が軽かった。そうして階段を越え、リィラの部屋まで入れたところで、ちょうど工具袋が地上に付く。その中身を回収しに一階と二階とを三往復し、最後に一本だけ入った工具袋を上から紐で引っ張って片付けた。


 今にも倒れそうなジャンク品の手術台にどうにか乗せて寝かせた。軽くしたがトータルの仕事量は変わらない上、往復の分が増えるのは安全の代償だ。ぜぇぜぇと息を切らして、少し休む。


「……よし」


 起き上がって男の服を全て脱がせる。どこかに入院でもしていたのか、脱がせやすいタイプの患者服を着ていた。服の下から露になったのは、引き締まった肉体だ。


「わぁ…………」


 大人に対しては擦れたような言動をする彼女が、幼い少女の顔に戻った。


 リィラの目を輝かせたのは、その肉体に埋め込まれたおびただしい数の、刺青みたいなガジェットの印だ。正十二角形の丸型であり、その辺を利用して、角が面取りされた上向きもしくは下向きの三角形がフレームのように示され、その三角形の中でガジェットのアイコンが記されていた。また、その周りには円形に、ガジェットの名称と型番などが記されている。当然、そこにはPURPLE・GADGETの名も入っている。


寄生ボディだけでこんなに……! しかも……最高級グレード! が、いち、に……ウッソ全部ぅ!? すっげぇ…………くぅ~っ!」


 正規品の最新機なんてものすらカタログや店でしか見たことのない彼女にとって、高級ガジェットをたった一つ手に入れられるというだけでも大事件だった。それに、ふつうひとりが装備する埋め込み型のガジェットは多くてもミドルグレードで四つ程度だ。


 目の前にあるのは十を超える、ハイグレードの中でも最高級品だ。現実が剥離していくような夢見心地の感覚と、今までで最高の興奮に今にも倒れそうになっていた。最高額の宝くじに当たったようだ。


 そして同時に、極度の緊張に襲われていた。


 寄生ボディ型ガジェットは身体に埋め込み、体内のエネルギーを利用して使うガジェットである。そのため体表に露出しているガジェットをただ取れば良いのではなく、ガジェットから体内へ延びているコードも含めて回収しなければならない。


 故に、埋込むマージにも切り離すパージにもある程度の人体理解と技術が必要となってくる。


 過去に村で出た死者から安物の寄生ガジェットを切り離したことのあるリィラだが、今回は格が違う。高級ガジェットは普通、コードまで高級だ。傷付いたなら安いコードとプラグで修理すれば良い、なんてものではない。


「ああくっそ……もうっ!」


 彼女なりによく研いだパージ用メスは持ったが、手は震え続ける。緊張なんて下らない理由でお宝を傷つける訳にはいかない。


「…………すぅ……はぁ……大丈夫。できる。できるよ……。アタシはリィラだ。村一番のエンジニアだ……」


 深呼吸したり自分に言い聞かせたり、その場でピョンピョンと跳ねてみたり、思い付く限りのリラックス方法を試し、思い切り自分の両頬を叩いて気合いを入れた。この間、彼女は死体に背を向けていた。


 厳密には、もう死体ではない。


「よしっ」


 彼女が振り向くと、男は起き上がっていた。


 座った姿勢のまま、じっと、彼女を見つめていた。


「……え?」


「……へへ」


 裸の男は、不自然に微笑む。リィラにはそれが下卑たニヤつきに見えたのだった。


「ぎゃああああっ!?」


「うぉおおおおっ!?」


 滅茶苦茶にメスを振り回す。だが相手は完全装備以上の完全装備。勝てはしない。それは彼女自身が一番わかっていることだった。だがリィラは、完全にパニックに陥っていた。


 やっぱり罠だった。アタシが家に入れたんだ。ちくしょう。こんなことで死ぬなんて嫌だ。


 それに対して男は防戦一方で、素早く振り回されるメスをどうにか避け続けている。


 ごく僅かの――しかし二人にとってはとにかく長い――間だったが、そこでやっとリィラは彼が全く攻撃してこないことに気付いた。戦おうとする気配すらない。


「……な、なんだよ……」


 男はリィラを見つめるばっかりで、何もしようとはしなかった。


「……んだよ。ナメんな大人だからって! どいつもこいつもッ!」


 リィラは今にも噛みつきそうな勢いで吠えた。


 村人どころか、こんな見も知らない男にすら見下されるのか、アタシは。


 その男はゆっくり両腕を上げ、情けない笑顔で答えた。


「縺……、蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>……」


「……は? ……な、なに言った……?」




――Kai――

「た……、助けてくださぁい……」


 それが、男――カイの口から出た言葉だった。彼の魂は全くの偶然によって心を失ったこの身体に入り込み、異世界転生に成功したのだ。あの微笑みは、本当に異世界転生できたことに対する歓喜だった。


 そして、目の前の黒いパーカーと短パンの少女を見て、やや興奮気味でもあった。


 真っ赤な肌。額から上へ伸びる二本の角。彼女は赤鬼にも見え、カイからするとモン(スター)娘そのものなのだ。その上に――むすっとしているが――とても可愛らしい少女なので、カイのテンションは昇る一方だった。


「……縺ッ? ……縺ェ、縺ェ縺ォ險?縺縺……?」


 だがそれだけ、言葉が通じないという絶望感は凄まじい。


「あの……こんにちは。はろー。えー……に、にーはお? ぐーてんもるげん。さわでぃーくらっぷ。こんにちわさっぷ……」


 様々な挨拶を試していると、自分の上げた両腕が視界に入った。


 ――――肌が赤い。彼女と同じような色合いだ。それに、なんだか分からないが丸っこい刺青が入っている。


「……な……なんじゃこれ……」


 彼女と同族に転生したらしいことは分かったが、いかにも『ここへ触れてね』とでも言わんばかりのマークが分からない。適当に、左腕の肘と手首のちょうど間、腕の内側にある、円形のアイコンへ触れる。


 その瞬間、ガジェットが起動して半透明の白菫しろすみれ色をしたドーム状のシールドが展開した。カイは慌てて左腕を振る。


「うわわわ! お、え、うわシールドじゃあん。かっこよ……」


 その形状からすぐに何なのかを理解し、自分の腕に付いているものが武装であるとも理解した。


 カイはやたらと順応が早くもあった。ゲームが好きで、何か装備を手に入れるたびに色々と試し、やたらと検証するような性格だ。そのお陰か、そういうものの理解力が妙に高かった。


 あり得ないものを見る目をする少女に気づき、もう一度機械に触れてシールドを閉じ、咳払いをする。


「……どうせ言葉通じないけどさ。おれ、敵じゃないよ。絶対傷つけない」


 お互いに言葉が分からなかったが、カイには映画の効果的なカット割りでの映像を見ているときのように、リィラの気持ちが分かった。『なんだこいつ情けない声だな』と、『戦う根性はないだろ』だ。その読み通り、彼女はメスを置いた。


「……つ、通じた? ありがさんくす!」


 膝をついて歓喜するカイを見て、リィラは『やべえ奴じゃん』とひきつった顔をしていた。


 そんな中で玄関の扉が勢いよく開く音と二人に迫る足音が響く。


 何かが来た。カイは嫌な予感がし、手術台の裏に隠れた。そして階下で何やらガタガタ音がしたと思えば、階段を駆け上がってきて部屋の扉が開く。


 マーカスだった。リィラの悲鳴を聞いて駆けた彼の目に飛び込んだのは、全裸の男だ。勘違いするには十分すぎる状況だった。


 この世界ではもう珍しくなった火薬式ポンプアクションショットガンを構えた初老に、カイはまた両腕を上げる。


「た、助けてくださぁい!」


「縺ヲ繧√∴、繝ェ繧」繝ゥ縺ォ縺ェ縺ォ縺励d縺後▲縺!」

(てめえ、リィラに何しやがった!)


 カイの命乞いは届かず、グリップをガチャと鳴らす音が響く。


 説得が無理なら逃げるしかねえ。カイは咄嗟に近くの窓を破って飛び出した。


 地面に落ちて勢いよく転がり、目を回しながら立ち上がる。そうして見上げた景色に、唖然と棒立ちになってしまう。


 遠方には、大量のビル。工場らしい巨大建造物。複雑に入り組むハイウェイ。それを行き交う自動車のライトとシルエット。それらが過剰に密集しているだけでも相当な光景だった。


 だが、カイの思考回路を圧迫したのはその光景だけではない。


 地形が遠くへ行くほど上り坂になっていくのだ。ぽつりぽつりと密集するビル群はその上り坂にも続いていき、窓の光なんかが星のような光になって空へ続いていく。その不自然な光景は周囲のどの方角でも同様だった。


 そして更に上、カイの頭上には夜を白く照らしたような空があり、一つの太陽が限りなく白に近い紫色に輝いて辺りを照らしている。ちょうど真上に太陽があるのに、夕方のような暗さだった。


 彼は直感で、この世界の在り方を理解した。


 ここは、球の内側・・・・だ。


 そして、あらゆる場所から太陽へ向かって巨大な線が延びている。遠すぎて何なのかは分からないが、柱のようなものだろうか。


 まるで太陽を捕まえているような、落ちないように支えているような――。


 真冬のような寒さにも気付かず、目の前の光景を処理するのに精一杯だったカイの意識が、脱出した家から聞こえる騒がしい声に引き戻される。逃げようと思ったが、今の騒ぎを聞き付けたのか周囲の道にも畑の向こうにも人が来ていた。


 逃げられるか? 逃げてどこへ行けばいい? 異世界転生したら、何かチート能力とか貰えるんじゃなかったのかよ。


 混乱でそんなことを考えている間に、玄関からリィラが飛び出してカイを庇うように立つ。早速味方が増えたらしいことに安心を覚えながらも、ショットガンを構えたまま出てきたマーカスをどうすればいいのか考え続ける。


 この状況。逃げ出せば撃たれる。説得は無理。この女の子を人質にすればなんて論外だ。じゃあどうすんだ。ってかあれショットガンだろ。散弾じゃないのか。もし撃ったら――。


 カイの予感は当たっていた。久しぶりに銃を撃つこの男は、弾を単発スラッグ弾から散弾に切り替えてあるのを忘れていて、しかもリィラが巻き込まれることに気付いていない。


 わめくリィラを無視してマーカスは引き金に指をかけ、カイの胸を狙う。


「――縺?▽縺ェ繝舌き!」

(――撃つなバカ!)


 ガジェットを庇おうとするリィラが叫び終える前に、カイが予感して動く。その予感に追従するように、マーカスも動いた。


 強烈な銃声――――それよりも先に少女を抱き寄せながらシールドを展開。


 半透明の輝く半球が弾丸を受け止めた。盾からブゥーンという強烈な音が鳴る。カイはその音に焦ったが、故障ではない。これは防いだ弾の運動エネルギーを音波として発散させることで腕への負担を減らすシールド特有の音だ。この場でそれを知っているのはリィラだけだった。


 ころころとシールドから落ちる散弾を見て、やっとカイは呼吸を再開した。マーカスは自分が撃ったのが散弾だったことに全身を冷やしたが、娘を庇ったカイを見て、銃口を下ろす。


 それで殺意と混乱を孕む空気は終わりを告げた。そしてリィラは、思ってもない助けにカイの顔をじっと見ていた。


「縺、縺ゅj縺後→」

(あ、ありがと……)


「もしかしてありがとう、かな? どういたしまして! なんてね……へへ」


 カイは照れ笑いをした。少女の命を救うなんていうのは、彼の夢物語の一つだった。それに、ここの者に敵じゃないと認識されたことに心底安心していた。


 しかし、その少女は何かに気付き、彼の腕から脱出し、あっけに取られたカイの腹を蹴り上げた。


「うぐぅっ!? な……なんでぇ……?」


 轟沈したカイを、リィラが睨む。


「縺ッ縺?縺九〒縺?縺阪▽縺?※縺上s縺ェっ。繧ュ繝「縺?s縺?繧!」

(裸で抱きついてくんなっ。キモいんだよ!)

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