進め、進め、進め。
――Kai――
地上から降り、地下道に出た。
下水道のようなものを想像していたカイだったが、照明に照らされた小綺麗なコンクリートのような廊下と、スライド式の扉が途中途中にあり、たまにある窓からパイプラインを覗ける。それくらいな場所だった。
かつてアルバイトをしていたデパートの、客が入らないような場所の廊下。カイにはそんな印象を感じた。それに、不思議な感覚もあった。
なんというか……地上よりも昼って感じだ。
地上は基本的に薄暗く、夕方というか紫色に明るい夜で、その街を強烈な広告が極彩色に照らしているので時間の感覚がかなり狂う。しかしここには何の広告もなく、ただ天井の白色光源が照らすだけ。その安定してやや暖色に近い明かりのせいで、自然と昼というイメージが浮かんでしまう。
「ここ、なんかの施設っすか?」
聞くと、ロックが屈強な背中で答える。
「いいや。ただの地下道だ。避難路だの、事故の迂回路だの。つっても、みんな気味悪がって緊急時でも使いやしないんだがな」
「気味悪がるって?」
「ゴーストが出るんだとよ。天井を歩くとかいう噂だ」
転生という概念を説明しているときは、死んだ先自体がこの世界にないってリアクションだったけど、幽霊は居るんだな。もしかしたら、『心』みたいに意味が広い言葉なのかもしれないし、そもそも意味が違うかもしれないけど。
「こういう施設は無かったか」
「あったんすけど、どっちかっていうとショッピングとかするところって感じっすね。あと駅。でもこんなには作られてなかったすねー。避難路ってことは、じゃあ途中に沢山ある扉はシェルター的な?」
「いいや。ビルの地下だ。といっても、中からこの地下道へ出るだけだがな。中から開けてもらえりゃこっから入ることもできる」
「へぇ~。ああ、外から入れないようにしなきゃ、勝手に入れちゃいますもんね」
隊員のひとりが歩を緩め、カイの隣にきた。マッドと呼ばれた男だった。
「や、やあ。か、カイ君だね。ぼ、僕はマッドだよろしく……」
「よろしくお願いします」
「よ、横から色々と話は聞かせてもらっていたんだけど隊長との対談のとき。きょ、興味深いと思っててね。き、君の出身である異世界ではこの世界と近しい発展をしているなんて聞くんだけどね。ど、どうかなこの世界の感じは」
途切れ途切れに言うかと思えば、早口で捲し立てるように言う。会話のリズムが掴みにくい男だった。
「ん~。似てはいるんじゃないっすかね? ただ、こっちのが色々進んでるような感じはするっす。SFの世界っすよねー」
「ふんふん。なるほどなるほど。や、やっぱり知的生命体の進化はなるべくしてなるんだねぇ。そ、それだけじゃなくてコミュニケーション材料として言語を選んだり感情表現のライブラリは同じ喜怒哀楽で構成されている。し、しかも僕たちはコミュニケーションできているんだ種としては全く断絶されて進化してきたのにだよ。せ、生命体として異なっていながら心の進化は同質なんていう偶然があるなんて。こ、これがSFではなく異なるサイエンスとして成り立つのだからたまらないよねぇ」
ふへっ。と、声を裏返させて笑う。自己完結でテンションが上がりまくっていた。
参ったな。苦手なタイプだ。でも助けてくれてるしな……。
「あれ、でもそういうことは知ってるんじゃないっすか? 家畜がどうこうって言ってたんで、たぶんこっちの……というかここから見てあっちの世界のことは見てたんじゃ?」
「か、観察する人はいるだろうけど細かい情報は伏せられてるんだよ。こ、こっち側の人が余計な手を加えないようにとかでいろいろ隠してるようなんだ。だ、第三者のアクセスを遮断しているっていうかたぶんそういうことなんだろうけど」
「へぇ~……」
カイは愛想笑いしてぽりぽりと頭を掻いた。きっと彼の言う理由は違うのだろう。それよりもリィラみたいに、自分が食べていたものがなんだったのかを知らない人へ教えないために隠しているのだと思った。だけど、悪人が落ちてくるのを待っているならば別に知らせてもいいようにも思う。
結局、反論する勇気はなくて黙っていた。
「せ、生命体として異なると言っても戦闘であれだけ動ける君だから、し、
「ん~……。
「角が無いィ?」
ロックがばっと振り返った。
「ツルツルってことか。そんな恥ずかしい格好でよく外を出歩けるな」
彼が自分の角を擦る。言われてみれば、その2本の角はかなり立派だ。角の大きさが彼らのステータスなんだろうか。
「か、彼の世界じゃそれが普通なんだよ!」
「それもそうか。でも、髪のセットはどうすんだ? 角無しってことは前髪が全部繋がるよな、女の子も。そりゃあちょっとなぁ」
「だ、だからそれが普通なんだって!」
う~ん文化の違い。
もしや異世界で文化の違いを起こしたのは、おれが初めてじゃね? そうでもないかな。でもまぁめっちゃ珍しいだろうな実際。
何の意味もない特別感だったが、特別感というだけでなんだか嬉しくなるカイだった。
「ご、ごめんねカイ君。む、むしろ角がある方が違和感があるだろう?」
「いや? 慣れたっすよ。角ありもカッケぇしカワイイし。良いっすね」
良かったとマッドはニヤけ笑いした。
「そ、そっちの世界にはPpが無いというのは本当なのかい。ど、どんなエネルギーを使ってるんだい」
「無いっす無いっす。おれの世界では色々と使ってましたよ。燃料を燃やすのとか、
「ば、バチバチエネルギー! きょ、興味深いね。ふんふん……」
誤解を与えた気がするカイだが、まあいっかと流した。
「こ、こっちはPpであらゆるガジェットを動かせるからね君からしてみても興味深いだろう?」
「っすねー……」
あまり興味がなかった。ちょっと、話題変えたいな……。いい話題は無いかな。そう考えて、ひとつ思い付いた。
「あ。そういや、ってのPpってお金的なアレなんすよね」
「そ、そうだね貨幣として機能しているよ。む、昔は紙のチケットだったけれど今はどこもPpで取引だね」
「っすよね。それをマシンガンで撃つってなんか……面白いっつったら変かもしんないっすけど。お金を撃つ銃、みたいな」
「そ、そうなんだよね。だ、だからそういうのはちゃんと管理されているんだよ撃った弾数とか」
「そうなんすか? やっぱ資金は安く済む方がいいっすもんね」
そう言うと、ロックが笑って背中を震わせた。
「だろ? ま、普通はそう考えるよな。ほらお前ら、俺だけじゃなかったぞ」
「え、違うんすか?」
「ああ、違う。どっちかっつうと『このPpはT.A.S.のカネである』っていう宣言みてえなもんだ。人のカネじゃねえと、もったいなくて撃てやしねえだろ?」
「あーたしかに」
しっかりと管理し、決して自分のものにはならないという構造を作れば、余計な欲や勿体無さを捨て、ただの残弾として見ることができる。
意外と考えられてるんだなぁ。そんなことを思う。
そして、少しの沈黙。カイは盛り上げなければという謎の使命感に駆られ、何か話題になることはないかと考える。
……女隊長に巨体の男部下といえば、そんな渋めのアニメあったな。昔観たとき難しすぎて分からんかったけど、今観たらぜってえ分かると思うんだよなぁ。
「あ、そういや、なんかロボとか有ったりするんすか? アーミーって」
「ろ、ロボ? そ、そういえば昔、そういう開発をしようとして排熱とかコストとかが凄すぎて頓挫した的な話を聞いたことあるような……」
「へぇ~。ひょっとして、青いクモ型だったりして……」
「そ、そんな感じじゃなかったと思うあんまり覚えてないけど……。あ、青色ってどこ情報で聞いたのかな? そ、そういえば話を戻すんだけど――」
話を戻されてしまった。
もしかしてこっから到着まで、この調子で延々と聞かされ続けんのか。それはさすがにしんどいな。
そんなことを思っていると、先頭を歩くロックが片腕を上げて止まった。
その先は緩やかな曲がり角。通路の遠くを見渡せない構造だった。
「……警戒しろ。この先で挟み撃ちに遭う可能性がある。バック・トゥ・バックだ。カイ。お前は中心にいろ」
「うっす」
ロックのひと声で前方に3人、後方に2人がそれぞれの方角へマシンガンを構え、カイを中心にした陣形になった。
そのまま慎重に進んでいくと、ロックがまた止まった。
「おいお前! 何をして――」
ロックは言葉の途中でいきなり発砲した。撃つまでの判断がとにかく早い。
「接敵! 前方に複数!」
「こ、後方からも複数上がってきたよぉ!」
その言葉に振り返ると、数人の影が走ってきていた。
やべぇ。本当に挟み撃ちか。カイは曲がる廊下の内側に隠れた。
両隣で隊員が撃っては隠れ、テロリストが撃っては隠れを繰り返す。互いにマガジンと相談しながら、互いの隙をうかがい続けている。この駆け引きに失敗すれば当然、死が待っている。
「おれにできること無いっすか!」
「無い! 黙って守られていろ!」
手近な隊員に聞くが、きっぱりと断られた。それでもウズウズとするカイだった。
カイは、自分のすぐ隣に扉があるのに気づく。
あれ。ここやばくね?
そう思うのと同時に扉が開いて無数の重火器が現れた。
「おわぁああああっ!?」
反射的にスタンバーストを放ち、雪崩れ込もうとした男たちをまとめて吹っ飛ばした。反動でカイが反対の壁に叩き付けられる。
「ぐへぇっ!」
「なんだっ!?」
「こ……ゲホッ……ここやべぇっす!」
「チッ――非常口か。前進だ! ゴーゴー!」
前進すんの? 敵がわんさか待ち構えているかもしんないのに?
「後ろじゃねえっすか!?」
命令通り前進していく陣形の中でカイが叫ぶ。
「物量で来るなら前後に同じだけ配置するはずだ。消耗戦では勝てん。片方を一気に突破する!」
「消耗戦も何も、おれが居るっすよ!」
カイの言葉にロックは目を見張り、総員止まれと叫ぶ。
「そういやそうだった! シールドを展開しろ! カイのPpを利用するぞ!」
前後にシールドが展開される。
「カイ。マシンガンのタッチレスチャージャーを体内に組み込め。急げ!」
「なんすかタッチレスチャージャー!?」
「ぼ、僕が教える! ひとり後方に!」
弾丸を受けつつ、マッドが叫ぶ。その間にも前後を挟む敵の数と、発砲音が増えていく。
隊員からマシンガンを受け取って回り、計三丁持ってきた。マシンガンのストックを外し、解体する。
中から淡く薄紫に輝く液体のようなものがたっぷりと溢れ、床に飛び散る。それはすぐに蒸発して消えた。それと同時に物凄い熱が顔を下から撫で上げる。
「あっちぃ!?」
「え、えっとほらPpって熱になるからさそれで――」
空洞になっているストックの内側に機械のようなものがあり、そこに付いている小さなチップを取り外して見せてくる。
「――こ、これだよぉ!」
「あざっす!」
受け取った。でも埋め込むって、やっぱナイフとかで肌を切り開かなきゃ駄目なのか……?
「う、腕を切っていちばん奥にねじりこんでっ!」
「いちばん奥ぅ!?」
一瞬ためらったが、コートのポケットに良い物が入っていた。リィラに返し損ねた彼女のマイボトルだった。
「よっしゃ。これでいいや」
「い、いいアイデアだねっ」
吸引素子を取り外してボトルにチップを入れる。
「早くしろッ! かなり攻撃が激しい――グレネード!」
グレネードを蹴り返しながらロックが叫ぶ。大量の弾丸を防ぐ複数のシールドが発する発散音が、途轍もない音量で辺りを包んでいる。
マッドと協力して他のマシンガンも同じようにしてチップをボトルに放り込んだ。全員に銃身を返却し、吸引素子をボトルに付け直してから首へ当てた。
吸われるときの独特な感覚、そしてそれが止まった。これでボトルは
「オッケーっす!」
カイの言葉に、全員のタガが外れた。
「――総員、ぶっ放せッ! フルオートで撃ち放題だ!」
前方3人に後方2人、計5丁のマシンガンが強烈な弾幕を張る。
殺到する輝く弾丸は天井の明かりよりも眩しく、廊下を紫に染め上げる。
「さいッこうだぜぇッ! ゴーゴーゴー!」
「た、たまんないよぉおぉおぉ……!」
「ヒャッハーッ!」
その凄まじい猛攻にテロリストたちは反撃もできずに引いていく。
「半端な装備で来やがるからだ! 次は戦車でも用意しなぁ!」
「ひぇえ……。とんでもねえや……」
カイは首にボトルを当てたまま萎縮した。
「このまま突破する! 基地まで一気に抜けるぞ!」
ぐんぐんと進む部隊は、その道にテロリストの死体を点々と作っていく。撃ち返す暇もなく撤退し、逃げ遅れた者から道しるべになっていく。
もはや戦いというより、大人勢が少人数に虐殺されている状態だった。正当防衛とはいえ、カイは居心地が悪かった。言い出さなければみんな死んでいたかもしれないとはいえ、だ。
これが、軍事利用されるということだ。おれの中にあるガジェット一つのせいで、この戦いは起きているんだ。
おれが異世界転生して得たものは、チート能力でも、ハーレムを作るためのご都合主義でもない。
『呪い』だ。
「…………リィラ」
無意識に呟いていた。
急に現れた孤独のような痛みに、思い出したのはリィラの顔だった。
彼女は、大丈夫か。無事かな。クレイさんは大丈夫って言っていたけど、テロリストは相当に武装している。
信じるしかないとはいえ、不安は押し寄せる一方だった。
もし、襲われていたら。向こうのホバーは戦える人が少ない。おれは、こっちに来てよかったのか。
あの選択で、本当に良かったのか。早くリィラに会いたい。安心したい。カイの中に、不安が複雑に入り組んでいっていた。
――Lila――
「……君が、これを……?」
自分の身体から突き出たケーブルを指で摘まみながら、クレイは信じられないと言う目でリィラを見る。
あれから少しあって、オークラーが運転手の遺体を引っ張り出して寝かせてやり、出発の準備を整えたところでクレイが起き上がった。それからオークラーが説明してこの一言だった。
当のリィラは怖くて、死体の一部すら視界に入れないようにフードを被っていた。本当は、障害物も欲しいところだった。
「そ。アタシの大活躍のお陰で生きてんの」
「気絶したときには、絶対死ぬって思ってたのにな……。まさか、君みたいな女の子に救われるなんて思ってなかったよ」
「はぁー。アタシみたいな女でガキじゃ不満っての?」
「いやいや! そういう意味じゃなくてさ。とにかく、ありがとうな」
「分かればいい」
リィラが満足げになったところで、オークラーがクレイへ荷物を寄越す。
「出発だ。真っ直ぐ基地へ向かうぞ。あいつらも基地へ向かうはずだ」
「つっても、心もとないですよ。戦闘員は二人。テロリストと遭遇すりゃ一巻の終わりです。近くで応援を要請しませんか」
「狙いはアタシたちじゃないよ。カイだけっぽい。さっき起きたとき、テロリストがまだいたんだけど――」
言いながら、あのクズ野郎を思い出した。オークラーは自分のアーマーの前が開いていたのが偶然だと思ってる。
全てを言う気には、なれなかった。
「――カイが居ないからってさっさと消えちゃった」
「そうだったか。テロリストといえど流石に、むやみに殺して回るほど
「ま。この惨状ですからね。戦力としてカウントもしなかったんでしょう」
クレイが大破したホバーを忌々しげに見た。
「……それに、気付かないか? この状況」
オークラーがクレイを見据えると、彼は周囲を見渡す。
「…………そういや、静かすぎますね」
「どーゆー意味?」
リィラが聞くと、オークラーも周辺を見渡した。
「これだけの事故があって、救急も消防も、警察すら無い。郊外ならまだしも、ここは市内だ。どの機関も動かないのはおかしい」
リィラは少し考え、はっと目を開く。
「じゃ、じゃあもしかして、テロリストたちはもう、そこを侵略したってゆーわけ?」
「もしそうなら、今ごろ大々的なニュースになっていて、暴動も起こるだろうな。現実的な線で言えばテロリストたちと癒着があるのだろう。前々から、
「……じゃ、じゃあこんな事故を起こしたのに誰も来ないっての? 金なんかのために? ほんと大人って」
バカばっか。そう呟いた。
「バカしかいないわけじゃないさ」
オークラーを知るクレイが立ち上がって、リィラに手を差し出す。リィラはその手を取らずに立った。
「バカが多いという意味なら同意見だがな」
上層部の政治を知るオークラーはため息混じりに言う。
「ところで、リィラ。そのガジェットの類いは置いていけ」
オークラーは少し呆れていた。リィラはボトルが空になったマシンガンやボトルの無いハンドソー、果ては壊れたガジェットまで持っていこうとしていたのだった。
「で、でもさ」
「まずはこの場の全員が生き残ることを最優先にするんだ。そのために最小限の荷物にしたい。――私とて、彼を置いていくのは辛い」
寝かされたままの死体を見る。もしも生き残れなければ、ああなるんだ。
リィラはぞっとして、使えるガジェット以外を置いた。
3人で裏道へ入って、狭い道を行く。
「こ、ここで挟み撃ちとかされたらどうすんの?」
「そうされないようなルートで進んでいるから大丈夫だ。横道が多い分、待ち伏せも難しい。それに、待ち伏せができるなら私たちの様子を見ていることにもなる。カイが居ないのだから、合流するまでは様子見するだろうな」
「合流したら?」
「それまでに、尾行は見つけ出して始末する」
「安心しろよリィラちゃん。こう見えて、オレたちはプロなんだ」
クレイが自信たっぷりに言うが、コイツが言うとなんだかなぁ。とリィラは口を結んだ。
しばらく歩くと、ホームレスか何かのたまり場に出た。道の横にある空き地みたいな場所で集団生活しているようだった。
リィラは前を歩くオークラーとクレイの動きが、少し固くなったような気がした。見るからにただのホームレスだけど、何を警戒してんだろ。
「……ん」
ふと、あるホームレスが目についた。恍惚の笑みを浮かべ、どこでもない宙を眺めている。
その隣のホームレスが、後頭部に長細いガジェットを当て、気分も良さそうに仰向けになった。
「……ペイ・デイじゃん」
噂に聞いたことのある、快楽系の違法ガジェットだ。あのホームレスどもはあれで身を持ち崩したんだな。
いわゆるヤクだ。使えば消費される薬とは違い、Ppさえあればいくらでも報酬系を刺激でき、繰り返し使える。使えば満足できるせいで、他に何もする気が起こらなくなり、仕事もできなくなると、そういう噂だった。
……あれの構造は、どうなっているんだろう。存在そのものが違法なので当然、市販の本に構造が書いてあるわけもなく、マッチョの店にも置いていない。そもそも存在を知ったのは、最近あれを作って売ってたギャングが軒並み摘発された、というニュースからだった。
知らないガジェット。使わないけど、ちょっと欲しいかもしれない。
「……嬢ちゃん」
快楽を享受している二人の近くに差し掛かったとき、道に少しはみ出して座っていた一人のホームレスが顔を上げた。
「……欲しいんだろ。ひとつ、くれてやる。Ppを寄越してくれりゃあなぁ……」
持ち上げられた彼の右手には、長細い金属の注射器みたいなガジェット。
……すっげぇ。コイツが作ったのかなこれ。ジャンク的な見た目ではなく、市販のガジェットと言われても納得できるクオリティの外見だ。どんな設備を使ったんだ。それに、中身は――。
――
「リィラ」
オークラーに手首を捕まれる。ほとんど無意識に、ガジェットを受け取ろうと左手を伸ばしていた。
「……な、なんだよ」
「それには手を出すな。ろくな物じゃないぞ」
「使わない。中身が気になるんだ。どんな構造か……」
「それでも、だ。手に入れたら使いたくなるだろう」
「なんねえし」
「――駄目と言ったら駄目!」
「わっ、ちょっと……!?」
無理やり引っ張られ、連れていかれる。
「い、痛いじゃんっ。おい止めろよ!」
「まあまあリィラちゃん。心配なんだよオレも」
「うっさい! 助けたんだからちょっとぐらい良いじゃん!」
クレイがなだめるが、リィラが噛みつく。
その叫びに応えるようにオークラーは少し乱暴に引き寄せ、両手を掴んで屈みリィラと目の高さを合わせた。
「だからこそ、だ。恩人が道を外れそうになったのを放っておける訳がないだろう」
「だけどさ……」
オークラーの真っ直ぐな目が、刺すように見つめてくる。
リィラの頬に、そっと手が添えられた。妙にどきりとしてしまって、その温かい手を振り払えなかった。
……なんでこの人、こんなに温かいんだろう。アタシが冷たいだけなのかな。
「どんな理由があっても、あれには手を出してはいけない。私からの願いだ」
リィラはうつ向いた。そこまで言われては、断るに断れなかった。
「……………………分かったよ……もう」
オークラーは安心したように立ち上がり、歩き出す。
「……内部構造なら、我々がお抱えにしている研究者がいる。ニコ博士といって、彼女ならあのガジェットについても詳しいだろう」
「――っ! それってもしかして、カイの……」
危うく大声で言いそうになり、慌てて口をつぐむ。周りを見て、リィラは声を落とした。
「……アレを作った人?」
「そうだ。かなり偏屈な奴……というか、同じ人間だと信じがたい性格というか……。とにかくかなり変な奴だ。だがきっと、ガジェットの話だけなら気が合うだろう」
「ま、マジ……? うわぁ……」
リィラは身体をぶるりと震わせ、早足で先を行く。
「あれちょっと、リィラちゃん?」
「早く行くぞっ。モタモタすんな!」
オークラーとクレイは顔を合わせ、リィラへ着いていく。
「……けど、いいんですか? 流石に、例のガジェットの構造まで知られたら不味いんじゃ……。オレたちだって知らないのに」
「構わん。リィラならば放っておいても、自力で辿り着く。そんな気がするんだ。だから先に答えを教えても結果は同じ……。そうだろう」
きっぱりと言い切るオークラーを、クレイが思わず見つめた。
「……ま、まさかリィラちゃんを始末しようなんて」
それに対して、オークラーは思い切り顔をしかめた。
「なにぃ? 違う。私とて、そこまで非道にはなれんぞ」
「なぁんだ……。でも、ただ帰すわけにもいかないでしょう?」
「そうだな。だから……彼女をどうにかスカウトしたい。それでなら、カイと一緒に居たいという要求にも応えられるしな」
「っすね。ところで隊長」
「どうした?」
クレイは自分の首の後ろに手を当てる仕草をした。少しでも聞きづらいことを尋ねるときの癖だった。
「なんか、リィラちゃんへの接し方が変わったっていうか……。そんな気がするんすけどね。なんかありました?」
「お前を助けてくれたからな。すでに彼女を仲間として認めているというのは否めん。村の時からそうだったが、やはりただの子どもと侮れんぞ、あの子は」
「いや、なんかこうね……。優しいってか、変な言い方っすけど、母親みたいっていうか……」
オークラーはハッとして、口をへの字に曲げた。
「な、なにも無い。気のせいだ」
オークラーは歩を早め、クレイも続いた。
またしばらく歩いていると、大通りに出る直前まで来た。街は大雑把にブロック状に区切られ、整頓されている。施設に向かうにはいくつかの大通りを抜ける必要があった。
3人は大通りから覗けない位置で立ち止まる。
「索敵をする。リィラはここで待機しろ」
「命令すんな」
「生き残るためだ。巻き込んでしまった以上、お前を必ず生きて届ける。それが私の務めだ」
「……でも、命令は気に入らない。子ども扱いすんな」
「むぅ……」
リィラはつんとしていた。研究者に会えるというのは有りがたいが、あれこれ命令されるのは大嫌いだった。
どうしても、舐められているような気がする。それが嫌だった。
「な、リィラちゃん。いいか?」
クレイがしゃがんで目線を合わせ、にこやかにした。
「隊長は不器用だからさ、命令の形でしか言えないんだ。言いたいことが上手く言えないこと、あるだろ」
「……」
「確かに言い方は不味いけど、オレたちの部隊を率いるのにずっとそういう口調だったんだ。だから今だけでいい。ちょっとの間、我慢してくれ。な?」
「……チッ。分かったよ、もう……」
ふて腐れたリィラに例を言って立つ。オークラーは少し苦い顔をしていた。
「助かる。そういえば、子どもが同じくらいだったな」
「まあまあ。大人よりずっと、考える年頃ですからね。ということでちょっと見てくる。待っててくれ」
そう言って、二人とも行ってしまった。
リィラはパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。面倒くさいなぁと思いつつ、思い出すのはカイだった。
あいつも、何だかんだで面倒くさいんだよなー。でも、オークラーに感じるものほどじゃない。なんでアイツは大丈夫なんだろ。
…………無事、かな。
リィラはうつ向いてフードを被った。
無事じゃなかったら、ゼッタイ許さねえ。
アイツが死んだらきっとまた、違う場所に生まれるんだろう。だったらアタシも追ってやる。それでケツに噛みついてやる。
例えどこだって、アタシの牙は鋭いんだ。心を許した瞬間に死ぬなんてふざけたことしてみろよあのバカ――。
――違う違う。心を許してなんかねえし。
ひとりでに顔が熱くなったところで、ふたりが戻ってきた。
「お待たせ。大丈夫そうだから行こう」
「はいはい……」
行こうとするリィラの前に、オークラーが立つ。
なんだ? そう思って顔を上げると、フードで区切られた視界に緊張した面持ちが入ってきた。
「……こ、これを」
差し出してきたのは、アイスだった。
リィラは受け取り、アイスを見て、オークラーを見た。
「……なに?」
「これはな、……アイスだ」
「知ってる。そーゆーのを、子ども扱いって言うんだよ」
リィラはポケットに片手を突っ込んだまま大通りへ向かった。アイスは、リィラの好きなメップフレーバーだった。少し苦く、香ばしい。
……分かってんじゃん。そう心で呟くリィラの後ろで、「むぅ……」と少ししょんぼりするオークラー隊長と、「う、うちの子は喜ぶんすけど……」と謝るクレイだった。
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