帝国憲法の制定

 大日本帝国憲法の制定作業は、西南戦争が終結した明治一〇年秋以降に開始されたと見られる。

 制定作業の中心となったのは、大久保利通、大隈重信、板垣退助、渋沢栄一、伊藤博文、井上毅、それにイギリス人顧問のヴィシーらであった。

 顔ぶれを見ればわかるように旧幕、薩摩、土佐、肥前から一人ずつ選ばれている。

 井上毅は旧熊本藩士出身であるが、イギリス法に詳しかった。

 また、幕末に朝敵となったため、明治政府で非主流派となった長州から伊藤博文が選ばれたのは、彼が内相時代の大久保の秘書官を務め、大久保が首相となった後は、内閣書記官長に抜擢されるなど大久保の信任が篤かったことや、長州藩時代にイギリス留学の経験があったため、英語に堪能であったことなどが大きな理由であったとされる。

 

 周知の通り、大日本帝国憲法はイギリス憲法をモデルにしていると言われる。

 これは共和制の合衆国やフランス憲法はそもそも参考にならず、君主権の強いドイツ憲法は、天皇が象徴的役割しか担わない日本の政体に馴染まないので、勢いイギリスをモデルにするしかないという、消去法的選択であったといえる。


 イギリス憲法をモデルにするにあたってのネックは、それが単一の法典の形をとっていないという点であった。

 幾多の法典と慣習からなるイギリス憲法を一つの法典として「翻訳」する作業では、イギリスの憲法学者ヴィシーとイギリス法の専門家である井上が大きな役割を果たした。

 

 ただ、新しくつくられる憲法は、既存の法制度などとも整合させねばならなかったため、憲法案作成チームが、自由に草案を作成できる余地はさほどなかったと思われる。

 

 ただ、フランスへの留学経験から自由主義的傾向の強い板垣が、人権宣言に着想を得たと思われる、国民の権利義務の平等を謳う条項の挿入を主張したことで、論争が起きた。

 結局、板垣の主張は修正を加えられた形で憲法一五条「日本臣民ハ天皇ト憲法ノ下ニ均ク権利及義務ヲ有ス但シ権利義務ノ調整ノ為メ法律ニ依リテ留保スルヲ得」として結実した。 

 

 第一次勝内閣交代前後の政局の混乱などもあり、当初明治一一年四月の予定であった憲法案の完成は遅れたが、大統領と内閣の承認を得て、六月に元老院に皇室典範、議院法、貴族院法、衆議院議員選挙法などとともに提出された。

 この時、明治日本は突貫工事にも似た慌ただしさで立憲国家の体裁を整えんとしていた。

 

 各法案の実質的審議は、少数の議員で構成された委員会ごとに行われ、憲法案を担当した委員会は、近衛忠熈、島津久光、山内豊信、副島種臣、広瀬宰平などが参加していた。

 それは議論の紛糾を嫌った政府による措置であり、人選にも恣意が働いていたが、今日の議会の委員会中心主義のさきがけというべきものでもあった。

 

 翌一二年二月二五日、憲法案は他の法案とともに元老院で可決され、即日公布された。

 東アジアでは初の近代憲法の誕生である。

 

 同日に御所の横に完成したばかりの洋風宮殿(明治宮)大広間で開かれた憲法発布式では、徳川大統領や閣僚、その他の政府高官、元老院代表が見守る中、明治天皇が大久保首相に憲法典を手交した。

 市街では民衆が提灯行列で日本の立憲国家としての出発を祝ったが、自分が何を祝っているのか理解しない人が多かったというのは有名な話である。  

 

 大日本帝国憲法は、その第一条第一項で「天皇ハ元首ニシテ治権ヲ総覧ス」と規定し、続く第二項で「天皇ハ憲法及ビ其他ノ法律ノ定ル所ニ従ヒ治権ヲ各部ニ委任ス」と定めている。

 このことが象徴するように、帝国憲法とは「天皇が権威を担い、臣下が権力を担当する」という、古代から続く日本の統治権の在り方のいわば近代版であったといえる。                                                                                                                                                                                                                          

 

 密室で立案され、限られた人々によって審議された憲法は、正当性に疑義がないわけではなかったが、とにもかくにもこれで日本は、近代国家としての一つの階梯を登った。

 それは憲法制定に心血を注いだ大久保にとっても、一つの政治的頂点であったといえよう。

 

 しかし、その足元では第一次大久保内閣を瓦解させることになる問題が起きつつあった。「大隈・板垣新党問題」の勃発である。

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