エーベルト内閣の発足と一月蜂起

 ヴィルヘルム二世の退位と同時にバーデン公は辞意を表明した。

 政界には、講和を成立させたことを多とし、これを慰留する向きもあった。

 しかし、ストックホルム条約による国内からの批判、政治経験なしに困難な時期に一年にわたり内閣を率いたことによる心身の疲労、そして何よりこの先混迷必至の政局を収拾する自信がなく、その意思を翻すことはなかった。

 

 ヴィルヘルム二世の退位と同時にバーデン公が退陣を表明したことで、後継首班選定が急務となった。

 新帝ヴィルヘルム四世は一二歳の少年であり、摂政に就いた叔父のヨヒアムも二七歳の政治経験のない青年に過ぎなかった。

 そのため、首班選定が初めて帝国議会に委ねられることになる。

 

 議会は第一党である社民党の党首フリードリッヒ・エーベルトを推したが、同党が左派政党であり、元来社会主義政権樹立を目指していたことから、軍部や貴族層などが難色を示すなどして、首班選定は容易に進まなかった。

 

 結局、首班選定は一二月までにずれ込んだ末に、エーベルトが「帝政を擁護し、政策方針は国民と貴族、その他ドイツ帝国の構成員の意思を尊重する」旨の声明を発表することで、社民党、中央党、民主党(進歩人民党が国民自由党左派と合同して成立)の三党によるエーベルト内閣が発足した。

 ドイツ史上初の政党首班による内閣であった。

 

 エーベルト内閣の課題は大きく分けて三つあった。

 即ち、①民主政の確立、②外交関係の修復、③経済の再建の三つである。

 順に見ていこう。

 

 まず、①はヴィルヘルム二世の退位を機に端緒についた民主化の流れを確立することであった。

 そのためには、君主権の強いドイツ帝国憲法を改め、貴族と軍部、官僚の力を押さえ、議会と政党の優位を制度的に保障する必要があった。

 

 次に②であるが、ストックホルム条約で旧連合国との外交関係は表面上正常化したとはいえ、内実は断交に等しかった。

 ストックホルム条約が交戦国双方に不満を残す内容であったため、ドイツのみならず、旧連合諸国の国内でも再戦論が根強くあった。

 中でももっとも大きな戦災を被った国の一つであるあるフランスでは、現職大統領のポアンカレからして対独強硬派であり、再戦の機会を窺っていた。

 フランスがストックホルム条約に調印したのは自国のみがドイツと戦い続けることを嫌ったからに過ぎない。

 食料などの資源の多くを輸入に頼るドイツでは、旧連合諸国との関係修復は、③にもつながる命題であった。

 

 ③の最大の課題は食料危機の克服であった。海上封鎖は解除されていたものの、戦前のような通商関係再開に向けた交渉はまだ緒にもついていなかった。

 また、戦争と経済崩壊によって帝国マルクの信用は地に墜ちていたため、自力での経済再建は困難であった。

 他国からの投資を呼び込む必要があったが、ドイツにとって最大の友好国であり、世界最大の経済大国のひとつである合衆国は、当時第二次南北戦争が終わった直後であり、他国に投資する余裕はなかった。

 

 エーベルト内閣が解決すべき課題は、以上のように困難なものばかりであったが、それ以外にも国内に大きな問題があった。

 エーベルト内閣の与党である社民党、中央党、民主党の三党は議会の多数を優に制しており、一見権力基盤は盤石のようであったが、一方で議会の内外で左右両極からの攻撃にさらされていた。

 

 その中でも最大の勢力を誇っていたのが、独立社会民主党であった。

 同党は社民党左派が、大戦への協力を選んだ主流派と袂を分かってできた党であるが、思想的には極左に近く、中には共産主義者すらいた。

 

 独立社民党は、ロシアの一〇月革命に触発され、君主制廃止、社会主義共和国建国、議会政治に代わって労働者、兵士、農民による協議会(ソビエト)による統治を主張し、政権を揺さぶった。

 また、独立社民党ともつながりのある、戦前からの非合法反戦組織スパルタクス団は、時に肉体的暴力を伴って街頭での反政府活動を展開した。

 独立社民党やスパルタクス団を始めとする極左勢力は、食糧不足にあえぐ国民の間で一定の支持を集めていた。

 

 こうした状況の中、エーベルト内閣は都市が明けた一九一九年一月一九日に帝国議会選挙を行うと発表した。

 これは国民に信を問うことで新政権の正統性を確保すると同時に、新憲法制定のための議会をつくるという意味もあった。

 

 だが、これが思わぬ副産物をもたらすことになった。

 先述したように独立社民党はロシア革命にならった社会主義体制の樹立を主張していたが、この選挙への参加をめぐって穏健派と急進派の間で対立が生じたのである。 

 結局この問題は折り合いがつかず、穏健派は社民党へと合流。

 結果的に有力な極左政党の弱体化に成功した。

 独立社民党急進派の一部は程なくしてスパルタクス団と合流し、ドイツ共産党を結成することになる。

 

 エーベルト内閣は選挙を待たずに八時間労働制の導入、失業保険、疾病保険の拡充など精力的に仕事に取り組んだ(公的保険制度の拡充は資金不足によって必ずしも期待されたほどの効果を上げたわけではなかったが)。

 さらに労働組合法が制定され、労働組合が完全に合法化された。

 各地域、産業、企業ごとに労働組合が結成され、そのナショナルセンターとして「中央労働組合」が設置された。

 これらの施策には間近に控えた選挙対策という側面もあったが、「民主国家」の理念の具現化でもあった。

 新生ドイツ帝国は様々な困難を抱えながらも、力強く歩み出していた。

 

 しかし、帝国議会選挙の直前、それに冷や水を浴びせかける事件が起きる。

 一九一八年一二月三〇日、独立社民党から離脱した急進派とスパルタクス団が中心となって「ドイツ共産党」が結成された。

 スパルタクス団は元来、文筆家を中心に構成されており、共産主義を信奉してはいたが、そこまで過激な集団ではなかった。

 しかし、戦争を通じて食いつめた労働者や帰還兵などが多く流入し、急速に過激化していった。

 また、エーベルト内閣が予想外に民衆の支持を集めつつあったために、焦りが生じていた。

 

 一九一九年一月五日、スパルタクス団はベルリンの街頭でデモを行った。

 このデモへの参加者は二〇万人に登った。

 予想外の成功に共産党とスパルタクス団の首脳部では、これを一気に革命運動に転化させるべきという議論が起こる。

 特に元独立社民党の長老であったレーデーブールは「革命の機が至った」として、「革命委員会」なるものを設置。自ら委員長に就任した。

 

 デモ隊は「エーベルト内閣退陣、新政府樹立」を叫んで市内を行進した。

 夜になると大部分は解散したが、過激化した参加者がエーベルト内閣を支持する新聞社や出版社を襲撃、あるいは占拠した。

 デモは共産党やスパルタクス団にも制御できぬほど急速に過激化していた。

 また、エーベルト内閣の支持者たちも対抗してデモを実施。

 路上で衝突し、死傷者が出る事態となった。

 

 翌六日の朝を待って政府は警察と軍に対して鎮圧を命令。

 せっかく緒についた議会制民主主義を破壊する共産党とスパルタクス団に対し激怒したエーベルト首相は、「断固たる措置」を取るように命じた。

 警察と軍がこのエーベルトの指示を拡大解釈。

 この機に乗じての共産主義瀬力の壊滅を目論み、デモ隊に対して躊躇なく発砲し、デモ隊も投石、火炎瓶、あるは銃器を用いて激しく抵抗した結果、ベルリン市内はさながら市街戦の状況と化した。

 

 反エーベルト派はしぶとく抵抗したが、八日にはほぼ鎮圧。

 残党狩りが一二日まで続いた。

 

 後に「一月蜂起」と呼ばれることになるこの事件の結果、共産党・スパルタクス団は多くのメンバーが死亡、もしくは逮捕され、当面再起できないほどの打撃を負うことになる。

 また、直後に行われた選挙では、過激な極左勢力を嫌気した有権者によって与党が勝利することになった。

 

 一月蜂起は、「二つの独走」が招いた結果であったといえるだろう。

 即ち、共産党・スパルタクス団の一部急進派は現状を冷静に分析することなく、革命を夢想して独走した。

 その結果、遂には制御不能の事態に陥り、自らの破滅を招くことになった。

 

 多くの人々が衝突の最中に命を落とした。

 また、詮議もなく拘束され、軍や警察による拷問で命を落とした者も多かった。

 

 その犠牲者の中で、もっとも著名なのがスパルタクス団の古参幹部であり、理論的指導者の一人であった、ローザ・ルクセンブルクである。

 彼女は急速に過激化していく団の方針に反対していたが、当日のデモでは陣頭指揮を取っていた。

 おそらく、敵対党派のデモ隊との衝突によって殺されたルクセンブルクの遺体は、川に投げ込まれていて、人相が判別できぬほど殴打されていたという。

 この一月蜂起の失敗によって、共産党・スパルタクス団は大打撃を受け、本格的な党勢の回復は、世界恐慌を待たねばならなかった。

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