ポツダム憲法の成立
一九一九年一月の帝国議会選挙は、社民党一六三、中央党九一、民主党七五、独立社民党二二、ドイツ人民党一九、国家人民党四四、無所属・諸派七で、与党が全議席の八割弱を占める大勝利であった。
直前に起こった一月蜂起で極左政党が有権者に嫌気されたことと、民主化と経済再建を標榜するエーベルト内閣への期待の反映であったといえよう。
議会に盤石の基盤を築いたエーベルト首相は、早速憲法改正に着手した。
民主党の議員で憲法学者でもあるフーゴー・プロイスを委員長に据えた委員会を設置し、草案作成に当たらせた。ち
なみにこの委員会には著名な政治学者・社会学者のマックス・ウェーバーも参加している。
草案作成は国民の権利をどこまで拡充するか、中央政府と各領邦の権限をどう調整するかという点で難航したが、七月末には帝国議会に提出され、ほぼ全会一致で可決された。
ただし、独立社民党と国家人民党などは審議を拒否したため、全国民の支持を得たとは言い難かった。
この憲法は「国家の構成と課題」と「国民の権利と義務」の二部より構成されていた。
前者では国民主権が規定され、皇帝は議会の招集と解散、法律の公布など形式的な行為を行う存在とされた。
内閣の首班たる帝国宰相は、帝国議会の指名に基づき皇帝が任命するとされ、議院内閣制が制度として保証された。
中央政府と各領邦の関係では、従来領邦が有していた直接税の徴税権が中央政府に帰属することとなり、中央集権化が強まった。
また、領邦が有していた軍は形式的には残されたが、軍政は中央政府に一本化され、「陸軍省」が新設された。
「国家の構成と課題」でもっとも注目されるべきは「緊急事態」に関する諸条項である。
中でも第四八条は「公共の安全及び秩序に著しい障害が生じた場合、またはその恐れがある場合は、内閣は皇帝に上奏し、武装兵力を用いて安全及び秩序を回復すること、または憲法が規定する国民の権利の一部または全部を停止する」ことができると規定されていた。
これは当時の騒然とした世相を背景として、急進的な極左や極右による騒擾が起きた際に迅速に鎮圧することを目的としていた。
これはむしろ、民主主義を防衛するために設けられた条項であったが、皮肉にも民主主義の息の根を止める役割を果たすことになる。
第二部「国民の権利と義務」はポツダム憲法の面目躍如たる部分であった。
経済活動の自由を認める一方で、労働者の団結権、団体交渉権、争議権の「労働三権」の他、賃金や労働条件の決定に労働者が参加する権利が保障された。
そのために各領邦と中央レベルで「労使会議」という労使の代表による協議機関を置くことが定められた。
また、第一五一条では「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない」と規定され、世界で初めて「生存権」が盛り込まれた憲法となった。
その他にも男女普通選挙や教育を受ける権利が盛り込まれるなど、旧ドイツ帝国憲法から大幅に国民の権利が拡充されただけでなく、世界的に見てももっとも民主的な憲法となった。
労働者の権利や教育を受ける権利、生存権などはその後に制定された諸外国の憲法にも受け継がれている。
ただ、この「先進的な憲法」が額面どおりに機能するかどうかは、今後の民主ドイツの政治的・経済的な安定にかかっていた。
そして結果的にこの憲法の多くは空文に終わることになる。
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