第一次榎本内閣と第一議会
第一次榎本内閣は、第一次大久保内閣の閣僚をほぼ引き継ぐ「居抜き内閣」として発足した。
ただし、板垣の後継の農商相に実業家の大倉喜八、林董を内閣書記官長に横滑りさせた後の内閣法制局長官に摂津の漁民出身の外交官・浜田彦蔵を起用するなど、これまでの政権には見られなかった新機軸を取り入れた。
榎本内閣の当面の課題は、翌一三(一八八〇)年七月に予定されている第一回衆議院議員総選挙と、一一月から始まる第一議会を乗り切ることであった。
ちなみに榎本内閣成立後に議会瀬開設前に駆け込みで成立させるべく、各省庁から法案が殺到したが、内閣は「議会との信頼関係を破壊する」として軽微なものを除き、原則として応じなかった。
第一回衆議院議員総選挙は明治一三年七月二三日に実施された。
定数は三〇〇。
各府県を一選挙区とし、そこから一ないしは二の議員が選出される方式であるが、大阪府と江戸府のみ市部と区部に分けられた。
また、南樺太、北海道、沖縄、台湾、小笠原諸島、奄美諸島については選挙法の施行が猶予されていた。
選挙権は二五歳以上の日本国籍を持つ男子で、一五円以上の直接国税を納付した者、官吏、少尉以上の軍人に与えられた。
被選挙権は三〇歳以上の日本国籍を持つ男子で、一五円以上の直接国税を納付した者で、現役の官吏と軍人は立候補を禁じられていた。
また、皇族・華族については選挙権・被選挙権ともに与えられなかった。
選挙結果は愛国公党五四、改進党四三、関東倶楽部三七、九州連合同志会二四、諸派・無所属一四二であった。
愛国公党は地盤である西日本の農村部を中心に票をまとめ第一党に躍り出た。
改進党は急進的な民権派を嫌う都市部の穏健な実業家や官吏の票を集めたと見られる。
関東倶楽部と九州連合同志会は、関東と九州の地域政党であるが、この時期の政党は全体的に地域政党色が強かったといえる(例外は改進党)。
各党ともヘゲモニーを握るには程遠かったが、全体としては民権派が過半数を上回り、政府にとって厳しい議会になることが予想された。
予想以上に民権派有利となった選挙結果を受け、民権派では再度合同の機運が盛り上がる。
当初は愛国、改進、関東、九州の四党合併が模索されたが、愛国公党と改進党の間での主導権争いがあり、結局九月一五日に愛国、関東、九州の三党が合同し「立憲自由党」が結成された(改進党が合同に参加しなかったのは、主たる支持層からの反対が大きかったため、という理由もあった)。
総裁に板垣、副総裁に旧関東倶楽部総裁の大井憲太郎が就き、幹事に中岡慎太郎、後藤象二郎、河野広中(旧関東倶楽部出身)らが並んだ。
第一次大同団結運動は、幾多の紆余曲折の末、一応の結実を見た。
一方、親政府派の諸派や無所属議員の間では、穏健派勢力の結集が模索された。
政府が政党の政治参加を忌避していたため、その組織形態を政党とするか否かで争いがあったが、結局は政党より緩やかな院内会派とすることで決着し、八月二二日に「大成会」が成立した(事実上のトップである世話人は旧仙台藩士で伊達銀行頭取でもある増田繁幸)。
自由党に次ぐ衆議院第二勢力となったが、その綱領に「中正不偏」を掲げ、政府の超然主義にも縛られたことや、統制の弱い組織だったため期待されたほど政府を助ける動きはできなかった。
また、大成会の成立までに愛国党や改進党との合同も模索された。
これらは実現しなかったとはいえ、民権派と親政府派との隔たりがさほど大きくなかったことを示唆し、興味深い。
明治一三年一一月二九日、第一回帝国議会が開会した。同日、大日本帝国憲法が施行され、日本の立憲政治がここに始まった。
ちなみに非西洋社会の近代憲法の例としては、これより四年前に公布されたオスマン帝国憲法の例があるが、これは間もなく露土戦争の勃発を理由に停止されている。
議院法では貴衆両院の議長は、それぞれの議院の規則に基づき選任することになっていたが、衆議院では数度にわたる投票の結果、自由党の中島信行が指名された。
貴族院は旧大名、公家、大身旗本などの当主で、三〇歳以上の男子全員が議員となる身分制議会であったが、こちらは話し合いに基づいて旧宇和島藩主の伊達宗城が初代議長となった。
第一議会の焦点は、明治一四年度予算の修正問題であった。
折しも松方財の緊縮下であったが、自由党は地租減税と物価低迷にあえぐ農村の救済予算、改進党は産業振興予算、大成会は軍事費と行政経費の削減と産業振興予算を盛り込むことをそれぞれ求めた。
だがしかし、憲法の条文によれば議会は予算の賛否を示すことはできるが、内容を具体的に修正できることができるか否かは自明ではなかった。
浜田彦蔵内閣法制局長官は、この点を取り上げ、議会に予算修正権がないとの見解を答弁したが(帝国議会議事録)、この答弁は民党のみならず政府寄りの大成会の反発をも呼んだ。
民党は連携し、議会に予算修正権があることを明らかにすべく、大統領に対し枢密院への諮問を請願する構えを見せた。
枢密院は憲法で設けられた大統領の諮問機関で、憲法上の疑義が生じた際に大統領の諮問に応じて審議する権限があった。
大統領がその諮問を行うことを議会が請求できるという法的な根拠はなかったが、政府に対する圧力・揺さぶりにはなり得た。
政府にとって予想外であったのは、民党のみならず政府に好意的と思われた大成会までもが予算修正問題に関しては民党と連帯したことであった。
政府は政権参加を封じられた政党(あるいはそれに類する組織)がいかなる行動に出るかということを予想できていなかった。
憲法上の問題を棚上げにしたまま、議会の空転と予算の不成立という最悪の事態を避けるため、政府は予算の修正審議に応じた。
ある程度の譲歩は避けがたい情勢であったが、政党の要求を全て呑むことは財政的に不可能であった。そこで政府は政党の切り崩し工作に出る。
そのために利用されたのが、政府内に兼ねてよりあった「日本勧業銀行構想」を利用する。
日本勧業銀行が債権を発行して市場から資金を調達。
その資金を企業に低利で貸し付けることで商工業を育成しようとする構想であった。
日本の金融機関が未発達であり、企業への融資が十分にできていないという産業界の声に応えるものであったが、所管を大蔵省か農商省にするかで争いがあったことや、「民業圧迫」という銀行界の反対などがあり、実現できていなかった。
榎本首相は緊縮路線の変更を渋る松方蔵相に対し、勧銀を大蔵省の所管とすることを交換条件にして、勧銀設立のための資金調達を目的とする新規国債発行を認めさせた。
勧銀が発行する債券の大半は市中金融機関が引き受けるが、「当面の間」という留保付きで政府保証がついた。
第一議会が終わった後の話にはなるが、当時デフレ不況下で有望な投資先が少なかったこともあり、勧銀債は民間銀行などを中心に好調の売れ行きであり、当初の予定以上の額が発行された。
その資金は民間企業に融資され、松方財政後の終了と相まって好景気の一因となった。
また、勧銀の融資先には農業も含まれていたため、農村救済の効果もあった。
大成会が要求した軍事費及び行政経費の削減のうち、行政経費については各省の会計局を会計課へと格下げするなどの組織変更で応じた(これについては、予算のために官制を変更するのは本末転倒であると大久保利通に批判されている)。
ただし、軍事費の削減については拒否した。
榎本内閣のこれらの譲歩により、大成会と改進党は予算案に賛成する見込みとなった。
この当時の議席構成は自由党一一五、大成会七九、改進党四三、諸派・無所属六三であり、政府が予算を成立させるためには、諸派・無所属の議員を抱き込むか、自由党を賛成に転じさせる必要があった。
その自由党であるが、政府の譲歩を受け容れ、予算案に賛成するべきとする一派と、地租減税が盛り込まれない限り賛成すべきではないという一派があった。
前者は旧愛国公党系(土佐派)の議員が中心であり、後者は旧関東倶楽部系(関東派)、旧九州同志連合会系(九州派)の議員たちが主であった。
自由党は党内を統一できないまま、予算案の採決を迎える。会期末間際の明治一四(一八八一)年三月二日、明治一四年度予算案は二〇一対九九の賛成多数で衆議院を通過した。この時点で会期は五日しか残っておらず、貴族院では実質的な審議は行われなかった。
一時は不成立も危ぶまれた予算が結果的に圧倒的な賛成多数で成立したのには、土壇場で自由党土佐派が賛成に転じたことが大きかった。
「土佐派の裏切り」とも呼ばれるこの行動の背景には、内閣機密費を用いた政府の買収工作の存在を指摘する向きもある。
だが、それ以上に大きかったことは、政府と自由党土佐派が反目し合いながらも、根底のところでは、ある種の「危機感」を共有していたことが大きかったのではないかと、筆者は考える。
第一議会は日本において憲政が機能するかどうかの試金石であり、列強の注視するところでもあった。
列強諸国から「憲政落第国」の烙印を押されぬために、政府も解散や予算不成立という事態を避けるべく、「弱腰」と言われるまでの譲歩を行った。
板垣を始め、政府高官の経験者も多い土佐派では、榎本首相以下、政府首脳部が抱いていた「危機感」を明示しないままに共有していたのではないだろうか。
とにもかくにも政府は、というより日本は立憲政治の最初の関門を何とかクリアした。
憲法制定にも協力したイギリス人法律顧問のヴィシーは、県政の先行きを危ぶむ榎本首相に対して「心配はいらない。どこの国でも最初はこんなものだ。憲政への理解と知識が進み、議会と政府が互いの権利・義務を自覚すれば自ずと安定化するだろう」と励ました。
しかし、その日がいつ来るのか、いまだ見通せる者はだれもいなかった。
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