第四議会の「痛み分け」

 地方官の大粛清が行われ、黒田内閣の総辞職が既定路線となっていた明治一五年八月、水面下で後継首班の選定が行われていた。

 引き続き厳しい議会運営が予想される中、後継首班には首相経験者、もしくはそれに準ずるほどの大物が求められたことで、候補は事実上、勝、榎本、大久保の三者に絞られた。

 このうち、榎本は黒田内閣の副総理格で責任の一端があるということで外れ、次に大久保も薩摩が続くということで除外されたことで、後継首班は勝と決した。

 

 組閣にあたっては榎本と大久保が入閣し、勝・大久保・榎本による三頭内閣を樹立する方針とされた(徳川慶喜・松平慶永宛書簡)。

 第二次勝内閣は大久保を内相、榎本を外相とし、松方を蔵相、西郷を陸相、佐藤政養を海相に据えるなど、第一次勝内閣を彷彿とさせる陣容であったが、新聞はこれを「元勲総出」と評した。

 

 勝、大久保、榎本の三者は、もはや年度の半分が過ぎようとしている一五年度予算は諦め、一六年度予算成立に向けて注力することで合意した(勝義邦・徳川慶喜宛書簡)。

 そのためには民党との協力が仏用不可欠であったが、朝鮮半島をめぐる緊張のなかで、国を挙げて清と対峙する空気が醸成されつつあるのが希望であった。

 

 第四議会は明治一五年一一月二九日に開会した。

 会期冒頭、政府は明治一六年度予算案を提出。これにより、明治一五年度予算は憲政史上唯一の「未成立の予算」となった。

 

 一六年度予算案の目玉は軍備拡張、とりわけ海軍の拡充であった。

 一方で「民力休養」を掲げる民党側は、海軍拡張費を全面削除し、代わりに減税や行政整理を盛り込んだ修正を行い、この修正案が衆議院を通過した。

 これを受けて政府内には貴族院に政府原案を可決するように働きかけ、衆議院との全面対決を主張する向きもあったが、再度の予算不成立を恐れた政府は、民党との交渉を選択する。

 

 この交渉には幕臣時代の勝の弟子で、実業家に転身していた坂本龍馬や大久保側近の伊藤博文らが中心となってあたった。

 年をまたいだ交渉の末、「政府が貴族院に再度の予算修正を働きかけ、その場合に開かれる両院協議会で衆議院側が再修正案に合意する」という段取りが合意された。

 また、各省の会計局を会計課に格下げするなどの行政機構を簡素化する法案も提出された。

 

 これを受けて政府は、貴族院に海軍拡張費の削減、官吏俸給の一割減を盛り込んだ政府案と民党案を折衷した予算修正を働きかける。

 華族で構成され、保守的な傾向の強かった貴族院では政府原案を可決すべきとする意見が優勢であったが、最終的に二票差で折衷案が可決された。

 これを受けて開かれた両院協議会で折衷案が合意され、明治一六年度予算案は、閉会二日前の明治一六(一八八三)年二月二六日に成立した。

 

 総額で政府原案から一割減の予算であった。

 政府としては海軍拡張費を大幅に削減さざるを得ず、また行政機構の整理と官吏俸給の削減を呑むことになった。

 また民党側も一定程度要求を通すことに成功した一方で、減税や産業振興予算を勝ち取ることはできなかった。

 一六年度予算は、「再びの予算不成立を避ける」という両者の理性がもたらした、「痛み分け」の産物といえよう。

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