ヒトラーの個人史―ナチスの創設と二五ヶ条綱領―
ドイツ労働者党へ入党し、本格的に政治の世界へと足を踏み入れたヒトラーであったが、彼の入党当時、同党はいまだ本格的に政治活動を展開できる状態になかった。
党組織ができていなかったこともあるが、創設者のドレクスラーとハラーの両人とも今後の活動や、党のあり方について明確なヴィジョンを持っていなかったのである。
こうした状況の中で党の中で重きを占めることになったのが、入党と同時に党幹部に名を連ねることになったヒトラーである。
彼は軍人時代の経験から、組織運営や教宣活動のノウハウを持っており、それを活かしてドイツ労働者党の組織整備で主導的な役割を果たすことができた。
中でも持ち前の演説能力で新規党員の獲得と組織化に多大な貢献をした。
だが、入党間もない新参者が党にとって欠くべからざる存在になるという歪さは、軋轢を引き起こすことになる。
ヒトラーの前に立ちふさがったのは、ハラーである。
彼は、ドイツ労働者党を公然の政党というより、秘密結社的な組織として、それも自身の出身母体であるトウーレ協会を中心としたネットワークの一部として位置づけようとしていた。
故にヒトラーが推進していた大々的な宣伝活動や新規党員の獲得にも批判的であり、度々妨害を加えた。
そのためヒトラーは、ドレクスラーと協力してハラーとその一派を離党に追いこんだ。
ドイツ労働者党が自主独立路線を選択したことを明確にするため、ドレクスラーとヒトラーは党名をドイツ労働者党から「国家社会主義労働者党」(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)、通称“NASDAP”(ナチス)に改称した。
ここに初めて歴史上に「ナチス」の名前が登場した。
一九二〇年二月二四日のことである。
党名の変更と併せて、ナチスは党の綱領として「二五ヶ条綱領」を発表した。
ヒトラーはこの綱領の策定に携わっていないが、党名変更と綱領を二〇〇〇人の聴衆の前で発表したのは彼だった。
華々しく発表された割には、二五ヶ条綱領の内容は体系的でなく、文言も洗練されているとは言い難い。
これは同綱領があくまで暫定的なものとして位置づけられていたことによるところが大きい。
しかし、たとえ暫定帝的なものであったとしても、草創期のナチスがどのような思想の下に行動しようとしていたのかを、うかがい知ることができる。
まず、第一条から三条までは大ドイツ主義にストックホルム条約破毀、それに海外領土の再復である。
第四条からは国民の権利・義務であるが、ユダヤ人の扱いが注目される。
ドイツ国民となることができるのは、「ドイツ人の血を引く者」に限られるとされ、ユダヤ人はドイツ人の血を引かないが故に、未来永劫外国人として扱われるとされた。
第一一条からは「公益」に関する主張が続く。
その中身は不労所得廃止、利子奴隷制打破、戦時利得の没収、トラスト企業の国有化、大企業の利益を広く国民へ分配すること、さらには公益のための無償での土地収用など、「国家
第一九条以降は雑多な内容の寄せ集めである。
「唯物主義的世界観への奉仕」、新聞等のメディアからのユダヤ人排除、キリスト教の尊重、民主政治を廃し、少数のエリートによる統治への移行などが書かれている。
二五ヶ条綱領を見ると、ナチスが独裁体制を確立した後、その内容がほぼ忠実に実行されたことに気づく。
また、中間層や貧困層の利益となる政策が掲げられており、保守層への訴求も考慮されている。彼らは後のナチス政権の支持基盤であった。
また、たいていのドイツ人(あるいは欧米人)が大なり小なり抱いていた反ユダヤ感情を刺激する内容でもあり、まさに「ナチス」的イデオロギーの原型が早くも示されているといえるだろう。
党の主流派となることに成功したヒトラーは宣伝活動を通じての党勢拡大をさらに加速させる。
若くて見栄えのよい党員たちを軍隊の制服を模した服装で市内をパレードさせたり、赤を基調にしたポスターなど、後々までナチスを特徴づける宣伝活動がすでに表れているが、その主たるものは、ビアホールでの政治集会であった。
政治集会での主な弁士はヒトラー自身であったが、その演説の特徴は、国内外を取り巻く、政治、経済、外交の複雑な情勢を善悪の単純な二項対立に落とし込むことにあった。
彼の演説の中で善玉は、常に一般のドイツ人であり、悪玉はユダヤ人、旧連合諸国、社会主義者、それに三党連合の与党政治家などであった。
自分たちが常に「善」であり、それを苦しめる「悪」がいるという単純な世界観は、ビールによる酩酊と相まって、経済的な苦境に苦しみ、祖国の威信低下で自信を喪失する人々を熱狂させた。
また、ナチスの集会にはユダヤ人の入場は禁じられたが、それ以外の対立党派の人間は敢えて招き入れられることがあった。
その場合、対立党派の人間は挑発され、最後はたいてい乱闘騒ぎになった。
そして、翌朝の新聞に載るのが常であった。
「悪名は無明に勝る」の言葉通り、こうした「炎上商法」的な手法もナチスの知名度拡大にむしろ貢献した。
また、ヒトラーの活動にはマイヤー大尉を通じた軍の支援もあった。
それは活動資金の提供などの他に、地元の名士の紹介などもあった。
こうしてヒトラーに会った地元の資本家などの中には、ヒトラーに心酔し、多額の寄付を申し出る者も少なくなかったとされる。
ヒトラーを通じての資金は、草創期のナチスにとって重要な財源となった。
こうしてヒトラーはナチスにとって欠くべからざる人物となっていく。
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