大統領・内閣制度の創設

 明治八(一八七五)年一二月、太政官布告にて「大統領官制」および「内閣官制」が公布され、大統領・内閣制度が創設された。

 これによって明治維新以来、三職制→七官制→二官六省制→三院制と猫の目のように変遷してきた政府機構は、一応の完成を見た。


 明治維新というのはつまり、端的に言えば徳川の権力独占を廃し、広く公議へと解放することであった。

 「公議」という言葉は、時代により文脈により指し示すものが大きく変わる言葉ではあったが、この場合には「徳川を含む諸侯」、「公家」、「その家臣たち」、さらに一部の有力商人や豪農といった「良民たち」を指し示すと理解してよいだろう(その結束の象徴として天皇が存在する)。

 

 故に維新後の統治機構の設計にあたっては特定の勢力の権力独占、幕府の復活阻止ということに対してもっとも注意が払われた。

 故に立法機関のみならず行政機関においても合議が重視され、権力の集中が避けられた。

 

 たとえば、三院制を例にとれば、政府の最高意思決定機関である正院は、太政大臣(近衛忠熈)、左大臣(島津久光)、右大臣(松平慶永)、内大臣(徳川慶喜)、参議(岩倉具視、勝義邦、西郷隆盛、大隈重信、由利公正)によって構成されていた。

 太政大臣は形式上正院のトップであったが、彼ひとりで何かを決することはできず、必ず左右大臣と内大臣に参議を加えた合議によることとされていた。

 

 また、正院の下には各省が置かれていたが、これらにも別に省卿が置かれており、正院内部、あるいは正院と各省卿の意見対立が起こり、政治はしばしば停滞した(後に参議と省卿が兼任されることで改善は見られた)。

 

 内外に課題が山積する中、こうした非効率は国を亡ぼす端緒となりかねず、迅速に意思決定をなし得る行政機構を望む声が強く、大統領・内閣制の創設は、それに応えたものであったといえる。

 

 だが、一方で権力の過度な集中は避けねばならなかった。

 そこで内閣が法案、予算案、条約などを立法機関たる元老院(議会の創設まで臨時に置かれた左院の後身。元大名、公家、高級官僚、学識者、有力商人や富農によって構成された)に諮る際には、大統領の承認を要するとした。

 大統領は内閣の提案を拒否することもできるが、自ら法案や予算案を提出することはできない。

 

 また、内閣の長たる総理大臣は大統領の推薦に基づき、天皇によって任命されるとした。

 大統領は必要であればその推薦を取り消して総理大臣を解任することもできた。

 

 内閣総理大臣は、閣僚の職務を監督し、自由に任免することがでるなど、協力な権限を有していたが、その権力は大統領の掣肘を受けた。

 世界でも稀な君主と大統領が同時に存在する政体は、「権力の集中排除」と「意思決定の迅速化」という二律背反に対する、明治政府の苦心の回答であったといえよう。

 

 行政機構はひとまず列強並みにすることができたが、まだ十分ではなかった。

 列強諸国に自分たちの同等の「文明国」であると認めさせ、悲願の条約改正を達成するには、議会と憲法が必要であった(司法機関についてはこの年の二月に大審院が発足しており、一応の体裁は整っていた)。

 明治四(一八七〇)年に出された「立憲政体樹立の詔」で公約された期限まであと五年であった。

 

 初代大統領には徳川慶喜、内閣総理大臣には勝義邦が就いたが、政権の陣容は以下のとおりである。


大統領        徳川慶喜(旧幕)

副大統領       松平慶永(越前)

大統領書記官長      西周(旧幕)


内閣総理大臣   勝義邦(旧幕)

外務大臣   榎本武揚(旧幕)

大蔵大臣   由利公正(越前)

内務大臣   大久保利通(薩摩)

陸軍大臣   西郷従道(薩摩)

海軍大臣   佐藤政養(旧幕)

警察大臣   川路利良(薩摩)

農商務大臣   大隈重信(肥前)

司法大臣   板垣退助(土佐)

文部大臣   岩倉具視(公家)

逓信大臣         前島密(旧幕)

内閣書記官長(準閣僚)   伊東巳代治(肥前)

内閣法制局長官(準閣僚)  津田真道(旧幕)

開拓使長官(準閣僚)   黒田清隆(薩摩)

 

 首相を含む閣僚の構成は旧幕四、薩摩三、越前・肥前・土佐・公家各一である。 

 薩摩は旧幕より一つ少ないものの、内相、陸相、警相といずれも一級ポストであり、全体として最有力藩閥である旧幕と薩摩を中心とした藩閥均衡型人事であるといえる。

 こうした傾向は初期の内閣に共通してみられる特徴である。 

 

 鳴り物入りで発足した新体制は、内に廃刀令や秩禄処分(士族に支給されていた俸禄を廃止し、代わりに一時金として公債を支給する改革)を実施し、外交においてもホノルル条約(日米間の太平洋における勢力境界とハワイ王国の中立化を定めた)を結ぶなど、期待通りの成果を挙げていった。

 だがしかし、その真価を試される事件が間もなく起こる。

 明治一〇(一八七七)年一月に勃発した「西南戦争」である。

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