第4話 難癖

「うう。頭が割れそう。肩も凝ったし、疲れたあ」

 リーアはソファにダイブして身を投げ出すと足をバタバタさせる。スラリと伸びる形のいい太ももより先が見えそうになって俺はついと視線を逸らした。

 リーアは朝からずっと魔法関連の知識を問う試験を受けて帰ってきたばかりだ。

 ソウルペブルの大きさから言っても、リーアの魔法に関する潜在能力は高い。しかし、田舎町の出身で、引退した魔術師からいくつかの魔法を習っただけで、体系的に学んだわけではなかった。

 帝都住まいの貴族や裕福な商人の子弟と異なり、幼少から専門的な教育を受けられる機会には恵まれていない。

 それでも基本的な魔法といくつかのより高度なものにリーアは習熟していた。

「ねえ、お兄ちゃん。マッサージして」

 腕をついて身を起こしたリーアが振り返りながら甘えた声を出す。

「制服のままだとシワになるぞ」

「ということは着替えればいいのね?」

 リーアはソファからぱっと立ち上がった。

「着替え終わったら呼ぶから来て。すぐに終わるから」

 スカートを翻して走り寝室へと消える。

 ふう。さすがにもう俺の目の前で着替えようとはしないか。ホッとするような残念な気持ちで待っていると声がかかる。

「いいよー」

 寝室を覗くと夜着にしているゆったりとした貫頭衣に着替えたリーアがベッドにちょこんと座っていた。

「今日は別に走りすぎて腰や脚が張ってるわけじゃないだろ。そこじゃやりにくい」

「はーい」

 リビングに出てきたのでテーブルと対になっている椅子に腰かけさせる。

 試験のときに垂れ下がってくるのが邪魔だからと、まとめていたシンプルな髪留めを外す。サラリと艶やかな髪が伸びた。

 リーアの後ろに立つと頭頂部からゆっくりと指の腹で押していく。

 滑らかな髪をよけるようにして地肌を親指で刺激する。後頭部にかかると固くなっているのが指先から伝わってきた。

 丁寧にもみほぐす。

 それから首筋、肩へとマッサージを続けていった。

 リーアの体が急にがくんとなった。慌てて肩をつかんで支えてやる。

「どうした?」

「はにゃあ。気持ちよくていつの間にか寝ちゃったみたい」

「なんだよ驚かせるなよ」

「ベッドならそのまま寝ちゃったかも」

「そんなことを言ってるけど、夕飯はこれからだぞ」

「うーん、眠いから今日はもういいや。頭は疲れたけど体を動かしたわけじゃないからそんなにお腹は減っていないし。お兄ちゃん、ありがとう。首から上がすっかり軽くなったあ。お休み~」

 リーアはフラフラした足取りで寝室に向かった。

「あ、お兄ちゃんは遠慮しないでちゃんと食べてきてね」

 背中越しに言い置いて寝室のドアがぱたんと閉まる。

 さてどうしようか?

 日中はリーアがおらず暇なので俺はぐだぐだしていた。

 それでもいつもの体の鍛錬はしたし、マッサージをするので力を使ったせいか食欲は十分にあった。

 このまま寝ようと思えば寝れなくもないが、無料で提供されることだし、軽く何か食べてこよう。

 部屋を出て人気の無い廊下に出る。

 まだ三階の他の部屋にはほとんど入寮生が居ないようだ。

 日中に人型人工義体のラクアに質問してみたが、入学のための資質を確認する試験の成績順に部屋が割り当てられるとのことで、三階の部屋はほとんどが帝都住まいの貴族の子弟が入る予定らしい。

 俺たちのように地方から出てくるわけでは無いので、入学式ぎりぎりまで自宅で過ごすそうだ。

 確かに俺たちからすれば結構立派に感じられる施設も貴族からすれば壮麗さに欠ける空間なのだろう。

 食堂で下々の者と一堂に会して一緒に食事するというのも避けたいのかもしれない。自宅の方が豪華な料理も出るだろうしな。

 俺は廊下を少し歩いて中央部分まで来た。

 天蓋の内側に施された浮彫が一階から見たときよりもはっきりと見える。

 髪の毛を赤、黄、緑、青、茶に塗られた数人の魔術師の姿が浮かんでいた。

 歴代の高名な魔術師の姿をかたどったものらしい。

 いずれこの場所にリーアも仲間入りするのかもしれない。

 視線を下ろして階段へと向かった。

 俺一人では浮遊床という便利なものは使えない。

 壁沿いをぐるりと巡る階段を使って下りていく。

 二階を通り一階まで下りると結構な段数だった。

 一階の扉の前に立つと首から下げたアグレットが微かに震える。すると、扉が左右にさっと開いた。

 向かって右手の入口の扉も同様に開けて食堂に入る。

 いい香りが鼻をうって食欲を刺激した。

 入ってすぐの配膳台のところでトレイを取って順に回っていく。

 スープ、主菜、副菜にパンと飲み物。

 飲み物以外は一種類しかなく自分の好きなものを選ぶことはできない。選ぶことはできないが、魔術師たるもの体をきちんと作らなくてはならないということなのか、主菜には必ず肉か魚がついた。

 俺たちの実家はごく普通の経済状態だったので、三食に困るということは無かったが、必ず肉か魚の皿が出たかというとそうでもない。

 今日の主菜は分厚い肉を焼いたものだった。

 顔見知りになったおばさんが声をかけてくる。

「今日は魔術師見習い様と一緒じゃないのかい?」

「疲れて寝てます」

「それじゃあ、二つ食べなよ。残したらもったいないだろ」

「遠慮しておきます。さすがにそんなに入らないですよ」

 トレイを持ってテーブルへと移動する。最大五百名入ることのできる食堂のテーブルはがら空きだった。全員そろうようになればすごい光景になりそうだ。

 俺は適当に端の席に座って食べ始めた。

 料理上手な母の作るものに比べると味はやや落ちる気がするが、食べ応えのある肉があるのは嬉しい。

 もぐもぐと肉を噛んでいると後ろから声がかかった。

「おどきなさい」

 振り返ると真っ赤な髪の毛が目立つ若い女性が不機嫌そうに立っていた。魔術師見習いの制服を着ている。勝ち気そうな顔をしていた。

 その後ろには従者の制服を着た男女が控えている。

「他に空いている席がいっぱいあるだろう?」

「いいから、さっさとどくんだよ」

 オーガを一回り小さくしたような体格の男が手近なテーブルに二つ持っていたトレイを置く。

「魔術師見習いのジェシカ様がそこに座ると仰っている。四の五の言っていないで早く立て。なんなら力づくでどかせるぜ」

 リーアに対しての台詞なら梃でも動かないが、今は俺一人だ。

 正直動くのは面倒だが、我を張るほどのことではない。

 俺はすぐに食事を再開できるように肉を刺したままの食器を手放さず、トレイをもう一方の手で持って立ち上がる。

 それがいけなかったらしい。皿がすべってスープ椀に当たり飛沫がテーブルに飛んだ。ビーツを使ったスープだったので汚れが目立つ。

 拭くべきか迷った。

 少し離れたところには共用の台布巾が置いてある。

 とって来てテーブルをきれいにするのはやぶさかではなかった。

 イライラとした魔術師見習いの姿が目に入って席を空けることを優先する。

 俺はトレイと食器を手にして、少し離れたテーブルにさっと移動した。

 ミニオーガがいきり立つ。

「お前わざと汚しやがったな」

「急かすからだ。言いがかりはやめてくれ」

 横柄な態度にさすがにかちんときて言い返した。

 テーブルを拭こうという気持ちもすっかり失せている。

 座りなおした席で食事を再開しようとしたところにミニオーガが足音高くやってきた。

 俺の左手を見て喚く。

「この抜け野郎がいい気になってんじゃねえぞ」

 さすがにカチンときた。

 魔法が使えないことはそれなりに気にしているのだ。

「ここがどこだかよく考えるんだな、トンチキ。騒ぎを起こせばお前の魔術師見習いにも累が及ぶぜ」

「うるせえ!」

 椅子から引き起こされるといきなり頬を殴られた。

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