第13話 仕返し

 俺の目の前に緊張した面持ちで青髪の女が立っている。

 学生寮の一階にある物置の中だった。雑多なものが放り込まれていて、立っていられる場所はほとんどない。

 リーアとジェシカが茶飲み話を始めてしばらくすると、俺に見せたいものがあると言うこの女が、同行を求めたのが事の始まりだった。

 ウォレンはその前に寮監に呼び出されて居なくなっている。

 街中でのトラブルの報告が警備隊からあったらしい。

 最初に呼びに行ったことで報告書に名前があったとのことで、俺たちを代表して連行されていった。

 あまり頭や口を使うのは得意ではなさそうだけど大丈夫だろうか。

 まあ、そんなことは今は気にしていられない。

 魔法学園の職員も常駐している娯楽室で事故も起きないだろうということで、リーアも俺に行ってくるようにと許しを出した。

 そんなわけで、俺はジェシカの従者の女と向かい合っている。

 こんなところに連れ出して一体どういうつもりなのだろうか?

 女の左手にあるソウルぺブルは青い。直径は小指の先の半分ほどで特筆するほどのものではなかった。まあ、俺はまったく無いけどな。

 青系統の魔法は補助的なもので、どちらかというと既にある効果を打ち消すものが多い。俺もそれほど魔法に詳しくはないが、あまり攻撃に向いている系統ではないことぐらいは知っていた。

 女の体つきはほっそりとしている。まあ、胸だけはでかいけど。

 腕力勝負なら俺に対する重大な脅威になるとも思えなかった。

 唯々諾々とついてきたのだが、やってきたのはこんな殺風景な物置である。他に人の気配もなく、多人数で袋叩きにしようというわけでもなさそうだった。

 ご丁寧に鍵までかけた女は床の上に膝を折り、額を床にこすりつける。

「一昨日のご無礼、平にご容赦を願います。いかような罰も甘受しますので、遺恨はこの場限りとして頂きますよう……」

 周囲をきょろきょろと見回してしまう。やはり他に人の気配はなかった。

 ということは、この発言は文字通りと取っていいのだろうか? 良く分かんねえな。

 女は身じろぎもせずずっとそのままでいる。

 俺の方が居心地が悪くなってきた。

「いったいどういう風の吹き回しだ?」

「ですから、我が主共々の非礼をお許しいただきたく、こうしてお願いしております」

「とりあえず、話にくいから立ってくれないか」

 ため息のような息を吐くと女は立ち上がる。床に強く押し付けていたせいか、額が少し赤くなっていた。

 俺が凝視すると女は顔を伏せる。

「俺の名がシグルってのは知っているよな? 名前は何というんだ?」

「キャロルです」

「キャロルさんね。ええと、この場に居るのはジェシカさんに命じられてなんだよな?」

「違います。私の考えです」

「分かんねえな。リーア様とジェシカさんは手打ちをしたんだぜ」

「それはあのお二人の間のことです。しかし、私はシグルさんを侮辱しました。ですので、シグルさん自身のお許しを頂きたいのです」

「ああ、食堂でのことね」

 キャロルは身を震わせた。

 裏路地でのように暴力を振るわれるとでも思ってるのかな? あまりに怯える姿を見て悪戯心が起きる。

「ここで俺も唾でも吐きかけりゃいいのか?」

 キャロルは膝立ちになると顔を仰向けた。

「それで許して頂けるとはなんとお心が広いのでしょう」

 なんか喜んでいるように見えるんだけど、そういう性癖なの? 実は唾を吐きかけられて喜ぶド変態なのか? 見た目はクールなのに被虐嗜好があるとか?

 しかし、許すという言葉が気になるな。

 俺が動かずにいるとキャロルは落胆する。

「やはり、それでは気が済みませんよね。こんなことを言えた立場ではありませんが、どうすれば腹立ちを収めて頂けますか?」

 俺はぼりぼりと頭のうしろをかいた。

「あのさあ、正直言って、何すればいいか分からねえんだわ。一般的にこういう場合にはどういうことするの?」

 キャロルは、驚きの表情になる。

「ほら、俺はずっと南の方から来てて、あんまりこういう風習っての? 分からないんだよ、本当に。だからさ、教えてくれない?」

 キャロルは落ち着かなく目を動かすとためらいがちに言った。

「私に対して、その、何も思うところが無ければ、先ほど平伏した時に頭を踏みにじります」

 うへえ。

「体重をかけるの?」

「全体重をかけるぐらいかと」

「で、思うところがあれば?」

 キャロルは言いよどむ。俺が促すと口を開き小さな声をだした。

「……男が抵抗できない女にすることを」

「はあ」

 それってアレってことだよな。

 思わず視線でキャロルの顔から脚までひと撫でしてしまう。

 まあ、魅力的と言っていい部類には入ると思う。

 さっき叩きのめした三人組なら舌なめずりするのが容易に想像できた。

 俺の目の動きは当然キャロルにも気づかれている。

 二人の間に気まずい沈黙が流れた。

「キャロルさんはそれを受け入れるの?」

「それで命を助けていただけるのでしたら」

「そんな大仰な話なのか?」

「路地での動きを拝見するにシグル様はその気になれば私の命を奪うのはそれほど難しくないでしょう。私は魔法を使う暇もなく打倒されます。このままだといずれシグル様は恨みを募らせるはずです。何かの折に事故に見せかけて殺されるよりは……」

「ちょい待ち。そんなことを言ったら、ウォレンはどうなるんだ?」

「ご存じでしょうか? 学園での授業が始まってしばらくすると、従者同士の腕を競うトーナメントがあります。その時にでも皆の前で腕の一本か二本折れば、名誉も回復できますし気が晴れるのでは? あの体ですし、そういうのには慣れています」

「別に俺が復讐しなくてもいいような気がするが?」

「そうはいきません。シグル様の沽券にかかわります」

「じゃあ、俺がキャロルさんに侮蔑されたままというのは、そんなに不名誉なことなのかな?」

「リーア様とジェシカ様の力関係からするとそういうことになるかと」

「なるほどね。格上の相手からやられっぱなしになるのはいいけど、逆はまずいということなのか。勉強になったよ。ん、待てよ。頭を踏みつけたら目立つ場所に傷が付くから分かるけど、……もう一方の方法じゃ他人には分からなくないか?」

「それはまあ、噂の形で流布するというのもありますし、目立つところに痕をつけるということもあります」

「それ、どちらにしても俺が妹にメチャクチャに嫌がられないか?」

 おっと、うっかり。余計なことを言っちまったぜ。まあ、秘密にしなければいけないことでも無いんだが。

「え?」

 キャロルが絶望的な表情になった。

「シグル様はリーア様のお兄様なのですか……」

「それだと、何か状況が変わるのか?」

 どんよりと昏い目になる。

「あ、説明はいいや。なんとなく分かった。しかし、参ったな。なんかこう、もっと穏便に済ませる方法はないわけ?」

「最初からやり直しますので、思い切り踏みつけてください。額に傷が残るぐらいに」

「女性の顔に傷をつけるのか? だから、それだと妹に嫌われるって」

「そこは後で治療してもらいますので、一時的なものです」

「でも、その傷を他の人に披露するわけだろ。俺にやられたって」

「きちんと仕返しをしたと示すためですので」

「そりゃ無理だ。絶対軽蔑される」

「そこをなんとか」

 キャロルが暴行してくれるようにすがり、俺は拒否する。

 なんだかよく分からない状況になり、物置の中で俺たちは途方に暮れてしまった。

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