第12話 友人

「あら、大変。お兄ちゃん、血が出ているじゃない」

 リーアは今この場で一番大切なことはそれであるかのように目を大きく見開く。

 ここにはもしかしたら死んでしまったかもしれないと不安になるほど身じろぎをしない三人の男と引きつった顔をしているジェシカ達がいる。

 それよりも、歯か何かで傷つけた俺の手の甲の裂傷の方が重要らしい。

 リーアは俺の右手を両手で包むようにすると一声発した。左手の手袋の上に若葉が萌え出づる文様が一瞬だけ浮かび、俺の手の痛みと傷が消える。

 どうやら、少しはリーアも動揺しているらしい。本気を出していた。

 手を引っ込めようとすると両手でつかまれる。

「まだよ。あんな男の茶色い汚い歯で傷ついたんでしょう? 穢れを掃わないと病気になるかもしれないわ」

 リーアは詠唱を始めた。今度は左手の手袋の上に青い渦が浮かび上がる。青色系統の呪文か。きっと清浄の呪文を唱えているのだろう。

 少し時間がかかったが、リーアは口をつぐむと目を開けた。

「はい。これでいいわ」

 そこまでしなくてもとは思うが素直に礼を言う。

「ありがとう」

「いーえ。お兄ちゃんのお陰で守ってもらえたのですもの。これぐらいは当然よ。危ないところだったわ」

 コートの襟をかき合わせて怖かったというように震えてみせる。

「そうだな。確かに危なかった。俺が昏倒させなかったら、こいつらは明日の朝日を拝めなかっただろうからな」

 リーアが雷撃を放つのに必要なのは、ゆっくりと呼吸をするぐらいの間があれば十分だろう。日頃から俺で練習して習熟している成果というものだ。

 そして、雷撃は一直線に飛ぶ。リーアの最大出力で放てば人間の体なら余裕で貫通することを考えると、三人をまとめて倒すことは難しくなかった。

 リーアはほっぺをプッと膨らませる。

「えー。私みたいな可憐な乙女の危機をかっこよく救ったシグルってストーリーにしてあげたのに何が気に入らないのよう」

 いやいや、いざとなれば体の真ん中に黒焦げの穴を作れるのに可憐という表現は合わなくないか?

 とは思ったが口には出さない。

 後方から少し裏返った声がした。

「ちょ、ちょっとどういうことなのよ。治癒の呪文を詠唱無しで行使するなんて。緑色系統は得意なのかもしれないけど、どうしてそんなことができるの?」

 ジェシカがいつの間にか近くまでに来ている。

 ちょうどそこへウォレンが先導して警備兵が駆け込んできた。

「こんなところで何をしている!」

 機先を制してリーアが名乗る。

「魔術師見習いのリーアと申します。ご足労をおかけします」

 ループタイの留めアグレットを取り出してみせる。

 ジェシカが追随した。

「魔術師見習いのジェシカよ」

 これで警備兵の態度が見るからに軟化する。

 恭しく二人に対して頭を下げさえした。

 コートを拾い上げた俺が顛末を説明すると、警備兵たちは途中でさえぎることなく大人しく聞いていた。

 ようやく意識が戻ったがまだぼんやりしている状態の三人組を引き立てていく。

 一応、俺たちも不用意に裏通りに入らないようにとの形式的な注意は受けたが、詰所までの同行も求められない。

 さらに一人残った警備兵が魔法学園まで案内してくれた。

「では、本官はここで失礼します」

 通用門のところで敬礼をすると警備兵は去って行く。

 骸骨兵は落ちくぼんだ眼窩でその動きを追っていた。

 警備兵の帰っていく足取りが妙に速かったのは骸骨兵の側に居たくなかったのかもしれない。

 俺が一歩前に出ると門が少し開き、俺たちは学園の敷地内へと入る。

「あの騒ぎのせいで戻るのが少し遅くなっちゃったね。まだ昼ご飯食べられるかなあ?」

 学生寮の建物を目指しながらリーアはうららかな声で俺に問うた。

「ちょっと、さっきの質問答えてもらってないんだけど……」

 警備兵がいる間は大人しくしていたジェシカが思い出したように言う。

 リーアは食堂への歩みを止めないが、ジェシカの方を振り返った。

「早くしないと食堂が終わっちゃう。その答えはお昼食べながらでいい?」

 ジェシカも昼食抜きになるのは嫌なのか、すぐに了承する。

 混雑の波が引いた食堂の配膳台で料理を受け取ると、誰も座っていないテーブルにリーアは向かう。横並びに座ると向かいにジェシカ一行がやって来た。

「いただきま~す」

 リーアは料理を手に取る。今日の昼のメインメニューは、パンの間に肉、チーズ、野菜、卵を潰したソースを挟んだものだった。両手で持つほどの大きさがあり量もなかなかのものだ。それにスープと数粒の苺がつく。

「歩き回ったせいかお腹が減っちゃった。けっこう美味しいね」

 弾んだ声をあげるリーアの左手をジェシカは凝視していた。パンをつかむのに手袋を外したのでソウルペブルがむき出しになっている。

 口の中のものを飲み込むとリーアは口を開く。

「さっきの質問の答えなんだけど……」

「もういいわ。説明しなくても分かるもの」

 ジェシカはぼうっとした顔でパンを手にしたままだった。目はリーアの手元に吸い寄せられている。

 しばらく何か考え事をしているようだったが、パンを皿に置いた。

 ジェシカは表情を改め胸を張って熱意を込めて言う。

「魔術師見習いリーア。お友達になりましょう」

 突然の宣告にきょとんとするリーアに畳みかけるように続けた。

「ローゼンバーグには慣れていらっしゃらないようですが、ここで生まれ育った私なら色々と案内してあげられますわ」

 あまり興味が無さそうなリーアの様子にジェシカは早口になる。

「お菓子の美味しいお店も二、三知っていましてよ。一見さんはお断りのところも特別にご紹介できるのですけど」

 はじめてリーアが反応した。

「いいの?」

「ええ。先日ちょっとした行き違いから少々非礼なところがあったお詫びですもの」

 ジェシカは懐柔するかのような笑みを浮かべる。

 俺はパンを食べながらリーアが口を開くのを待った。

 まあ、今日の昼食は結構イケる。激しく体を動かしたことを割り引いてもなかなかの味だった。

 さて、リーアはこの突然の提案にどう応じるつもりだろう。

 かなり強烈な手のひら返しで正直なところあまり信用できなかった。

 しかし、この場の主導権は残念ながら俺には無い。

 リーアはチラリと俺に視線を走らせる。

「そう言えば、ジェシカさんの従者の方に警備兵を呼びに行って頂いたお礼がまだでしたね。ありがとうございました」

 リーアは軽く頭を下げた。

「学院内に知り合いも居ませんし、心細かったところです。折角のお申出をお受けいたしますわ」

「申し出を受けてもらえて嬉しいわ。魔術師になれるよう一緒に精進しましょう。何かあったら遠慮なく仰ってくださいね」

 リーアの答えに安心したようにジェシカは食事を始める。

 俺はパンを味わう振りをしながら、ジェシカの思惑を読み解こうと考えた。

 唐突感は拭えないが、リーアのソウルペブルを目にしてからの提案である。

 楽観的に考えれば、リーアを格上と認めたのかもしれない。

 ジェシカは食事の手を止めると新たな提案をした。

「午後、良かったら娯楽室で歓談しませんこと? お互いにもっとよく知りあった方がいいと思うのですけど」

「ええ、喜んで」

 片手をテーブルで見えない位置に下ろしたリーアが俺の腿を軽く叩く。

 その感触は、お兄ちゃんを怪我させた相手なのに勝手に仲直りしてごめんね、と伝えていた。

 リーアがそう判断したのなら俺に否やは無い。

 俺はパンを置くとコップを手にして飲み物を口にする。空いた手でリーアの手をそっとトントンと叩き、気にしていないことを示した。

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