第14話 奇策
「不束者ですが、学園在籍中は誠心誠意仕えさせていただきます。どうかお見捨てになりませぬようお願いいたします」
キャロルが直角になるほど体を折り曲げて頭を下げている。
「よろしく。細かいことはシグルに聞くといいわ」
頭を下げられている相手であるリーアは鷹揚に頷いた。
キャロルの取扱いに結論が出ずいつまでもこうしてはいられないと、一旦保留して談話室に戻ったところ、ジェシカが妙案を出す。
それがリーアへのキャロルの譲渡だった。
元々、リーアは従者を三名まで持つことができる。だから三階に与えられている部屋の作りもそうなっていた。
経済的事情や適任者が居ないということで、実際には俺一人しか従者を置いていなかったが、別に途中から増やしても問題ない。
それで、キャロルが従者になるということの意味だが、実質的にリーアにその生殺与奪の権を与えることに等しい。
従者は制度としては奴隷というわけではない。ただ、魔術師見習いとその従者の関係というのはそれに近いものがあった。
今後何かトラブルがあって、リーアがその責任を問われたとしよう。リーアは代わりに従者に責任を取らせることができる。
今までは当然従者といえば俺しか居ない。だが、今後はキャロルを差し出すことも可能だ。
まあ、何かがきっかけでひどく仲違いでもしない限り、リーアは先にキャロルを選ぶはず。そうあって欲しい。俺よりもキャロルを大事にしたらさすがに泣く。
ということで、俺の残機が一つ増えたわけ。あれ? 残機ってなんだ?
ええと、とにかく俺の身代わりができたということだ。
そのような立場ではあるが、いざという時のために備えておく必要もあり、わざわざ傷つけることはしない。
これで俺の面目を保ちつつ、キャロルに直接えげつないことをせずにすむ。
また、少しやりすぎ感がある従者の譲渡ではあるが、急に手のひらを返したジェシカがリーアと友達付き合いを始めたことを形として知らしめる役割もあった。
雨降って地固まるというやつだ。
やはり、こういう面倒くさい世界の処理の仕方については、大商人の娘ということで、ジェシカは良く知っている。
リーアや俺が上手くいった一方で、従者が減るジェシカが困らないかという点についても問題なかった。
明日の午後には後任が送られてくる手はずになっている。さすが帝都住まいの金持ちは違った。
ジェシカはもうすっかりリーアの取り巻き第一号として振る舞い始めている。
ある意味割り切りがはっきりしていて、格上と認めたリーアの下風に立つことは何の痛痒も感じないらしい。
キャロルの譲渡という儀式を済ませた後も娯楽室でリーアとお茶をしながら寛いでいた。
「ああ、あの日、食堂の席にこだわった理由?」
リーアの質問にも屈託なく答えている。
百年ほど前までは食堂の席も固定で決まっていたらしく、あのとき俺がたまたま座ったところは、有名な赤毛の魔術師が見習い時代に座っていた席らしい。
「やっぱり、憧れの人の席に座って食事をしてみたいでしょ」
「そうね。気持ちは分かるかな。でも、よくそんな昔の魔術師の席順を知ってたわね」
「魔法学院の施設と設備っていう稀覯本が家にあったの。そうだ。リーアの尊敬する魔術師って誰? 今度調べておいてあげる。そうしたらリーアもその席に座れるでしょ」
「そうねえ。じゃあ、折角だしお願いしちゃおうかな。私の尊敬するのは……」
そんな会話をしている二人から少し離れたところで、俺は成り行きで同僚になったジェシカに小声で質問していた。
「なんとか格好がついたようなんだが、一つ聞いていいか? あの日、寮監は俺のメンツが潰れるなんて話教えてくれなかったぜ」
「それはそうでしょう。そこまでの義理はないですし、ジェシカ様のお父様から寄付を受けてますからね。少しでも穏便に収まるように取り計らったのでしょう。今後、人も増えてくればもっと大きな出来事があってうやむやになるもしれませんし」
「なんだかなあ。それじゃあ、俺は寮監に騙されてたのか。だとすると、キャロルも事態を静観してれば良かったんじゃないか?」
「今話を伺うまで、私は寮監がそんなことを言ったのを知りませんでした。それに寮監が気を遣う範囲はあくまでジェシカ様までですから」
「そうか。しかし、寮監に金銭を渡していることを俺に喋っていいのか? あまり大っぴらにできる話でもないんだろ」
「今の主はリーア様です。それにこれぐらいのことはジェシカ様も気になさらないでしょう。ある程度の入学者であれば誰でもやっている話ですから。それに私はお二人の信頼を得なくてはなりません。いつも首に刃が当たっているつもりでいます」
「そりゃ大変だな」
「張本人にそんなに気軽に言われるのはさすがに心外ですね」
「俺が悪いのか?」
「悪いとは言いませんが、シグル様が腕っぷしを隠していたことが大本の原因ですから。それと、リーア様がソウルペブルが見えないようにしていたこと、ソウルぺブルの大きさからリーア様を有力者の御令嬢と勘違いしていたこと、これらが無ければ別の結果になっていたとは思います。まあ、もう過ぎた話ですが」
「俺もリーア様も上流階級のお約束事には疎いんでね。その辺りを気を付けて教えてもらえると助かるよ」
「承知しました。結果的には一番いい形になったのかもしれません」
「そうか?」
「この際ですのではっきり言いますが、ジェシカ様もここで一方のトップになるのは難しかったでしょう。どなたか三階の方のグループに入るほかありません。その意味ではリーア様は多少は補完しあえる部分もあるので、心穏やかに過ごせます。下手に貴族の方の下に納まるよりはよっぽどいいかと」
「となると、リーア様が大変そうだな」
「穏やかな性格で如才ないですから、あまり心配はいらないかと思います。それに私が拝見するに、リーア様の魔法の潜在能力はトップレベルです。下手に争うよりも緩い同盟関係を構築される方がほとんどかと思います。注意を要する方については、ジェシカ様がお耳に入れるでしょう。私も知る限りのことはシグル様にお伝えします」
「その様呼びは辞めないか?」
「当面はそのままの方がよろしいかと思います。シグル様の下についたということをはっきりさせておいた方が筋書きに合っていると思いませんか?」
「めんどくせえな」
「そういう場所なのです。覚悟なさいませ」
実にめんどうくせえ。一見に華やかと見える世界の裏に、始まりもしないうちに俺は少々うんざりしていた。
ジェシカが譲渡の手続きを終わらせるとリーアに従って三階に戻る。
「もう少しお茶が飲みたいわ。少ししたら用意して」
そう言ったリーアが自室に入ると、キャロルはまず空き部屋の一つに私物を納めた。
前室に戻ってくるとキャロルは手を小さな炉に向ける。
短く呪文を唱えた。
炉内の練炭に火がつくと、金属製の可愛らしいポットを乗せる。
俺と違って埋み火を灰の中からいちいち探す必要もない。
他の一般人と同様にキャロルは簡単に火を熾せる。
このことはチクリと劣等感を刺激した。
お湯が沸き手慣れた仕草で茶葉を投入すると、荒い布で漉してカップに注いだ。
お茶を運んでいくと、リーアは満足そうに息を漏らす。
「これは……、キャロル、あなたが?」
「はい。私が準備させていただきました」
「そう。それじゃ、これからはお茶の準備は、キャロルにお願いするわ。シグルは他にも仕事があるから」
俺は仕事が楽になったはずなのに少し淋しい気がした。
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