第2話 帝都ローゼンブルク
帝国の誇る国営郵便馬車に揺られること半月ほどで帝都ローゼンブルクに到着する。役人が公務で移動する際にも使われる国営郵便馬車は、通常は俺のような一般人が乗ることは許されない。
帝国内に出没する
魔王の腹心であるペールライダーは不死と言われており、最も強力な魔法使いでも滅することは不可能とされている。
多大な犠牲を払って一時的に撃退することができても、しばらくすると不気味な青白い光を放つ奴らが再びその姿を現すのだった。
そんな危険な相手からも守られている大層な馬車に俺とリーアが乗れたのは、ひとえにリーアがエリーシャ魔法学院に魔術師見習いとして入学を許されたからである。
エリーシャ魔法学院は帝国一円から選抜された有望な若者に魔法の精髄を教えるための学校だった。
毎年二百名程度が入学を許され、研鑽を積んで卒業している。
卒業生は正式に魔法使いの肩書を名乗ることができ、地位が保証されていた。
もちろん、その地位に責任が伴うが、その分皆から尊敬の念を集めており、誰もが一度は憧れる。
その魔法学院は帝都ローゼンブルクにあった。
俺たちの故郷である南方の小さな町からはそう簡単に訪れることはできない。
生まれて初めて見るローゼンブルクは目を剥くほどにでかく立派だった。
車窓から町の様子を眺めていたリーアが振り返る。
「こんな大きな町に一人で放り出されたら心配のあまりに死んじゃうわ。お兄ちゃんと一緒でほんっとうに良かった」
リーアは俺の左手を両手で握った。
「お兄ちゃんが従者というのは申し訳ない気もするけど、やっぱり一番安心できるもの」
魔法学院の生徒は経済力や身分に応じて、その護衛兼お世話係として最大三人までお付きの者である従者の同行が許されている。
その選定にあたっては色々あったが最終的にリーアの従者には俺が選ばれた。
様々な理由で従者は怪我をしたり、責任を問われて刑罰を受けることがある。
例えば、貴族のお坊ちゃんである魔術師見習い同士がけんかをあそばされたとしよう。一方が怪我をしたときに加害者のお坊ちゃんの責任は当然その従者に転嫁される。ひどい話だ。
ただ、俺としてもリーアの従者になることに異存はなかった。
長い間寝食を共にするので、魔法学院の生徒と従者が恋仲に発展することも珍しくない。
俺が従者になれば、少なくとも遠く離れた地でリーアにそんな相手ができたかどうかやきもきと心配をせずに済む。
また、美貌に目を付けた貴族のドラ息子の魔の手がリーアに伸びることもあるだろう。俺が従者であれば身を挺して守ることもできる。
俺自身はソウルペブルもなく魔法も使えないが、体の頑健さだけは自慢できた。何かあればこの身を差し出せばいい。
まだ子供だった頃、町の近くの森に遊びに出かけて二匹の狼に襲われたことがあった。一緒にいたリーアをかばって前に出てガブガブと噛まれながらも騒ぎを聞きつけた猟師が助けに来てくれるまで耐えきっている。
そしてリーアのソウルぺブルはエメラルドを思わせる深い緑色を帯びた緑潤石と呼ばれているものだ。緑のソウルべブルの持ち主は治癒魔法に優れているので、死にさえしなければなんとかしてくれるはずだ。
馬車はやがて速度を落とし、大きな門の前で止まった。
本来は郵便の詰所にしか停車しない馬車がエリーシャ魔法学院の入学生のためにわざわざ寄り道をしているのだ。
俺は馬車の扉を開けて降りると大きく伸びをする。
安全で快適な乗り心地の馬車とはいえ、長時間乗りっぱなしだと体が強張っていた。
胸いっぱいに大きく息を吸い込む。
故郷からするとかなり北の方にある早春のローゼンブルクは風が冷たかった。
手にしていたコートを羽織ると襟をかき合わせる。
奥から降りてくるリーアに手を差し出した。
冷え性気味のリーアは手袋をしている。
「お兄ちゃん、ありがと」
そういうリーアも外気に体を震わせた。
俺の手を離すとすぐに魔法学院の紋章入りのコートの袖に手を通す。
この姿だともう正式な魔法使いのように立派だった。
兄として晴れがましい気持ちと共にリーアが遠くにいってしまったようにも感じる。
御者たちが馬車の屋根から俺たちの荷物を降ろしてくれた。リーアが入りそうなほど大きな革の旅行鞄が二つと大きな背嚢が一つ。
リーアがお礼を言うと御者の制帽のつばに手を添えた。
道中と同様にリーアに対しては丁寧な態度を崩さない。
軽く頭を下げて馬車に乗り込むと御者が鞭を一つ鳴らす。
ガラガラと馬車が走り去った。
俺は路上の背嚢を背負い、旅行鞄を手に取ろうとする。
「お兄ちゃん。私も一つぐらい持つわよ」
「馬鹿言え。そんなところを他人に見せられるわけがないだろうが」
「それを言うならさあ、私に向かって馬鹿っていうのはどうなの?」
リーアが腕を組むとわざとらしく朱色の唇を尖らせた。
しまった。確かに従者が魔術師見習いに言っていい台詞じゃない。
今日からは魔法学院での生活が始まるのだから、俺も気を引き締めなければいけないな。
そんなことを考えている間に、リーアは両手をひらひらとさせながらゆっくりと上げ呪文を唱えていた。左手の甲の上に青い渦が煌めいている。
最後に大きく手を振って、山のような荷物の上に手をかざした。
「こんな形の手助けなら問題ないでしょ?」
リーアはにこりとしながら俺を振り返る。
俺が大きな旅行鞄に手をかけると、片手ですっと持ち上がった。
軽量化の魔法をかけたらしい。
大の大人が二人がかりで降ろしていた荷物が軽い。なんなら両腕を地面と平行になるぐらいに上げることができた。これなら運ぶのに苦労せずにすむ。
旅行鞄を両手に一つずつ持った。
「リーア、本当に凄いな」
「えへへ。お兄ちゃんが大変だと思って頑張りました」
そして少しつまらなそうな顔をする。
「いつものように頭をなでてもらおうと思ったけど、今は両手が塞がってるね」
「そもそも往来じゃ無理だよ。噂じゃ、あのガーゴイルの両眼を通して表を見張っているらしいぞ」
「仕方ないなあ。じゃあ、それは後でね」
リーアは身体を翻すとガーゴイルが上に鎮座する門にさっさと向かって進んでいく。俺は慌てて追いかけて前に出た。
左右に伸びる高い壁を結んだ見えないラインを越える。
壁から少し引っ込んだ位置にある門の横に立っていた完全武装の骸骨兵が四体そろって俺の方に向きを変えた。
精鋭の騎士に匹敵する腕の持ち主と言われている骸骨兵に襲われたら、俺なんかあっという間に切り刻まれてしまうだろう。もちろん、リーアの身に危害が及ぶというなら命の灯が消えるまで立ちふさがって守るつもりだ。
なにものも宿さない落ちくぼんだ眼窩が八つ俺の首からさげたループタイに注がれる。リーアのものと異なり紐は黄色だ。
俺から視線が逸れると骸骨兵は今度はリーアのループタイに注目した。
二人のループタイのアグレットは俺たちそれぞれの身分を示すものだ。
従者と生徒と認証されたのだろう。骸骨兵は向きを変えると元の待機する姿勢に戻る。
同時に大きな門が軋むことなくこちらに向かって開いた。人が一人通れる幅で動きが止まる。
中に向かってリーアが足を進めた。
「私もアレ欲しいなあ」
「骸骨兵をか? あんなおっかねえものを?」
「うん。そうしたらお兄ちゃんを守ってもらえるでしょ?」
「リーアはどうするんだ?」
「だって、私はお兄ちゃんがいるから」
リーアはそうでしょ、と問いかける顔をする。
正門の荘厳な雰囲気に呑まれそうだった俺の心は、リーアの一言で平静さを取り戻した。
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