第3話 学生寮

「うわ。遠いなあ」

 門の間から敷地に乗り込んだ俺の口からうんざりした声が漏れる。

 生け垣に囲われたエリーシャ魔法学院の立派な建物は視線のかなり先にあった。

 これ歩く距離じゃないだろ、マラソンでもさせるつもりか? なんだ? 今浮かんだマラソンという言葉は?

 戸惑っているとリーアが目をつむり両手を地面に向けていた。

 リーアの足元の地面に複雑な模様が浮かび上がり淡く光る。

「お兄ちゃん。さあ、こっちへ来て」

 近くに行くとリーアが俺の腕をつかんだ。

「マーグレフ」

 足元のしっかりとした感触が消えて慌てる俺の腕をつかむ力が強くなる。

 なんだか川に浮かべた小舟の上に立っているような感覚だった。

「ゴ・ア。ミーレ・ウン・アーニ」

 風を切るようにしてスススと体が前に進んでいく。

「うわ。動いている。え? え?」

「お兄ちゃん。これ浮遊床だから。魔力で浮いて進んでいるの」

 下を見てみると淡く光る帯がまっすぐ伸びていた。

 顔を前に戻すと遠くに見えていた建物がみるみるうちに近づいてきている。

「デク。ターフ」

 建物まで十歩程度のところで止まり、リーアが息を吐くとそっと俺は地面に降り立った。

 今きた道を振り返る。遠くに門が見えた。本当にこの僅かな時間で移動したらしい。

「リーア。繰り返しになるけど、お前、本当に凄いな」

「私はここの設備に適切な言葉をかけただけ」

「そうなのか。俺でも使えるのかな?」

「んー。お兄ちゃんには難しいかな。ちょっとは魔力を使うから」

 リーアはすまなそうにする。

 ですよね。たぶんそうなんだろうなとは思ってました。

「あ、言ってみただけだから気にするな」

 気まずい空気を振り払うようにリーアに向かって言う。

 そのとき、視線の端で何かが動くのをとらえた。

 場違いなところに木でできた人形が置いてあると思っていたが、その大きな人形がこちらに向かって動いている。

 カタンカタンと足音をさせて、すぐそばまで近づいてきた。

 とりあえずリーアを守るように前に出る。

 魔法学院の中にあるものなので、害意はないと思うが用心するに越したことは無い。

 人形は顔に当たる部分にだけ何か光沢のある素材でできたお面をつけている。お面には目と口のようなものが描かれていた。

「新入生の方デスネ。私は案内用人型人工義体の三五八号デス。お二人の部屋に案内シマス」

 語尾が少し変わったイントネーションだったが、お面の後ろから声が聞こえてくる。

 これが人型人工義体というものか。

 噂話には聞いていたが、俺たちの住んでいた町では見たことが無い。

 俺は生まれて初めて見る人型人工義体に感動していた。

 優秀な魔術師によって命を吹き込まれた疑似生命体は確かに俺の目の前に存在している。

 人形がしゃべるという事態に驚いて俺はとっさに声が出なかった。

 初めて見るというのはリーアも同じはずなのだが平然と言葉をかわす。

「よろしく。三五八号さん」

「どうゾ、こちらへ」

 三五八号はくるりと向きを変えると先ほどと同じ音をさせて歩きだし、俺たちはついていった。

 歩くスピードはかなりゆっくりとしている。

 脚の長さはリーアの半分以下しかなく、それ以上速く歩くことはできないらしい。

 三段ほどの低い階段を上がりにくそうにしながら進み三五八号が建物の入口に近づくと、触りもしないのに扉が横にスライドした。

 中に入って扉の裏側を見るが誰もいない。

 横から小声がした。

「お兄ちゃん。あまりキョロキョロしないで。魔法学院なんだから。他では見られないような仕掛けが一杯あるわ」

 お上りさんであることを丸出しにしていることを窘められてしまう。

 おっと、大人しくしていよう。

 玄関ホールを抜けると吹き抜けになっている空間に出た。

 何でもないような表情を取り繕いながら建物の様子を観察する。

 正面に大きな扉があり、その両側に弧を描いて壁沿いを周回している階段があった。上を見上げると丸みを帯びた天蓋になっており、いくつもの窓から柔らかな光が差し込んでいる。

 左右にはずっと廊下が広がっており、その廊下の両側に扉が並んでいた。

 三五八号がカタカタと音をさせながら俺たちの方に向き直る。

「正面の扉を抜けると通路の右に食堂、左に娯楽室ガアリマス。利用時間はそれぞれの入口にある掲示で確認シテクダサイ。通路のその先は教室のある学習棟デス」

 人型人工義体三五八号は腕を左右に振った。

「左右には各学生の居室ガアリマス。魔術師見習いリーア様の部屋は三階の一五号室にナリマス。吹き抜けにある浮遊床はご自由にドウゾ。上で別の者がご案内シマス」

 言うだけ言うと人型人工義体三五八号はカタンカタンと音を立てて外へ出て行く。

 決められた内容をしゃべることしかできないようだ。

 当初、俺が想像したほどは優秀ではないらしい。

「じゃあ、お兄ちゃん行こっか」

 床にある模様のうちの一つを選んでリーアは進んだ。俺が横に並ぶとリーアがつぶやき、それに応じて床が光を帯びるとスルスルと上昇していく。

 二階を通り過ぎて三階で止まると床の光は消えて元の灰色に戻った。

 反対側に向き直り踏み出した床は石がむき出しではなく、分厚い絨毯が引かれている。

 滑らかな動きで別の人型人工義体が進み出た。

「ようこそ。魔術師見習いリーア様。私は人型人工義体のラクアと申します。一年間ここでの生活のお手伝いをさせて頂きます。お見知りおきを願います」

 陶器のような滑らかな肌をした人型人工義体が進み出て胸に手を当てて一礼する。小間使いの着るような衣装を身につけていて、見た目がほとんど人と変わらない。

 目立つ違いがあるとすれば額にはまった小指の先ほどの水晶だった。

「ラクアね。よろしく」

「こちらへどうぞ」

 ラクアは右手の方に歩いていく。八番目の部屋の前で立ち止まった。

「お部屋はこちらになります。部屋の開錠はループタイのアグレットをかざすことで行います」

 俺が進み出てアグレットを示された部分に近づけると、ラクアが扉の取っ手を押して開ける。

「右手に三つありますのが従者のお部屋です。奥がリーア様のお部屋になります。その手前の通路兼前室には小さな炉がありますのでお湯を沸かすぐらいのことはできます。何かありましたら、壁のこちらにアグレットをかざして私をお呼びください。何かご質問はありますか?」

「今はないわ。ありがとう。ラクア」

「どういたしまして」

 一礼するとラクアは部屋を出て行った。

 俺はとりあえず前室に付随する物置と思われるスペースに三つの荷物を降ろす。

 従者の部屋はごく普通の部屋だった。細長い形状でベッドに書き物机と衣装入れがある。実家の俺の部屋と大差ない。ただ窓はごく小さいもので壁に囲われた狭い空間に向かって開いているだけだった。

 同じような部屋があと二つ並んでいる。

 奥の部屋の開きっぱなしの扉をノックした。

「お兄ちゃん。見て」

 俺の部屋の二倍はある部屋には、明らかに俺の部屋より洗練されており、ソファやローテーブルなどの調度品が置いてある。奥側には窓があり、バルコニーに出られるようになっていた。

 どうも奥には別に寝室があるらしい。

 バルコニーからは学園のだだっ広い広場の向う側に街並みが広がっているのが見える。宿舎は三階建てだが、一階あたりの高さがあるらしく、ほとんどの建物はこちらより低く見えた。

 赤瓦で統一された街並みは美しい。さすがは繁栄を誇る帝都というべき壮観さだった。

「それじゃあ、荷ほどきをしようか」

「そうね。早く片付けちゃった方が気が楽だものね」

 二人で荷物を取り出して片付ける。

 結構な量があって大変だったが、これからのリーアとの生活への期待を胸に作業を終えた。

 

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