無断転生

新巻へもん

第1話 夢か現か

 どがっ。

 頬を殴られてふらつく。態勢を立て直そうとする後ろから別の人間に何か硬いもので背中を強打された。

 俺を殴った人間が腹に蹴りを入れてくる。

「おらっ。大人しくしろよ」

 俺を痛めつけていた男が場所を空けた。

 代わりに昏い目をした少年が俺の前にやってくる。

 申し訳なさそうな顔をしていた。

 本当はこんなことをしたくない、ということを目がありありと語っている。

 その手には口に布を詰めた容器を持っていた。反対の手には四角い金属製のもの。

 少年が指を動かすと金属の箱の先に魔法のように火が現れ、布にその火をつける。

 本能が危険だと告げていた。

 くそ、まじかよ。

 こいつら本気で俺を殺りにきているのか?

 橋の下には十数人がいる。手に得物を持って俺を取り囲んでいた。

 先ほど俺を蹴った男が気色の悪い笑みを浮かべる。

「俺は警告したぜ。早乙女は俺の女だって。やれ!」

 瓶を手にした少年が素早く俺の足元にそれを投げつけた。ガシャンと瓶が割れて中身が飛び散る。一気に火が燃え上がった。

 俺のズボンに引火する。

 炎が俺の身を焼き、その熱が耐えがたいほどの……。

 突然何も見えなくなり、どこからともなく声が聞こえた。

「ではまた会おうぞ」

 言葉遣いとアンバランスな少し舌足らずな音程が高めの声が聞こえ、その正体を確かめる間もなく意識を失った。


 ***


「お兄ちゃん。どうしたの?」

 涼やかな声に目を開けると、薄明かりの中で心配そうな瞳が俺を見おろしていた。つやつやとした緑色の髪の毛がはらりと目にかかるのを耳にかきあげる。

 大きな潤んだような瞳が憂いをたたえていた。

 形がよく色つやの良い唇が開かれ、美少女が鈴を鳴らすような声で言葉を重ねる。

「お兄ちゃん。大丈夫? 酷い汗だけど」

 手が伸びてきてアイロンのきいた真っ白なハンカチが俺の顔に押し当てられた。

 お兄ちゃん? 俺をそんなふうに呼ぶこの女の子は誰だ?

 混乱したのは一瞬だった。

 もちろん、俺の妹のリーアに決まっている。一つ違いの俺の最愛の妹。

 俺は汗を拭いてくれているリーアの手を握った。

 すべすべとして滑らかな肌触りが心地よい。

「いいよ。折角のハンカチが濡れちゃうぞ」

「いいもん。そんなこと気にしないわ」

「ありがとう。でも、もう大丈夫だから」

 俺は完全には夢から覚醒していなかったが、なんとか頬の筋肉を動かして口角を上げる。

「そお? ならいいけど」

 リーアは俺の言葉を確かめるかのように観察していたが、ハンカチを畳んでポケットにしまった。

 すっと屈んでいた身を起こすと律動的な動きで窓際に行きカーテンを開ける。

 朝の柔らかな光が部屋の中に入ってきた。

 俺の近くまで戻ってくると、リーアははにかみながらクルリとその場で一回転する。

 ふわりと流れる長い髪が日差しを受けて光り、まるで緑のスカーフを広げたように見えた。

 俺に向き直るとリーアは小首を傾げながら胸の下で手の指を組み、視線を斜め下の床に向けてモジモジとする。

「ねえどうかな? 似合ってる?」

 襟元にレースをあしらった白いシャツの上で赤い紐のループタイが金属性の留め金アグレットで留められていた。濃紺のジャケットに同色のフレアスカートを穿いている。

 ウェストを絞ったデザインなので女性らしい曲線が強調されていた。

 元々スタイルのいいリーアの魅力を十分に引き出している。

 思わずじっと見とれてしまった。

 リーアはループタイの紐に左手の指を絡めてくるくると回す。手の甲の真円形の魂石ソウルペブルがその動きにつられて光を放った。

 掌の三分の二ほどを占める大きさのソウルペブル。この町にはこれほどの大きさのものを持つ者は他にいない。

 魔力を練り魔法を顕現させるために必要なソウルペブルはその大きさが行使できる魔法の力や回数に比例し、形が整っているほどより効果を発揮する。

 つまり、リーアはこの町で誰よりも魔法に秀でていることを意味していた。

 俺はチラと自分の左手に視線を移し、すぐにリーアに戻す。

 何かを期待して上目遣いで佇んでいるリーアはとても可愛らしかった。

 その様子は起き抜けの生理現象に拍車をかける。

 鎮まれ、俺のマグナム。

 いえ、嘘です。俺のはそんなに大きくはありません。

 ん? なんだ。マグナムって?

 謎の単語が脳裏に去来して混乱し、俺は目をつぶって頭を振る。

「どうしたの? やっぱり具合が悪いんじゃない?」

 リーアが心配そうな顔で近づいてきた。

「ああ、大丈夫だから。エリーシャ魔法学院の制服が似合い過ぎていて眩しかっただけだ。リーアほどその服が似合う子は居ないと思うよ」

 憂いを含んでいたリーアの顔がぱっと輝く。

「そお?」

「本当さ。誰が見てもそう思うに違いない。きっとその制服はリーアのためにあつらえられたんだよ」

「もう。お兄ちゃんったら。そういうセリフは他の子に言ったらだめだからね。でも、ありがと」

 そこに階下から母さんの大きな声がする。

「シグル、リーア。何やってるの? 早く降りてらっしゃい。せっかくの朝食が冷めちゃうわよ」

「はーい。すぐ行きまーす」

 リーアはよく通る声で返事をした。

「それじゃ、お兄ちゃんも早く着替えて降りてきてね。お母さん、朝から張り切ったみたいよ。しばらく私の美味しい食事が食べられなくなるんだから、って言っていたわ」

「昨日の夜もあれだけご馳走を並べたのにかい?」

「うん。だから早くした方がいいよ。お母さん怒らせたくないでしょ? 具合が良くないんだったら、私が着替えるのを手伝ってあげようか?」

 両手の指を広げたり縮めたりしながらリーアは悪い笑みを浮かべる。

「なあ、リーア。冗談でもそういうのはやめろよ」

「いーじゃん。兄妹なんだし」

「魔法学院には良いところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが一杯いるんだ。これだから常識のない平民は、って思われたくないだろ?」

「んー。実際平民だし、そんなふうに思われても気にしないけど。まあ、いいや。母さん怒らせたくないから、私先に降りているね」

 リーアは身を翻すと扉のところまで進みぱっと振り返る。

「早く着替えて降りてこないと、いつものようにお仕置きしちゃうぞ」

 左手のソウルペブルをひらめかせ、きゅっと笑うと部屋を出て行った。

 一気に部屋の中の明るさが消えた気分になる。

 俺は深呼吸をしてリーアの残していった香りを吸い込んだ。甘い果物を思わせる爽やかな匂いが胸に満ちる。

 ああ、なんといい香りだろう。

 しかし幸せな気分はすぐに消え、妹に欲情してしまう己の変態ぶりが嫌になった。

 でも、リーアと比べてしまうと他の女性は色あせてしまう。容色、能力、性格と三つともがこれほど揃った人を俺は知らない。

 偉そうに女性を評しているが、逆に世の女性からの俺に対しての評価も厳しいものだろう。先ほど挙げた三つのもののうち、他の二つはともかく能力の点は最低値に違いない。

 通常は誰もが手に持っているソウルぺブル。毛先の点ほどの大きさのものすらない自分の左手を見て盛大にため息をつく。

 誰もが使える魔法の能力を有しない「能無し」シグルという陰口を言う奴は多くは無い。

 ただ、田舎ののどかな町とはいえ、住民の全員が仲良しこよしというわけにはいかなかった。俺とリーアの兄妹仲が良すぎることが気に入らない者もいる。

 そういう連中は俺のことを裏でこそこそと馬鹿にしていた。

 まあ、俺が魔法を使えないということは、残念ながら紛れもない事実ではある。

 上半身を起こして精神を集中し呪文を唱え、左手の指先を昨夜並べておいた着替えの方に向けた。

 小さく軽いものを、ということで、黄色いループタイを俺の方に引き寄せようとするがぴくりとも動かない。

 まあ、十歳の子供でもできる火おこしすらできない俺に物体の引き寄せができるはずが無かった。

 もう慣れっこになって失望の念すら起きず、いつものように肩をすくめる。

 しぶしぶベッドから起き上がると、俺は夜着を脱ぎ捨てて、枕元に揃えてあるくすんだ白い服に手を伸ばした。


 ***


 初日は3話公開します。

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