第34話 汎神殿
ボーネルン学園長のところに乗り込んだ翌日、俺は汎神殿にやってきている。
面談ではかなり肝を冷やす場面もあったのだが、もう思い出したくない。結論から言うと俺への暴行はあの教師二名の独断によるものだった。
ただ、問題なのが、そうなるに至った原因が二人が神託を受けていたからというもの。
正確には五柱のうちの武神ナーラルダ様からの命だったということで、それでは放置できないと、全ての神を祀る汎神殿で俺がお伺いをたててこいという話になったのだった。
色んな神様に一遍にご挨拶ができるというのは便利な建物ではある。
ただ、八百万の神がいらっしゃっても神社ごとに祭神が異なる日本出身の俺としては少々違和感がなくはない。
神在月の出雲大社が常設されているようなものかと自らを納得させた。
汎神殿は帝都ローゼンブルクの郊外にある幽玄な雰囲気漂う丘陵地にある。
馬車を使って半日で行って帰ってこれるぐらいの距離にあった。
行ってこいと命じられたのは俺だけだったが、地下訓練場の点検のために再度の実地試験ができないリーア他四名も馬車に同乗している。
「そんな俺一人でいいのに、って顔をしなくてもいいよね? お兄ちゃんがまた誘拐されたら困るし」
リーアがぴったりとくっついて左隣に座りそんなことを言った。
大きくなってからはこんなにくっつくことはあまりない。
左腕に触れるひんやりとした腕の感触とか、良い香りとか、俺の煩悩を刺激しまくっているが、しっかりと釘を刺す。
「だから、人前じゃお兄ちゃんはやめような」
「もう今さらじゃない。それに馬車の中にいるのは、ほとんど身内のようなものだし」
「ですよ。同じリーア様に仕える従者じゃないですか」
右隣に座るキャロルが同調した。
こっちはこっちで、申し訳なさそうにしつつも密接するのをやめようという気はなさそうだ。
「何度も聞かされているし、今さらというのは同意する」
キャロルの右隣りに座るシャーリーも真面目な顔を崩さず言う。
今は真面目な顔をしているが、この座席順になることについてはキャロルとちょっとした議論を起こしていた。
ハーレム状態と言う勿れ。
俺としてはそうじゃなくても妹ということで障害ありまくりのリーアに惚れているのに、よそ見なぞしていたらリーアから愛想を尽かされかねない。
そうじゃなくても、この二人と必要以上に親しくしているとあまり機嫌がよろしくないのだ。
他人には分からないかもしれないが、俺には分かる程度の微妙な匙加減の不快感の放射は俺の神経によろしくない。
それなのに、キャロルともくっつく形で馬車の中で進行方向を背にして横並びに座っているのには理由があった。
なぜなら対面の座席にはやんごとなき方がいるからである。
俺はみんなにも見えているはずのお方についてあえて言及してみた。
「さすがに殿下の前でそういう言い方はどうかと思うけどな」
オズワルド殿下は鷹揚に笑った。
「気にしなくていいぞ。リーアとは親しく友人として付き合っているのだ。乗りかかった船ということで押しかけてきているのは私の方でもあるからな」
「殿下がそうおっしゃるなら……」
俺は引き下がらざるをえない。
そして、殿下の脇に控えるポウルの視線も気になっていた。
前方を一様に眺めているように見せかけているが、ずっと俺のことを観察している。
前世の記憶が覚醒して以来、俺の感覚は以前に比べて格段に研ぎ澄まされていた。
また、俺がポウルの視線に気づいていることを隠しきれていないことも感じている。
そんな感じでポウルとはずっと立ち合いを続けているようなものだった。
垣屋流無手勝格闘術を継いで看板を掲げていた俺でもちょっとしんどい。
基礎は身につけたものの研鑽を積んで己のものとする前に非業の死を遂げた俺の技量は、常人よりは確実に強いが無双とまではいかなかった。
まあ、前世で死んだときは病気で酷い高熱を発していたというのもある。そうじゃなきゃ、あんなチンピラにはやられない。
それで、以前とは異なるものを感じ取っているのか、ポウルは俺とまた勝負をしたくてたまらないらしい。
今はそれどころではないと殿下が押さえてくれているが、この一件が片付いたらどうなることやら。
これなら一人で歩いて行く方が気が楽でいいかもしれない。
ようやく汎神殿に到着する頃には疲労困ぱいしてしまった。
まあ、殿下のお陰で、本来ならテクテク上がっていかなければならない参道のかなり上の方まで馬車で行ける。
馬車を降りるとすぐに遠巻きにする人垣ができた。
周囲に群がる人々のお目当ては、殿下ほか一名である。
「きゃ~。オズワルド様のお姿を直接見られるなんて幸せだわ」
「ポウル様も凛々しくて素敵~」
なんか黄色い声も上がっていた。
人気絶頂のアイドル並みの喚声である。
「あの横にいる女はなんなの? オズワルド様がエスコートしてる。許せない!」
無駄に多い護衛がついてきたと思っていたが、野次馬の整理に大わらわとなっていた。
貴人用の休憩所に入り、やっと落ち着く。
神殿のお偉いさんによる茶の饗応が始まるが、俺はすぐに拝殿へ向かうように促された。
リーアがついてこようとするが、神殿の世話人に押しとどめられる。
心配そうな顔をするのは無理もない。
俺を消そうとする神様がいると聞かされれば気にもなるというものだ。
だが、これは俺が立ち向かうべきことだし、万が一緊急事態になったときは巻き込みたくなかった。
それに神様と話ができるというのなら、リーアの居ないところで聞きたいこともある。それこそ前世の記憶があることや諸々のことを教えてもらおう。
「じゃあ、これを」
リーアは自分の髪の毛を一本抜くと俺の左手の薬指にしっかりと結び付けた。
『シリルとシルリ』の物語に出てきたやつだ。シリルからシルリへ与えてお守り代わりにしていた。
俺は安心させるようにその手をとんとんと優しく叩く。
案内人につれられて拝殿に向かった。
到着してみると参拝者でごった返す外殿ではなく、二回り以上小さい内殿に案内される。
お椀を伏せた中のような空間は無人で、五体の神像が壁に等間隔にある窪みに鎮座していた。
中に入り中心まで進み出ると入口の扉がピタリと閉じられる音がする。
振り返って、これからどう振る舞えばいいのか教えてくれないのかとぼやきながら体の向きを元に戻した。
驚きの声を漏らしそうになるのをこらえる。
身長百二十センチほどの生意気な顔をした幼女が含み笑いをして俺を見上げていた。
ざーこ、ざーこという台詞が似合いそうな相手に俺は片膝をついて頭を垂れる。
これ、絶対に容姿で侮ると後悔するやつに違いない。
頭上から笑いを含んだ声が降ってくる。
「意外と殊勝だの。いきなり頭を下げるとは」
それきり幼女は口をつぐんだ。
たっぷり一分ほどの時間が流れる。
「面を上げ、名を名乗るがよい」
顔を上げると人を見下すような生意気な顔と目が合う。
ニヤリと笑った。
「もちろん
「垣屋駿と申します」
「ふむ。我は……そうよな、そなたたちの呼び方にならってリリージャルと名乗っておこうか。で、何が知りたくてここに参った?」
あー、五柱のうちの一人のトリックスター的な性格の神様か。聞いた話では割といい性格をしているんだよな。
「私を害そうとした者がナーラルダ様のお告げにより行為に及んだと主張しております。それが真なのか恐れを知らぬ騙りなのかお伺いしたく参上しました」
「正確には、そのように命じられたのであろう?」
学園長との会話もお見通しというわけか。
「ご明察の通りです」
「その質問には直接本人に聞いた方がよかろうの」
嫌な予感しかしねえ。
リリージャルと名乗る幼女神の後方の空間に赤く眩い光が生じる。その光が弾けると真っ赤な炎のようなデザインの鎧兜をまとい槍を手にした戦士が出現した。
壁際の彫像の一つに酷似している。
武神ナーラルダか。俺を始末しようという張本人とご対面ってわけだ。
リリージャルは俺から目を逸らさずにナーラルダに問いかけた。
「それで、こやつをいかがする?」
「知れたこと」
ナーラルダから強烈な悪意が放射される。
間合いを詰めてくると手にした槍を俺に向かって繰り出した。
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