第30話 魔導粘性体
炎の魔法がなんらかのダメージを与えたようには見えず、モンスターは体の色を濃く変化させる。
ピンクから赤へと色を変えながら、ジェシカに連れていかれた店で見たゼリーという菓子に似た感じでプルプル震えた。
フクロウからの切羽詰まった声が響く。
「やめろ。そいつは魔導粘性体だ。魔法を浴びると……」
耳はフクロウからの声を聞いているが目はモンスターから離せない。
モンスターの表面の一点を残して色がピンクに戻ると、赤く残ったところから少し浮いた場所にポッと赤い火が灯った。
そう見えた途端に赤毛の見習い魔法使いに向かって火線が伸びてくる。
こいつ、魔法を跳ね返しやがった?
赤毛付きの従者は反応できず、自分の魔法が決まったと慢心していた赤毛に炎が直撃した。
「ぎゃあっ!」
制服に火がついて赤毛は叫び声をあげて倒れごろごろと地面を転げまわる。
リーアが青毛の男に叫んだ。
「早く水の泡を!」
その声に我に返った青毛の男が呪文を慌てて唱え始める。
リーアが赤毛に癒しの魔法を施そうと前に出るのを見て俺はモンスターに向かって突進した。
フクロウは相変わらず撤退せよと叫んでいるが無視する。
他の奴らは正直どうでもいい。
しかし、リーアがこの場所を離れようとしない限りは俺も留まる。
どう対処すればいいかよく分からない相手だが、リーアが赤毛の治療にかかりきりになっている間は従者である俺が引き付けるしかない。
前にいる他の従者を押しのけるようにして俺はピンクのモンスターの前に立った。
俺より頭一つ小さい体は伸び縮みをしており半透明で向こう側が透けて見える。
目鼻はついていなかったが顔の口らしきところに穴が開いた。
その穴が開いたり閉じたりし、何やら微かな声がする。
ずんぐりむっくりした右手に相当する部分が俺の方に伸ばされた。
下腹部に赤い文様が浮かぶと同時に、右手の表面に炎が浮かび上がる。
マジかよ。こいつ魔法を唱えてやがるのか?
下がって魔法に備えるかと考えて、瞬時にその考えを捨てた。
もし標的をリーアに変えられたら目も当てられない。
俺は魔法を受けるには心もとない木製の盾を構えつつ、右手の剣を振るって口の辺りに斬りつけた。
ぼよん。
強い弾性を感じつつも、なまくらな刃により顔に斜めの線が入る。
よし行けると思ったのも束の間、みるみるうちにその線が塞がった。
それでも詠唱を阻害することができたようで、俺の盾にぶつかった炎もフシュリと霧散する。
木が焦げる臭いがあたりに満ちた。
あっぶねえ。
呪文が完成していたら盾ごと左手を燃やされたかもしれない。
俺は踏み込んで大きく振りかぶった剣を上から振り下ろした。
頭なのかはよく分からないが、そう見えるところのてっぺんから斬り下げる。
指三本分ほどは斬ることができたが、そこで抵抗が強くなり、刃は止まってしまった。
くっそ。こんなナマクラじゃ斬り離せねえ。
ぐにゃりとしたピンクの頭が左右に別れたままプルプルと震える。
芽が出たばかりの双葉のように開いていた部分が閉じるように動いた。
俺の剣を取り込んだまま元の形に戻ろうとするので、ぐっと腕に力をこめて引き抜く。
表面に薄く残っていた線もゆっくりと消えた。
ようやく我に返ったのか、男性二人の従者も参戦して左右から剣で斬りかかる。
腰が引けた剣はむっちりとした腕のような部分で止まった。
大慌てで従者たちは引き抜こうとする。
渾身の力で抜いて後ろにひっくり返った。
助けに入ってくれたのは有難いが、これじゃあ邪魔なだけだな。
ただ、腰が引けた斬撃でも腕の先端部分はそれなりに深く刃が入っていた。
俺は目標を変えて丸みを帯びた腕のような部分の先っぽに斬りつける。
しかし、やはり刃は通らなかった。
剣を引くと切れ目がくっつき、傷一つ残さず元通りになる。
なんだよこいつは。
頭の真ん中に口のような穴が開き、また開いたり閉じたりする。
魔法を唱えようとしていた。
同じような行動パターンを繰り返しているところからすると、あまり知性は高くないらしい。
俺は手にしたなまくらで口の辺りを浅く薙いだ。
どうせ頭を斬り離すことは無理なので、魔法を唱えようとするのを妨害できればいい。
返す動きでモンスターの右手の先を斬り、剣先を持ち上げて左手の先にも斬りつけた。
どちらも斬り落とすことができずに終わる。
ぶよんぶよんと表面を波打たせて腕のような部分が元通りに戻っていた。
また口をもごもごさせていたので、足を踏みかえて顔面を靴底で思いっきり蹴った。
モンスターはぼよんと後ろに飛ぶ。
靴底の土がついた部分が汚れただけでなく少し変色していた。
下腹部に視線を移すと、今まで覚知できなかった正十二面体の魔核が透けて見える。
斬るよりも蹴りの方がいいのか?
二回ほど同じような攻撃を繰り返すと親指ほどの太さの細長い魔核が露出した。
なんて場所に露出しやがる。
大きく一歩踏み出し下から掬い上げるように剣で魔核を狙う。
キン。
俺の剣は正確に目標を捕らえたが、破壊することができない。
そりゃそうだ。魔核の硬度は高い。
切れ味鋭く研いだ剣ならば別だろうが、俺の手にしている代物には少々荷が重かった。
魔核を攻撃したことでモンスターを本格的に攻撃態勢に入らせてしまったようだ。
素早く口を開閉し、小指の先ほど小さな火の玉が両手の先に十個ほど浮かぶと同時にばらまかれる。
うおっ。
全部はかわし切れずに脇腹に火の玉が当たった。
服が燃え、火傷の痛みを感じる。
剣と盾を放り出し両手でバタバタと叩いて火を消すが、体を焦がす熱とそれに伴う痛みが何かの記憶をこじ開けそうになった。
炎に対する恐怖がこみあがってくるのをねじ伏せる。
モンスターは空中を漂いながら後ろに下がっていた。
口が開閉して、また呪文を唱えている。
「お兄ちゃん、どいてっ! そいつ、殺せない」
後ろからリーアの声が聞こえた。
モンスターから目を離さず、横っ飛びをする。
着地のときに、脇腹が引っ張られて痛みが増した。
俺が居た場所を通り抜けて、光の矢が走る。
雷撃の呪文がモンスターの魔核を直撃した。
一瞬だけ耐えた後、光を発して魔核が粉々になる。
ピンク色のプルプル震える体はでたらめに伸びたり縮んだりを繰り返すと、どろりと溶けるように崩れて地面の上に広がった。
みるみるうちに小さくなって乾き、一晩経った吐しゃ物のようになる。
ふう。やったか。
たたたっと足音が響く。
振り返るとリーアがすぐ近くに来ていた。
気づかわしげに俺の脇腹に左手を添えリーアは一声発する。
ソウルベブルの上に緑色の草が生えるような文様が一瞬浮かび、俺の脇腹がほんのりと暖かくなって痛みが消えた。
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