第20話 最後の一人
目が覚めて俺の部屋から出ると待ち構えていたようにキャロルが自室から顔を出す。
もしかするとずっと待ち構えていたのか? ちょっと怖いぞ。
「お早うございます。シグル様。よくお休みになられましたか?」
「衝撃的な話を色々聞いた割にはな。キャロルはどうだ?」
「言いつけの通り、徹夜はしませんでしたが、今後幸せが訪れるシナリオがいくつか浮かんだので気分がいいです」
幸せそうな笑みを浮かべている。
「それなんだけどな」
「もちろんお聞きになりたいですよね? ね?」
「分かったから大きな声を出すな。リーアが起きてくる」
キャロルは小声で指折り数え始めた。
「リーア様が帝室や大貴族の御令室になる可能性はかなり高いと考えています。首席で卒業されたりすれば申し込みが殺到するでしょう。あの二人とは比べ物にならない立派な若殿もいらっしゃいますから」
「うーむ。よほどの相手で、リーアが納得しているなら、まあそれも仕方ないか……」
「シグル様には不本意でしょうが、その際は傷心を全身全霊で慰めさせていただきます。そんな顔をなさらないでください。皆が幸せになるストーリーもありますから」
「それはぜひ聞きたいな」
「仮にリーア様とシグル様が禁断の愛を成就させようと決心したとします。でも、さすがに大っぴらにはできない。カモフラージュの為にシグル様は私と結婚すればいいんです。妹が兄夫婦を訪問するなら不思議ではないでしょう? 赤子でもいればなおさらです。そこでお二人が何をしようと私は目と耳を塞いでいますから存分に」
「リーアがそんなことに同意すると思えないが」
キャロルは分かってないですねえ、という顔になる。
「リーア様は兄としてシグル様を慕っているのは間違いありません。それが何かのきっかけで恋情に変わることもありえます。あ、これ参考にどうぞ」
キャロルは『シリルとシルリの物語』と題のついた書物を渡してきた。繊細な感じの美男美女が手を取り合って見つめあう挿絵が表紙に書かれている。
「読み終わったら返してくださいね。リーア様にも面白い本があるとお勧めして貸す約束になっていますので」
「そういうことなら、俺は後でいい」
本を返すとキャロルは笑顔になった。
「いいですよ。その妹最優先な感じ。ちょっとシルリっぽいですよ。では、リーア様に先にお貸ししますね」
そのタイミングでリーアの居室への扉が開く。
「お早う。なんか私の名前が聞こえた気がするけど」
寝間着にガウンを羽織ったリーアが俺たちのことを訝し気に見ていた。ちょっと寝癖が残っているのもチャームポイントだ。
「お早う。リーア」
「お早うございます。リーア様。良いお目覚めのようでなによりです」
「うん。なんかぐっすり眠れた。お兄ちゃんのお陰かな」
「お名前が出たのは、この本をリーア様にお貸しするという話をしていたところだったんですよ」
キャロルは本をリーアに差し出す。
「あら、ありがとう。それじゃ借りるわね。すごく熱心に勧めてくれたから楽しみにしてるわ」
「身支度用のお湯をすぐにお持ちします」
キャロルがお湯の準備を始めるとリーアは俺の顔を見つめた。
「どうしたの? 何か浮かない顔をしてない? 何か心配事でもあるんだったら言ってよね」
「いや、なんでもない。いよいよ、明日は入園式で、本格的に学園生活が始まるんだなと思ってただけだ」
「そうねえ。思ってたより、生徒同士で気を遣わなきゃいけないことがあるし大変だよね。一人だったら心細かったと思うんだ。頼りにしてるわ、お兄ちゃん」
ボウルにお湯を入れたものを持ってキャロルがやってくると、リーアは自分の部屋に引っ込む。
ボウルを部屋の中に運んで戻って来たキャロルがそういえばと話しかけてきた。
「まだ一号室が埋まってないのです。一体誰なんでしょうね? お役に立てず心苦しいのですが、あんまり想像がつかないんですよ。それだけの魔法の能力と地位を兼ね備えている若者って。どこかの辺境伯の子弟でしょうか。さすがに地方のことまでは分からなくて」
「今日の午後になれば嫌でも分かるだろ」
「それもそうですね」
キャロルだけでなく、最後の入学者が誰なのかはその日の話題の中心となって、あちこちで噂話の花が咲いた。
特に三大派閥のリーダー達は気になるらしい。特に一号室は自分だと自負していたように見えるオウル・ジークテンは少し落ち着かない様子をしていた。
その態度を目にしたキャロルの目に僅かな感情が宿る。
今までだったら見逃していたかもしれない。
俺が観察していることに気づいたキャロルは大丈夫というように頷いた。
用事があるようなフリをして側に寄って来くと俺にささやく。
「新たな目標ができたので変な真似はしませんから安心してください」
恩讐を脇に追いやってくれるというのは、今後の学園生活を考えると大切なことではあるのだが……。何もターゲットを俺に振り替えることはないと思う。
昼食が終わり、午後のけだるい時間が過ぎていく。リーアはジェシカ達と娯楽室の一角でカードに興じていたが、周りでは刻一刻と緊張感が高まっていった。
「この時間になるまで姿を見せぬとなると、何かの事情で急きょ入園を辞退したのではないか?」
そうした観測がささやかれる。
夕食の準備の時間になるとオウル・ジークテンは余裕を取りもどした。取り巻き連中と何か内輪の話で盛り上がり笑い合っている。
そのとき食堂の扉が開いた。
樹の表皮を思わせる髪色の長身の男性が入ってくる。食堂にいる者ほぼ全員の視線を浴びながら、精悍な印象を与える男は扉の外の誰かに入るように促した。
金色の髪の毛をなびかせてきびきびとした足取りですぐに若い男性が入ってくる。著名な彫刻家の手によるような美貌は人の目を引いた。
多くのため息が漏れ、息を飲む声があたりに響く。
目をやるとジェシカは息を飲んでいた。声に出さずにその唇が動く。
「オズワルド殿下」
俺の脳内でその単語が一つの肖像画と結びつく。郷里の町の中心にあったホールにかかっていた絵だ。目の前の姿よりは、もう少し幼い頃の絵だったが面影がある。
俺はその人物のフルネームを思い出した。
オズワルド・クーケバルト。
今まで姿を現さなかった一号室の主の正体が明らかになる。
このハイラント帝国の皇子だった。
かなり高齢な皇帝陛下の唯一生き残った男児とされている。
上に何人かの皇子がいたのだが、不慮の事故などで成人前に次々と亡くなっていた。
このため箱入りで育てられたらしく、肖像画で目にすることはあっても直接お目にかかった者はほとんどいないと聞いている。
そんな滅多に会えない皇子がエリューシャ魔法学院の最後の入学者だった。
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