第19話 豹変
堰を切ったように涙が流れ出すキャロルをどうするか、束の間逡巡する。
正直どう対応したらいいか全く思い浮かばなかった。
リーアがこのように涙を流すことは見たことがない。
逆にリーアがこのような事態に遭遇したならどうするだろう? 父が戦死したとの報を聞いて泣き崩れる友達を抱きしめていた姿が思い浮かんだ。
俺は床に跪くとキャロルの肩に手をかけて引き寄せる。
一瞬、体を強張らせた。しかし、体の力を抜くと俺の胸に顔を埋め声を殺して泣き始める。
父と兄の仇を前にして何もできない悔しさは良く分かった。戦士として当然の義務を果たしただけと言われればその通りだろう。でも、オウルが軽率だったことも間違いない。
自分のために八人もの戦士の命を落とさせておいて、快活に取り巻きと笑いさざめき、魔法学園に入り人生順風満帆な姿を見て怒りを覚えない方がおかしい。
八人の戦士には妻や子供も居ただろう。キャロルのように不幸になったのは二十人ぐらいになるかもしれない。
仇を討とうというなら公的には許されないはずだ。ただ、どうにもならない悔しさをあふれ出させることまで禁じられるいわれはない。
しばらくすると嗚咽の声が小さくなった。
胸から顔を上げると酷い様だ。涙で目は赤くなり、鼻水が俺の服から長い透明な糸を引いている。
キャロルは髪の付け根まで真っ赤になるとハンカチを取り出して、俺の服の胸のあたりをごしごしと拭いた。
「ほんどうにごめんなざい」
次いでハンカチで鼻をかむ。そして、痛々しい笑みを浮かべた。
「これじゃ百年の恋も冷めますね」
キャロルは床に平伏する。
「服を汚して申し訳ありません。それから、こんな醜態を晒すのは今日を最後にします」
頭を下げっぱなしの姿を前に俺は必死に言葉を探した。何か返事をしなくてはならない。
「あー。服は出しておけば、ラクアが回収して洗濯してくれるから気にしないでくれ。どうせ支給品だしスペアもある。それから、何というか、悔しい気持ちは良く分かる。あまり感情を強く押さえつけると爆発するっていうだろう? どうしても我慢できなくなったら、いつでも胸ぐらい貸すよ」
はっと顔を上げたキャロルが充血した目を見開いていた。
俺は慌てて言い訳をする。
「あれ? 一体こんな気障な台詞どこから湧いてきたんだろう? なんか俺っぽくないこと言っちゃった気がする。どこで読んだのかなあ。あはは」
鼻をすんと鳴らすとキャロルが泣き笑いの表情になった。
「もう、いい加減にしてください」
「ごめん。そういうつもりじゃなかったん……」
「本気で惚れそうになっちゃうじゃないですか」
「は? 惚れる? 何のことだ? 俺は魔力無しの出来損ないだぞ。超優秀な妹がいるのと、頑丈な体だけが取り柄なんだからな」
「魔法が使えるのが何だって言うんです?」
うわあ。よりによって魔法使いの本拠地なのに否定しちゃったよ。
「えーと、やっぱり魔法ぐらい使えたほうがいいよな?」
「リーア様ぐらいになれば別ですよ。でも、ちょっと日常のことが便利になるぐらいなら全然使えなくても問題ありません。そんなことよりも、こんなに優しくされちゃったら、このままだと私本気出しますよ。全知全能を使ってシグル様落としにいきますからね」
「ちょ、ちょっと待った。少し落ち着こう」
キャロルはふうううっと息を吐く。
「そうですよね。分かりました。リーア様とシグル様に誠心誠意仕えさせていただきますと言った以上、お二人の意に反することはできませんね」
「そうそう」
「でも、それは学園在籍中だけの話ですから」
「はい?」
「リーア様が学園を卒業されたら誓約はもう有効期限切れです。とても優秀な方ですし、一年かかからず他の方より早く卒業されることだってありえますわね。よーし滾ってきた」
俺は急展開についていけない。
「あのう? もしもし? 聞こえてますか?」
「なんでしょう? 私を腕に痕ができるほど強く握りしめて意のままにした挙句、胸の中で涙と鼻水で顔がグシャグシャになるほど咽び泣かせた力強いシグル様」
「嘘はまったくこれっぽっちも言ってないけど、それだけだと凄く誤解を生みそうな物語になってない? というか絶対に誤解されるよね?」
キャロルは俺の困惑気味の発言に答えようともしない。
「私はか弱き女の身。強さと優しさを二つながら有する殿方にいつの間にか恋心を抱くのは果たして罪でしょうか? 秘めたる恋を胸に殿方に誠実に仕える娘に、憐れみを覚える神はいらっしゃらないのでしょうか?」
なんだかわけの分からない悲壮感あふれる独白が始まっちゃったよ。
「えーと、秘めてないと思うのですが」
野暮だけど水を差したら、キャロルはようやくこっちの世界に戻ってきたようだ。
「私の想いが悲恋に終わるか成就するかは、これからの心がけ次第ですね」
キャロルは涙と鼻水でぐっしょりしたハンカチを握りしめた。
「こうしてお側にいるのに離れるのは名残惜しいですが、これから徹夜で二人が結ばれる計画を練らねばなりません。失礼して自室に下がらせていただきますね」
「睡眠不足はいい仕事の敵だ、って誰かが言ってたよ」
思わずついて出たこのセリフは……、えーと、どこで聞いたんだっけ。
キャロルは急にはっとして感銘を受けたような表情になる。
「さすがはシグル様。賢者の真理、心に沁みました。ご忠告に従って、夜更かしはほどほどにして明日また考えることにいたします。それでは夢でお会いできるまで、しばしのお暇を頂きます」
ジェシカがしていたような優雅な一礼をすると、キャロルは自分の部屋へ帰っていった。
俺はのろのろと立ち上がるとベッドに腰を下ろす。
そのまま後ろに倒れ込んで天井を見上げた。
ものすごい疲労感が襲ってきて軽い頭痛を覚える。
俺はキャロルと出会ってからの言動、特に今夜の出来事を反芻した。一体どこで選択を間違えた?
現時点での状況から判断するとキャロルを譲り受けたことは正しかったはずだ。
従者が俺一人だと他の三階の魔術師見習いから侮られただろうし、ジェシカほかの支持者がいるのといないのではリーアの立場が全然違う。キャロルの知識もとても役に立っている。今夜聞いた話も貴重な情報ばかりだ。
たぶん、リーアの学園での生活という観点からすればキャロルの存在は有用と言える。
だから、キャロルを受け入れた選択は問題なかった。なかったはずだ。
他に選択肢はなかったはずだと確信が持てる。
今夜の会話だって、あの流れではこうするしかなかっただろう。
しかし、何かもやもやしたものを感じる。
過去の自分の言動を検証するうちに、いつしか俺は寝入ってしまった。
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