第18話 世評
我に返って力を緩めると、キャロルは指の間からするりと逃げて床に座り込み、俺の顔を見上げる。
「ちょっとお顔が怖いです」
俺は大きく息を吐いた。
目をつぶって呼吸と共に精神を落ち着けようとする。
俺がリーアのことを好きだと白状したのと同様というのは、非常にまずい事態だった。
深呼吸をして心を落ち着けたと見て取ったのかキャロルは話を再開する。
「さて、どうしましょうか? 死人に口なしですよ」
わざとおどけたような声音が俺を冷静にした。
「もう俺は狼狽しない。つまらぬことを言いふらすなら好きにしろ。鼻で笑うだけだ」
「私もそこまで恩知らずではありません。今夜のことは胸の内にしまっておきます。余計なことを言ったらリーア様に即座に成敗されるでしょうから。それに、私が言うことではありませんが恥じることは無いと思いますよ。『シリルとシルリの物語』みたいですし、秘めたる禁断の恋、ちょっと憧れます」
「なんだ? そのシリルとシルリというのは?」
「魔法使いの兄妹の悲恋です。帝都の年頃の子ならだいたい読んでるんじゃないかしら。今度本をお貸しします。それでですね、リーア様はとても魅力的な方ですから、見比べると他人が見劣りする思ってしまうのも無理はないです」
しばらく沈黙が辺りを覆う。
「さてと、私の最高のカードを切ったつもりですが、こんな結果になってしまいました。色仕掛けが通じないとなるとなかなか難しい」
キャロルが沈黙に耐えかねたかのようにつぶやいた。
「一つ聞いていいか。答えたくなければ答えなくていい」
「もちろんどうぞ」
「キャロルさんはジェシカさんにはどうやって仕えていた?」
「ああ、そういうことですか。なるほど。ジェシカ様はまだそちら方面の興味は無いようです。私は主に頭脳を使ってお仕えしていました。相方が肉体労働専門でしたのでちょうどバランスがとれていたと思います」
「確かに頭は優秀なのだろう。どこで学んだんだ?」
「家庭教師にです。私、二年前までは家はそれなりに裕福でしたから。父と兄が同時に魔王軍との戦いで死ぬまではね」
ああ、クソ。思わぬところで落とし穴を踏んでしまったな。キャロルの声に感傷は含まれていない。それだけにかえって心の傷の深さが知れた。
「すまない。余計なことを言わせてしまったな。古傷を暴くつもりは無かった」
「いえ。シグル様は本当に優しくていらっしゃいますね」
「妹に恥ずかしくない兄であろうとしているだけだ」
俺は魔法を使えないから、という言葉は飲み込み話を続ける。
「それで話を戻すが、キャロルさん、そういうことなら引き続き、リーア様に頭脳で仕えればいいじゃないか」
「もとよりそのつもりですけど、その真価を理解いただくには時間がかかるでしょう? それに急いたせいで、リーア様にちょっと誤解されているようですし」
「大事な兄を誑かそうとしているということか」
「そうです。そんな感じでちょっと疎まれてる感じはしています」
「心配するな。リーア様は私情で判断を歪めたりしないし、キャロルさんのことも可能な限り守ろうとするだろう」
「それで、お兄様自身はどうお考えなんです?」
「そうだな。こんな言葉でどれほど安心を与えられるかは分からないが、リーア様の次ぐらいには尊重しよう」
「えー。それってその他大勢と変わらないってことじゃないですか。まあ、仕方ないですね。これ以上しつこくしても逆効果っぽいですし。あ、そうそう。尊重するって言うなら、リーア様の名前を出すときに、私一人の前では『様付け』無しにしてください。二人きりの時はそうしているんでしょ?」
「分かった」
「ついでなので言っちゃいますけど、私は呼び捨てでキャロルって呼んでください。人前でもですよ」
言葉を吟味する。
「なるほどな。俺がキャロルに指一本触れていまいと余人には分からないというわけか」
「シグル様もこのゲームのルールの飲み込みが早いですね。それに腕には触れてますけど、かなり強烈に」
俺は笑いがこみあげてくる。
「俺に痕が残るほど腕を強く握られたと語っても一切嘘は言っていないわけか」
「ええ。全てを語っているわけではありませんけど。あとは下衆の勘繰りに任せておけばいいんです」
「そして、キャロルは俺を様付けで呼ぶわけか。力で屈服させられ従属関係にあると周囲は思ってくれると」
俺は胃の辺りを手の平で撫でた。胸やけがしそうだ。
「もう、お腹一杯だが、ティーゲ・ショーテルのことを教えてくれ。キャロル」
にやっと笑うとキャロルは身軽に立ち上がる。
「横に行ってもいいですか? もう許可が出ない限りはシグル様に触れませんから」
「好きにしろ」
「お言葉に甘えまして」
横に座ると髪をかきあげる。ふわっといい香りがした。なかなかに立ち直りも早いし強かだな。ちょっとペースを握られないように気をつけねば。
キャロルの顔が酸っぱいものを口にしたようになる。
「端的に言えばティーゲは変態です。女を屈服させ、支配するものとしか考えていません。それでいて臆病者ですから反撃の恐れがあるときはそんな気配を見せません。一方で、絶対的に有利な立場になれば、身も心もボロボロになるまで痛めつけます。あいつへの生贄として連れてきたもの以外の従者も似たようなものでしょうね」
「そうか」
「リーア様は彼の手には余るのでまず問題ないでしょうが、いずれ、毒牙から逃れようと庇護を求めてくる娘もいると思います。その時、どうするかは予め決めておいた方がいいでしょうね」
「なんか聞かなきゃ良かった気がする。だが、こうなったら、最後の一人の評価も聞かせてもらおうか。オウル・ジークテンは?」
珍しくキャロルが即答しない。
「さすがの才媛キャロルにも知らないことがあるんだな」
ちょっとからかってみたつもりが、ちらりと見た横顔が固い。一呼吸するとゆっくりと言葉を吐きだした。
「いえ。私が述べるのが適切ではないかと思いまして逡巡しただけです。そうですね、貴族の子弟の中では評判はまあまあかと思います。少なくともティーゲ・ショーテルのような悪評は外には漏れていません」
「その言い方だと、まだ続きがあるんだろ」
「これは私怨を含んだ話になることは前置きしておきます。二年前、オウルは己の魔法の能力を過信し、月も出ぬ闇夜にわざわざペールライダーに挑みました」
キャロルの唇がわななく。
「もちろん敵うはずもありません。逆襲に転じたペールライダーからオウルを守るために八人の戦士が殉職しています」
激情をこらようとしているキャロルの声が震えた。
俺は質問をしてしまった責任で最後まで答えを聞くために次の言葉を待つ。
「その内の二人は父と兄です。あの男は私の仇なんです」
半ば予想通りの言葉が漏れ、キャロルは嗚咽の声を漏らし始めた。
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