第6話 勇者と魔術師

 今日は魔術師見習いを集めて入学前の補講が行われている。

 まだ三階の部屋に入る者は少なかったが、俺たちのように地方からやってくる生徒はそれなりの数が入寮していた。

 補講の受講は必須ということでは無いようだが、講義室の中には百五十人ほどが入っている。

 まあ、他にすることもないし、とりあえず顔を出しておくかということのようだった。

 まだお互いに親しくなる前ということもあり、魔術師見習いの紺の制服と従者のくすんだ白い制服が組になって部屋の中のそこここに散らばっている。

 リーアは真面目なので教卓の真ん前の一番前の席に陣取っていた。

 もうちょっと後ろの方の席でもいいと思うのだが、余計なことは言わないでおく。 

 ときおり頷きながら熱心に聞き、ペンを走らせて講義のメモを取っている姿を横目で観察した。

 故郷では学べなかった内容を聴けるというだけでも楽しいのだろう。

 一方で俺にとってはそれほど面白いものでもない。

 こっそり後ろを振り返ると、俺と同様に退屈なのか白い制服のほとんどは目をつぶったり、舟を漕いだりしていた。

 不意に赤い髪の女の鋭い視線が突き刺さり俺は前に向き直る。

 今日の補講内容は魔術師の歴史についてだった。

「……五百年以上に渡って人類と魔族の抗争は長く続いています。その間、人類が危機に陥ったことが何度もありました。その度に勇者が生まれ、惜しくも魔王を討ち果たすことは叶いませんでしたが、劣勢を押し返してきました。ただ、勇者が長く生まれないこともあります。その時における人類の希望が、あなた方が目指している魔術師なのです」

 過去に存在したという著名な魔術師たちの列伝が始まる。

 学院の名に冠されているエリーシャを始めとして、次々と名前と事績が紹介されていった。

 比較的新しい時代に生きていて肖像画が残っている魔術師については、その映像も講義室の白壁に映し出される。

 派手な活躍をした魔術師ならサーガにも歌われているので俺も知っていた。

 ただ、基礎理論の確立に功績があった人や後進の育成に尽力した者は名前すら聞いたことが無い。

 この話が魔術を使うのに必要なのだろうか、と俺なんかは思うが、リーアは目を輝かせて聞いていた。

 この様子だと俺もある程度は話の内容を覚えておかないといけないかもしれない。

 リーアに私はナントカって魔術師のようになれるかな、などと聞かれたときに答えられないと怒られてしまう。

 怒られるだけならいいが、私に関心がないんでしょと言われると辛い。

 脳内は大量の固有名詞で一杯になり段々と苦しくなってきた。

 しかも、白いヤギのようなひげを生やした初老の先生の声は、妙に心地よくて眠気を誘う。

 これは実は眠りの魔法ではないだろうか。

 魔術師見習いと従者の魔法耐性を密かに測っていたりして。

 そんなしょうもないことを考えていると、俺の目を覚ます話になった。

「さて、次に歴代の魔術師が協力してきた勇者についても説明しましょう。もちろん勇者の外見上の特徴は知っていますね。黒い髪の毛に黒いソウルペブルを有する勇者はとても目立ちます。皆さんもご存じのようにソウルペブルは人の魂と強く結びつき、その色は髪や血の色を変えます。そして、ソウルぺブルの色は得意とする魔法の系統により決まりますね」

 講師は言葉を切った。

「ごくまれに複数の系統に適性を示す偉大な魔法使いが出ますが、それでもソウルペブルの色が混ざりあうことはありません。しかし、神が奇跡を行って異世界から転生させた勇者は、その際に全ての系統の魔法を扱う力を与えられます。そのため、すべての色が混ざり合った黒色のソウルペブルを持つことになるのです」

 やれやれ。俺の人生を複雑なものにした話だ。

 俺の髪の毛は生まれた時から黒い。すわ勇者の誕生かということで大騒ぎになったそうだ。しかし、ソウルペブルは俺の左手の甲のどこにも見つからない。

 ソウルペブルは生まれてすぐのときには顕現せず、成長するにしたがって現れたり、急に大きくなったりすることもまれにある。

 前回の勇者誕生から五十年近くが経過している。過去の経験からすると間隔が短くはあったが、対魔族との戦況が思わしくなくなり始めた時期ということもあって、多くの人が期待したのだった。

 ペールライダーが初めて現れ始めたのもその頃だったらしい。

 青白い光を発する騎士の顔はフードの奥深くに隠されている。今までペールライダーを倒せた事例は無かった。強力な魔法で撃退することができても、いつの間にか別の場所に現れる。

 一度に三体一緒にいるのを目撃されたことがあるが、同時期に別の場所で見たという報告もあり、最大何人のペールライダーが存在するのかすら不明だった。

 そんな不安な時期に生まれた黒髪の赤ん坊。成長すればソウルぺブルが顕現するかもしれない。そんな周囲の期待も十歳の誕生日を迎えてから消えた。

 将来に備えて体を鍛えさせられたので、俺はそれなりに頑丈だし、素手での喧嘩なら自信はある。

 ちなみに昨夜殴ってきたウォレン相手にも勝てるはずだ。あの時派手に吹っ飛んでみせたのは被害者ポジションに納まるための演技に過ぎない。

 講師は歴代の勇者の名前をあげていく。成長するにつれて真の名を思い出し名前を変えるらしいが、俺の感覚からすると耳慣れない名が多かった。

 九番目までの名が挙がる。

 いずれも劣勢に追い込まれた状況で戦線を押し返していた。

 そして、人類の期待を背負って魔族の王へと挑み、倒すことまではかなわなかったとされている。

 魔族側に甚大な損害を与え、人類が一息つく時間は稼いでいたものの、その最期の詳細すら伝わっていなかった。

 先生は補講の締めくくりに入る。

「そして、未だ十人目の勇者は現れていません。これは神々が与えた試練かもしれぬし、単にその時がきていないだけかもしれない。いずれにせよ、今この時、魔術師が果たす役割は大きいのです。諸君らが成長して過去の偉大な魔術師の歴史に連なることを期待しています。では、今日の講義はここまで」

 革の装丁の本を閉じると先生は立ち上がって部屋を出て行った。

 やれやれ。

 やっと拷問に等しい時間が終わったようだ。先生が居なくなったのをいいことに俺は思いっきり伸びをする。

 そんな俺の姿に呆れながらリーアはうっとりとした声を出した。

「先生の話、面白かった」

「そうですか? 確かにリーア様は熱心に聴かれていましたね」

「うん。私は今まではこうやってまとまった話を聞いたことが無かったから。今日話に出てきた魔術師って凄いよね。憧れちゃう。私も歴史上の魔術師に負けないように頑張らなくっちゃ」

「ああ。リーア様ならきっとなれますよ」

「シグル、ありがと」

 二人きりの時以外は正式な呼び方をすることを、この朝改めて確認し約束していた。

 俺からリーアへは様呼びをし、逆は名前を呼び捨てにする。

 昨夜のこともあって、足元をすくわれないようにとの用心だった。

 リーアが筆記用具を片付けて食堂に向かおうと立ち上がる。

 そのまま部屋を出て行けば良かったのだが、なんの気まぐれか部屋の後方をぐるりと見渡す仕草をした。

 リーアの顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。

「ねえ。。どうしてあそこにいる赤毛の子、私たちのことを睨んでいるのかな? なにか知ってるよね?」

 取り決めに反した呼び方を使って、リーアが小声で俺に質問した。

 見るまでも無いがリーアに促されて振り返る。

 昼食を取ろうとして人が減りつつある講義室の一角からジェシカ一行が鋭い視線を送ってきていた。

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