第5話 処罰

 ドガシャン。

 椅子を巻き込んで派手な音を立てて俺は倒れる。

 手にしていた食器と肉は少し離れた床に転がっていた。

 あーあ。食べ物を粗末にするとはもったいない。

 食堂にいた誰かが叫び声をあげた。

「けんかだ。寮監を呼べ」

 ぱっと起き上がると今度は腹を強打される。

 俺は腹筋をきゅっと締めつつ、自らも後退し、体を軽く曲げつつ床に仰向けになった。

 見た目の派手さほどにはダメージは大したことはない。

 もう一人の従者の女がジェシカに促されてやってきた。

 床から起き上がろうとする俺の頬に唾を吐きかける。

 頬を拳で拭った。

 そこへ笛が響き渡り、寮監が二人走ってやってくる。

 俺と魔術師見習いジェシカ御一行はそのまま管理棟に連行された。

 寮監に尋問され俺は正直に話す。

「席をどけというから譲ったんです。そのときにスープが少しこぼれたのをあのデカいのがことさらに咎めて殴ってきたんですよ。俺の行動に何か問題がありますか?」

 俺と相対するジェシカは、食事を食べ損ねたせいかご機嫌斜めだった。

 フンとそっぽを向いたまま口もきかない。従者の女性の方が代わりに説明を始めた。

 青い髪をしているせいか怜悧な印象を受ける。

 ただ、体つきはその印象に反してよく発達していた。特に胸部は非常に強く自己主張をしている。

 まあ、俺は大きければ良しというものでもないけどな。

「そこの従者はジェシカ様が席を空けるように要求した時に反抗的な態度を取りました。その非礼は当然制裁されるべきです」

「他にも席が空いているということを言っただけだぜ」

「ジェシカ様が譲れと言っていたのですから、つべこべ言わずに席を空ければ良かったのです。掲示にも魔術師見習いに対し従卒は席を譲るべしとありました」

 寮監は双方の言い分を聞き終えると裁定をくだす。

「魔術師見習いジェシカ。あなたの従者ウォレンの行動は行き過ぎです。従者シグルに対し謝罪させてください」

 ジェシカは増々不機嫌そうな表情になった。しばらく寮監を睨んでいたが、短く命じた。

「ウォレン。従者シグルにお詫びを」

 ミニオーガことウォレンは歯ぎしりをする。それでもしばらくするともごもごと口を開いた。

「殴って悪かった」

 俺の顔を見てくるので謝罪は受けたと頷くと、寮監はパンと手を打ちならした。

「これで良し。今回のことは正規の授業が始まる前のことであるので記録には留めないが、そのような扱いをするのは今回限りだ。以後注意をするように」

 ジェシカは固い表情のまま返事をする。

「分かりました。もう下がってよろしいですか?」

 寮監が許可をすると従者二人を連れて部屋を出ていく。ドアが閉まるか閉まらないかのうちに外から平手打ちの音が響いた。

 ジェシカが従者のウォレンを腹いせに引っぱたいたというところかな。

 お気の毒に。

 人の気配が感じられなくなったので、俺もこの場から去ろうとし、一応お伺いをたててみた。

「俺ももう行っていいですよね?」

 首を横に振って年上の寮監が話し始める。

「従者シグル。これは単なる忠告だが、今後はもう少し慎重に行動することをお勧めするよ」

「俺の行動に非は無いとのお話だったと思いますが」

「今回はね。しかし、もうちょっとうまく行動すれば騒ぎにはならなかったはずだ」

「どういうことですか?」

「魔術師見習いジェシカは学生寮の二階の住人だ。一方君が仕えている魔術師見習いリーアは三階に部屋がある。そもそも、魔術師見習いリーアが同席していたら、今日のようなことは起きなかったと思うよ」

 寮監が左手の甲を俺に向けた。

「魔術師見習いリーアの方が格上なのはソウルペブルを見れば明らかだからね」

「つまり……、今回俺がお咎めなしなのはリーア様の方があのジェシカより格上だから。相手によっては裁定が変わるかもしれないということですか?」

「さすがにそれは無いよ。ただ、もうちょっと穏便に済ませるように図らっただろう。そして、私が言いたいのは、この魔法学園を出た後のことだ。悪いが従者シグル、君はただの平民に過ぎない。金と権力を持った相手から自分の身を守れると思うかい?」

「それは……」

「難しいだろうな。だから、悪いことは言わない。余計な恨みは買わないように振舞い給え」

 寮監は親切心から言ってくれているというのは理解できる。彼らも魔術師の端くれではあるが、それでも意向に従わねばならない相手がいるということだった。

 まあ、魔法学院の寮監をしているということは、ずば抜けて優秀な魔術師ということではないと思われる。

 恐らくリーアの方がすでに彼らよりは能力は高いかもしれない。

 きっと卒業後はそれなりの地位について重用されるだろう。身びいきではなく、ソウルペブルの大きさから判断しても間違いはない。

 一方で、俺はただの平民だ。

 正式な魔術師となったリーアといつまでも一緒にいられるかというとその点は正直分からなかった。

 リーアと別れて生活することもありうる。

 そうしたときに昔の恨みを思い出す有力者がいると、俺の身を守るのはなかなかに難しくなるということだ。

 きっと俺は傍から見ても分かるほど、面白くない顔をしていたのだろう。

 宥めるようにもう一人の寮監が言った。

「まあ、三階の住民はあれほど極端な行動は取らないと思うよ。貴族や有力者には彼らの中での評判がある。名誉をひどく傷つけられでもすれば別だが、平民に対して過度な制裁を加えて、他の貴族らから後ろ指をさされるのは割が悪いと考えるのが大半だ」

 さらに年上の方が言い足す。

「それに、魔術師見習いリーアは今年入学する生徒の中でも特に有望視されている。将来のことを考えれば敵対するよりも取り込もうとするだろうね」

「分かりました。俺もリーア様に迷惑をかけるのは本意ではありません」

「そうか。では下がってよろしい。そうそう、まだ食堂は開いているはずだ。食べ損ねたものは残してあるだろう」

「ありがとうございます」

 管理棟を出て学生寮に入る。食堂に入ると俺の食い残しに加えてもう一人分が乗って出てきた。

「これは?」

「なんと、まったく手をつけないのが一人分も出たからね」

 おばさんは片目をつぶる。

 おやおや、ジェシカ一行の誰かは晩飯抜きか。それは育ちざかりには辛いだろうな。

 同情はしてやらないが。

 寮監から変な話を聞いた後だったのであまり食欲はなかったが、折角の厚意なので、出されたものは全部平らげた。

 分厚い肉を二枚はさすがに量が多かったが、まあ、食べようと思えばいくらでも入る気がする。

 膨らんだ腹を撫でながら食堂を出て部屋に戻った。

 自室の鏡で見てみると頬が結構腫れており、水差しの水でハンカチを濡らして冷やす。それを繰り返すうちに少しだけ赤みが引いたのでベッドに横になった。

 しかし、翌朝にもうっすらと腫れは残ってしまい、起きてきたリーアに心配されてしまう。

「お兄ちゃん。そのほっぺどうしたの? 赤くなってる」

「うっかり転んでぶつけたんだ」

「えー。普段はそんなことあまりないのに珍しいね。それはともかく私を起こしてくれればすぐに治療したのに」

「いや、リーアは昨夜は疲れて眠っていただろ」

「お兄ちゃん。今後はそんな無駄な遠慮はしないでね。いい?」

「いや、本当に大した怪我じゃないから、そんな大騒ぎしなくて……」

 リーアは目を細め、俺をじいっと見た。

 右手を腰に当てて、左手の人差し指を俺の方に伸ばして横に振る。

「お兄ちゃん?」

「はい……。分かりました」

「もう。変なところが意地っ張りなんだから。それじゃあ治療するね」

 表情が柔らかくなったリーアは俺の頬にそっと手を添えると優しい旋律を紡ぎ始めた。

 冷たく滑らかな手の肌触りが心地いい。

 リーアに伝わる熱が腫れによるものだけではないことがバレないように装うのに苦労した。

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