第34話「ちょっぴり重めのリンゴ」
酒場に入ると、その場の人々の視線が一気に私に集まった。そして私を見た人は例外なく押し黙るので、それまでの喧騒がピタリと止んだ。いやそれはさすがに言い過ぎか。飲み過ぎてベロンベロンに酔っ払ってしまっている客なんかは私が店に入ってきたことに気づきもしないし、呂律の回らない言葉をたれ流し続けている。
ともかく、正気の人々は皆私に釘付けということだ。まあ私はひかえめに言っても息を呑むほど美しいのでこれは仕方がない。酒場に乱入して客に酒じゃなくて息を呑ませちゃうなんて営業妨害甚だしいな。客からお金取っていくらか酒場に払った方が良いかな。それもう違う店か。男の娘キャバクラ、ありだと思います。
私は無遠慮に突き刺さるいくつもの視線を無視し、店主と思しき男のいるカウンターへと近づいた。
店内は狭く、というか広さの割に客が多く、まっすぐには歩けないほどゴミゴミしていたが、進路上にいた客たちは私が近づくと自らテーブルや椅子をどけて道を空けてくれた。
これが噂に聞くモーセの十戒──いや海を割ったのは十戒とは関係ないか。
いずれにしても神の奇跡ではなく自らの美しさだけでこれを為してしまうとは、これもう私の美しさは神の領域と言ってもいいのでは。海の水と人間という違いはあるが、個体としては人間の方が水より複雑なので、私の方が上ということでいいだろう。今世にそういう逸話があるかは知らないけど。
「あ、あの……本日はどのようなご用向きで……?」
カウンターに近づくと、髭面の店主がそう問いかけてくる。
どんな用かって、酒場にお酒を飲む以外の用で来る人いるのかな。いやまさに今の私がそうなんだけど。
ということは、結構お酒以外の目的で酒場に来る人もいるということか。つまり情報収集的なサムシングも問題ない、と。情報のやり取りと言えば会話。店員と客が会話を楽しむと言えばキャバクラ。よし男の娘キャバクラの実現可能性が高まったな。
「はい。突然申し訳ありません。実はお伺いしたいことがありまして」
「は、はあ」
髭面の店主はちらちらと私の顔と、その上に視線を走らせながら目を白黒させる。
顔の上って何かあったかな、と思いかけ、そういえば仔犬のビアンカと仔猫のネラとひよこのボンジリが乗ったままだったことを思い出した。
まずいな。酒場といえど飲食店。ペット同伴は普通はアウトだ。今思えば、私の進路上から椅子やテーブルがどいたのも、食事に動物の毛が入るのが嫌だっただけかもしれない。
なるほど、モーセは未だ超えられず、か。いや別に目指しているわけでもなんでもないけど。
ペットを店に入れてしまったのは申し訳なかったが、止められなかったし私のせいじゃない。私は気にせず質問を続けることにした。
「実はおう──」
「──ブルルン!」
王子殿下を見ませんでしたか、と聞こうとしたところで、店の外でサクラの咳払いが聞こえた。咳払いだよね今の。馬って咳払いとかするのか。初めて知った。
しかしサクラが制止したのももっともだ。
普通に考えて、自国の王太子が謎の組織に拐かされたなど、軽々しく口にしていい話ではない。
「──えーと、黄金の髪をした、女装が似合いそうな高貴な美少年が誘拐される事案がありまして。そういう人物か、そういう人物を連れた怪しい集団を見ませんでしたか?」
「は、はあ……?」
店主はぴんと来ていない様子だ。
なんとなく集団と言ってしまったが、誘拐の実行犯は単独で行動している可能性もあった。私が接触した誘拐犯たちは組織で行動しているような雰囲気だったが、あくまであれは陽動係で、実行は別の専門家が個人で担当していたのかもしれない。
「ええと、あるいは、そういう人物を小脇に抱えた大男、とかの可能性もありますが……」
言いながら自分でも「いや無いな」と思った。
マルグリット王子は男性にしては小柄だが、そうはいってもそれなりの重さはある。かくいう私も人並みに、まあそこそこ、ちょっぴり重めのリンゴ三個分くらいの体重はあるので、同じくらいの身長の王子もまあそのくらいだろう。重めのリンゴは重いので、普通の人間が小脇に抱えるのは無理がある。多少大きな男性であったとしても困難なことに変わりはない。
その状態で王都から、しかもサクラの脚に匹敵する速度でこの宿場町までやってきたというのは、いくらなんでも荒唐無稽にすぎる。
サクラによれば、残留していた匂いの状態から王子は王都より南向きに移動した形跡があり、そしてすでにもう周辺にはいないということだ。
犯人が個人というのは考えにくい。仮にそうだとしたら何らかの異常な能力の持ち主だろう。王子を拐おうというのだからおそらくは専門家。人に見られるようなヘマをするとは思えない。
いずれにしても、店主に聞いても意味のないことだった。
しかし、その答えは意外なところから齎された。
「──見たぜえ。ヒック。怪しい大男をなあ。言われてみりゃあ、小脇に頭陀袋みてえなもんを抱えてたっけな。いや、あれは男を小脇に抱えたでけえ頭陀袋だったんだたかな?」
それは酒場に入った私に注目しなかった例外──酒に酔った正気でない人だった。
「バカかおめえは。頭陀袋が人を抱えて走るかよってんだ。ありゃあ間違いなく頭陀袋を抱えた男だったぜ」
すると他の酔っぱらいも次々に同様の証言をし始めた。しかし酒場の従業員や、酔っていない客は騒ぐ酔っ払いたちを胡乱げな目で見ている。
要すれば、この酒場の中で「認知能力が著しく低下している人間」だけが「頭陀袋と男」を認識していた、ということらしい。
普通に考えれば彼らの低下した認知能力が何かの幻を生み出しただけだというところだが、複数の酔っぱらいが同じことを言っているのは少々気にかかる。真面目に検討する価値があるかどうかはともかく、記憶に留めておいた方が良いかもしれない。
その後、客層が違う別の盛り場でも聞き込みをしてみたが、この町で得られる情報はこのくらいであるようだ。
見ず知らずの町人に貰ったしなびた人参を齧っていたサクラに跨り、私たちは町を出てさらに南へと向かうのだった。
★ ★ ★
すみません、普通に予約忘れてました。
なので一時間後にも更新します。
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