第26話「美しさとは」





 様々な手を尽くして抵抗したのだが、フリッツお兄様には通じず、結局王城に連れ戻されてしまった。

 サクラも兄に手綱を引かれ、大人しく王城の厩舎へと連れて行かれた。

 ただ、大人しくしつつも落ち着かない様子であったので、やはりマルグリット王子のことが心配なのだろう。


 王城に戻された後、私は客室にすぐに閉じ込められてしまったので、兄が城にどう報告したのかはわからない。しかし客室に誰かがやってくることはなかった。

 目の前で王子を攫われる醜態を晒した私だが、特に何のお咎めもないらしい。

 城に戻ってから私がしたことと言えば、客室でビアンカたちと遊んでいたユリア嬢に王子が攫われたことを報告しただけだ。


 特殊性癖に開眼してしまっているユリア嬢である。王子が攫われたことでまた新たな扉を開いてしまわないかとほんの少しだけ心配していたのだが、その報を聞いた彼女は絶望的な顔をし、ただ泣き崩れていた。


 ごくごく当たり前の反応に私は安心した。


 と同時に、今頃になって自分の無能さが腹立たしく思えてきた。

 しょせん私は宇宙一美しいだけのただの令嬢に過ぎない。一瞬で王子を連れ去り、消えてしまうような謎の美少年に対して、できることはそう多くはなかっただろう。

 しかし、もう少しなんとか出来たのではないか。

 例えばユリア嬢が誰かに操られており、しかも窓から落下した事実をもっと声高に話していれば、何か違った結果になっていたのではないか。

 あるいはもっと積極的に街に出たり、王城の中も自分の好みの場所だけでなくもっと色々歩き回っていれば、フリッツとも早い段階で接触できていたのではないか。

 あのフリッツお兄様のことだ。

 私がマルグリット王子とデートをするなどといえば、必ず付いてこようとしていたに違いない。いやそれ以前にデート自体を止められていたかもしれない。


「……いえ、そもそも私が不用意に殿下を街へ誘ってしまったのがいけなかったのでしょうね……」


 あれほど可愛らしい王子だ。

 無防備に街を歩いていれば、普通の変態なら攫って色々したいと思うはずだ。

 そのことに思い至らなかった私の落ち度である。

 自分自身の美しさのせいで、この世のあらゆる変態はまず私に向かってくるものだという先入観を持ってしまっていたのだ。私の美しさよりも別のものに価値を見出すマイノリティのことを考慮していなかった。


「違います!」


「ユリア様……?」


「ミセリア様に殿下との逢瀬を勧めたのはわたくしです! 咎があるとすれば、それは全てこのわたくしにあります! この……わたくしに……!」


 ユリア嬢はそう言うと、また泣き崩れてしまった。

 その様子を見ていると胸が痛くなる。

 確かに私はユリア嬢にそそのかされて王子をデートに誘ったが、別に誘わずに無視することも出来た。しかし最終的にそう決め、誘いをかけたのはこの私だ。だからユリア嬢には何の非もない。

 そして宇宙一美しい私に誘われたとしたら、抗うのは難しい。というか無理。なので、王子も悪くない。


 悪いのはやはり、この私の美しさ。そして迂闊さ。略して


 自らのの責任を取れるのは、どこまでいっても自分だけだ。


 私は泣き崩れるユリア嬢を客室に残し、静かに部屋を出た。その私の後をビアンカ、ネラ、ボンジリが付いてくる。

 どうやら、彼らは私のペットとして、共に責を負ってくれるらしい。

 毎晩一緒に寝てわちゃわちゃ可愛がっているだけなのでろくに躾もしていないのだが、知らない間に一人前になっていたようだ。あるいは、遊んでくれるお姉ちゃんであるユリア嬢が悲しんでいるのを見ていられないのか。いずれにしても成長著しい仔たちである。ペットは飼い主に似るとはよく言ったものだ。





 ◇





 客室を出た私は厩舎へ向かった。

 私の次にこの事態に忸怩たる思いを抱いているのは、王子の愛馬のサクラではないかと思ったからだ。

 彼もまた、目の前で王子を攫われてしまった。

 私以上に王子と過ごした時間が長い彼にとって、それはどれほど悔しいことだっただろう。


「……あら」


 厩舎に着くとそこには先客がいた。


「来ると思っていたよ」


「フリッツお兄様……」


 大陸でも屈指の栄華を誇るインテリオラ王国、その王城といえど、厩舎であればやはり臭うし汚れてもいる。

 フリッツはそんな場所にあっても自ら光り輝くかのような美貌をたたえ、静かに立っていた。

 いや光り輝く美貌なら私も負けてないけど。ていうか余裕で勝ってるけど。


「ミセル。君のことだ。まさかこの状況で馬を愛でるためだけにこんなところまで来たりはしないだろう。だから何をしたいのかはわかっているつもりだ。しかし、さっきも言ったね。

 ──それは認められないと」


 私に美貌で負けているフリッツが、例の謎のスキルっぽい圧をかけてきた。

 フリッツを中心に、辺りに薄い青色の煌めきが満ちる。香水とか制汗スプレーとかのコマーシャルで見たような光景だ。たぶんあれはフリッツのフレグランス的なやつだろう。

 同時に周囲の気温が下がり、その煌めきを受けた厩舎の馬たちが一瞬で静かになった。

 しかし、私には通じない。

 なぜなら私はフリッツよりも美しいから。

 美しい私の周りにだけ金色の光の膜のような何かが現れ、フリッツのフレグランスをガードした。


「……抵抗するのかい、ミセル」


「そのようなつもりはありません。お兄様」


 抵抗をしたつもりはない。これはあくまで私の美しさが形となって現れているに過ぎないのだ。

 何かをしようとしたわけではなく、ごくごく当たり前のこととして、私の周囲には私の美しさが満ちているのだ。

 何人たりともそれを侵すことはできない。


「はぁ……。ミセル。わかっておくれ。僕はただ、君が心配なだけなんだよ。

 この王城は安全だ。普段はどうだか知らないけど、今は僕がいるんだからね。この大陸で、マルゴーの次に安全な場所だと言ってもいい」


「……このお城が安全かどうかはもはや重要ではないのです。私は、私自身のの責任を取らねばならないのです」


「うかつしさ……? なにそれ、急に知らない言葉が出てきたんだけど。あ、もしかして迂闊と美しさをかけ合わせた造語? すごいよミセル! これ以上ないくらい君を的確に表している! 天才だなミセルは!」


 いや、それはさすがに言い過ぎでは。天才とか美しいとかはともかく、迂闊が私を的確に表す言葉というのは引っかかる。自分で言っておいて何だが。


「……むう」


 私は頬を膨らませ、抗議した。


「ああ! 可愛いな! でも不満そうだねミセル。

 君が王子の誘拐に責任を感じるのはわかるよ。目の前で攫われたんだからね。けれど、それは本来君が感じるべきものじゃない。責任があるとするなら、この王都の治安を守る衛兵たちであり、王子の近衛騎士ロイヤルガードだよ。一国の王子を誘拐しようだなんて考える大胆不敵な犯罪者がいたとして、か弱く美しい令嬢に過ぎないミセルに一体何が出来たって言うんだい? そういう者をのさばらせないのが衛兵たちの職務であり、そういう者を近づけさせないのが近衛騎士の使命だ」


 確かにそうかもしれない。

 けれど、たとえ他の誰かに業務上の過失があったとしても、私のしたことが帳消しになるわけではない。


「まだ納得してくれないようだね。わかった。仮に君に責任があったとしよう。だけど、その責任を取るためにした行動で、さらなる被害が出てしまったらどうするんだい? さらなる被害というのは言うまでもなく君自身のことなんだけど。

 君にもし何かあったとしたら、マルゴーにいる両親や兄上はとても哀しむよ。もちろん僕もだ。考えるだけでゾッとする。そんなことになってしまったら……一家総出で、この王都もろとも犯罪者をこの世から消し去ってしまうかもしれない。大惨事だ。

 だからね、ミセル。王子のことは王都の騎士たちに任せて、君は王城で大人しく──」


 兄の言うことはわかる。

 私がしようとしているのは、たしかに、いたずらに被害を拡大させるだけなのかもしれない。無闇に家族に心配をかけることなのかもしれない。


 でも。


「……大人しく、ただ待っていたとして。それで殿下が戻らなかったら……」


 二度と、マルグリットに女装をさせることはできなくなる。二度とというか一度もしたことないけど。


 いや、それだけではない。

 私にとって何よりも重要なことがある。


「自分だけが、安全な王城で、王子を見捨ててしまったとしたら……。

 その行動は、果たして美しいと言えるでしょうか。私だけが生き残ったとして、そんな私は美しいのでしょうか。

 いいえ。全く美しくありません。

 私は私が美しくあるために、王子を助けに行きます。当然、私自身も無事に戻ってきます。そうでなければ美しくありませんから。

 だから行きます。

 ──サクラ!」


「ブルン! ヒヒーン!」


 厩舎の柵を蹴り壊し、フリッツの青い煌めきを切り裂いて、サクラが私の元へ現れた。

 その馬体にはうっすらと、私と同じ金色の光を纏わせている。

 毎日のように私がこの手でブラッシングをしてあげたおかげだ。


 馬に謎の圧を破られたことに驚き固まっているフリッツを後目に、私はスカートを翻しサクラに跨った。

 私の頭にはビアンカが飛び乗り、その上にネラが飛び乗り、さらにその上にボンジリが乗っかった。


「ではごきげんようお兄様! またお逢いしましょう!」







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