第25話「謎に満ちた男」





「……え、どういうこと?」


 たった今まで目の前にいて、私と口論をしていたマルグリット王子が消えてしまった。

 あのと共にだ。


 同時に、周囲に喧騒が溢れてきた。

 いや、戻ってきた、と言うべきなのかもしれない。かつて王子とこの王都へとやってきたときに聞いた、あの平和な喧騒が。


「ブルル、ブヒヒン?」


「ええ、そうですよね。一体何が……。マルグリット殿下はどこに……」


「ブルルン……」


「匂いでも追えないのですか? 本当に、一体……」


 この意味不明な状況に、私だけでなくサクラも困惑している。

 馬の嗅覚は人間の1000倍とも言われており、ときにそばにいる人間の感情さえその匂いから読み取ることが出来るらしい。

 そのサクラでも匂いを追うことが出来ないのであれば、マルグリットとあの少年は通常の手段でここから離れたのではないことは間違いない。


「いえ、消えた手段など今は問題ではありませんね。マルグリット殿下を追わないと……」


 私はサクラの頭を蹴ってしまわないよう気をつけてながら片足を振り上げ、横座りにしていた姿勢からきちんと馬に跨がる姿勢に変えた。

 乗馬の経験はないが、乗馬をしている人はたくさん見たことがあるので多分出来るだろう。サクラも賢いので、素人を振り落としたりはしないはずだ。


 王子の匂いは追えないが、匂いを残さないよう一瞬で移動、そう、例えば転移のような移動をしたとしても、無限に移動できるわけではないだろうし、どこかに必ず現れるはずだ。それもこの王都のどこか、ここからそう遠くないくらいの場所に。

 なぜなら、それ以上の距離を転移出来るのであれば、わざわざ街にデートに出てきた王子を狙う必要がないからだ。王城にいる王子を直接転移で攫えばいいだけである。


「……ん? 王城に直接……? もしや、ユリア様を操っていたのも……」


 あの時、ユリア嬢は上の階から落ちてきた。

 そして私は悟った。いきなり「空から女の子が!」な展開に巻き込まれた時、冷静に親方を呼ぶ余裕など一般人にはないのだと。

 私に出来たのはただ、漠然と周りに助けを求めることだけだった。

 なのであの時のことはよく覚えていない。

 が、今になって思い返してみれば、あの時ユリア嬢が落ちてきたのは王子の部屋からではなかったか。

 正確なことはもうわからないが、少なくともあの庭園に面した部屋のどこかに王子の私室があったのは確かである。というか、庭園の眺めがいいので王族の私室や休憩室はたいていあの辺に集中していた気がする。


 だとすると、ユリア嬢を操っていた何者かがもし本当に存在したのであれば、あの時も王子の部屋で良からぬことをしていた可能性が高い。

 つまりあの時からすでに、王子を誘拐せんとする不届き者の暗躍は始まっていたのだ。


 あの時、ユリア嬢の話をもっと真面目に聞いていれば。

 立ち昇り去っていく黒いもやを追っていれば。

 結果は違っていたのかもしれない。


「……いえ、今更言っても仕方のないことですね。それより、今は殿下を探すのが先決です。

 サクラ、とりあえず殿下の匂いを追って王都中を走り回りますよ。大丈夫、貴方ならできます。何なら屋根とか乗ってもいいですし、面倒なら空とか飛んでも構いません」


「ブルン!? ブルル……。ヒヒン!」


「そうですか? 飛んだほうが探しやすいと思うんですけど……。

 でも確かに、地に足をつけて捜索するというのも一理ありますね。叩き上げの警察官が捜査は足を使えとか言ってるドラマもあった気がしますし。賢いですねサクラ。よし、では王都民の皆様を轢かないように気をつけて、ごーです」


 手綱を引き、両足の踵でサクラの腹をこすりあげる。

 それで正しかったのかはわからないが、サクラは私の意思を汲み取り、通行人を避けながら勢いよく走り出してくれた。


 しかし。


 その歩みはほんの数メートルで強制的に止められてしまった。

 もう手がかりを見つけたとか、嫌になって走るのをやめてしまったとか、そういうことではない。

 何者かによって無理やり動きを止められてしまったのだ。

 その証拠に、サクラの四本の脚は全て、地面から少し浮いた状態でぴたりと止まっている。





「──いいや、それは認められないな」





 そして、何者かにそう話しかけられた。


「……どなたですか?」


 おそらくサクラを強制停止させた現行犯だろう。私自身が馬を駆けさせてはいけない大通りで馬を突然走らせた現行犯であることにはとりあえず目を瞑っておく。


「……えっ?」


 私が誰何すると、現行犯は驚いたような声を出した。


「えって何ですか。急に馬を止められたら誰だってそう聞くと思うんですけど」


 驚かれる筋合いはない。むしろ驚きたいのはこちらのほうだ。乗ってる馬が急に空中で止まるとか、これが一般人なら動揺して叫び声をあげているくらいだ。私は宇宙一美しい令嬢なのでこの程度で済んでいるが。


「ああ、なんだ。急にやったのがよくなかったのか。それでついそう聞いてしまっていただけなんだね。てっきり僕の声を忘れてしまったのかと……。いやいや、そんなことあるはずがなかった」


 などと、現行犯は意味不明な供述をしている。

 というか、この声、聞いたことがある気がするな。


「……もしかして、フリッツお兄様ですか?」


「そうだよ! やっぱりね! ミセルが僕の声を忘れているだなんて、そんなことあるはずがなかった! いや全然そんな心配してなかったけどね!」


 よくよく見渡してみると、いつの間にかサクラのすぐ側にマルグリット王子にも劣らぬ美貌の青年がいた。

 私の小兄ちいにい様である、フリードリヒ・マルゴーだ。


 まあマルグリット王子に劣らないと言っても、それはあくまで総合的な美しさランクの話であって、その方向性は全く違う。真逆だと言っていい。

 マルグリット王子がカワイイ系イケメンだとすれば、フリッツはストレートにカッコイイ系のイケメンである。小兄様だがカワイイ系ではないので、わかりやすく言うと「ちいかわいくない」と言ったところか。


 ということは、サクラの動きを止めているのはフリッツの謎スキルであるらしい。

 父もそうだが、私の二人の兄はこういう、何かよくわからないけど強者がしそうなムーブに不可欠な謎スキルをいくつも持っているのだ。風もないのに髪が逆立ったりマントがなびいたり、足元の地面が突然ひび割れたり瞬間移動したり。


 今のはそのうちのひとつ、謎の瞬間移動と謎の金縛りだろう。


「フリッツお兄様。認められない、とは一体どういう意味なのでしょう。あと、どうして王都に? あ、もしかして新事業の関係ですか?」


「認められない、と言ったのは、その通りの意味だよ。王子が攫われてしまったのは僕としても痛恨の出来事だが……。その捜索にミセルが参加するのは認められない。そういうのは騎士たちに任せてお前は城に戻りなさい。

 僕が王都にいるのは父上の代わりに陛下にご挨拶をするためだよ。ミセルは街にほとんど出て来ないし、王城でも決まったエリアにしか行っていなかったから全然会えなかったけど、しばらく前から王都には来てたんだよ僕。

 ていうか新事業って何? 何のこと?」


「新事業とは新しい事業のことです。ハインツお兄様とフリッツお兄様が共同で立ち上げる事業ですよ」


「え、僕事業立ち上げるの? いつ?」


「もう始まってるんじゃないでしょうか。いえそんなことより、マルグリット殿下の捜索には私も参加いたします。ていうか私が見つけます。よろしいですね?」


「よろしくないよ。普通に駄目だよ。ていうか事業ってなんだよ!」






★ ★ ★


ちなみにストックが切れたので、昨日くらいから自転車更新になってます。

自転車操業の毎日更新版という意味です。自転車を新しくするという意味ではありません。


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