第24話「目の付け所が違う」





 幸せな気持ちの中、王城へと戻るその途中のことだった。

 サクラが急に足を止め、不機嫌に鼻を鳴らした。


「どうした、サクラ。何かあったのか?」


 手綱を引いたり、足でサクラの脇腹を擦ってやったりしたが、彼は一向に歩こうとしない。

 このままでは往来の邪魔になってしまう、後続に謝らねば、と振り返ったが、後ろには誰もいなかった。

 それどころか、いつの間にか街の喧騒も消えてしまっており、ひっそりと静まり返っている。

 いつも通りの王都の光景であるにもかかわらず、まったく知らない場所に迷い込んでしまったような不安に襲われた。


「……これは……」


「あら? 以前はたしか、毎日がお祭り騒ぎみたいなニュアンスのお話をされていたかと思いますけれど……。今日はずいぶんと静かですね」


 ミセリア嬢も不審に思っているようだ。


「これなら、マルゴーの方がまだ賑やかなくらいです」


 マルゴーには私もしばらく滞在していたから雰囲気はわかる。

 あそこの賑やかさというのは、なんというか、人々の生の営みによるものというよりは、練兵場の喧騒に近いものだったように思える。あくまで私が感じた雰囲気では、だが。


 しかし言われてみれば、この静寂は少しだけその雰囲気をまとっているような気もしてくる。つまり、戦場に似た気配、ということだ。

 ミセリア嬢が言った「マルゴーの方が賑やか」というのはおそらく、このひりついた気配を指して、マルゴーの魔物たちの方がもっと強い気配を放っていた、という意味なのだろう。深い。さすがはミセリア嬢だ。

 彼女ならマルゴーの魔物クラスの不埒者にも慣れているのかもしれない、が、婚約者であり彼女の騎士であらんとする私が、彼女の影に隠れていることなどできない。


「……ミセリア嬢、しばしこのままお待ちを」


 私はミセリア嬢をひとりサクラの背に残し、街道に降りた。

 そして声を張り上げる。

 この異常な状況は明らかに我々を狙ってのものだ。となれば敵はすでにこちらを捕捉しているはずだ。そうである以上、叫んで騒いでも特にデメリットはないだろうし、黙って待っている理由もない。


「何者だ! 我々に何の用だ!」





「──そんな大声出さなくたって聞こえてるよ。でも、僕の気配に気づくなんてなかなかやるね。いや、これだけおかしな状況ならどんなザコでもおかしいって気づくか。むしろ、おかしいことはわかるけど何でおかしいのかわからないから無意味に大声を上げてるのかな。やっぱザコじゃん」





 どこからともなく声が聞こえた。

 その内容は腹立たしいものであったが、声の主の言う通り、相手の正体もこの現象の本質も何もわからず、ただ大声を張り上げただけなのは事実だ。

 婚約者であるミセリア嬢を守らねばならないというのにこの体たらく。

 私は内心で歯噛みした。


「……ちょっと何言ってるのかわからないですね。私は誰にも気が付かれないくらい影が薄いですって自己紹介でしょうか。自己主張が強いのに影が薄い人なんて初めて見ました。変わってますね」


 しかし、そのミセリア嬢が馬上から私にそう囁いた。

 そう言われると確かにそうかもしれない。

 囁きの内容と、内緒話をしているかのような気安さに、私はなんだか嬉しく、そしておかしくなってしまった。


「ふふっ。確かにそうですね。私も初めて見ました。まあ見たと言っても姿は見えないのですが」


「え、見えてますよね?」


「え?」


 もしや、ミセリア嬢には私には見えない何かが見えているのだろうか。

 いつだったか、猫には人間には見えない何かが見えている可能性がある、とミセリア嬢から聞いたことがある。ミセリア嬢が飼っているネラは猫ではなく正確には虎型の魔獣の仔だが、今は可愛い仔猫のようなものだ。

 そのネラから何かを学んだのだとすれば、ミセリア嬢にも見えない何かが見えていてもおかしくはない。


「ほら、あそこにいらっしゃいますよ。姿ですけど」


 ミセリア嬢はその美しい指をぴんと伸ばし、街道脇の路地を指さした。

 まるで自ら光を発しているかのごとき美しい指先の先を視線で追うと、そこには確かに人がいた。

 ミセリア嬢が言う通り、一度見たら忘れられないくらいだ。

 立派なヒゲをたたえた顔も厳つく、見ているだけで威圧感を覚えてしまう。身体もただ大きいだけでなく、引き締まった筋肉に覆われていることが服の上からでもわかる。

 周囲から完全に人の気配が消えている中、一人だけ残っている彼は明らかに異常だ。ミセリア嬢に言われるまで全く気が付かなかった自分が不思議なくらいだ。


 先ほど聞こえた声とはイメージが全く違うが、他に怪しい者はいない。仮にいるとしても、あの大男がこの異常に関与していることは間違いないだろう。


「あれか!」


 つい声を上げてしまった。

 その声に大男は、私たちと目が合ったことに気づいたようだった。


「──あ? なに? 僕に気付いたの? 今度こそ本当に?」


 路地の入口にしゃがみ込み、壁に半身を隠していた大男が立ち上がった。

 先ほどと同じ声だ。あの声はあの大男のものだったようだ。

 厳つい大男から聞こえる、高めの少年の声。脳がバグりそうになるが、私だって美形の王子に見えるが実際は女なのだ。他にも見た目と中身が違う者がいてもおかしくはない。


「ザコにしては早かった、かもね。よくわかんないな。今まで気がついた獲物は居なかったし。僕の【支配の残滓アンシャン・レジーム】に囚われた状態で、初めて僕に気がついた……。それは少し毛色が違うだけのザコなのか、それともザコじゃないのか……」


 大男はブツブツと呟きながらこちらに歩いてくる。

 その歩みはしっかりとしており、自信に満ちているように見えた。つい先ほどまで建物の陰に隠れていた者とは思えない足取りだ。


「ま、どっちでもいいや。僕のすることは変わらない。ミセリア・マルゴー。お前を排除し、第一王子を連れて行く」


 謎の大男、いや、賊の狙いはインテリオラの第一王子である私であるらしい。

 そして、そのためにミセリア嬢を排除すると宣言した。

 私のことはいいとしても、ミセリア嬢に危害を加えようとするのであれば見過ごすことは出来ない。


 私はサクラとミセリア嬢を庇うように一歩前へ出た。


「うん……? あれ? 王子が前に出てくるの? 護衛が馬に乗ったままで? どういうこと?」


 大男は人差し指を自分の頬に当て、首をかしげている。

 これを可愛らしい女子がやっていたなら、たとえばミセリア嬢がやっていたならよく似合っていたのだろうが、髭面の大男がやっていても違和感がひどいだけだ。

 なんというか、声と仕草と見た目が全然合っていない。

 実に気持ち悪い男だ。


 しかし、ミセリア嬢の受けた印象は違ったらしい。


「……あら。あの方、悪くありませんわね」


 私は耳を疑った。

 悪くない、とはどういうことだろう。

 まさか、ミセリア嬢はあのような、髭面のマッチョが好みということだろうか。


「……ユリア様のドレスが似合いそうです」


 さらに続けて聞こえてきたその言葉に、私は一瞬意識が飛んだ。


 ユリアとはユールヒェン・タベルナリウス侯爵令嬢のことだろうか。

 このゴリゴリのマッチョが侯爵令嬢のドレスを着るのか。そしてそれが似合うというのか。


 あり得ない。あってはならない。

 正常な判断だとはとても思えなかった。

 もしかしたら、ミセリア嬢は気丈に見えてもこの状況に恐怖を感じているのかもしれない。

 そのせいで判断力、あるいは認識力が著しく低下し、まともな思考ができなくなってしまっているのだろう。

 そうだ。きっとそうに違いない。


「ミセリア嬢、気を確かに!」


「……確かですけど?」


「確かじゃありません! 落ち着いてください!」


「……お言葉ですが、落ち着いていないのは殿下の方では。ほら、あちらのが近付いてきてますよ」


 可愛い男の子などどこにもいやしない。

 いるのは髭マッチョの大男だけだ。


「目を覚ましてください!」


「見ればわかると思いますが、私は起きてますよ」


「そうじゃなくて!」


 私は可憐なミセリア嬢が動揺のあまりおかしなことを言っていると思うと耐えられなかった。何としても正気に戻ってもらいたい。そう思った。


 しかし、状況はそれを許さなかった。


「──なんだこれ。王子が護衛を守ってるの? しかも、戦闘中に痴話喧嘩? 僕のことを馬鹿にしてるのか? それとも馬鹿なのかな? まあいいや。護衛が役立たずで王子の方が前に出てくるって言うんなら……そっちの方が手っ取り早い」


 妙に低い位置から男の声が聞こえた、と思った次の瞬間。


 私の意識は閉ざされた。





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