第23話「偽りの」





 ミセリア嬢が私の馬、ファルサクラースに改めて名付けをしたあの時。

 私はたしかに感じとった。

 クラースの名が、間違いなく『サクラ』へと変わったことを。

 それがミセリア嬢の言う、彼の本質を表しているかどうかはわからない。

 しかし、かつて幼い私が八つ当たり紛れに名付けた名、『ファルサ・クラース偽りの明日』よりはよほどマシだろう。詳しく聞いてみたところによれば、『サクラ』とはいずこかに咲く出会いと別れを象徴する花の名であるらしい。


 出会いと別れ。

 いくつもの思惑が絡み合った結果為された、仮初めの婚約者という出会い。

 そして私の中に芽生えた、彼女を守り抜き、来るべき時には相応しい者へと託そうという思い。それが意味しているのは、彼女との別れ。


 そう考えれば、なるほど。

 彼女がクラースに『サクラ』と名付けたことにも不思議な運命を感じてしまう。

 そしてこの名が、私が付けた『ファルサ・クラース偽りの明日』から本質を抜き出しているというのなら。


 幼き日、自らに課せられた使命と虚飾にまみれた未来に絶望したあの頃にはすでに、私とミセリア嬢の出会いと別れは決まっていたのかもしれない。


 今日、私はミセリア嬢に誘われ、クラース──サクラに跨がり王都へと繰り出した。

 王都の大通りでは普通に馬の乗り入れが許可されている。馬車も多く通るため、馬を規制してしまうと方々に影響が出てしまうからだ。

 逆に、馬車の横行を邪魔しないよう、乗馬であっても馬車並みの速度に抑えることが義務付けられてはいるが、その程度、デートであることを思えばむしろメリットとなる。


 デートだと考えるとかなり面映ゆい気持ちになるが、同時に誇らしさも湧いてくる。

 街を歩く全ての人が私たちを見ている気がする。いや、間違いなくそうだ。

 馬の背に腰掛けたミセリア嬢を、横抱きにするように優しく抱えながら手綱を取る。

 まさに美男美女以外の何物でもない私たちの姿に、感銘を覚えない者などいやしない。

 この私こそ、世界一美しいミセリア・マルゴーの婚約者なのだ。

 たとえいつか別れる運命なのだとしても、今この時だけは私だけが彼女を独占することができる。

 そのことが素直に誇らしく、また寂しくもあった。





「──本日は、マルシェの方はよろしいのですか?」


「ええ。お金持ってませんし」


「そんな事、気になさらないでください。私が出しますよ。それに何も買う予定がないとしても、売り場を見ているだけでも楽しいものではありませんか? 例えばドレスやアクセサリーなどは」


 女性の全てがそうである、とは言わないが、少なくとも私はそうだ。

 店に並ぶ華美なドレスやアクセサリーを眺めながら、それを身に着けた自分の姿を夢想して楽しむのだ。自分では決して身に着けることが出来ないと知りながら。

 もちろんそんなことばかりをしていると店にも不審に思われるので、何点かは母や姉たちに贈るという名目で購入し、実際に彼女たちに贈っている。


「ドレスやアクセサリーはユリア様が貸してくださるので……。それに、買う予定がないと言っても、見ていればやはり欲しくなってしまうものですわ。それはそれで辛いものですから」


 その気持ちは私もよくわかる。物心がついてからずっとさいなまれてきた感覚だ。どれだけ女物のドレスやアクセサリーを求めたとしても、決して自分で手にすることは出来ない。


「支払いなら私に任せてください。こういうのもその、こ、婚約者の甲斐性というものですから!」


「ありがとうございます、殿下。そのお気持ちは大変嬉しいのですが……。やはり、甘えてばかりというわけにもいきませんわ。いくら欲しいと言っても、これ以上ペットが増えても困りますでしょう?」


 欲しいものってペットなのか。それはたしかに困る。

 考えてみれば、ミセリア嬢はドレスやアクセサリーなど無くても十分に美しいのだ。これは化粧品も同じだ。今も薄く自然に何らかの化粧が施されているようだが、きっと王城に勤めている侍女のものを少しずつ借りたりしているのだろう。生まれながらに美しかったのであろうミセリア嬢ならば、目元や口元をほんのりと彩るだけで充分だ。むしろ、下手に厚く化粧をしないほうが映えるとまで言える。

 化粧と一口で言っても奥が深く、そこそこの器用さがあればある程度出来るようになる一般的なものから、元々の顔の形から全く変えてしまうほどのものまで存在すると聞く。そこまでのものは【メイクアップ】だかなんだかというスキルがなければ修得出来ないそうだが。

 その領域の技術でミセリア嬢の美しさに迫れるのであれば、彼女が化粧をする意味も出てくるのかもしれないが、そうでないのならあまり手を入れないほうがいいのだろう。

 マルゴーで話していたときも、美容、つまり自らを美しくする方法や習慣については熱心に話していたが、自らを着飾る方面についてはあまり話題に出なかった。


 そうなると、ミセリア嬢の興味は自分以外のものに向きがちになるのかもしれない。

 そして今はそれがペットのような愛玩動物に集中している、ということだ。

 仮初めとはいえ婚約者である私に興味がなさそうなのはひどく寂しく感じるが、それはあくまで私個人の感傷に過ぎない。


「そう、ですね。ミセリア嬢が欲しいとおっしゃるなら、ペットを買うのもやぶさかではありませんが……」


「ですよね。あ、でも、私個人で自由に出来る女物のドレスやアクセサリーがあるとちょっと嬉しいかもしれません」


 ミセリア嬢はちらちらと私を見ながら、控えめにそう申し出てきた。

 これはもしかして、私からドレスやアクセサリーをプレゼントして欲しいというおねだりだろうか。

 さらに、私からのプレゼントを身に着け、その姿を私に見てもらいたいという願望も含まれているのかもしれない。

 一度そう思ってしまうと、もうそうとしか考えられなかった。

 上目遣いで私を見上げるミセリア嬢が実に可愛らしい。美しい、ではなく、可愛らしく見えるのだ。これは世界一美しいミセリア嬢を前にした感想としては異常なことだ。


 それだけ私が彼女に本気になってしまっているということ、なのかもしれない。

 いつか彼女の隣に立つかもしれない見知らぬ英雄が今から憎らしい。


 ミセリア嬢が「女物の」と敢えて限定したのは気になるが、大した問題でもない。どのみち、女物以外に必要になることなどないのだし。


「もちろん、私からいくらでもお贈りさせていただきますよ! ミセリア嬢はどういったデザインがお好みでしょうか」


「私の好みで選んじゃっていいんですか?」


 物怖じしないミセリア嬢にしては珍しく、おずおずとそう尋ねる。


「それはそうでしょう。他にどなたの好みが必要だとおっしゃるので?」


「……王子殿下の好みも重要じゃないですか?」


(──やはり、ミセリア嬢は私のために新しいドレスを!)





 その後はふたりで納得いくまでドレスを選び、そのドレスに合うアクセサリーや靴を買い、満足しながら帰路についた。







★ ★ ★


例文:ミセリアさんはマルグリットくんのためにドレスを求めています。


問1)この時のミセリアさんとマルグリットくんの気持ちを答えなさい。







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