第13話「肉の名は」
マルシェから離れ、再び馬車に揺られていると、外から聞こえる喧騒はゆっくりと消えていった。
繁華街は抜けたらしい。
小さな窓からは、先ほどまでは見えなかった背の高い建物がちらちらと見えている。
貴族街とかそういうエリアに入ったのだろうか。王城は近いのかもしれない。
というか、何も考えずに乗っていたが、この馬車って王城に向かっているのかな。
あと王城ってペット持ち込みOKなのだろうか。犬とか猫とかヒヨコとかいるのだけど。その前に普通は馬車もペット持ち込みはNGか。うちの仔たちは可愛い上に賢くてよかった。
そう、私はあの屋台のヒヨコを王子にねだって買ってもらったのだ。
王子は私に「汚れる」と言っていたし、馬車内に持ち込むのは王子や侍女が嫌がるかと思い、もちろん馬車に入る前に「綺麗になあれ」と魔法の呪文はかけてある。
その甲斐あってか今にも死にそうだったヒヨコには立派な足が生え、今は馬車の中を元気に飛び回って、私の頭の上に乗ったり、胸元に入り込んだりとやりたい放題である。まあハゲて黒ずんだ尾っぽの方はそのままだったが、これはつまりヒヨコにとってこの姿が正常な状態ということなのだろう。生まれつきなのかな。あるいは親の尾もハゲて黒ずんでいたのかもしれない。
何にしても、この調子で王城で暴れられると多分みんな困ることになると思うのだ。
しかし冷静に考えると、私って結構駄目なやつだな。
愛もないのに駆け落ちし、彼氏の太い実家を頼って転がり込み、挙げ句に金を無心して、買ってもらったペットで彼氏の実家に迷惑をかけるとか。いやまだペットは迷惑かけてないけど。まだ。
これは控えめに言ってかなりの地雷なのでは。
私は美しいからまだいいが、これで唯一の取り柄である美しさすらなかったら完全に致命傷だったところだ。
よかった美しくて。
やはり美しさは全てを解決する。解決できないことは王子の財力に解決してもらおう。
王城に入り、馬車から降りると、馬車を牽いていた馬からすぐに
自由になった馬は王子に近づき、その胸の辺りに鼻先をこすりつけた。
「よーしよしよし……。ああ、この仔は馬車牽き用の馬ではないんですよ。もとは私の騎馬として用意された馬でして……。私の身長が思うように伸びないので、今はこうして私専用の馬車を牽く際に使っていますが」
馬車馬と騎馬は使う筋肉や訓練の内容、しつけ方も違うと聞いたことがある気がするので、流用はしないほうがいいのではないかと思うが、まあ人んちのペットだし私が口を出すことではない。
とはいえ、これからしばらくお世話になる婚約者のペットだ。私が可愛がって悪いということはなかろうし、名前くらいは聞いておこう。どうやら王子もこの馬をたいそう可愛がっているようだし。
「そうなんですのね。この仔はなんという名前なんですか?」
「ああ、クラースと言います。ファルサクラースがフルネームですね。意味は……特にありませんが」
名前が長い。
前世でもそうだったし、なぜこうも馬の名前って長いのだろうか。
まあ馬のゲームが流行ったときなどは愛情を込めて略されて呼ばれていたりしていたし、私もこれからこの仔を可愛がるつもりなので、そうしても問題ないだろう。毎回フルネームで呼んでいたらいつか噛んでしまう気がする。私の美しい舌に傷がついてしまったら人類の損失だ。
「まあ、意味は特にないのですね。それなら略称をつけても問題ありませんね。
んー、そうですね……。では、私は貴方のことを『サクラ』と呼ぶことにしますね。真ん中を取って」
「……何故真ん中を?」
「だいたいの場合、真ん中というのはそのものの本質を表していたりするからです。あと、馬と言ったらサクラなので」
「そう、ですか……」
特に深い考えもなく答えた私の言葉を聞き、王子は少し悲しげな目でサクラを見た。
そんなに悪い名前だっただろうか。
例えば、ペットのイノシシに「肩ロース」とかつけるのは流石にどうかと思うが、「ボタン」と名付けるならギリギリセーフだと思うのだが。
「……サクラ」
「ブルン!」
王子が小さく呼びかけると、サクラは嬉しげに鳴いて王子に鼻を寄せた。こっちにも許されたみたい。
まあ実際のところは、たぶん王子のことが大好きなので何と呼ばれようと嬉しいだけなのだろうけど。そんな空気出してるしこの馬。
そんなこんながあった後、私は王子によって客間のような棟に案内された。
雰囲気としては迎賓館に近いものだと思う。外国からの賓客や、国内の貴族向けの宿泊棟だろうか。
江戸時代の参勤交代とまでは言わないが、地方貴族が王城に来なければならないケースも多いし、彼らの全てが王都に別荘を持っているわけではない。そういう時のためなのだろう。
私を宿泊棟に置いた後、王子は国王へ報告に行くと言って出ていった。
まずは婚約者として国王に話を通し、それが問題なく認められれば謁見も叶うだろうということだ。
国王の方から結婚しろとか言ってきておいて、いざ来てみたら会うのにさえ許可がいるとか実に良いご身分だが、実際に良いご身分なので仕方がない。
それに元々は結婚であった話をひとまず婚約という内容に変更してもいる。
付け加えると私は家出をしてきた身だ。
簡単にはいかないのも無理はない。
城に来れば国王に会えるかと漠然と考えていたが、そうそう上手くはいかないようだ。
むしろ、お金も無いのに泊まるところがあるだけありがたい話なのだろう。
最悪はこの美しさを活かして生活費を稼ごうと考えていたが、それはする必要はなさそうである。
(……そういえば、マルゴー家って王都に別荘とか持っているのでしょうか。父が王都に来ることはまずありませんが、マルゴー家の関係者が誰も王都に寄り付かないなんてことも無いはずなのですが)
地方貴族が王都にやってくるのは、何も王族や中央貴族のためだけではない。
国の経済の中心である王都で人脈を作ることで、自領に新たな事業や商会を引き込み景気の向上を狙ったり、自領の特産物を王都周辺で販売するルートを開拓したりと、自領にとって少しでも有利な状況を構築するためである。
もちろん経済的なことだけでなく、政治においても同じことが言える。
例えば、ゴボウの生産で生計を立てている領地があったとしよう。そして王国中央議会でゴボウに対する税率の見直しが議題になり、大幅な税率の上昇が決議されたとする。そうなった場合、ゴボウで生計を立てていた領はどうなるだろうか。
まあ普通に考えればありえないし、例えば小麦などの生活必需品であれば例え議会であろうと国王であろうとそのようなことは出来ないよう法に定められてはいるが、ゴボウならば絶対に有り得ないとは言い切れない。
そうならないためには、地方貴族といえども国政の世界にそれなりの影響力は必要になる。
特に、通信面において前世と比べ遥かに劣っているこの世界では、物理的な距離というのは非常に重要なファクターだ。
それを考えれば、地方貴族が王都に別荘を持つのは当然の流れであり、必要なことであると言える。男爵や士爵のような下位貴族であればそこまでの余裕はないかもしれないが、辺境伯ほどの上位貴族であれば持っていて当然のものだ。
ただそうは言っても、マルゴーが特殊な領であるのも確かだった。
何しろ領地の広さの割に人口が少ないせいか、基本的に自給自足が成立していて、他領との金銭や物品のやり取りがほとんどない。あるとしても、マルゴー領で獲れた魔物の肉や毛皮を近隣の領の村々にお裾分けとして配るくらいだ。見返りにその村の特産品や金銭を受け取ることはあるが、収入として計上されるほどではない。
また魔物の領域への防波堤としての役割を期待されてきた性質上、マルゴー領に対しては一切の税がかけられていない。
そう考えると、マルゴー家は別に王都に別荘など持っていなくてもいい、と言えなくもない。家がなくてもいいと言えなくもないのだ。
(んふふ。王都に別荘があるのかどうか、聞いておけばよかったですね。あればそこに泊まることも──あ、そういえば家出してきたんでした。どちらにしても使えませんね)
別荘どころか、手持ちの金貨もなければ使用人もいない。
とても貴族の令嬢とは言えない状態である。
幸い私はマルゴー家の方針と前世の記憶のおかげで、身の回りのことくらいは自分で出来る。だから侍女や使用人などは必要ないが、生活費はさすがに必要だ。
王子との婚約も方便にすぎないし、用が済んだら城を出なければならない。
その後は一応報告もあるしマルゴー領に帰るつもりだが、少なくともそこまでの旅費くらいは必要になるだろう。
「……とりあえず、この部屋に案内されたということは、しばらくここで寝泊まりをしても良いということなのでしょう。ならば今のうちに、『盟約』とやらを確認した後のためにお金を稼ぎに行くとしましょう」
すでにこの部屋の場所は完璧に覚えている。
ひとりで城内をうろついても迷うことはないだろう。
◇
と、思っていた時期が私もあった。
「……どこでしょう、ここ……」
とりあえず、貸し与えられた部屋から城の外に出る道を確認しようと歩き回っていたのだが、見事に遭難してしまった。
城の敷地内の馬車駐めまでなら行けたのだが、馬車用の出入り口からは人は出られないようになっているらしく、そこから外に出ることは叶わなかった。
そのまま、どこかに出られるところはないかと建物に沿って歩いていると、いつの間にか内庭に入り込んでしまっていたようだ。
この内庭がまた美しく、庭師の技術と創意工夫がこれでもかと盛り込まれ、まさに生きた芸術作品と呼ぶにふさわしいものだったので、つい見入ってしまった。
そうして庭を見学しているうちに、自分の歩いてきた道を見失ってしまったというわけだ。
なんかそういう言い方をすると人生に迷っている中年みたいな印象になるな。転職を考えているけど踏ん切りがつかない、みたいな。
「まあ、ここがどこでもかまいません」
迷ってしまってはいるが、しかし私はそれほど不安には思っていなかった。
なぜならこの中庭は美しく、この私が存在するにふさわしい舞台であるからだ。
ついでに付け加えるのなら、これだけ丁寧に管理されているのであればここを維持している庭師は毎日手をかけているのだろうし、それならそのうち誰かに会うだろうと考えたからでもある。
「あら……。あれは」
開き直って堂々と中庭を見学していると、バラの植木に囲まれた純白のガゼボが目に入った。
バラの赤と緑、そしてガゼボの白の対比が実に美しい。
あのガゼボの中にもし私が立っていたとしたら、きっと見る者全てを魅了する素晴らしい光景となるだろう。
私はふらふらと、まるで花に
(……このガゼボがもしただの花ではなくて食虫植物だったとしたら、私は食べられてしまいますね)
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