第14話「悩める侯爵令嬢、ユールヒェン・タベルナリウス」
小さな頃から、私はお姫様になるのが夢だった。
私の父は侯爵なので、生まれながらに姫と呼ばれるにふさわしい身分ではあった。
しかし物語で紡がれるようなお姫様かというと、そうではない。
お芝居や物語でお姫様と言えば、それは王女のことを指している。
もちろんそのほとんどは実在の国の話ではないが、この国に実在している王女も物語の登場人物に負けず劣らずの美貌と気品を備えていた。
王女たちと出会った時、私は「私ではお姫様にはなれないのだな」と理解した。
そもそも侯爵家の娘にすぎないし、美貌や気品という点でも王女たちには敵わない。
けれど、それでも。
私はお姫様になりたかった。
それが駄目なら、せめて、物語の登場人物になりたかった。
そう、だから。
このインテリオラ王国で、希望の象徴とされる第一王子。
王国の全てに望まれて生まれた彼ならば、きっといつか大きなことを成し遂げ、物語の主人公として語られることになるだろう。
そんな王子の、主人公の隣に立てるのであれば。
お姫様になれなかった私でも、物語のヒロインにはなれるかもしれない。
王子との結婚を夢見る私と、王家との縁を強めたい父の意向は一致していた。
そのおかげで私は父に付いてよく王城へと足を運んでいた。父は侯爵でインテリオラ王国の財務大臣でもあったため、毎日登城していたからだ。
その日も私は王城に来ていた。
王子はしばらく外遊に行っているとのことで不在であったが、王子が居ないからと急に王城に行かなくなるのもあからさますぎるかと思い、王子が居ない間も休まず日参した。
それに、そろそろ王子が戻るかもしれない、という情報も父の元には入っていた。
その情報はたしかであり、まさにこの日に王子は帰城していたのだという。
ただ国王陛下へ報告や相談があるとのことで、私が会うことは叶わなかったが。
父の手伝いとしてやっている財務省の書類整理を終えた私は、父の仕事が終わるまでの時間潰しに王城のバラ園に行くことにした。
いかに財務大臣の娘とは言え、用もなく王城へ来られるわけではない。あくまで父である財務大臣の手伝いをするという名目で来ているのだ。
しかし名目とは言え私は手を抜くつもりはなかった。もちろん本職の文官たちに比べれば拙いものではあるのだろうが、私なりに精一杯、与えられた仕事を全うしようと努力をしていた。その気概さえない人間が物語のヒロインになれるなど到底思えないからだ。
その甲斐あってか、はじめは私を胡散臭げな目で見ていた父の部下の方々にも、今では褒められることもあるくらい仕事に慣れることが出来ていた。
(……あら。誰かが)
バラ園には珍しく人影があった。
それも、私のお気に入りのガゼボの中にだ。
もちろんここは王城であり、お気に入りの場所と言っても本来は私のものではない。
だからそこに人が居たからと言って私が何かを言えた立場ではないのだが、基本的に王族以外が来ることのないここに人が居るのは不審に思った。
私がここに入ることを許されているのも、私が王城内で曲がりなりにも仕事をしているということと、父の立場のおかげなのだ。
(背格好からすると、女性ですわね。もしや、王女様……?)
バラの生け垣越しに遠目に見えている部分だけでも、その立ち姿の美しさが伝わってくる。
(……いえ、違いますわね。銀髪ではない)
けれどその女性の髪は明るい金色であり、どちらの王女の髪色とも一致しなかった。
私と同じように、王城で働く高位貴族の子女なのかもしれない。
王城は広いため、同じように城内で親の手伝いをしている貴族子女がいないとは限らない。
あるいはもしや──不審者だろうか。
警備が厳重な王城に不審者が入り込む余地はない。
そんなことはわかっているが、何事にも例外は存在する。これも私はよくわかっていた。
知らず知らずのうちにこわばっていた身体を無理に動かし、私はゆっくりと不審者(仮)へと近づいていく。
慎重に歩みを進めていたつもりだったのだが、緊張のせいか、ドレスの裾を生け垣に掠らせ音が鳴ってしまった。
この静かなバラ園で、その音は思いの外大きく響いた。
その音に気付いた不審者(仮)が振り向く。
ガゼボの屋根で影が出来ているというのに、まるでそこだけが陽の光に照らされているかのような、溢れんばかりの煌めきが私の目を襲う。
まさに太陽の化身だ、と思った。
古来より、地上の全ての生き物が恋焦がれ、しかし決して近づくことはできない。
どれだけ手を伸ばしても触れることさえできず、いかな権力を手にしようとも、ただただ地上から眺めているだけだ。
太陽とはそういうものである。
そして、今私の目の前にいるのも直感的に「そういうもの」だと感じられる存在だった。
「貴女は──」
◇
姿だけでなく声まで美しい彼女が言うには、広い王城で道に迷い、ついバラ園に入り込んでしまったとのことだった。
私が危惧していたように、不審者が侵入していたわけではなかったようだ。
では、そもそもなぜ彼女が王城にいたのかと言うと──第一王子マルグリットの婚約者になるため、なのだと言う。
ずっと
それがぽっと出の令嬢に掻っ攫われたことには、たしかに思うところはあった。
しかし彼女に実際に会って話してしまえば、そんな嫉妬心すら霧散してしまう。
それほどまでに彼女は美しかった。
彼女のドレスは長旅のせいとかで少々くたびれてしまっていたが、その程度のことではその美しさは微塵も揺るぎはしない。
ああきっと、物語に謳われる人間というのは、こういう人たちなんだろう。
血筋だとか、才能だとか、あるいは美貌だとか。
それは何でもいいのかもしれないが、それが何であれ、誰にも負けない輝く何かを生まれながらに持っているような人たち。
彼女は田舎出身であり、現在は住居もお金もないそうだが、そんなことはなんのマイナスにもなっていない。むしろそういう大きなハンデを背負った状態から王子に見初められ、婚約者として成り上がっただなんて、これ以上ないほどの物語性に満ちていると言えるだろう。
そうしてごく自然に、それがまるで予め決まっていたことであるかのように、私は夢を諦めた。
また同時に、この美しい人がさらなる物語を紡いでいく様子を見てみたいと、そう思ったのだった。
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