第9話「親の心子知らず」





 マルゴーにやってきて数日、私は毎日のようにミセリア嬢とお茶会をしていた。

 彼女はその容姿が美しいだけでなく、話術も神がかり的に巧みであった。


 ミセリア嬢がお茶会でする話題は、どれも美容についてのものだった。

 それはまるで私に女性らしい装いを求めるかのような内容ばかりで、もしや私がずっと心に秘めている、普通に姫として生まれたかったという想いを見抜いているのではないかと思ってしまうほどだった。


 こちらのすべてを見通すかのような、深い琥珀色の瞳。いや、確かに琥珀色ではあるのだが、これは本当に琥珀の色なのだろうか。本当はその白金の髪と同じ色で、ただその白金を煮詰めて煮詰めて煮詰め尽くして、その結果凝縮された光そのものの色なのではないのか。

 もしそうなのだとしたら、きっとその瞳はあらゆる闇を照らし出す光の化身であるに違いない。

 そう、人の心の闇さえも。


 いや、そんなことはさすがにありえない、はずだ。

 ミセリア嬢が美容に関する、それも女性向けの話ばかりをしているのは、おそらくは他に話題を持っていないから。

 病弱であるという話だが、そのせいでこの屋敷からほとんど外に出たこともないのだろう。

 マルゴーの地とは常に魔物の驚異に曝されている厳しい環境であると聞いている。病弱では、しかもこのようなか弱い令嬢では、おちおち外も歩けないに違いない。


 そう考えると、ミセリア嬢の境遇に対して同情心が湧いてくる。

 これほど美しく生まれたというのに、外の世界を全く知らずに生きてきたのだ。話の内容が女性向けの美容に関することだけという点からもそれは窺える。

 しかも以前の彼女の言葉からするに、生涯結婚するつもりはなかったという。貴族家の令嬢がそのようなことを自分で決められるはずはないので、おそらく辺境伯の意向だろう。ひどく限定的な彼女の知識もまた辺境伯の命令で与えられたものだとしたら。


 誰より美しくあるべく育てられながら、しかしその美を誰にも見せることはない。


 それは何と残酷な仕打ちであろうか。


(……王命とか関係なく、できれば彼女をこの鳥籠から救い出してやりたいな。いや別にほだされたとかそういうことではなくて、単純に可哀想な女の子を放っておけないだけだけれども)


 彼女は同性だ。私と結ばれることはない。

 私は緩みかけた気を引き締め、ミセリア嬢との歓談を続けた。





 ◇





 その日も、いつもと同じように庭のガゼボでお茶会をしていた。

 違っていたのはミセリア嬢の様子だ。

 この日のミセリア嬢はいつものような快活さは鳴りを潜めており、どこか影のある印象というか、憂いを含んだ佇まいであった。


「ど、どうか、されたのですか? ミセリア嬢」


 聞くつもりはなかったが、聞かずにはいられなかった。

 おそらく彼女のこの姿を目にすれば、どんな凶悪犯罪者でも同じ様にするだろう。

 それほどの抗いがたい「ちょっと聞いてくださいオーラ」をミセリア嬢は発していた。

 これも彼女の美しさの為せる技なのだろうか。


「……実は、私たちの婚約の件なのですが、今更になって父が難色を示しているのです」


「なんですって……?」


 確かに、初対面のときの会談でも辺境伯は縁談自体を無しにしようと話していた。ミセリア嬢が言った婚約の案も乗り気ではなかった。

 婚約とは結婚の約束のことだ。ミセリア嬢と私の婚約は、非公式の場ではあったが、一応王族である私と交わした約束ということになる。

 難色を示しているという程度なら、しかもそれを身内であるミセリア嬢に愚痴をこぼしている程度ならまだいいが、はっきりと反対などと言われてしまえば王家に対する叛意を疑われることになりかねない。

 王家としては辺境の雄であるライオネル卿との諍いは正直困る。私個人としても、これから婚約する予定のミセリア嬢の実家と揉めるのは避けたい。

 しかし社交界には、陽のあたる場所にほとんど出てこないマルゴーの一派を疎む愚か者たちがいるのも事実だ。何かの拍子にそういった者にライオネル卿の愚痴が知られてしまうと面倒な事になりかねない。


 なんとか辺境伯に私とミセリア嬢の結婚を認めてもらわなけれ──いやいや、違う。これはただの婚約だ。王命に叛かないためには必要なプロセスなのだ。その後ミセリア嬢の方から婚約を破棄してもらえば、王命に叛くことなく私も結婚しなくても良くなる。


「それは……よろしくはありませんね。辺境伯のお気持ちを変えることはできないのでしょうか」


「私もそう思って説得をしたのですが……。あの様子では難しいでしょう」


 ミセリア嬢はそう言うと俯いてしまった。

 そんなに私と婚約したくなったのか、と考えれば、なんというか、お腹のあたりがムズムズするというか、訳もなく踊り出したい衝動にかられてしまう。

 いや、冷静になるんだ。

 彼女は女だ。

 私とは真の意味では結婚できないのだ。


「では、一体どうすれば……」


「はい。もうこうなったら私たちが取れる手段はひとつしかありません」


 そうかな、と思ったが、ふんすと気合を入れるミセリア嬢が可愛らしかったのでどうでもよくなった。ひとつしかないならしょうがないな。


「──駆け落ちをしましょう、マルグリット殿下。私を王都へ連れ出してください」


「え」





 ◇ ◇ ◇





 マルグリット王子が王都へと帰還する日がやってきた。

 結局私は、ミセルと王子の婚約については話を進めるとも止めるとも言い出せなかった。

 伝統あるマルゴーの当代の首領ともあろう者が、実に情けないことだ。

 その負い目のせいか、王子を見送る場に当のミセルがいないことを不思議にも思わなかった。むしろこのタイミングであの子に会わずに済んでホッとしていたくらいであった。


 王子の乗る馬車を見えなくなるまで見送り、私は執務室へと戻った。

 執務机に向かい椅子に座ると、クロードがすぐに茶を淹れてくれる。

 それを一口含み、ほう、と息をつく。

 マルゴーの立地や環境のせいか、私は王家に対してそれほどの敬意は抱いてはいないが、やはり普段滅多に訪れない客が自宅に滞在しているというのはそれなりに息が詰まるものだったのだろう。

 紅茶を飲んで気が抜けた瞬間にそのことに気付いた。


 あれ以降私からは何も言わなかったため、婚約の件についてはおそらく王子の口から国王へと伝えられることになるだろう。

 盟約について聞くためにも、近いうちに改めてマルゴー家の人間を王都へ遣る必要があるが、それはハインツかフリッツの怪我が治ってからでいい。

 ミセルが王都に行きたがっていたようだが、あれはこれまでほとんど、いやあまり、いやたまにしかわがままを言わない子だった。そんなミセルのお願いを却下するのは気が引けたが、本人の安全のためにも王都などに送るつもりはない。あの子は物わかりがいいのできっとわかってくれるはずだ。


 確かにこのマルゴーの地は危険だ。いつ魔物の軍勢に襲われるかわからない。しかし、そんな魔物たちと長い間渡り合ってきた実績があるのも事実だ。マルゴーに生きる人々はそれだけの歴史を積み重ね、鍛錬を積んできた。

 そして私がいる限り、この領主館には猫型の魔物の子一匹たりとも入れるつもりはない。

 つまり、このマルゴー領主館こそが大陸で最も安全な場所なのだ。


「そういえばクロード。ミセルはどうしている。あれほど王子と王都に行きたがっていたというのに、見送りには来なかったな」


「……申し訳ありません。閣下が何を仰っているのかよくわかりませんが」


「え、いや、何をって、今そんなに難しいことを言ったか……? 普通にミセルはどうしているのか聞いただけだろう。見送りに来なかったし」


「本気で仰っているのですか?」


 クロードは呆れたように目を眇め、私を見た。

 なんなんだ。親が子を心配して何がいけないのか。

 私が憮然とした視線を向けると、クロードは何かを悟ったように溜息をついた。それが主君に対する態度なのだろうか。これはちょっと不敬では。


「まず結論から申し上げますと、ミセリアお嬢様は現在この屋敷にはおりません」


「は……? な、なぜだ。じゃあ一体どこに……」


「今頃はどうでしょうか。まだ領都を出たばかりのところではないでしょうか。マルグリット王子殿下の馬車の中にいたはずですので」


「なん──」


 驚きのあまり声が出ない。

 なぜそんなことになっているのか。


「お嬢様からは『もう何も言わん』という閣下の言質は取ってあるとのことでしたので、てっきりご存知のことかと」


「そんなわけがあるか! もう何も言わんなどと私は──言った気もするが、それはそういう意味ではない!」


「まあ、でしょうね」


「でしょうね、って、お前──」


 思わずクロードを睨みつけた。

 すると私の視線をまっすぐに受け止め、クロードの雰囲気が変わる。


「──ライオネル。これは人生の先達としての助言だ。よく聞け。過保護なのは良いが、もう少し自分の娘を信じてやれ」


 これはマルゴー家の家宰としてのクロードではなく、一族の親戚としてのクロードだ。

 幼い頃はよく稽古をつけてもらったし、父が亡くなり急に当主を継ぐことになった時はこうして助言も受けていた。

 私がマルゴー家当主として恥ずかしくない力を付け、領主としての仕事にも慣れてきた最近はあまりこの顔を見る機会はなかったが。


「……信じているとも。俺が信用ならないのは、我が領の外の人間たちのことだ」


「わかっている。だが、それでもだ。この領の外の連中が束になったところで、お前の娘はびくともすまい?」


「……あれには、他の子たちのような訓練はさせていない。それに、あれは正確には娘ではないぞ。それはクロード伯父もわかっているだろう」


「そういう話をしているのではないことも、お前ならわかっているはずだがな。それからもうひとつ、今度はマルゴーの地に住まう者の先達として助言してやろう。

 あの娘とて、マルゴーの地に生まれ、マルゴーの地で育った者だ。それも、マルゴーの最初の一族の直系としてな。他の子らもそうだが、訓練など本来は必要ないのだ。ドラゴンは訓練などせずとも生まれつき強いからな」


「我々はドラゴンか……」


「あんなトカゲと一緒にするな、か? 確かにマルゴーにはドラゴンはいないからな。ドラゴンより強いゴブリンならいるだろうが。

 まあ竜でも鬼でもなんでもいいが、あの子なら大丈夫だ。確かに訓練というほどのことはさせていないが、護身術は私がみてやったし、戦闘技術の座学は受けさせている。魔法にいたっては、誰も何も教えておらんにもかかわらずいつの間にか勝手に使っているくらいだ。

 ……もういい加減、好きにさせてやれ」


 それを言われると私も弱い。一族の掟のせいでミセルには苦労をかけた自覚があるからだ。本人が苦労したと感じているかどうかはわからないが、それは私が許されていい理由にはならない。


「……そうだな。確かにそうかもしれん」






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