第8話「言質」





「──残念だが、ハインツもフリッツも今は忙しいようだ。王都へ使者を送るのは難しいな」


 婚約の件で話がある、と父に呼ばれ、執務室に向かうとそう告げられた。


 ところでこの執務室だが、前回訪れたときとは印象が違う気がする。何が違うのかな、と思って軽く見渡してみると、デスクや本棚などの家具がすべて新しいものに取り替えられていた。天井板やカーペットまでもである。模様替えかな。


「お兄様がたはお忙しいのですか。そういえば、お兄様がたは何のお仕事をなさっているのでしょう。お父様のお仕事の補佐とかですか? いえ、そうだとしたらお父様がその繁忙具合を把握してらっしゃらないのはおかしいですよね」


 長男ハインリヒはこのマルゴーの次期領主で、フリードリヒはその補佐だ。父の男兄弟は私が生まれる前にすでに鬼籍に入っているらしく、現在は遠縁のクロードが家宰として補佐をしているが、いずれハインリヒが父の跡を継げば、フリードリヒがクロードの仕事を継ぐことになる。

 であれば、父が彼らの業務の状況を知らずに仕事を投げるのは考えにくい。


「え、ああ、うむ。その通りだ。あれらには普段は私の補佐をさせている。ただ今はその、別の仕事も言いつけてあってな。しかしそれは私には直接は報告されないような、そう、新規事業の立ち上げとか、そういうものだ」


「そうなんですね! お兄様がたはご自身の力だけで新規の事業を立ち上げられているのですね。素晴らしいです。私も妹として誇らしい限りですわ」


 私の目から見ても、マルゴーの領主という立場は多忙だ。

 北方の魔物の領域に対する盾として置かれているため、マルゴーの領地は東西に細長いが、盾には厚みも必要なので総面積はインテリオラ王国でも最大規模を誇っている。

 大半が自然のままとは言え、面積相応に人は住んでいる。代官も複数置いているが、民が多ければ領主としての仕事も増える。

 その上で、武力を以て北の魔物たちに睨みをきかせ続けなければならないのだ。

 そんな領主である父の仕事を、いずれ継ぐために手伝いながら勉強しているのであれば、その勉強量、仕事量はどれだけ多いか見当もつかない。

 その傍らで全く別の事業を立ち上げるなど、尋常な人間にできることではない。


 さすがは私の兄である。


「……そうだな。誇らしいのはいいことだな」


「優秀なお兄様がたのことです。きっとすぐにでも事業を大きくしてしまうのでしょうね。そうなれば、王国の至る所でお兄様の事業の名前を目にする機会もあるでしょう。私が直接見られるかどうかはわかりませんが、そういう噂は流れてくるかも知れませんね」


「……まあ、うむ。しかしだな、すぐにと言っても、さすがに多少の時間はかかると思うぞ」


「多少と言いますと、どのくらいでしょうか。一年ですか? 二年ですか?」


「いやそれはさすがに……そうだな、五年くらいか──」


「長すぎませんか?」


 私が知る限り、兄たちが父の仕事を覚え始めてからそう時間は経っていない。

 にも関わらずすでに新規事業に手をかけられるほどマルゴー領主の仕事に慣れているという。兄たちがそんなに優秀ならば、事業を軌道に乗せるまでそう時間がかかるとは思えない。


「あー、じゃあ、四年……三年で」


「なるほど、なるほど。では三年だけ待てば、お兄様がたの立ち上げた事業が王国を席巻するというわけですね」


「……そうだな。そうなるといいな」


 父は遠い目をした。

 きっとマルゴー家の繁栄する未来をその目に幻視しているのだろう。

 私も今から楽しみで仕方がない。

 そのうち、兄たちの事業で共同出資とかしてマルゴーランドなんてできちゃったりしないだろうか。マスコットは電気を放つネズミ系の魔物とかでどうだろう。

 魔物の領域をダイレクトに体験できるリアルアトラクションパークだ。これは売れる。一日遊べて、運が良ければその日の夕食もゲットできるかもしれない。運が悪ければ野生のキャストの餌になってしまうかもしれないが、そのくらいマルゴーでは日常茶飯事だ。


「ですが、お兄様がたが特使として王都へ行けないとなると、どういたしましょうか」


「マルグリット殿下にお戻りいただき、ご自身の口から陛下に伝えてもらえば良いだろう」


「そうなりますと、陛下とお祖父様の盟約について聞く機会がありませんね……。そもそも婚約をする理由が無くなってしまいます」


「ならば、やはり婚約など無かったことにするのがよかろう」


 そうなのだろうか。提案した時はいい案だと思ったのだが。


 婚約相手のマルグリット王子とは、毎日のようにお茶会をしている。

 私ほどではないが、あの美しさだ。女装仲間になってはもらえないものかなと、化粧品や美容についての話題をさり気なく振っているのだが、これが意外なほど食いつきが良い。

 私がそそのかさなくとも勝手に自分で女装を始めるんじゃないかというくらいだ。

 だから、そんな彼とならば、婚約してみてもいいのかもしれないと改めて思っていた。


 彼の女装が見てみたい。

 そんな個人的な欲望が無かったとは言えない。むしろ、今となってはそれがメインでさえある。

 もちろん、貴族家に生まれたものとして、個人の欲望に従ってはいけないことは十分わかっている。

 何より私は本来であれば人知れず殺されていてもおかしくなかった立場だ。それが女装をするだけで生き延びさせてもらっているのだから、それ以上のことは望むべくもない。


 ただ、ほんのいっときであれ、女装少年と婚約するというパワーワードが脳裏をよぎってしまった。

 婚約も結婚もせず、辺境の屋敷に閉じこもってただ過ごすだけのつもりだった人生。そこに生まれた、一筋の希望の光。

 私にとっては、それがとても価値あることのように思えてならなかった。


「……どうしてもだめですか、お父様」


「いや、駄目というか、意味がないならやらないほうがいいのではないか、というだけなのだが……」


「私が王都へ行き陛下に謁見を願い出るのであれば、十分に意味は作れますよ」


 私としてはもとはそのつもりで提案した作戦だった。

 兄が行くとかいう話になったのは、父が私を屋敷の外に出したがらなかったから。それが私の安全を思ってのことだとはわかっているが、それでも


「お前が王都に行くのは……駄目だな。色々な意味で危険だ」


「ですが、お父様はだめ、お兄様がたもだめでは、もうそれしか手段はないのではありませんか?」


「……それは……いや、やはり駄目だ」


「だめではありません。いいですよね?」


「それを決めるのはお前ではない。いや、普通に本来の意味で本当にお前ではないぞ。なんで自分で決めて良いみたいな空気を出しているんだ。駄目に決まっているだろう」


 強硬に駄目出しをされてしまった。

 ここは一旦引き下がっておくしかないだろう。


「本当に駄目だからな。フリではないからな」


「もう、しつこいですねお父様。しつこい方は嫌いです」


「……もうこれ以上は言わん。だが、わかったな?」


「はい。もちろんです。わかりました」


 父はもうこれ以上は言わない、という事が。






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