第7話「教育的指導」





 その後、私と王子の二人で父を説得し、しばらくは婚約という形で話を進めることに決まった。


 その日は一応双方合意できる話し合いができたとして、一度殿下は休ませることになった。領都の宿は引き払ってもらい、マルゴー邸の客間に泊まってもらう。

 普通の貴族なら迎賓館のひとつやふたつもあるのだろうが、ここマルゴー領にはそんな気の利いたものはない。魔物をもてなす迎撃施設ならいくらでもあるのだが、さすがにそこに殿下にお泊りいただくわけにはいかない。床とか硬いし。トゲとか生えてるし。


 殿下にお休みいただいたあとは父と私の親子会議だ。

 首尾よく婚約できたわけだし、この後は例の盟約についてや国王陛下の真意を探るため、私が王都に行って何とか謁見できるよう調整をする必要がある。

 王子の婚約者ならば、挨拶程度の理由でも王への謁見は叶うだろうか。それともやはり何かしらの理由が必要になるのだろうか。


「言っておくが、お前を王都にはらんぞ、ミセル。何が起きるかわからんからな」


「えっ。ではどうするのですか、お父様。どうやって盟約について調べるというのです」


「……正直、お前自身が婚約したがっている以上、私はもう別にそこは割りとどうでも良いかなと思わないでもないのだが。

 しかし確かに陛下の思惑は気にはなるな。なぜお前を指名したのか、というのは。それに、殿下自身が結婚する気がなかったと言っていたのも少しひっかかる」


 確かに。

 先にも述べたように、結婚なんて理由がないならするべきではない、というのはいつの世においても真理であると言える。しかし、それは逆に理由があるならするべきであると考えることもできる。

 王侯貴族、それも第一王子となれば、家や国の次代を担う後継者に確実に血をつなぐという大事なお役目があるのだ。

 結婚する気がないとか絶対に許されないし、間違っても口にしてはいけない。

 仮に美しすぎる私の気を惹きたかっただけだとしても、これまで一国の王子として教育を受けてきたのであれば、嘘でも言わない言葉であるはずだ。

 だとしたら、あれはでまかせではなく本心だったのかもしれない。しかも、国王も黙認していた可能性がある。

 第一王子にそんな我儘が許される事情とは何だろうか。

 これは素直に興味がある。


「……確か、今代の国王陛下はお妃をお一人しか娶られていなかったはずだな。しかも男児はマルグリット殿下お一人。となれば継承権争いは考えにくい──いや、王弟の大公殿下がおられるか。しかし、そうだとしても第一王子が子を為さないことを陛下が容認する理由には繋がらんな……」


 あ、そういう政治的な理由なのか。考えてみれば当たり前か。

 何だか急に興味が薄れていくのを感じた。

 マルグリット王子も私の次の次くらいには美しかったし、自分のことが好きすぎて他の誰も愛せない、父王も王子のその性癖を容認している、とかみたいな理由だったら面白──興味深かったのに。


「で、私はいつ王都に?」


「話を聞いていなかったのか。いなかったのだな。いや、一度は受け答えしていたよな。じゃあわざとか。行かせるわけがあるまい。お前は留守番だ」


「ですが、お父様が行くわけにもいかないでしょう。お父様はこのマルゴーの守りの要です。ここを離れるだなんて」


 人類と魔物の領域を隔てるマルゴーの地は、いつ何が起きるかわからない。

 今日、隣で笑い合っていた友人が、明日には魔物の餌になっているかもしれないのだ。あるいは逆に、隣で笑い合っていた友人が、明日には魔物を食い漁っているかもしれない。

 自然界とマルゴーは弱肉強食。強いものが勝ち残り、弱い者は食い荒らされる。隣人が魔物より弱ければ餌にされるし、魔物より強ければ食卓に魔物の肉が並ぶのだ。


 そういう場所であるから、マルゴーの地を治める辺境伯には強さが求められる。領地全体を魔物の餌場にされないように、常にその強さを示し続ける必要がある。

 ゆえにマルゴー辺境伯がマルゴーの地を離れることはない。

 一説によれば、辺境伯がマルゴーの地にいることで魔物たちはその存在を感じ取り、普段は自分たちの領域である樹海からむやみに出てくることがなくなる、なんて話もある。たぶんだが、猫よけのペットボトルとかカラスよけのCDとかと同じような感じなのだと思う。


「わかっている。だから、代わりにハインツに行ってもらう。次期領主であるあれならば、私の名代として不足はないはずだ」


 ハインツというのは私の兄である。二人いる兄のうち、上の方、つまり長男だ。

 私と王子が婚約することについての説明と挨拶のために、父親の代わりに兄ハインツが国王陛下に謁見を願いに行くということだ。


 代わりに親が行くを通り越して事実上無関係の人間が行くようなものな気がするのだが、それでいいのだろうか。

 それともこれはあくまで前世を引きずった私の価値観で、貴族社会では普通のことなのだろうか。生まれ変わった現世の家も貴族とは言え少々特殊な立ち位置なので、何が正しいのか私にはわからない。





 ◇ ◇ ◇





「──嫌です父上。お断りします。絶対無理です」


 父の執務室に呼ばれ、とある命令を受けた私はそう答えた。


 私たち兄弟にとって、父は自分たちを守ってくれる強大な守護者であると同時に、一族の頂点に君臨する支配者でもある。

 父からの愛情こそ感じることができるが、その教育方針が厳格であったこともあり、基本的には強さと怖さの代名詞のような存在だ。


 そんな父に逆らうことなど、本来であれば考えられないことだ。

 しかし私は断った。これまでにないほどの勇気を振り絞って。


「……ハインツ。わざわざ言わずともわかると思ったが、これはれっきとした公務だぞ。個人的な理由から公務を放棄しようというのが貴族としていかに愚かなことか、お前には十分に言い聞かせてきたつもりだったが」


「そう言われましても、無理なものは無理です。父上も、常日頃から言っているではありませんか。男として、領主として、時に決して退いてはならぬ一線があるのだと」


「では、これがお前にとっての退けない一線ということなのか?」


「その通りです」


 私は覚悟を込めてそう答えた。

 そう、こここそが私が踏ん張る第一線だ。命をかけて守るべきものである。


「……確かに私は日頃からそう言ってはいるが、それはこのマルゴーが人類の最前線だからだ。我々が退けば、その分力無き民や家族が危険に曝されることになる。正直、こんな程度のことで退けない一線とか言われるのは想定外というか、そういうつもりで心構えを説いていたわけではないのだが──」


「こんな程度のこと、ですって!?」


「うおびっくりした! 急に大声を出すな!」


 出すとも。大声くらいは。


「こんな程度のことではありません! 何をたわけたことを言っているのですか父上! ミセルが嫁に行ってしまうのですよ! そんなこと、我が家にとっての、いえ、マルゴー領全体にとっての損失です! あろうことか、それをこの私が王都に報告に行くなど……! できようはずもありません!」


 ミセルが生まれた時、私は神に感謝した。あと一応親にも。


 我がマルゴー家の第三子として生まれたミセルは、まるで存在そのものが貴き宝であるかのように美しかったからだ。


 しぱしぱと瞬きをするその瞳は角度によって様々な色を移し、まるでこの世の全ての宝石がそこに集約されているかのようで。

 柔らかそうなその髪も、白金で紡がれているのかと思ったくらいだ。

 しかし、ミセルが宝石や貴金属のように血の通わない芸術品ではないことは、薄桃に色づいた頬が物語っている。


 どう控えめに言っても天使、いや、女神だった。


 しかし、神や親に感謝すると同時に、私は絶望した。

 なぜなら、いくらマルゴーが辺境の地とはいえ、貴族家に生まれた以上はミセルはいつかは嫁に行ってしまうからだ。


 失意の中、複雑な心境で『妹』を可愛がりながら過ごした私は、自身の成人のその日、再び神に感謝することとなった。あと親にも。


 父よりこのマルゴー家に伝わる、素晴らしき因襲を聞かされたのである。


 驚くべきことに、この女神の如き『妹』は、実は『弟』だったのだ。


 これを聞いた私は歓喜した。

 そうであれば、ミセルが嫁に行くことなど絶対にありえない。また、婿に行くこともありえない。性別を偽って育てられてきたのならば、結婚など誰ともしようがないからだ。ずっとこのマルゴーの地で過ごすことになるはず。マルゴーを継ぐであろう、このハインリヒ・マルゴーのそばで。


 そう、思っていたというのに。


「……ええと、つまり、なにか、ハインツ。お前は……ミセルの婚約に反対だから、名代として王都に行くのを断る、と言っているのか」


「当たり前です!」


「……その様子だと、じゃあ代わりにフリッツに行かせると言っても、あれも断るのだろうな……」


 フリッツ──フリードリヒというのは私の可愛くない方の弟のことである。いや普通に弟として可愛いといえば可愛いのだが、ミセルと比べてしまうと、何というか、ジャンルが違う。フリードリヒはどちらかと言えば格好いい系の男である。兄の私ほどではないが。

 彼もミセルを溺愛しているので──真の性別まで聞かされているかどうかは知らないが──こんな話を持ちかけられても断るだろう。たとえ、行けば継承順を変え次期領主になれると言われたとしても、だ。


「……かと言って、私が行くわけにもいかん」


「はい。私やフリードリヒでは、まだマルゴーにおいて父上の代わりは務まりません」


 若干の悔しさもあるが、これは事実だ。

 ただし、私やフリードリヒの才能が劣っているとかそういう意味ではなく、単純に鍛えた時間と経験の差だろう。

 かつて予期せぬ出来事により急遽父がマルゴーを継いだ時も、その時点ではまだ父は祖父よりも力が劣っていたという。

 だから「今はまだ」私もフリードリヒも父の域には及ばない、というだけの話である。


「どうしたものか……」


 父は悩ましげに額に手をやった。

 この様子は父にしては少し、らしくないように思える。

 いつもの父ならば、もっと高圧的に命令を下していたはずだ。特に、公務であれば「これは決定事項だ。お前の意見は聞いていない」くらいの事は言ってくるはず。

 それが無く、しかも悩んでいる様子、ということは。


「……もしや、父上もミセルが嫁に行くのが寂しいのでは」


「いや婚約というのはあくまで期間限定で、嫁に行くのも方便だ。実際にするわけではないぞ」


「だったらそれを先に──いえ、方便だろうとなんだろうと、父上も寂しいのではという私の質問の答えにはなっていませんよ」


「答える必要はない」


「それもう答え言っちゃってま──痛い!」


「……いいだろう。久しぶりに稽古をつけてやる」


「今ですか!? 執務室で!?」





 ◇





 マルゴー領は辺境であり、人類領域の最前線でもある。

 ゆえに戦闘に関するすべての事柄で最先端の研究がなされており、医療機関もそのひとつに数えられている。


 父に執務室に呼ばれたその日の夜、私はマルゴーが誇る最先端の医療機関のベッドに横たわり、病室の窓から星を見ていた。





 なお翌日、弟のフリードリヒが隣のベッドに運ばれてきた。








★ ★ ★


申し遅れましたが、本作には特殊な性癖をお持ちのキャラクターが多数登場いたします。

タグに「特殊性癖詰め合わせ」とか登録しようか迷ったほどです。

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