第6話「イチャイチャしやがって」





 私と父の仲がいいかどうかはともかく、少なくともひとつは私と父で共通している思いがある。

 それは、亡くなった祖父を尊敬していたということだ。

 だからこそ、私も父も彼の交わした盟約について知りたかったのだが、王子はそんなものがあったことすら知らない様子である。


 それなのにわざわざこんな辺境までやってきたということは、彼にとって王命はそれほど重いものだということだ。

 であれば本人が言っている通り、少なくとも彼にとってはこの結婚を断ることなどありえない話なのだろう。

 つまりここで彼に何を交渉したとしても、本質的には何も解決しない。


 私やマルゴー家がこの先も平穏に暮らしていくためには、王子と結婚など絶対にするわけにはいかない。

 結婚したところで私には王子の子を産むことなどできないからだ。


 しかし一方で、私は祖父が王と交わした盟約とやらの内容が知りたい。

 それには、おそらくは国王陛下本人から直接話を聞くしかない。


 そうなるとここでの最適解はひとつ。時間稼ぎだ。

 と言っても王子を監禁するとかそういうことではない。

 ひとまずは婚約という形で王家と縁を繋いでおき、国王との接触を狙いたいところだ。目的を達した後に速やかに離脱できれば尚良し、である。


 そうするための算段は私の中ですでについていた。

 婚約破棄と言えばそう、悪役令嬢だ。

 私は第一王子の婚約者となり、彼に寄ってくる身分の低い令嬢をいじめて、その罪により婚約を破棄され、親元に送り返されるのだ。

 完璧な作戦である。もちろん実行可能である部分も含めて。


「ふむ……。お話はわかりました。王命ということならば、従うよりほかないところですが、何分私の娘は病弱でしてな。いつ、国王陛下や王子殿下にご迷惑をかけるかもわかりません」


 一通りの情報共有ができたところで、父がそう切り出した。

 きっと、この流れで「まずは婚約のみということで」と話を持っていくのだろう。さすがは私のお父様である。以心伝心とはこのことだ。


「ですのでまことに残念ですが、今回の縁談は何とか無かったことにするよう、陛下にお口添えを──」


 そうじゃない。

 という強い想いを込め、私は父の手の甲をつねった。

 しかしどれだけ力を入れても父の手の甲はほとんど歪ませることができなかった。なんだこれ。野球のグローブか何かなのか。この世界に野球はないけど。

 手の大きさは一般的な成人男性のそれだと思われるが、もしかしたら異常に皮が厚いのかもしれない。

 他の部分の皮も厚いのだろうか。特に顔とか厚そうだ。

 ちょっと確認してみようか。


「……頬をつねるのはやめなさい、ミセル。今は遊んで良い時間ではないぞ。というか遊んで良い時間でもやるな。なんでお前はたまにそういう奇行をするんだ……」


「……あの、なんでちょくちょく親子でイチャイチャしてるんですかね……。まさかと思いますが、ミセリア嬢は私がいること忘れてたりしますか……?」


 王子に妙なことを言われた。目の前にいる人間を忘れるなどありえないことだ。ただちょっと父の面の皮の厚さが気になったので、一時的に意識の外に置いておいただけである。


「もちろん忘れてなどおりませんし、あと別にイチャイチャもしてません。ていうか遊んでもいませんし奇行もしてませんけど」


 すると父と王子から「何言ってんだこいつ。でも可愛い」みたいな目で見られた。いや後半は想像だけど。たぶんそう。


「お父様。確かに私は病弱で、いつ王族の皆様にご迷惑をおかけするかわかりません。ですがマルグリット殿下もおっしゃっていたように、王命とあらば簡単には覆せないでしょう。

 ですからここはひとまずは婚約という形をとり、殿下が成人するまでの間にどうするべきか検討するというのはどうでしょう。例えば、そう、マルゴー家から陛下に直接その真意をお尋ねするとか」


「いや、駄目──」


「こっ婚約!? 私とミセリア嬢がですか!」


 何か良くないことを言いかけた父の言葉は、王子が上から被せた言葉に掻き消された。

 自分の縁談がなぜ組まれたのかすら聞いておかない使えない王子だが、たまには役に立つようだ。

 それに、頬を上気させてまっすぐに私を見てくる子犬のようなその様子には、何というか、保護欲を掻き立てられるというか、正直ちょっとどきっとした。

 しかし自分で結婚の話を持ってきたというのに、こちらから婚約の話を出しただけでなぜこうも興奮しているのだろう。


 私が怪訝な表情をしていたからか、王子は慌てて弁解する。


「あ、いえ、その、結婚とか縁談とか言われても実感がありませんでしたが、婚約となると、なんと言いますか、急に現実味が感じられると言いますか……」


 胸の前でぱたぱたと小さく手を振るその姿は、男の子とは思えないほどコケティッシュな魅力に満ちていた。


「なるほど……」


(……やはり、彼には何とか女装をしてもらわないと)


 女装さえしてくれれば、私のこのぼんやりした気持ちもきっと、はっきりと倒錯的な欲望へと変わることだろう。

 なにしろ、王子の容姿は大変に美しい。

 私や妹ほどではないが、おそらくは宇宙で三番目くらいにはなれるポテンシャルを秘めている。

 彼が女装しないのは人類全体にとっての大きな損失だと言っても過言ではない。


 もし彼と婚約し、仲を深めることができれば、お願いしたら女装をしてくれる時が来るかもしれない。

 そうなれば、その女装の情報をネタに彼を強請ゆすることで、こちらに都合の良い行動をとってもらうことも可能だろう。陛下との謁見も婚約破棄も思いのままだ。

 ずっと女装してくれるのなら別に婚約は破棄しなくてもいいくらいだ。どうせ私は誰とも結婚するつもりなどなかったし、結婚しても子供を作る行為をする気はない。

 ただ一緒にいるだけでいいのなら、性別なんて些細な問題である。

 美しさの方がよほど重要だ。


「……ミセル。一度婚約してしまえば、そう簡単には無かったことにはできんのだぞ。それにお前は殿下の成人までのことだと言うが、仮にどこかで婚約を破棄できたとして、例えば成人ぎりぎりになって急に相手がいなくなる殿下のことを考えているのか。お前はいいかもしれないが、それはあまりに不義理だろう」


 言われてみれば確かに。

 この国の貴族は基本的に婚約期間を経て結婚することになる。そして、王族や一部の高位貴族はそのほとんどが成人後にすぐ結婚しているらしい。

 なるべく早く子作りを始め、きちんと次代を担う後継者を用意しておくことも次期当主の大事な役割だからだ。

 つまり、王族であるマルグリットにとっては成人までの間こそが前世で言うところの結婚適齢期にあたる、のではないだろうか。いわば婚約適齢期だ。

 もちろん現在の私の計画では、都合良く身分の低めな貴族令嬢が現れてマルグリットと良い仲になり、なんやかやあった結果私が婚約破棄されるシナリオになっているので問題ないはずだが、いかに宇宙一美しい私の計画でも100%上手くいくとは限らないのだ。


 もし身分低めな貧乏令嬢が現れなかった場合、私がしようとしていたのは結婚適齢期が終わる直前に婚約者をリリースするのと同じことになる。

 なるほど、そう考えると確かに罪深い。

 普通だったら男女が逆だろとか、男女以前に男男なのだがそれはいいのかとか、正確には私は男ではなく女装した男の娘、略して女男なので嬲になってしまうのではとか、色々考慮すべき部分はあるが、飾る言葉が何であれ事実は変わらない。


「そうですね……。

 申し訳ありません、マルグリット殿下。私自身にこれまで結婚のイメージが全くありませんでしたので、ずいぶんと身勝手な申し出をしてしまったようです。今のお話は無かったことに──」


「あ、ま、待ってください!」


 王子から待ったがかかった。


「私は……構いません。一生結婚するつもりがなかったのはミセリア嬢だけでなく私も同じですし、その、こ、婚約ならば……王命に叛くことにもなりませんし、あの……」


 王子も生涯結婚するつもりがなかったとは驚いた。

 私は性別上の問題があるし、私の美しさに釣りあう何かを持っている人間などいないと思っていたので仕方がないのだが、王子は何が問題なのだろう。

 いや、結婚するつもりがない人間の全てに何かしらの問題があるはずだ、という考え方自体がナンセンスだ。結婚とは人生を左右する能動的な行為なので、逆にそうする理由がないのならするべきではないと考えるのが本来正しいのかもしれない。きっとそう。


「どうやら私は身勝手でもいいみたいですよ、お父様」


 身長は低いものの、美形で高収入で実家が極太で配偶者の身勝手も許せるとか、この王子実は結婚相手として最高物件なのでは。


「……今の殿下のお言葉を聞いて、まず真っ先に出てくるのがそれか、ミセル……」








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