第5話「エッッッ」





 この国には自分より美しい者などいない。


 王族という必然的に優秀な血が集約されていく一族に産まれ、その中でも私は姉や妹よりも容姿に恵まれている。実際には評価する者の趣味や性癖もあるだろうが、少なくとも私はそう思っていた。


 しかしそんな矜持は、この日、本物に出会ってしまったことで打ち砕かれた。


(……美しい……)


 偽りの王子とは言え、いずれ国政を担う者として最高の教育を受けてきたというのに、感想がたったそれだけしか出てこない自分が嫌になる。

 いや、違う。

 たとえ幾千、幾万の言葉で装飾したとしても、この美しさの前では何の意味もないのだ。

 ただ「美しい」という、その一言だけでこの感動を表すには十分であり、そして「美しい」とは本来この感動以外のために使うべきではなかったのだ。


 そう、この世の全ての「美しい」は、目の前のこの令嬢のためだけに存在している。

 この令嬢を語り伝えるすべを誰も持っていないからこそ、別のなにかで代替しようと悪足掻きをしてしまうのだ。

 世に存在するすべての「美しいもの」はあくまで、不完全ながらも彼女を表現しようとした神々の悪足掻きにすぎない。

 彼女こそ、醜きものどもの蔓延るこの現世を──


「あの、マルグリット殿下。お言葉の途中でどうかされたのですか? エッ……の後はなんでしょうか」


 そうだった。

 私は挨拶の途中なのだった。


「──っああ、そ、そうですね。申し訳ありません。ええと、お身体の調子が芳しくないとうかがっていたのですが、思いの外、その、お元気そうですので……」


 ちらちらと彼女の髪のあたりを見ながら──顔を直視するとまた妙な思考に支配されてしまいそうなので──私がそう述べると、彼女はこれまたやはり美しいとしか形容しようのない微笑みを浮かべ、答えた。


「ありがとうございます。家族や領民の皆様のおかげで、ここ最近は体調もずいぶんと安定しておりますの」


 なんということだ、声まで美しいとは。


(い、いや。何を考えているんだ。いかに美しかろうとも、彼女は女性だ。私と同性なんだ。ひと目見ただけで、す、好きになってしまうだなんて、そんなことがあっていいはずがない!)


 これまで私はパーティで自分に近寄る令嬢たちに対し、彼女たちを美しいとは思いながらも、同性だからそういう気になれないのだ、と内心で切り捨ててきた。

 だというのに、もしここで私が目の前の令嬢に好意を抱いてしまったとしたら。

 他の令嬢たちになんと詫びればいいと言うのか。

 ただ自分よりも美しいというだけでこのミセリア嬢に恋をしてしまえば。

 それはこれまで私に声をかけてきてくれた令嬢たちを、本心のところでは「私の目に適うほどの美しさがないから」という理由で切り捨ててきた、ということになってしまう。同性であることを免罪符にして。


 それは認められない。

 たとえどれだけ美しかろうとも、彼女が女性である限り、私は彼女に恋をするわけにはいかないのだ。


 だから私ミセリア嬢を愛さない。


 そう、彼女が男装をし、愛らしい少年の姿で私の前に現れたりでもしない限りは。





 ◇ ◇ ◇





 よし、勝った。


 これは私が美しく生まれたがゆえに持ち得た直感のようなものなのだが、目の前の王子から「今にも好きになっちゃいそうだけど絶対好きにはならないぞ! くっ殺せ!」と言わんばかりの視線を感じる。


 私の方はまだそこまでではないので、これはもう私の勝ちと言っていいだろう。


 そう思い父を見てみると、片手で両目を覆い、天井を仰いでいた。

 父のこうした姿は時折見かけるのでわかっている。

 これは「あちゃー」という気分のときに彼がよくする癖だ。


 私は父に「第一王子など返り討ちにしてみせましょう」と宣言していた。

 今の状態はまさに返り討ちにしてみせたと言っても過言ではないはずだ。

 では何が「あちゃー」なのかと考えてみる。そういえば、そもそも父は「討つな」と言っていた気がする。

 というか元々の目的は、この縁談を断ることであったはずだ。

 返り討とうが討つまいが、恋愛関係になってしまったらミッションは失敗である。やはり返り討ってはいけなかったのだ。父が「あちゃー」するのも当然だった。


 ただ、父は「最悪は時間稼ぎでもいい」みたいなニュアンスのことも言っていた気がする。

 最悪の時間稼ぎとなると、たとえばこの王子をお付きの一行ごとマルゴー家で監禁し、王都への連絡を一切出させず数年様子を見る、という手段も考えられる。


 そう考えると気も楽になってくる。

 王子のお付きがどれほどの手練れかは知らないが、重要なのは王子だけなので、そちらは別に生け捕りにこだわる必要はない。要は王都に情報が届かなければいいのだ。

 「最悪」を想定してもいいのなら何とでもなる。


 私は戦闘技術の講義で聞いた、敵を無力化する際に有効な「人質」の使い方を思い出しつつ、王子に微笑みかけた。





 ◇





 とりあえずソファにでも座って一度落ち着こう、という父の提案で、応接室の入口で見つめ合っていた私たちも座ることにした。


 そうしたことで一息ついたのか、マルグリット王子は先ほどまでのある種熱狂的な視線を納め、実に理性的に話を始めた。


 今回の縁談がなぜ組まれたのかは、王子本人も知らないらしい。

 ただ王命に近い言い方をされたらしく、これには王子も辺境伯もおそらく逆らうことはできないだろう、とのことだった。

 王命となると国王が直々にそう命じたわけで、つまりインテリオラ王国で一番権力を持っている人が決めたこと、というわけだ。

 それはさすがに逆らえない。


 逆らえないが、権力にも実は限界というものがある。

 たとえば王がどれだけ命じたとしても、野良犬に空を飛ばせることはできない。

 まず野良犬では王の言葉を理解できないだろうし、理解できたとしても、犬に空なんて飛ぶ能力はない。

 そういう、現実的に不可能なことに対しては、権力は何の助けにもならないのだ。

 いかに国王がそう命じたとしても、仮に結婚が現実的に不可能になってしまえば、当然ながら王命を果たすことはできない。

 これが権力の限界だ。


 簡単に言うと、王子がこのまま姿をくらませてしまえば、私は結婚せずにすむというわけである。

 そう考えた私の内心に気付いたのか、隣に座る父は私の手に自分の大きな手を重ね、ゆっくりと首を横に振った。


 駄目みたい。


「此度の縁談は王命です。言いづらいのですが、その、マルゴー伯とミセリア嬢には、あまり選択肢は……」


 こちらの親子のやり取りを何か勘違いしたのか、マルグリット王子は見た目よりも高めの声でそう告げる。

 王命とはつまりこの国の権力の最大限の具現化と言っても良いものである。しかし権力自体に限界がある以上、その王命にも自ずと限界はできる。

 マルゴー辺境伯領そのものが王都から遠く離れた場所であることに加え、その特殊な立地や成り立ちもあり、元々権力の影響が及びにくい土地だ。

 おそらく国王陛下が先代辺境伯である祖父と盟約を結んだのも、命令が通じないことをわかっていたからだと思われる。

 それを踏まえると、王子が言う「王命」とは私たちマルゴー家にではなく、あくまで王子に対して下されたものなのではないだろうか。


 王子の言葉に、父は小さくため息をつき、答えた。


「……そうですか。

 我々の方には、縁談については『盟約を果たす』という文言とともに、まずは王家の印章入りの手紙で届けられました。王家の印章などしばらくは目にしておりませんでしたので本物かどうかはかりかねていたのですが……。

 こうして殿下が直々に参られたことで、やはり本物であったのかとわかった次第でして。

 ときに、殿下はその『盟約』の内容については……?」


「あ、ああ。いや、聞いていないな」


 どうやらマルグリットも盟約については知らないようだ。

 となると、もしかしたら今となっては私の祖父と国王だけが知っている話なのかもしれない。


「……他には何か、聞いておられませんか?」


 こいつ、使えんな。

 という感情が父の手のひらから伝わってきた。そう思いながら父を見ると、ゆっくりと首を横に振られた。

 私はそんなことは思っていない。それはお前が感じたことだろ。

 そう言っているかのようだ。


 いいえ違います、これはお父様が思っていることです。

 私は父の手のひらを抗議の意味を込めてぐにぐにと揉んだ。親指の付け根のところを念入りにだ。

 これは痛かろうと思って父の顔を見上げると、父は涼しい顔をしていた。

 涼しい顔というか、遠い目をしていた。


「……その、ずいぶんと仲がよろしいのですね。辺境伯とミセリア嬢は……」


 その様子を見ていた王子にそんなことを言われた。

 このくらい普通では。





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