第10話「マスタークラス」





 バレて連れ戻されないかとひやひやしていたが、父は私が馬車に乗っていたことには最後まで気づかなかったようだ。

 問題なくマルグリット王子と領都を出ることができた。


「ミセリア嬢。その、本当に良かったのですか?」


「はい。問題ありません」


「ですが、上級貴族の令嬢が侍女のひとりも付けずに長旅をするだなんて……」


「これは駆け落ちですよ、マルグリット殿下。駆け落ちに使用人を連れて行くだなんて話を聞いたことがありますか?」


「いや、それはありませんけど」


「そういうことです」


 王子は何か言いたげな顔をしていたが、ひとまずは納得したようで、それ以上は何も言わなかった。


 確かに私は上級貴族の出ではあるが、上級と言っても辺境伯だ。特にマルゴーの地は女だろうと子供だろうと時には魔物に対応しなければならないため、領主とはいえその令嬢に専用の侍女など付ける余裕はない。

 私の身の回りの世話をしてくれていたマイヤも、私だけの世話係ではなく、妹のフィーネの世話と掛け持ちだった。

 性別のこともあり、私は早い段階から自分のことは自分でできるようにしつけられていたので、別に侍女やメイドがいなくとも生活に困ることはない。

 いや生活費とかを考えると普通に生活に困るのだが、それはさすがに婚約相手のマルグリットになんとかしてもらうつもりだ。結婚とはひとりでするものではないのだ。喜びは二人分で苦しみは二人で分かち合う、とかそんな感じ。この場合で言うと、苦しみは王子の担当で喜びは私が二人分貰うことになる。


「ご迷惑をおかけするとは思いますが、よろしくお願いしますね。殿下」


「えっ、は、はい、こちらこそ……」


 まっすぐに王子を見つめてそう告げる。すると王子は顔を赤くし、視線を彷徨わせて小さく返事をした。

 どうやらまたしても純朴な少年を惑わせてしまったようだ。

 美しさって罪。





 ◇





 王都はマルゴーから見ると南に位置している。魔物の領域を抑えるため東西に伸びているとはいえ、マルゴーは南北の厚みも相応にあるので、領から出るだけでも日数がかかるようだ。私は領地どころか屋敷からすらほとんど外に出たことがなかったので知らなかった。


 馬車の客室の中では王子と王子の侍女と三人だ。

 王子はインテリオラ王国について、辺境にいてはわからないことも多いだろうからと色々と教えてくれた。とはいえ、大まかな地理や歴史などはマルゴー家で習っているし、リアルタイムの政情や貴族社会の勢力図のような情報はさすがに教えてはくれない。

 なので、有り体に言って移動は退屈な時間だった。

 一生懸命に話す王子は可愛いな、という程度の役得しかない。女装はいつしてくれるだろうか。

 仮にいつかしてくれる日が来るのだとしても、さすがにこの移動中には無理だろう。


 であるなら、王子の代わりに愛でられる何かが欲しいものだ。三人しかいない客室で一人だけ鏡を見ているのも何なので、王子の顔くらいしか見るものがない。しかし王子を見つめ続けていると顔を赤くして黙ってしまい、空気が悪くなるのだ。

 犬でも猫でもひよこでも何でもいいが、そういう愛玩動物でもどこかに落ちていないものだろうか。


 そんな王子に失礼なことを考えながらぼうっと馬車に揺られていると、急に減速した感覚があった。自動車や電車と違い馬車は馬が牽いているので急減速はできないが、目的地に止まる時とは減速度が違うことはわかった。


 何事かと思い王子を見てみると、王子も私と似たような視線を侍女に向けており、侍女は困った顔をしていた。

 どうやら予定にはないことのようだ。


「何かあったのでしょうか」


「ああ。休憩の時間にはまだ早いはずだし……。聞いてきましょう」


 王子が自ら客室を出ていった。

 もし私の父による追っ手がかけられていたら、と考えての行動だろう。父本人が来るのはさすがにないとしても、領軍の兵士が追いかけてきていたとしたら御者やお付きのメイドでは対応は難しい。


 それにしても、さほど広いわけでもない馬車の客室に、王子の侍女とふたりで残されるのは少々気まずい。

 だが問題ない。私は美しいので、こういうときはとりあえず笑っておけば良いのだ。なぜなら美しいものを見て気分を害する者はそう居ないからだ。

 私はいつも鏡の前でしているようにニコリと侍女に微笑んだ。

 すると侍女は少しだけ目を泳がせた後、小さな声で「殿下のこと、許して差し上げてください」と言った。

 え、あの王子、何か許されざることでもしているのかな。あんな可愛い顔をして。

 やはり顔も中身も美しい人物は世の中にはそういないようだ。私くらいだな。


 王子を許すか許さないかはおいておくとして、せっかく気まずい雰囲気を何とかしようと思ったのに、逆にさらに気まずい空気になってしまった。

 私の美しい笑顔でさえどうしようもなかったのだから、もうお手上げだ。

 私は空気を変えるのを早々に諦め、戦略的撤退をすることにした。


「ええと、じゃあ、ちょっとマルグリット殿下のご様子を見てきますね」


「え、いけません! こんなところで外に出るなど!」


 しかし回り込まれてしまった。


「でも、殿下も出てらっしゃいますし」


「外には護衛もおりますし殿下は大丈夫です! ですがミセリア様はいけません!」


「ええ……」


 なぜなのか。


「殿下はその、色々と事情もありまして、幼少の頃より厳しい訓練を積んでおられます。外の護衛よりも戦闘力は高いくらいです。ですので心配はいりません」


 彼は特殊な訓練を受けています、というやつらしい。現実で初めて聞いた。

 しかしそれならば、私だってマルゴーに生まれたものとして、最低限の護身術は修めているし、戦闘技術に関する教育も受けている。主に座学だが。


 それに、外からは特に戦闘の音や叫び声などは聞こえてこない。

 馬車が動かず王子も戻ってこないのだから何らかの問題は起きているのだろうが、別に危険なものではないはずだ。


「私のことなら心配いりません。私もマルゴーの人間として、そこそこの訓練は受けておりますから」


「え、病弱というお話では……?」


「あっ」


 そうだった。そういう設定だった。


「ええと、病弱な人でも受けられる体に負担のかからないエクササイズ──みたいなやつです。これであなたも明日から無理なく魔物肉を収穫できますみたいな。それのマスタークラスなんですよ私。病弱部門の免許皆伝です。そういうことなので、行ってきますね」


「あ、ちょ──」


 引き止める侍女の手をするりとすり抜け、私も馬車の外へ出た。





 ◇





 馬車の外ではマルグリット王子と護衛の騎士が汚れた毛玉を囲んで話をしていた。


「ああ、ミセリア嬢。出てきてしまったのですか」


「すみません。殿下が心配になって、つい」


 実際は客室の気まずい空気に耐えられなくなっただけだが、そう言っておいた。

 私は容姿も中身も美しいので、ちゃんと気遣いもできるのだ。

 そして、この美しい私が気遣ってやれば。


「え、あ、そ、それはありがとうございます……」


 王子は照れたように俯いた。

 狙い通りだ。


「それで、一体何があったのでしょう」


「ああ、えと、あれなのですが……」


 王子はそう言い、護衛たちが取り囲んでいる毛玉を指差す。

 毛玉を見ると、もぞりと動いた。私が見たから、というよりはたまたまそういうタイミングだっただけだろう。

 毛玉はどうやら生き物だったらしい。三角形の耳が見える。

 犬だ。

 薄茶色の、というか、これは汚れているだけだろうから、もしかしたら本当は白いのかもしれないが、とにかく犬だ。少し毛足の長い犬。ポメラニアンとかそれ系の犬種だろうか。この世界にはポメラニア地方は多分ないので、小型のスピッツと言った方がいいかもしれない。この世界にスピッツという犬種があるかどうかもわからないが。あったとするなら、さしずめインテリオラン・スピッツといったところか。

 今は汚れているせいでよくわからないが、綺麗に洗えばきっと可愛いはずだ。ちょっとオラついた感ある名前でありながら実物は可愛いという点が評価ポイント高め。


「犬ですね。でもどうしてこんなところに? それに、皆様がその子を囲んでいるのはなぜなのでしょう」


「それは──」


 もぞもぞと犬はなおも動き続け、王子の説明より先にお腹の下から真っ黒い毛玉が現れた。

 今度の毛玉は毛足が短い。三角形の耳と、大きな瞳。

 猫だ。

 白い犬のお腹の下から黒猫が出てきた。どういうことなの。


「実はその犬なんですが、今出てきた仔猫を守っていたようなのです。どうやらその仔猫は生まれたばかりの魔獣のようでして、毛皮の色のせいで群れから爪弾きにされていたらしく……」


 その言葉に辺りを見渡してみる。

 街道ではあるが街なかというわけではなく、草原の中にぽつぽつと木が生えている自然の光景が広がっていた。

 その木の上に派手な色合いの猫がいた。赤と黒、それと黄色の三毛猫だ。一本につき一匹か二匹ずつしがみついている。遠目なのでサイズ感が狂いそうになるが、木の高さから考えると相当な大きさだ。成獣の虎くらいはあるだろう。

 この仔猫はあの虎サイズの三毛猫の幼獣なのか。全身にあの黒い毛しか生えなかったのか、それとも色素異常なのか。メラニズムとか言うんだったかな。真っ黒になる方は。


 その仔猫をなぜ仔犬が守っていたのかはわからないが、もしかしたらこの仔犬も毛の色のせいで群れから追い出されたりした過去があるのかもしれない。色的に、例えば犬の方は逆にアルビニズムであったとか。群れの他の犬はきっと茶色とかそういう地味な色なのだろう。

 それで黒い仔猫に同情し、守っていたとかなのかもしれない。


「あの大きな三毛猫さんたちは王子が追い払われたのですか?」


「いや、護衛たちだ。私が降りたときにはもう少し近くにいたのだが、つい先ほど蜘蛛の子を散らすように逃げていって、あっという間に木に登ってしまった」


 そうだったのか。

 もしかして、美しすぎる私の美貌に恐れをなしたのかな。






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