第11話「聖女(聖女とは言ってない)」
恐れをなした理由はともかく、すでに逃げ去った虎サイズの三毛猫には用はない。
それよりも重要なのは怯えて縮こまるこの仔犬と仔猫だ。
「……貴方たち」
可愛い仔犬と可愛い仔猫。
これはまさに、気まずい馬車の中で私が待ち望んでいた存在である。
ならばもう連れて行くしかあるまい。
欲を言えばひよこも欲しいところだが、居ないものは仕方がない。
私はドレスの裾に土がつくのも構わず、仔犬と仔猫の前にしゃがみ込む。
突然顔を近づけたせいか、二匹は身を寄せ合って私を警戒した。
「大丈夫ですよ。貴方たちをいじめる存在は、もういませんから」
そう言って二匹に手を伸ばす。
「──なうっ!」
「っ!」
しかし、黒い仔猫に指先を引っかかれてしまった。
「ミ、ミセリア嬢!」
「大丈夫です、殿下。動かないでください。この仔たちが怯えてしまいますわ」
「わ、わかった。しかしミセリア嬢、血が……」
「問題ありません」
私は言葉で王子を制止し、伸ばした指はそのままに、無言で魔法を発動した。
するとまるで時が巻き戻ったかのように流れ出した血が消えていき、指先の傷も塞がり元の美しい指の姿を取り戻した。
私の指はやはり美しい。まるで白魚のような手だ。ずっと見ていたくなる。
「な、なんという……。今のはまさか、魔法か……?」
王子の護衛たちの驚く声で我に返った。今は私の美しい指に見とれている場合ではない。
魔法はマルゴーではメジャーな技術のひとつである。強力な魔物たちに対抗するため、マルゴーの領民で魔法を使えない者はいない。と聞いている。神から授かるとか言われているスキルに恵まれなかったとしても、後天的な努力によって魔法という技能を身に付けることが出来るのだ。
戦闘技術の座学でそう聞いたので、それなら私にも使えるのかと試しに使ってみたところ、思ったよりも簡単に使えてしまって驚いたものだ。
ただマルゴーの外では魔法の力はそう必要がないのか、使える人間が少ないとも聞いている。護衛が驚いたのはそのせいだろう。
魔物と戦ったことがない私にとっても魔法の力は本来必要なものではない。
だから私が使えるのは自分にとって必要な、ごく簡単で小さな魔法だけだ。
例えば今のように、ちょっとした傷を「無かったことにする」魔法。私の肌に傷がつくのはこの世界の美的な価値を大きく損なうことに繋がりかねない。私にとってもこの世界にとっても、何よりも必要な魔法であると言える。
そして、他にも。
「さあ、怖がらないで。今、綺麗にしてあげますからね」
元に戻った私の指先から私にしか見えない金色の光の粒子が放出され、その粒子に包まれた仔犬と仔猫の汚れは一瞬で消え去った。さらに、ボロボロだった毛皮はキューティクルを取り戻し、細かな傷も消えていく。
やはり思っていた通り、仔犬は輝くような白い毛並みが美しい。見るからにふわふわで触り心地もよさそうだ。
仔猫の方は、吸い込まれそうな漆黒の体に大きめの金色の瞳が強い意志を感じさせる。撫でたらきっと気持ちがいいに違いない。
今のは対象を「綺麗にする」魔法だ。汚れを落とすのはもちろん、美観を損なう傷や怪我も全て修復し、必要ならば薄く化粧さえも自動で施すちょっと便利な魔法である。
この際の「美観」は魔法の対象になった者のセンスや信念に左右されるらしく、昔一度、マルゴーに住む傷だらけの元傭兵の老人にかけてみたことがあるのだが、顔中にあった傷痕はそのままに、髭だけが綺麗に剃られた状態になっていた。
傷が「綺麗にする」対象外になったということは、あの傷は彼にとってきっと勲章のようなものだったのだろう。確かに似合っていたし、その傷が彼の人生の軌跡であることを考えれば、それは充分に美しいと言って差し支えないものであったが。
「……きゃん」
白い仔犬が、綺麗になった自分の前脚を見てふんふんと匂いを嗅いでいる。
匂いはおそらく仔犬本来のものだと思う。仔犬自身がそう願っていたならば。
「……なう」
黒い仔猫は、仔犬の下から自分の尻尾をずるりと引き抜き、その先端を舐めている。もしかしたら、尻尾の先にも怪我をしていたのかもしれない。
尻尾に異常がないことを確認してからは、仔猫は消えゆく金色の光を目で追っている。
見えているのかな。まあ猫は時々人間には見えないものを見ている時があるとか聞くし、金色の光とは全く関係ないナニカを見ている可能性もあるが。なにそれ怖い。
やがて光が完全に消えてしまうと、仔猫は今度は光の出どころであった私の手に興味を持ったようだ。
先ほど自分で引っかいた指に恐る恐る近づき、匂いを嗅いでいる。まあ可愛らしいこと。
「……殿下」
「え、ああ、な、何かな」
「この仔たちは、私が育てます」
「あ、ああ……。うん……。それがいいかもしれないね……」
これからしばらく私は王子の世話になるので、私が育てると言ってもその養育費は王子の予算から出してもらうことになる。私の生活費とともに。
その王子から許可が出た今、この二匹は晴れて私の仔だ。
私はふんふんと匂いを嗅ぐばかりでそれ以上は一向に近付いてこない仔猫と、その様子をつぶらな瞳で見つめている仔犬をまとめて抱きかかえ、馬車に戻った。
慎重に行動していたのに急に抱えられた仔猫からは猫パンチを食らってしまったが、爪はきちんと仕舞われていた。
◇ ◇ ◇
「……聖女だ……」
ぽつりと、護衛の騎士のひとりがそう呟いたのが耳に入った。
確かにそうかもしれない。
自ら傷つくことを恐れず、弱き者に手を差し伸べるその慈愛。
しかも、その弱き者に傷つけられようともそれを許し、傷つけられた指を一瞬で癒やしてみせたばかりか、弱き者たちの穢れや傷さえ消し去ってしまう魔法の才能。
そして何より、まるで自ら光り輝いているかのような美しさ。
どこをとっても、彼女はまさに聖なる乙女と呼ぶに相応しい。
あんな姿を見てしまうと、ただ女として生きたかったと駄々をこねる自分がとても矮小な存在に思えてきてしまう。
やはり私では、彼女の伴侶として相応しくない。
ただ子供が作れないからというだけでなく、彼女の隣に立つには私では足りないものが多すぎる気がする。
彼女の隣に立って良いのは、私のような
(……いや、だからこそ、私ならば)
もし、この世のどこかに、彼女に相応しい英雄がいるのなら。
いつかきっと、彼女はその英雄と出会い、結ばれるはずだ。
ならばその時まで、彼女は穢れを知らぬ乙女のまま、守ってやらねばならないだろう。
それが出来るのはインテリオラ王国で最も価値ある独身男性、つまり第一王子でありながら男ではない、この私だけだ。
(……私は女だ。彼女と結ばれることはない。しかしだからこそ、私だけが彼女を守り通す事ができる……)
偽装婚約でも構わない。偽装結婚でもいい。
いやむしろ、そうであるからこそ望ましい。
はじめは父王に言われたから結婚するだけのつもりだった。相手の令嬢には悪いとは思ったが、これも王国貴族として生まれた者の定めだ。甘んじて受け入れてもらうしかないと考えていた。
しかし、それこそが運命のいたずらであったとしたら。
マルゴーの地に聖女が生まれるという運命。
インテリオラの王家に男児が生まれなかったという運命。
その結果、女でありながら男として育てられた私が、聖女と結婚することになったという運命。
(いや、違う……。父はこの縁談を『盟約』と言っていた。だとすれば、もしかしたら私が男として育てられたのは、疲弊した国民の希望となるためではなく、然るべき時まで聖女を守るためだったのでは……。そうだ、きっとそうに違いない!)
馬車の中に消えたミセリア嬢の後ろ姿を幻視し、私は決意を新たにした。
「……聖女の安全、そして貞操はなんとしてもこの私が守らねば……」
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