第2話「盟約の縁談」





 マルゴー邸の内部に限っては自由な行動を許されているが、私は対外的には病弱な令嬢という事になっている。


 貴族社会において、病弱な令嬢という存在の立場は弱い。

 なぜなら貴族の妻とは、夫の子を産み、育てる事が何より重要とされているからだ。育てる事に関しては他者に任せる事も出来るが、産む事ばかりはそうはいかない。

 前述の通り、場合によっては3人も4人も産まなければならない以上、貴族の妻となる令嬢には健康的な肉体が不可欠なのである。


 当然のことながら男性と結婚して子を作る事など出来ない私は、病弱だからという事にして、いわゆる社交界に出される事はなかった。

 非道い仕打ちだと考える者もいるだろう。しかし殺されたり、いない者として座敷牢で一生を終えたりするよりは遙かにマシな待遇であった。

 令嬢に仕立て上げるという一見ふざけた仕来しきたりには、そういう人道的な理由もあるのだと思う。マルゴー家の過去のいつかの当主には、例え息子を女装させてでも生かしてやりたいと考えた者がいたということだ。


 多くの貴族は政治的に価値がない人間には興味を持たないものなので、病弱だとだけ言っておけばあとは普通に生活させていても誰からも干渉されることはない。マルゴー家の、中央から離れた辺境という立地条件もそれを後押ししていた。


 我が家の事ながら頭のいかれた風習だとは思うが、私にとっては歓迎すべき事でもあった。過去の当主には感謝してもし足りない。

 何しろこの美しさだ。

 男装も悪くはないが、女装ほどには私を引き立てる事は出来なかったはずだ。


 つらつらと先祖と父への感謝を胸に浮かべながら歩いていると、先を歩くクロードが足を止めた。

 父の執務室に着いたのだ。


「閣下。お嬢様をお連れいたしました」


「──入れ」


 厳かな、低く渋い声が扉を震わせた。


 失礼します、と前置いてクロードが扉を開ける。

 扉の向こうには怜悧な美貌を顰め面で固めた迫力のある美丈夫が、執務机に向かって何か書き物をしていた。

 薄い金色の髪は窓から差し込む陽の光を、まるで跳ね除けるように弾き、煌いている。

 顔には髪と同じ色の口髭が乗ってはいるものの、その容姿はかなり若く見える。とても4人も子供がいる男には見えない。

 眉間の皺はかなり深く刻まれているが、これは機嫌が悪いわけではなく、素の表情だ。

 それを以てしても、溢れる気品と美貌を損ねる事は出来ていないが。


 これこそ我が父、マルゴー辺境伯ライオネル・マルゴーである。


 世界一美しい私の父にふさわしい容姿と若さ、そして辺境を治めるに足る絶大な武力と知力を持つ稀代の英雄だ。


 父が若く見えるのには当然理由がある。

 ここより別の世界で過ごした記憶がある私には違和感が強いのだが、この世界の人間は非常に長命なのだ。

 およそ20歳くらいまでは前世の人間と同様に成長するのだが、そこから先は緩やかに老いていく。

 寿命はおよそ200歳くらいだったろうか。

 もちろんこれは怪我や病気をせずに穏やかに一生を終えられた場合の話で、医療技術も発達しておらず、さらに色々危険が多いこの世界ではそんな人間は稀である。

 現在父は確か齢60を超えたくらいだった。

 奇妙に思えるかもしれないが、この世界では一般的にはこれでまだまだ若く働き盛りな美青年なのである。


「来たか。ミセル」


「失礼します。参りました。お父様」


 クロードの後に続いて執務室に入り、かるくスカートの端を摘んで足を曲げ、屋敷の主に礼をした。

 父からは家族にいちいちそのような事はしなくていいと言われてはいるが、私はそれを無視していつもやっている。

 何故ならカーテシーをする私もまた、世界一美しいと思うからである。


 父は書類から目を上げ、そんな私の姿を見て僅かに目を細めた。


 私は父のこの視線があまり好きではなかった。

 厳格にして冷酷な父の表情を読める人間自体それほど居ないが、よくこの視線を向けられる私にはわかる。

 この目には憐れみと申し訳なさが同居している。

 私は誰にも憐れまれる筋合いなどない。それがたとえ、女として育てる決定をした実の親であっても、である。

 なぜなら私が今、自らの美しさを存分に享受し、幸せでいられるのは、間違いなく女として育ててくれた父のお陰だからだ。

 転生し、過去に別世界で生きた記憶を持っている私ではあるが、親子の情は間違いなく今世の両親にある。

 それは前世の記憶、特にエピソード記憶と呼ばれる類のものがほとんど残っていないからだろう。

 この世に誕生したと認識したその瞬間には確かに持っていたはずだったそれだが、次第に、そう物心がつくころになると、かなり曖昧になってしまっていた。

 特に家族や知り合いなどの人物の記憶はきれいさっぱり消えている。

 寂しく、悲しい事のように思えるが、それが自然の摂理なのだという気もする。前世の事など、本来は覚えている方が不自然なのだ。


「早速だが、本題だ。ミセル。……実はお前に、縁談の打診が来ている」


 何を言われたのかわからず、一瞬思考が停止してしまった。

 今、父は縁談と言ったのか。


「……なぜでしょう」


 よもや私に縁談が来るなど考えたことも無かった。

 普通に考えれば、病弱な令嬢に縁談など来ないからだ。理由は前述の通りである。


「……正直なところ、私にもわからん。相手方からは、先代との盟約、とだけ伝えられているが……。まさか父上が、誰かとお前の縁談を約束するとは思えん」


 60歳とまだ若い父が当主であることからわかるように、その父、つまり私の祖父はすでに鬼籍に入っている。

 祖父と約束したとなると、彼が生きていた頃の話になる。亡くなったのは10年前なので、その前だ。今私が15歳だから、私が生まれてからの5年の間に約束した、ということだろうか。

 いや生まれる前に約束していた可能性もある。もしそうであれば私の性別と外見はまだわからなかったはずだし、普通に女が生まれるものとして縁談を進めていたのだろう。

 しかしその場合、普通は女が生まれて始めて意味を持つ縁談になるのではないだろうか。うちで言うと、フィーネである。


 フィーネというのは私の妹だ。

 控えめに言って、世界で二番目に美しい子である。もちろん世界一は私だ。控えめに言わなければ私が宇宙一で妹は宇宙で二番目だ。

 そして無事に妹が生まれた事でマルゴー家の子作りは終了となった。

 言い換えれば、この妹を誕生させるためにマルゴー家は私という負債を抱える事になったというわけだ。

 父はこの事によく心を痛めているようだが、私は気にしていない。

 私は美しいし、妹は可愛い。何も問題はない。

 なお母は私や妹を着せ替え人形にして遊ぶのが趣味であり、日々楽しそうに過ごしている。悩んでいるのは父だけだ。


 仮にその盟約とやらに「女が生まれた場合」のような条件付けがしてあったとすると、私も一応女として公表してあるので面倒くさい話になるが、病弱で結婚生活に耐えられないとなればフィーネが縁談相手に繰り上がるはずだ。


「気になるのは、フィーネの存在は相手方も認識しているはずであるにも拘わらず、縁談の相手にお前を指名してきたことだ。盟約とやらを持ち出した上で敢えてお前を指名したとなると、父上はお前が生まれてから盟約を結んだ可能性が出てくる」


 つまり祖父は、女装する事が決まっている孫の縁談を組んだ、ということだろうか。


 たとえ私がどれほど美しかったとしても、生物学的には男である。性自認はちゃんと男性だし、別に自分が男であることを否定する気はない。だから男性と結婚するのは正直無理である。まあ私並に美しい男が存在するのなら一考の余地は無くはないが、私は宇宙で一番美しいので私並に美しい存在など有り得ない。故に結婚はしない。証明終了。


 まあ私の意思はともかく、貴族の婚姻が子を為し家を維持するために行われる以上、私が結婚するわけにはいかないのは明らかだ。

 結婚すれば夜の営みもせざるをえないだろうし、そうなった場合、困るのは他の誰でもない私だ。

 あの優しかった祖父がそんな嫌がらせをするとは思えない。


 マルゴー辺境伯と言えば、その職責の重さからこの国では侯爵相当の扱いを受けている。

 先代であった祖父はその名に恥じることのない、苛烈で厳格な性格であったという。それは領民の安全を脅かす魔物に対してはもちろんだが、他の貴族や時には身内に対してもそうであった。父もずいぶんと厳しく育てられたらしい。私の二人の兄もそうだったと言っていた。


 しかし、私にとってはただただ優しい祖父だった

 最期の日の朝、魔物の領域から溢れ出したオーガと呼ばれる鬼の群れと戦うために出陣する祖父が、私の頭に大きな手を置いて笑っていたのを今でも覚えている。


「……そんな顔をするな。私とてあの父上に限ってお前に不利な事をするとは思えぬ。

 だから今回の件にはおそらく何かの裏がある。盟約というのも怪しいものだ。父上はそんな話は全くしていなかったからな。いかに相手がこの国で最も信頼できる相手であったとしても、だ」


「そういえば聞いておりませんでしたが、相手の方とはどなたなのでしょう」


「王家の長男──インテリオラ王国第一王子、マルグリット殿下だ」








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