第18話「ウェッルス・エルゴ・スム」





 見慣れている私はユリア嬢の姿に今更驚きはしない。

 またいつもの発作かな、と思うだけだ。


 そして、マルグリット王子はどうなのかというと。


「きゅ、急にどうしたんですか姉上。ユールヒェン嬢が何か……?」


 そう言いながら、彼はユリアを見た。

 その瞬間、ユリアの顔からあらゆる苦痛とよだれが取り除かれ、これまた彼女らしくない無表情があらわれる。

 王子が彼女に視線を向けるとき、彼女は決まってこうして無表情を装うのだ。なのでおそらく、王子は彼女の顔芸を知らないはずである。

 これを見る度にいつも思うのだが、表情はともかくよだれはどこに消えているのだろう。一瞬で吸ってるのかな。


「なんだ。どこもおかしくないではありませんか」


「え!? なにこれ怖! どうなってるの!? ねえどうなってるの!? 貴女も見ていたわよね!? ええと、ええと、貴女名前なんだったかしら!」


「あ、申し遅れました。私ミセリア・マルゴーと申します。マルグリット殿下の婚約者をしております。よろしくお願いします。現在はこちらのお城にご厄介になっておりますので、今後もお会いする機会はあるかと思いま──」


「そんな呑気な自己紹介してる場合じゃないわよ!」


 ええ。自分で聞いてきたのに。

 というか、そんな場合じゃないとか言われても、冷静に俯瞰してみれば今騒いでいるのは第一王女(22)だけだ。

 王子は困惑しているし、ユリアは無表情。そして私は自己紹介。

 何もおかしくはない。


「どう考えてもおかしいでしょ! 何で急に『スン』ってなってるわけ!? さっきまであんなに──ええと、令嬢としてあるまじき顔をしていたのに!」


「姉上! なんですかその言い草は! ユールヒェン嬢に失礼ですよ!」


 第一王女(22)としては最大限配慮した言い方をしたつもりだったのだろうが、あの状態のユリア嬢の顔を見たことがない王子にしてみれば、たしかに礼を失した言い方に聞こえるだろう。というか仮に本当だとしても言っては駄目なこともある。


 やばい状態のユリア嬢の顔を見ていない王子が第一王女(22)のあの言い方を聞き、果たしてどう考えたか。


 今この場にいるのは給仕の侍女を除けば高位貴族や王族に連なる者ばかりだ。

 それはつまり、美形の人間しかいない、ということを意味している。貴族には【美形】のスキルを持っている者が多いとされているが、スキルがあってもその美しさには差があるし、スキルがなくても美しい者はいる。そもそも何かを見て美しいと思うかどうかは観測者の主観によるところが大きいので、数値的に換算することなど出来はしない。

 とはいえ、同じ民族、同じ文化で生活してきた者同士であれば、その判断基準は近くなるのが普通である。

 この場で言うと、最も美しいのが言うまでもなくこの私、次がマルグリット王子で、僅差で第一王女(22)が第三位、少し離されてユリア嬢、といったところだ。


 この状況で先頭集団の第一王女(22)が下位のユリア嬢に「令嬢にあるまじき顔」と言い放ったとなれば、素直に受け取るのなら「うわ嫌味なこと言うなこいつ」となるだろう。


「だって!」


「姉上……。どうされたのですか? 今日の姉上はどこかおかしいですよ」


「おかしいのは周りの状況であって、私ではないわよ!」


 自分がおかしいのか、それとも周りがおかしいのか。


 第一王女(22)が口走ったこの言葉は、考えてみれば実に深い意味合いを持っている。

 かくいう私も、今世に生まれ落ち、物心ついたときにはまったく同じことを思っていた。

 何がといえば、魔法やスキルなどのマジカルサムシングが存在していたことである。常識的に考えてあり得ないそれらの不思議な事象を目の当たりにするたびに、小さな小さな私は自分の頭がおかしくなったのではないかと不安になったものだ。

 しかしそれも、この世界にも鏡が存在することを知るまでの、ごく短い期間のことだった。

 鏡に映る、この世のものとは到底思えぬ美しい何者か。何者かというか鏡なんだから私に決まっているのだが、とにかく美しい以外に形容し難いもの。

 その美しさの前では、自分がおかしかろうが周りがおかしかろうが、全て取るに足らない些事に過ぎないのだ。重要なのは私の美しさであり、それ以外の全ては私を彩る額縁でしかない。

 我は美しい。故に我あり。

 うろ覚えだが、前世の何とかいう哲学書にもそう書かれている。


「──申し訳ありません。ミセリア嬢、ユールヒェン嬢。姉上には少し休んでもらうことにしました」


 王子のその声にはっとして周りを見回すと、第一王女(22)の姿は消えていた。

 私が考え事をしている間に、どうやら第一王女(22)は昼寝でもしに行ったらしい。さすが、大国の第一王女ともなれば悠々自適な生活が許されているようだ。結婚とかしなくてもいいのかな。毎日城の中をうろついたりお茶会に混ざったり昼寝したり、ヤリタイ放題で実に羨ましい限りだ。あれ、なんか既視感のある生活だな。不思議。


「それと……すみません、姉上が失礼をした……その埋め合わせを……したいのでが……」


 王子は言葉を続けるが、その言葉からは徐々に精彩が欠かれていく。

 呂律が回らない、とまでは言わないが、それに近い状態になりつつある。

 なにこれ可愛いな。おねむなのかな。お姉ちゃんのあくびが伝染っちゃった感じかな。


「あ、こちらのことはお気になさらず。王子殿下もおねむなのでしたら、遠慮なくおひるねなさってください」


「……はい……。そうしまつ……」


 王子は手の甲で目をしながら、侍女に付き添われて部屋へと戻っていった。


 しかしあの侍女、確かマルゴーまで王子にくっついてきた人物だったと思うが、あんな無防備で可愛らしい状態の少年を前にして良くも我慢が出来るものである。

 同性である私でさえ女装させて色々してしまいたくなるというのに、とんでもない自制心だ。さすがは王城に勤める侍女、といったところだろうか。いつもビアンカとネラとヒヨコの世話、感謝しています。

 そういえば彼女がここにいるということは、あの仔たちは今どこにいるのかな。お茶会が終わったら探してみよう。まあ夜は毎日一緒に寝ているので、眠くなったら帰ってくるだろうが。


「さて。ではお茶会はどうしましょうか、ユリアじょ──あら?」


 王子が居なくなった以上、またあのあるまじき顔をしているのかな、と思いながらユリアに話しかけてみたが、つい先程までユリアが座っていた席には誰も居なくなっていた。


 というか、給仕をしてくれていた侍女たちも王女や王子を連れ帰るために駆り出されてしまったからか、薔薇の庭園には私だけが残されていた。


「……でっかい独り言になってしまいましたね……」


 まあ、薔薇に囲まれ独り言を呟く私もきっと美しいので、別にでっかい独り言を言ったとしても何も恥ずかしくはないが。





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