第36話「ワイルドカード(物理)」





 頭陀袋を抱えた男を追って幾星霜。

 私たちはついにインテリオラ王国の南の端まで来てしまっていた。

 いや幾星霜と言っても数日もかかっていないし、私たちと言っても私以外は人間ではないわけだが。


「このあたりはなんだか長閑な感じですねぇ……」


 北と南という違いはあれど、王国の端という意味では故郷のマルゴーと似ている。実際、家屋や人口が少なそうなのは同じだ。

 ただ、その分農地らしき土地が広がっているのは新鮮に思える。マルゴーでは農地は貴重なエリアだからだ。

 常に魔物の襲撃を警戒しなければならないため、あまり広い土地で農業をしても作物を守り切る事はできない。いちいち傭兵を雇うわけにもいかないので、自然と農家自身が魔物を撃退する必要に駆られることになる。そうなると作付面積も守りきれる範囲に留める必要があるし、農作業以外に戦闘訓練もしなければならないし、狩った魔物の処理もしなければならない。田舎の農家は忙しいのだ。ただ作物を植えてのんびり眺めているわけにはいかない。


 故郷ではありえない平和な光景に感動しながら馬を進めていると、私はなんとなくこの光景に違和感を覚えた。

 確かに色々とマルゴーとは違う環境なのだが、もっとこう、なんか違う気がする。


「……ブルルン」


「え? あ、確かにそうですね」


 サクラに言われて気がついた。

 そうだ。小麦やトウモロコシのような穀物が少ないのだ。

 ここの広大な──マルゴー基準でだが──農地に植えられているのはその殆どが野菜であり、主食としてポピュラーな穀物が見当たらない。探せばどこかにはあるのかもしれないが、街道から見える範囲にはなさそうである。

 流石は馬のサクラである。農作物に対して造詣が深い。


「ブヒン」


「おー、なるほど。納得です」


「にゃ」


「わふ」


「ぴ」


「まあ、貴方達はそうですよね。え? ボンジリもなんですか?」


 ペットたちと雑談をしながら街道を進む。

 しばらくそうしていると、不意にサクラが立ち止まり、小麦の匂いがする、と呟いた。もちろん馬語でだが。


「あ、やっぱり小麦もあるんですね。でも見たところ近くにはなさそうですが……。街道沿いの方が世話も収穫もし易いと思うんですが、なぜそうしないんでしょう。小麦のような穀物なら野菜よりも優先度は高いはずなのに……」


 私はそこまで考えを巡らせたところで、不意に気がついた。

 街道沿いは確かに便利だが、同時に目立つということでもある。そこに小麦畑を作らないということは、つまり目立ちたくないということ。事実、まさに今私は街道沿いにある野菜畑しか見つけられないでいる。


「もしや……隠し畑?」


 前世の中世日本において、農民が年貢の徴収を免れるために密かに耕作した水田のことを隠し田とか穏田とか呼称したという。その小麦畑版だ。

 この領の税法がどうなっているのか知らないので何とも言えないが、もし作付面積に応じた税率が定められているとしたら、隠し畑は脱税の有効な手段のひとつである。


「故郷から遠く離れているとはいえ、私も王国貴族の端くれ……。脱税の気配がするとなれば、見逃すわけにはいきませんね」


 私はサクラの鼻を頼りに、小麦の匂いがする方向へと馬首を巡らせた。巡らせたというか、サクラが勝手にそっちに向かってしまったのだが。お腹空いてるのかな。





 ◇





 サクラに乗って辿り着いたそこは、小麦の倉庫だった。

 ここまでの道中、確かに穀物の畑はあったが、とても課税対象として認められるほどの規模のものは無かった。家庭菜園というにはさすがに規模が大きいが、それでも

自家消費用というか、その程度の大きさだった。

 しかし目の前の倉庫は違う。

 サクラによれば、匂いからしてこの倉庫の中は小麦で詰まっているという。


「……どういうことでしょう。小麦はほとんど作っていないのに、倉庫には小麦が詰まっているなんて……。ということは、他領から小麦を仕入れている……? なんのために……?」


 普通に考えるのなら備蓄倉庫だろう。

 大規模な不作などのいざという時のため、住民のために行政が食糧を常に備蓄しておくのだ。

 ただ、そうだとすると腑に落ちないこともある。

 この倉庫が民家や農地から遠く離れた林の中に、まるで隠れるようにひっそりと建てられていることだ。

 こんなところに建っていたのでは、いざという時すぐに備蓄を配布することは出来ないだろう。

 それに備蓄倉庫を隠す意味もわからない。領民のためなのだから、あらかじめ知らせておいた方が支持率も上がるだろうし領民も安心するはずだ。行政が入れ替わることなどないこの国には支持率とかの概念はないが、領主に対する領民の感情は良ければ良いだけ統治はしやすいだろう。

 防犯上の理由だとしても、警備もしにくく人目に付かないのであれば本末転倒である。そもそも見たところ警備員はいない。


「あと、ここ……林の中なのでわかりにくいですが、もしや、すでに国境を越えてしまっているのでは」


 王国の地図が完璧に頭に入っているわけではないし、そもそも正確な地図自体あまり見ることはないのだが、なんかそんな気がする。空気感が違うというか、海外旅行から日本に返ってくると空港で何となく醤油の匂いがするのと似ている。違うか。違うな。そもそも私は前世で海外旅行に行った記憶がない。いや元々曖昧な記憶しか残っていないけど。じゃあどこから醤油の匂いなんて出てきたのだろう。


「──ああ? なんだてめえ。ここらは立入禁止だぞ。知らねえのか」


 醤油について思いを馳せていた私に、野太い男の声がかけられた。ぼうっとしたままそこそこ時間が経っていたらしい。誰かが近づいているのに全く気が付かなかった。

 馬上で振り向くと、いかにもゴロツキですといった風貌の男たちがいた。

 ペットたちは気が付いていたはずだが、何も言わなかったということはゴロツキたちは大した脅威ではないということだ。

 とはいえ、ここは人間社会。マルゴーではない。純粋な戦闘力だけが相手の脅威度を表すわけではない。もしペットたちが戦闘力だけで彼らを判断しているのだとしたら注意が必要だろう。


「おほ! すっげぇ美人──なんだけど……。なんで頭に犬だの猫だの乗っけてんだ……?」


からすると、貴族か? 貴族がひとりでこんな山ん中に……? やっぱ、ちょっと頭が……」


 なんだか失礼な視線を感じる。

 だいたい私はひとりではなくペットたちと一緒だし、山とは言うがここはちょっと小高い丘に生い茂る林である。山というのはもっとこう、激しく険しくてやばいところだ。人の入っていい領域ではない。魔物とか湧くし、倉庫なんて建てたら建物ごと食べられて跡形も無くなってしまうはずだ。

 つまり、ゴロツキたちが立ち入っている時点でこの倉庫の周りは危険な山ではなく人里の林ということだ。百歩譲っても登山道といったところだろう。譲らなかったら遊歩道か散歩道である。一応は貴族令嬢であるところの私が立ち入っているくらいだから、なんなら舗装された街道レベルの可能性すらある。レッドカーペットが敷いてあってもおかしくない。


 そんなことより、ゴロツキは気になることを言っていた。最初に声をかけてきた時の、立入禁止という言葉だ。


「立入禁止とはどういうことでしょうか。そう言いながら声をかけてきたということは、ここは貴方がたの所有する小麦倉庫なのですか?」


「何!? てめえ、なんでここが小麦の隠し倉庫だって知ってやがんだ!」


 いや、だって匂うし。ってサクラが言ってるし。

 というか私は小麦倉庫と言っただけで別に隠し倉庫だなんて言ってないのだが。

 立地からしてそうかもしれないなと思わないでもなかったが、やはり隠された倉庫だったのか。


「ちっ! てめえが頭のおかしな貴族でもそうでなくても関係ねえ! 隠し倉庫を見られたからには生かしちゃおけねえ! 野郎ども! やるぞ!」


 ゴロツキたちは雄叫びを上げ、武器を抜いた。

 私はその光景に驚いた。

 何ということだ。


 先ほど考えていた通り、人間社会においては純粋な戦闘力だけが相手の脅威度を表すわけではない。たとえ単なるゴロツキに見えても、もしかしたらやんごとなき身分の人間である可能性もゼロではない。あるいは彼らのバックに誰か強大な権力者がついているかもしれない。なんかよくわからない恐るべき陰謀とかそういうのにいつ巻き込まれるか知れたものではないのだ。

 私は箱入り令嬢(♂)だったので直接は知らないのだが、貴族というのはそういうもののはずだ。たぶん。

 特にこちらから先に手を出してしまえば、その陰謀の糸口を相手に与えかねない。

 暴力という手段は、あらゆる問題を解決しうるポテンシャルを秘めてはいるのだが、その使い所は非常に難しいものなのだ。行使の際には特に慎重になる必要がある。


 だというのに、何故か彼らの方から暴力の世界ステージに下りてきてくれた。


「話が早くて助かりますね。なんて親切な方々なんでしょう。速やかに始末して、隠し倉庫はこの地の領主に報告することにいたしましょう。──ビアンカ、ネラ、ボンジリ、サクラ。やっておしまい」





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