第28話「そこのけそこのけ揺らぎが通る」




 私たちの一時的な拠点である安宿がある区域は、王都の中でも貧しい者たちの住んでいるエリアだ。治安もあまり良くはない。そのせいか、隠れ住む犯罪者も多いらしい。

 そのため騎士や衛兵たちは、この貧民区に王子誘拐犯の中継拠点があると踏んで重点的に捜索しているようだった。

 安宿周辺には常に私の【誘惑セデュース】が薄く散布されているため、人が近寄らない状態になっている。だから見つかる恐れはまずないが、貧民区全体に捜索のために衛兵が散っているため、私たちも出るに出られない状況だ。


 しかしそんな状況がずっと続けられるわけがない。

 特に日が落ち視界が悪くなってからは、捜索の手も緩んでいく。日中に出来ていたような捜索は夜では出来なくなるからだ。

 捜査員の人数を減らし、隠れている人間を探すのではなく動いている人間をチェックする方向にシフトしていた。物を探すなら明るい方が向いていることと、暗い中行動をする一般人が極めて少ないからこそだろう。

 そうして緩急をつけて効率よく捜索することで、捜査の継続的な運用をしているらしい。


 確かに、普通の犯罪者が相手ならそれでいいだろう。

 捜査の効率が悪い期間は、ターゲットを逃さないことだけを考えて動いたほうが効率がいい。

 しかし、今回は誘拐なのだ。本来の目的は犯罪者の捕縛ではなく被害者の救出であるはずだ。

 誘拐をするくらいだから、犯人にとっても目的達成までは被害者を生かしておく必要があるのは事実だ。その意味では被害者の安全はある程度は見込めるだろう。しかし、捕まるリスクと目的達成というリターンを天秤にかけたとき、犯人が必ずしも目的達成を取るとは限らない。捕まるくらいなら普通に被害者を殺して逃げるはずだ。


 そういう意味では、捜査が進めば進むほど、つまり時間が経てば経つほど被害者の生存率は低くなっていく。

 特に今回の被害者は第一王子というインテリオラ王家にとって唯一の男児である。実に悠長なことだ。彼が居なくなれば王国の存続すら怪しいというのに。


 まあ、それは私たちには関係のない話だ。

 私たちにとって重要なのは、夜になれば貧民区の衛兵たちの密度が下がるということだけである。

 少ない人数ならば、まとめて惑わせても違和感を持たれづらい。

 『教皇』にはああ言われてしまったし、ここは『悪魔』の面目躍如といこう。


 私は音もなく、日が落ちた貧民区に【誘惑】の翼を広げていった。


「……そろそろ行けるよ、『教皇』。撤収だ」





 ◇ ◇ ◇





 サクラに乗って王城を飛び出したのはいいが、王子の行方を知っているわけではない。

 もうあたりも暗くなってしまっているが、まだ王子発見の報はなかった。

 王都は広い。

 誘拐されてから今までで発見出来ていないのなら、むやみに探しても見つけられないだろう。


 しかし大丈夫。

 私にはサクラの鼻がある。

 城を飛び出した勢いそのまま、王都の屋根の上を走らせる。

 こうして広範囲から王子の匂いを見つけ出すのだ。


「さあサクラ! マルグリット殿下の匂いを嗅ぎ分けるのです!」


「ブルルン」


「え、無理? どうして? 匂いは地面の近くに漂うものだから? なるほど……」


 そういえば、前世で見た警察犬的な犬も地面をクンクン嗅いでいたような気がする。てっきり地面の匂いを嗅いでいるのかと思っていたのだが、地面の近くに漂う匂いを嗅いでいたのかもしれない。


「じゃあ屋根の上まで匂いが上がってくればいいんですね」


 そうすれば解決だ。

 屋根の上を爆走しながら匂いを追える計算になる。


「ええと、いい感じに舞い上がれー! 王子の匂い!」


 王都は広い。

 なので、そこそこたくさん力を込めた。

 すると一瞬で王都中が金色の粒子で満たされ、その直後、ほんの僅かな光のみが、通りに沿った形で家々の屋根の上に浮かび上がった。

 振り返ると、王城の至る所も金色に光っている。

 たぶん、今浮かび上がった金色の光が王子の匂いなのだろう。王城が一番光っているのがその証拠だと言えよう。あそこは王子の実家だし。

 そして通りに沿って光っているのは、以前に王子が通った場所なのだろう。匂いが残らないくらい昔のことは知らないが。

 こちらも、先日訪れたマルシェの広場の周辺が特に明るくなっている。間違いない。

 こうして見ると、あの王子けっこう王都に匂いばらまいてるな。発情期の犬かな。


「まあとにかくこれでヨシ! さあサクラ! 匂いを追うのです!」


「……ヒヒン」


「嗅ぐまでもなく見ればわかる? 確かにそうですね……」


「あおん」


「なーご」


「ぴい」


「そうそう。みんなの言う通りですよサクラ。あんまり嗅ぎすぎて過呼吸になったりしてもいけませんからね。それに、サクラは馬なので私よりも視界が広いでしょう? だからこれでよかったんです。じゃあ行きましょう」


 私がそう言うと、サクラは人間臭くため息をつき、軽く頭を振ってから方向転換し、一直線に走り始めた。目的地を定めたようだ。

 よくよく目を凝らしてみると、進行方向には光の粒子が固まって浮いている場所があった。

 他の、通り沿いに細くつながっている匂いのラインとは完全に独立しており、通りに浮いている光よりも密度が高く見える。

 ということは、王子は通りなどを通らずにいきなりあの場所に出現し、しかも一定時間そこにいたということだ。

 つまり、転移とかそういう不思議パワーによって攫われ、今もなおそこに囚われていることを意味している。

 これを一瞬で考えて、しかも王都をざっと見渡しただけで見つけ出すとは、サクラは馬のくせに物凄く賢いのでは。


 とか、呑気に考えている場合ではなかった。

 サクラが全力で駆けようとすると、足場の屋根は一撃で粉砕されてしまう。

 それではサクラの力が十全に発揮できないから速度が落ちるし、王都の民にも申し訳がない。


「ええと、綺麗に直れー」


 とりあえず破壊された屋根にそう魔法をかけておく。

 この魔法を生物にかけると、かけられた者の美的感覚に従って「綺麗に治る」ことになる。では生物以外にかけるとどうなるのか。これまでやったことがなかったので知らなかったが、屋根の一部分、サクラに破壊されたところだけが金色にぴかぴかに輝いていた。金属光沢もある。

 よく見なくても、これ多分金だな。なぜだろう。


「……まあ、穴が塞がったのなら構わないでしょう。おっと、綺麗に直れー。綺麗に直れー。綺麗に」


 サクラが屋根を蹴るたびにこんなことをしていては、さすがの私も声が枯れてしまう。それはよくない。世界の損失だ。

 なので、サクラの蹄鉄にそういう魔法をかけることにした。


「もう面倒なので、蹴った対象を綺麗にしながら走ってくださいまし!」


 するとサクラの蹄が金色に輝き、踏んだ瞬間に屋根が黄金に変化するようになった。これは楽だ。


 私とサクラはそうして王都の屋根を黄金に変えながら、王子の匂いを追った。

 振り返ってみると、夜の闇の中、月明かりに逆らうかの如く金色の光が舞う王都の空に、サクラの蹄の跡が一際輝いて見える。

 正確には光っているのは屋根の一部だが、他が暗い上に金色の粒子(王子の残り香)に目がいってしまうため、まるで空中を走った馬の足跡のように見えるのだ。


「……悪くない風景ですね。この光景を永遠に残してお──」


「わん!」


「なご!」


「ぴっ!」


 しかし言いかけたところで愛するペットたちに止められてしまった。


「えっ。駄目なんですか? 声に出すのも? なぜ……」


 納得いかないが、頭の上のビアンカに肉球でぺしぺしされては続けるわけにはいかない。

 まあ、多分甘えたいだけだろう。

 まだ小さいペットたちには、幻想的な風景よりも遊びの方が重要だ、ということだ。


「ですが、私の頭の上で遊んであげるわけにもいきませんし……。あ、そうだ。ではしりとりをしましょうか。私からいきますね。

 り・ん・ご」


「わん!」


「いいですねビアンカ。次はネラですよ」


「うなー!」


「上手です。ではボンジリ」


「ぴー!」


「お、『う』縛りですか。通ですね。次は……」


「ヒヒーン!」


「……サクラ。しりとりのルールを知らないんですか? 次は『う』ですよ。『到着』じゃ──あ、違うんですか」


 下を見下ろしてみると、サクラが立っているボロアパートめいた建物の窓から、黒ずくめの女性が身を乗り出しているところだった。

 サクラの気配に気づいてか、女性が上を見上げる。


 そして私と目が合った。


「──あ」






★ ★ ★


読者の皆様におかれましては、全体的に「何言ってんだこいつ……」な感じかと思います。

ご安心ください。そのうちいい感じに説明したりしなかったりします。

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