第41話「メリディエス王国騎士団長、ザガーロ」
メリディエス王国騎士団長である私の元にその一報が届けられたのは、今思えばだが、すでに事態が手遅れになってからだった、のかもしれない。
「だ、団長!」
「どうした、騒がしい。持ち場を離れて何をしている」
王城の隣に建てられている騎士団詰め所に飛び込んできたのは、この日、王都の城門を守る当番のはずの騎士だった。
「申し訳ありません! ですが、緊急の要件なのです!」
城門は街を守る大切な設備だ。そこを守ることはすなわち街を守ることであり、騎士として非常に重要な意味を持っているのは言うまでもない。
その当番を放り出すほどの緊急事態とは一体なんなのか。
どうでもよい内容であれば叱責し、何か罰を与えなければなるまい。
そう考えながら、ひとまず騎士に水を与え、落ち着かせる。
「それで、どんな要件だ」
「は、はい。本日私は城門の当番だったのですが、そこで、貴族らしき令嬢が身分を証明するために差し出したものが……」
騎士は手に持っていた布を見せた。
ぱっと見でもわかるその仕立ての良さは気にかかっていたが、まさか緊急の要件が布切れ一枚など有り得まいと無視していたものだ。
「この布切れがどうか──む! これは!」
仕立ての良いその布はハンカチだった。見た目、そして肌触りから、おそらくは最高級のシルクが使われている。そして金色の刺繍には金属糸が使われている。直接触れた際のこのひんやりとした感触は間違いない。ここまで精緻に縫い付けられるということは、そこらの金属よりも柔軟性に優れたものだろう。心当たりは、そう、黄金くらいしかない。
問題なのは、メリディエス王国において、シルクや貴金属糸を使用するこうした豪奢な仕立てが許されているのが、王族だけだということだ。
付け加えるならば、このハンカチに刺繍されている紋章はその王族のものではない。
「これは……見覚えがあるな。確か伯爵家の……そうだ、ペスケンス伯爵家の家紋だな」
無数に存在する貴族家の紋章など、騎士団長と言えどいちいち覚えてはいない。しかしペスケンス伯爵家は別だ。
外務卿の派閥の貴族で、宰相閣下より直々に隣国インテリオラに対する調略を命じられていたのがこのペスケンス伯爵家だったはずだ。
我が騎士団からもその任務のためにペスケンス伯爵家へと一個中隊を貸し出している。かの家の紋章はその時に覚えたのだ。
「忠誠心の高さから例の任務を与えられたということであったが……」
「ですが、団長。王族でないにもかかわらず、このような仕立ての、しかも家紋入りのハンカチを……」
「うむ……。単に絹に金糸入りのハンカチというだけならばいくらでも言い訳はきくだろうが、家紋入りはな……。謀反を疑われても申し開きのしようもないだろう」
ただ単に豪華な小物が欲しいだけならまだわかる。まだわかるがゆえにこれまでにいくらでも例があり、それだけ言い訳もしやすいと言える。
しかし自分の家の家紋を入れるのはまずい。
王家にのみ許された仕立て品に自らの家紋を入れるなど、自分こそが王家に取って代わるつもりだと、そう解釈されても仕方がない行為だ。
「これを持ってきたのは若い令嬢だといったな。ペスケンス伯爵家にそんな令嬢がいただろうか……」
「……もしや、隠し子……?」
「おい、滅多なことを口にするな。伯爵家の醜聞を言いふらしたとなれば、例え根拠があっても重罪だぞ。もし間違いだったら死刑もありうる。ここだけの話にしておけよ。
……だが、たしかにその可能性はあるか」
仮にその令嬢がペスケンス伯爵の隠し子であり、父から王家に対する叛意を聞かされていたとしたらどうだろう。常々そのような話を聞かされ、もし叛逆が成功した暁にはお前は王女になるんだぞと家紋入りのハンカチも渡されていたとしたら。
「いや、さすがに一国を転覆させようという男がそんな親バカなことなどするはずがないか。しかも隠し子に……」
「わかりませんよ、家族に対する情愛なんて外からじゃわからないもんです。隠し子となれば公には可愛がれないでしょうし、それで余計に、ってこともありえます。だいいち、もし違うとしたら、あのハンカチはどう説明するっていうんですか」
たしかに部下の言う通りだ。
どういう事情があるかは別にしても、ペスケンス伯爵家の家紋入りの絹のハンカチがここに存在していることは厳然たる事実なのだ。
「ひとまず、宰相閣下にご報告するより他にないか……」
「そうですね。宰相閣下に……あ、いえ、お待ちください団長」
「なんだ、どうした」
「宰相閣下ということは、ペスケンス伯爵の上役、ということになりますよね。もしその、謀反の企みがあったとして、その出処がペスケンス伯爵ではなくもっと上の方からだとしたら……」
「このことを素直に宰相閣下に伝えた場合、もみ消される恐れがあると言いたいのか……。いやもみ消されだけならばまだマシか」
最悪の場合、このことを知っている私や部下が闇に葬られる恐れさえある。
隣のインテリオラと違い、我がメリディエス王国には魔物の領域が少ない。そのため国政において軍事力の占める影響力は大きくない。騎士団長ともなれば、国によっては宰相に比肩する権力者である場合も多いと聞くが、私の権力などたかが知れている。
宰相の企みに気づいたと知られれば、下手をしたら騎士団ごとまとめて首をすげ替えられてもおかしくない。
「宰相閣下はインテリオラへ密かに裏から手を伸ばすフリをしながら、その実メリディエス王家に対する牙を研いでいる、ということか。……待てよ、もしそうだとすると、我が騎士団から貸し出した一個中隊は……!」
「まさか、口封じに……!?」
「くそ! 仮にも一国を相手にする謀略だというのに、必要な人員がたかが一個中隊というのはおかしいと思っていたのだ! 直接相手にするのはあくまで辺境の一領地に過ぎんから人数は要らんなどと……あれはただのポーズだったのか!」
いくら一領地相手とは言え少なすぎても疑われるし、多すぎれば始末する際手間になる。
そのギリギリのラインが「一個中隊」という戦闘単位だったというわけだ。
「おい! 誰かいないか! 今すぐインテリオラ方面に出向になった者たちの安否を確かめろ! 早馬を飛ばせ!」
現時点でインテリオラ王国からは何の反応もない。ということは謀略は上手くいっているということだ。少なくとも宰相の考えている通りには。
この時点でもし私の部下たちに被害が出ていたとしたら、「宰相が謀反を考えているかもしれない」という私の考えを補強する材料になる。
あり得ないとは思うが、もし、すでに全滅してしまっているとしたら。
その時はもはや、宰相の謀反は決定的と言って良いだろう。
それが真実だった場合は──
いかに討伐すべき魔物が少ないとは言え、我が騎士団がメリディエス王国における最高戦力であることは間違いない。
どれほどの権力を持っていようと、実際に振るわれる物理的な暴力の前では何の意味もない。
私は非番も含めたすべての騎士を詰め所に集めるよう指示を出し、全員で早馬からの報を待つことにした。
輪番で行っている王都の防衛も重要だが、その内側から宰相に攻撃されるというのであれば、外にばかり目を向けているわけにもいかない。
ここ数年は魔物の襲撃もなく、組織的な盗賊団が現れたという報告もないため、数日くらい監視の目を緩めたところで大した問題は起きないだろう。
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