第21話「『悪魔』と『教皇』」
「──っはぁ! はぁ、はぁ……」
全く使えない侯爵令嬢の身体の支配を解除し、意識を元の自分の身体に戻す。
目を開けると、ついさっきまでいた王城とは比べるべくもないみすぼらしい木造の天井が視界を覆う。
王都の平民街、その一角にある安宿の一室だ。
私たちがインテリオラ王国に来てから一時的な拠点にしている場所である。
この手の安宿の利用者は訳ありの人間が多いので、宿の主もいちいち客の素性の詮索をしたりはしない。詮索をしない代わりに、盗難や暴行などのトラブルが起きても何もしてはくれないが、そこは自分でどうにかすればいいだけである。
「……おはよう。といってももう夕方近いんだけど。こっちの身体に意識を戻したってことは、王子の誘拐は失敗したってことだよね。はぁー……つっかえないなアンタ」
ベッドサイドからそんな声が飛んできた。
顔だけをそちらに向けると、髭面の大男が顰め面でこちらを睨んでいた。
軽い口調と似ても似つかない厳つい姿と声質であるが、このアンバランスな印象がこの大男の不気味なところでもあった。
この私、『悪魔』と同じく、秘密結社「アルカヌム」の上級幹部である『教皇』のコードネームを持つ大男。
それがこの彼である。
厳つい姿ではあるが、年をとっているわけではない。髭のせいで分かりづらいが顔に皺などはないのでそれなりに若いはずだ。
あの結社の幹部であるから、ただ若いだけの人間がなれるはずがない。私だって師である先代から直接役を譲られたからこそこの若さで幹部になれているのだ。
その先代から聞いたところ、先代『悪魔』が役に就く前から『教皇』は今の彼であり、姿も声も変わっていないという。
となれば見た目通りの年齢ではないはずだ。
やりようによっては他人の身体を乗っ取ることさえ可能な私を含め、結社幹部には正体不明と言って差し支えない者が多い。中には人間でさえない者がいてもおかしくない。
そんな怪しい同僚に無防備な自分の肉体を任せておかなければならなかったのが、新任幹部の私の辛いところであった。
「……使えないとはご挨拶ね。こっちは王子に予想外の護衛がついてたのよ。王城内は身元の確かな人間しか入れないから、基本的に護衛は居ないって情報拾ってきたの、あんたの方でしょ。適当なこと言ってんじゃないわよ。使えないのはどっちなのよ」
作戦を失敗したことや『教皇』の不気味さ、そういったやりきれない気持ちがつい高まり、きつい言い方になってしまった。
「はぁー? 僕はちゃんと『基本的に』って言ってますけどー? 基本ってわかりますかー? 例外もあるって意味なんですけどー。それを額面通りに受け取っちゃうとか、頭ザコなんですかー?」
うざい。
「てか、せっかくのチャンスだったのにマジ何やってんだよ。アンタの
これは『教皇』の言う通りである。
王子を攫うため、インテリオラ王国へ潜入したはいいが、王城の警備の予想以上の厳重さにどうしたものかと攻めあぐねていた。
そこへ、辺境から帰ってきた王子が見たこともないほどの美人を連れていた、という街の噂を聞き、どういうことかと調べていると、なんと王城側から正式に婚約者であるとお触れが出されたのだ。
まだ若いながらも武勇に優れ、人格、容姿ともに素晴らしいと評判の第一王子である。
城内にも城下にも、懸想している娘のひとりやふたりはいるはずだ。
その中で最も王子に近い者の心の歪みに付け込み【誘惑】をしかけ、操って王子を誘拐させる。
そういう計画だった。
「その婚約者だったのよ! 例外の護衛とやらは!」
「はぁ? 頭ザコ過ぎて茹だってんの? そんなわけないでしょ。それ裏取ったの?」
「裏は……取ってないけど、でも間違いないわ! だって私は婚約者が連れてたペットにしてやられたのよ!」
「え、ペットに負けたの? 頭だけじゃなくて身体もザコなの?」
「あ、いや、ペットというか、あれは婚約者の女に使役されたケダモノよ! ペットはその、言葉の綾で!」
すると『教皇』は胡乱げな目で私を見ながらも情報を整理し始めた。
「……ちょっと何言ってるのかわからないけど、つまりこういうこと?
婚約者というのは実は嘘で、実際は王子を守る新しい護衛だった。やたらと美人だっていう話は……状況からすると、釣り餌、かな? まあ餌と言っても所詮は見かけだけ。王子以上の価値はないから、そこは大した意味はないだろうけど」
まとめると、彼が言うようにそういうことになるだろうか。
ただひとつ訂正するならば、「所詮は見かけだけ」という『教皇』の言い草だ。
実際に見ていないから言えることだとわかっているが、あれは見かけだけだと言えるレベルの美しさではない。
ひとたび目にしてしまえば、満足するまで目を逸らすことは許されない。
例えば雄大な大自然の光景を、完全に安全が保証された場所から眺めるときのような。
太陽や月、天体の織りなす人智の及ばぬスペクタクルを、手の届かない地上から憧れをもって仰ぎ見るような。
そういった、根源に訴えかけてくるレベルの美しさであった。
私自身もそれなりに美しい、つもりではあった。
しかしそれは所詮「あの子可愛いよね」レベルのものでしかない。例の王子の婚約者が持つ、圧倒的な美しさの前ではそこらの有象無象と何も変わらないのだ。
ただ、これは言ったところで伝わりはしないだろう。
心が受けた衝撃、あるいは感動というものは、それを伝えるだけでも特異な才能が必要なのだ。
そして私にはそんな才能はない。
あと、この『教皇』にもそれを受け取る感受性はないだろう。
「そうなると、だ。まずはその護衛のニセ婚約者とやらを始末する必要があるね。はぁー。仕方がないなあ。それは僕がやっておいてあげるよ。君の尻拭いをね」
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