辻斬
黄昏時。もうしばらく日が傾けば逢魔ヶ時。
本来、この時間ならばどこもかしこも人通りが絶えないはずなのだが、このところ誘拐事件や殺人事件が多発しているせいで、早めに家に引きこもる例が増えている。夜の店が不景気だとは、ミルクホールで大人が言っている話だ。
このところどこの女学校も「寄り道せずに真っ直ぐに家に帰るように」と口酸っぱく言われているものの、この年頃の娘であったら、花嫁修業のために習い事を多く抱えている。
自転車を使えればもっと早くに家に着くのにと、綾子は不平に思う。危ないから早く帰れと大人は言う癖に、早く家に着ける自転車を乗ることを「女が乗るなんてはしたない」と顔をしかめる。
やがて、富裕層の住む邸宅の並びが見えてきた。そのことに心底ほっとしていると。
ゆらりと、少女が歩いていることに気付いた。
束髪に銘仙の着物に袴。どこにでもよくいる女学生だが、変だ、と直感で綾子は思う。
その少女が歩く様が、かぽん。かぽん。と音を立てるのだ。足音を立てて歩くのははしたないと、女学校に通うような令嬢であったら誰もが知っている。おまけに、背中は丸まり、どことなく目は虚ろだ。
胸騒ぎがするから、早く通り過ぎよう。
綾子は必死で歩みを速めた。この怪しげな少女から、できるだけ早く遠ざかろうと、そう思ったとき。
少女が、ふいに姿勢を正し、ギョロリと綾子と目を合わせてきたのだ。眼球だけがボコリと出て、異様に血走って見える。そこだけ違う生き物のように見えて、綾子は「ひいっ……!」と声を上げてしまい、手で抑える。
「……見たナ」
少女が声を上げる。その声はひどくしわがれていて、とてもじゃないがあどけない年頃のものとは思えない声色だった。
そこでようやく綾子は気付いた。
少女が、腰になにかを差しているということを。それはもはや能でしか見たことがない、とっくの昔に廃れたと思っていた太刀であった。
少女は乱暴に太刀を鞘から引き抜くと、それを綾子に構える。その刃はギラリと金色の空の光を受けて妖しく光っている。
「……斬ル」
「い、いや…………!!」
綾子は風呂敷で身を庇うものの、腰を抜かして地面に尻餅を突いてしまい、そのまま動けなくなってしまった。
最近ずっと耳にしていた、連続女学生殺人事件。まさか犯人が少女だなんて、それも帯刀しているなんて、誰が思うのか。少女はギョロリと目を剥いたまま、太刀を大きく掲げる。
風を切る音が耳に届く。もう、駄目だ……。
綾子が目を閉じた途端。
体を切り裂く衝撃は襲ってこなかった。代わりに響いたのは、ギリギリと刃合わせしている音。
「……あ」
綾子が目を開けたときに見たのは、地味な着物に袴を合わせた少女が、銘仙の少女の乱暴な太刀を、自分の持っている刀で受け止めている姿であった。
「大丈夫ですか!?」
少女に背を向けられたまま尋ねられ、綾子は一瞬言葉を失ったものの、どうにか声を振り絞って「……はい」と答える。
少女は隣に立っている青年に伝える。空と同じく金色の髪で蒼い瞳は、平和なときに見たら見惚れていただろうが、今の綾子にはそんな余裕はない。
「彼女を早く安全圏まで運んでください!」
「加勢しなくて大丈夫か?」
「今は必要ありませんし、あなたこの辺りの橋を壊しかねないじゃないですか!」
「そりゃそうだ」
青年は腰を抜かした綾子の近くまで来て、屈む。
「立てるかい?」
彫りの深い顔に似つかわしくない流暢な日本語に一瞬ポカンとしつつ、綾子はどうにか立ち上がろうと腕で必死で地面を押すものの、完全に腰に力が入らなくなり、これでは立てない。綾子は首を横に振った。
青年は「ふむ」と顎を撫で上げると、「失礼」と言って少女を俵抱きした。
「それじゃあ、お前さんを家まで送り届けよう。今見たことは、他言無用で頼む」
青年が軽く人差し指を差すので、綾子は首を縦に振るしかできなかった。
少女ふたりが、刀を持ち出して切り結んでいるなんて光景、誰にどう説明しても信じてはくれないだろう。
この麗しい異人の青年に会えたことだけは僥倖だったが、それと引き換えに殺されかけるのでは、命が何個合っても足りるものではない。
剣戟を奏でる音は、勢いよく遠ざかっていく。
これは夢だったと言われたほうが、どれだけよかったろうと思うが、綾子のからからと乾く喉が、恐怖で竦む筋肉が、早鐘を打つ鼓動が、先程までの出来事をただの夢物語にしてくれそうもなかった。
****
次の犠牲者をどうにか出さずに済んだものの、どういうことだろうと思いながら、みずほは目の前の少女に似た「なにか」と切り結んでいた。
少女の太刀筋はでたらめで、みずほのように厳しい鍛錬の末に型のできたものではない。だが力はおそろしく強い。何度も何度も力任せに打ち込んでくる様は、少し重心をずらして受け止めなかったら、手が痺れて刀を取りこぼしてもおかしくないほどのものだ。
前に雲子の皮を被った
力が強く、みずほが簡単に潰して回れる程度の弱い魑魅魍魎ではないが、低級の魑魅魍魎のように会話が通じない。
弱い魑魅魍魎ならばしゃべることはできないが、力を蓄えるごとに言葉を得て、意思疎通をし、時には人を言葉巧みに操ろうとしてくる。この少女の皮を被ったなにかは、言葉をしゃべりこそすれど、会話が成立しなかったのだ。
絡新婦が下級の魑魅魍魎を使役していたように、この少女の姿を取ったものも、誰かに使役されているのだろうか。
だとしたら、この少女を斬ったところでなんの解決もできないが。
みずほがそう、ぐるりと考えて少女を見定めている中。
「くくクくくく…………」
少女が呻き声に似た笑い声を上げた。
みずほは少しだけ眉を跳ねさせながら、言葉を選ぶ。
「なにがおかしいんですか!?」
「……まさか、こんなトころで出会エるとは思わなかった……」
一瞬、少女の中身と意思疎通ができているのかと思ったが、どうも違う。
少女は相変わらずガンガンと力任せに太刀を振るってくるため、しゃべっている会話と太刀捌きのテンポと噛み合っていないのだ。
まるで少女が使役者に操られて言葉をしゃべっているような……活動写真に合わせて活動弁士が写真の内容をしゃべっているような違和感を覚える。
……少女を使役している者か。そうみずほは察した。
「あなたは、何者ですか。女学生たちを殺して、いったいなにをするつもりなのですか」
「この国ヲ転覆させるために……素材を集めてイる」
「…………っ!?」
みずほはその言葉に、息を飲んだ。
相変わらず少女はでたらめな太刀筋なため、それをどうにかみずほは刀で捌いてやり過ごしながら、少女の口で語る何物かの言葉を耳にする。
「瑞々しイ肉だったラ、思い通りのものガつくれるからな……この時代だと千年前には栄華を極めた呪術師も陰陽師もいヤしない……退魔師なゾ、ひとりふたり集めたところで詮無いことよ」
「あなたは……」
さらりと言っている言葉に、みずほは怖気が走る。
少女の向こう側にいるものは、間違いない。
朔夜と同じ時間を生きたことがあるものだ。あの力強い朔夜が暴れ回らなかったら対処できなかった時代を、生きていたもの。
背筋から、どっと冷や汗が噴き出る。
簡単に川を割るようなものと対等に戦えるものの対処なんて、本当にできるのかと。
少女は口を歪める。
「……ダが、神通力に近い力を持つお前がいるのだったラ、話は別だ」
「なにを言っているんですか」
「素材にする必要なドない。このままで充分強イ。共にこの国を掌握しないか?」
「だから、なにを言っているんですか……!!」
力任せに振るっていた少女の太刀を、とうとうみずほは弾いた。少女の太刀は折れ、切っ先がカンカンカンと地面に転がっていった。
みずほは折れた刃を踏んづけて、少女越しの何物かに刀を突きつける。
「あなたが何者かは知りません。ですが、私があなたに力を貸すことはありえません……!!」
「ふふ……この弱弱しい時代に溶け込ンだ愚かな娘よ……」
……おそらくは、とみずほは歯噛みする。
今まで殺されてきた少女たちは、人間社会に溶け込めるように、顔を奪われたのだ。見つかった遺体の顔が潰されていたのは、皮を剥がされたことを悟られぬように。
中身がたとえ人でなかったとしても、親しい人間と同じ姿の存在と戦える人間なんて、今代ではそう多くはおるまい。
その少女の皮膚は、パリンパリンと割れはじめた。
割れた面の向こうから出てきたのは、コガネムシのようなつるりと光る甲殻を持ち、仏像のような筋肉隆々とした上半身に、頭部から角を生やした……鬼であった。
「愚かな娘よ、力を貸さぬのならば、この場で果テよ……それが貴様ニとってもっとも幸セな道であろうヨ」
そこで、鬼越しに話をしていた何者かの言葉は途切れた。
鬼は太い腕で、みずほの刀にひるむことなく打ち込んできた。その衝撃は、道を盛り上げ、メリメリと音を立てる。みずほはその衝撃を太刀で受け止めるが、それでも足の踏ん張りが足りずに仰け反る。
髪と袖が衝撃で靡き、乱れる。
強い……だが。
こんな鬼を使役しているものは、本当に何者なのか。そもそも千年前のそんなものが、どうして目覚めてしまったのか。
みずほは歯噛みしながら、刀を握り直した。
どのみち、これを倒さなければ、犠牲者が増えることは変わらないのだから。
****
瓦斯灯がまだ点かない、金色の空が暮れかける時間。
「それじゃあ、ここでいいか?」
昔ながらによく育った松の木が、玄関の向こうから見える大きな邸宅。少女は頷いたのを見計らって、朔夜は俵抱きした少女を降ろす。
少女は顔を青褪めさせたまま頭を下げる。
「あの……ありがとうございます」
「ああ、今日のことは忘れたほうがいい。家のものに伝えておけ。今夜はこの路地に一切出るなと。それでは俺は、妻の元に戻る」
「……ご武運を」
少女に頭を下げられたのに軽く手を振りながら、朔夜は走る。その速さは常人の物とは離れている。気付けば着物は衣冠に、背中には直刀を、頭には烏帽子を乗せて、風を切って走っているが。
金色に染め上げられた大通りに伸びた影が、不可解に蠢いた。
「……まさか、また戦うことになるとは、思ってなかったんだがな」
朔夜はそう言いながら、自身の直刀の鞘に手を伸ばした。
彼の周りには誰もいない……はずだったが。
朔夜は直刀を鞘ごと自身の伸びる影に突き刺すと、そこからなにかが目に見えぬ速さで飛び出してその衝撃を避けた。地面にボコンと穴が空く。
邸宅の付近を流れる川は、不自然にボコリボコリと泡を立て、路地の奥には不自然なほどに動かないつむじ風が見える。
「……何故、貴様が今代に出ていル」
影の中から、しわがれ声が響き、朔夜は「ふん」と鼻で笑う。
「我が妻に呼ばれたからだな。それに、貴様がここで目覚めた以上、理由は貴様と同じものなんだろうさ」
蒼い瞳に冷たい光が差し込む。
みずほには決して見せない、敵対するもの全てを睨みつける、温度の低い瞳。
「強い力の揺り戻しで、起きてしまったんだろうさ……貴様が今代で目覚めると迷惑がかかる。我が妻は今代を気に入っているのだから、消えてもらわなければ困る」
直刀を引き抜いた。
それと同時に、影から、川から、つむじ風から気配が一斉に動いた。
動いたものは、全て甲殻を被った鬼であった。
影から出てきた鬼は、薄い体でもっとも俊敏に動き、影から影へと巧みに跳ぶ。
川から出てきた鬼は、全身を水で滴らせている。鉤爪のような手には器もないのに水を浮かべているところからして、水を操るのだろう。
最後のつむじ風を纏わせる鬼は最も厄介だ。両手両足にかまいたちを起こし、それらを同時に操ってくるのだから。
戦いがはじまったのだ……それは、千年前のものと同じく。
「貴様らの相手ばかりに手間取ってはおられぬ。妻の加勢に行かねばならぬのでな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます