再戦
みずほはその夜、大嶽丸の宝蔵から出てきた獅子王の手入れをしていた。
霊刀なだけあり、それは無茶な戦いでも刃こぼれひとつせず、美しい刃を保っていた。刀に塗られた油を拭き取り紙を使ってしっかりと拭き取り、打ち粉をかける。そのあとに新しい油を塗り込むと、ようやく鞘に納めた。
「次からは、こちらの刀を使うか?」
それを見ていた朔夜がのんびりと聞くので、みずほは振り返る。
「……わかりません。ご先祖様の刀を使いたくはありますが、でも……」
このところ、刀掛けに掛けてあるはずの顕明連に、何故か拒絶されているように思えて、握ることができずにいた。ずっと魑魅魍魎との戦いの際に使用していたというのに、どうして拒絶されていると思うのか、みずほも不思議だった。
みずほの胸中はさておいて、朔夜は軽く言う。
「それならば、そちらを使ったがいい。獅子王はいい刀だ」
「影打ち……でしょうがね」
真打ちとされているのは、奉納された刀のことを差し、残りは全て影打ちとされている。
元々顕明連の写しである獅子王は、帝に奉納されたものだ。今も御物として大切に保管されているものこそ真打ちだろうし、今みずほの手元にあるのは、試し打ちのために打たれた内のひと振りであろう。
朔夜はのんびりと笑った。
「お前さんには、そちらのほうが似合っていると思う」
「……刀に似合うかどうかがあるのかは、よくわかりません」
「それでかまわんさ……さて、みずほ」
みずほは朔夜に呼ばれ、きょとんとした顔で刀を置いた。
「そろそろ、四鬼が再び暴れ出す頃だろうが、今の内にお前さんの大事なものを避難させたほうがよくないか」
それにみずほの顔が強ばる。
四鬼。藤原千方が女学生たちから肉を奪ってつくり出した、恐ろしい鬼の集団。みずほが対峙したのはその内の一体だが、あれが残り三体もいて、最近になってようやく町の女学生たちが普通に純喫茶やミルクホールにまで寄り道ができるようになったというのに、またあのときと同じようになるのは可哀想だ。
そして、松葉は退魔師とも縁もゆかりもない、母娘で生活している女給だ。
「……避難なんて、どうすればいいんですか。それに女学生の皆さんは」
「まあ、あの坊ちゃんになんとかさせるさ。あれはあんなんでも金だけは持っているからなあ」
「坊ちゃんって……照彦さんにですか?」
「ああ。お前さんは、松葉や他の女給、伊藤先生をどうにかしてやれ」
「……わかりました」
田村家では、使用人たちに少しずつ暇を出して、実家に帰らせている。田村家が関わっている凄惨な事件を知っていれば、そこで苦情も文句も出ることはなく、今いるのは父の生野と警察で働いている浄野、離れで生活しているみずほと朔夜くらいだ。
みずほは出会った女学生たちのことを思った。ほんの少しだけ通った女学校の子たちと同い年の少女たちが、なにも知らないままわからないまま殺される。もうあんなことは阻止しないといけない。
今度こそ、藤原千方ともども、四鬼を倒す。
みずほは明かりを消して、眠った。明日は早々に松葉に会いに行かなければいけない。
****
次の日、朝餉を早めに食べ終えたみずほは、片付けを済ませたあと、霊剣を仕込んだ日傘と一緒に【純喫茶やしろ】へと向かった。
みずほは日傘を片手に考え込む。
「ですけど……いったいどうやって避難してもらいましょうか? 最近本当に平和だったので、余計に悩みます」
「なんか地盤が緩くなっているとか、
「瓦斯爆発って……よくそんなこと思いつきますねえ。でもそうでしたら、既に松葉ちゃんや伊藤先生の頭にも入ってるかと……」
ふたりでそうやり取りをしていると、「あら、みずほ?」とにこにこした顔をしている松葉と出会う。ちょうど出勤中だったらしく、制服の女給服ではなく、古着の着物だ。最近は派手な色合いが流行っているので、ひと昔前の緑色の着物に赤い帯が一周回って垢抜けて見える。
「松葉ちゃん、おはようございます」
「おはよう。でもなあに、朝っぱらから? まだうちの店も定食は出せないんだけど」
きょとんと不思議そうな顔をしている松葉に、みずほはどうしたものかと頭を抱える。しかしそこで朔夜が助け船を出した。
「そういえば、伊藤先生と逢引という話が出ていたが、あれはどうなったんだ?」
「まあ……ええ。本当にいろんなものが見られて楽しかったです。私、全然昔のこととか勉強してなかったけれど、今も昔も案外女の考えていることは変わらないんだなと」
千年前の文化と一緒に、文献もあちこち見て、その中には短編しか見つからなかった恋愛小説も数々展示されていた。それを伊藤に解説してもらい、伊藤と千年前の恋愛小説を読んでいるというのに、松葉はますますときめいてしまっていたのだった。
松葉が浮き足立っているのをわざわざ掘り当てて、いったいなにを考えているのか。みずほは困惑の顔で朔夜を眺めていたら、朔夜はにこやかに言う。
「そういえば、伊藤先生に伝えてくれないか? 宇治の宝蔵が、京都の金持ちの蔵で見つかったらしい」
「うじのほうぞう……?」
意味がわからないという顔をしている松葉に、みずほはぎょっとした顔で朔夜を見上げる。朔夜はいつものように飄々とした態度のままだった。
「あ、あのう……朔夜さん。宇治の宝蔵は、あることにはありますけど、あれって、普通の方法では見つからないものだった……はずですよね? だってあんなの、現世と隠世の境にある蔵なんて……」
みずほがおろおろして、小声で朔夜に言うと、朔夜はにこりと蒼い瞳を細める。
「それでかまわんよ。見つからなくても。だが、もし伊藤先生に言ってみろ。すぐに調査に行くとか言い出すぞ。そうなったら、松葉も着いていくだろうさ。あの娘さんはいいな。伊藤先生のあの学者肌についていけているんだから」
「ま、まあ……そうですね」
これで、伊藤と松葉が無事ならば、あとは照彦の力でこの町の普通の人々が退去してくれればいい。それで、戦うためのお膳立ては整うのだから。
いつものように【純喫茶やしろ】で珈琲とワッフルを注文すると、本当にいつものように伊藤が論文を書きにやってきた。
「おや、おはようございます。今日は早いんですね。おふたりも」
「伊藤先生、おはようございます。伊藤先生こそ、朝にお見かけしたのは初めてでしたが」
「ああ……臨時休校になりましてねえ。なんでも
先程の朔夜との会話と似たような内容で、みずほは目をパチパチさせて朔夜を見た。朔夜は「どこぞの金持ちが、デマでも流布してるんだろうさ」とのたまう。
照彦だろうか。【小福屋】の人間が流した話だったら、たしかに大事になるだろうし、町からの一斉避難もはじまる。それに店長は「それはそれは」と言う。
「そういえば、伊藤先生。先程朔夜さんとお話ししてたんですけど。うじのほうぞう? それが京都で見つかったとかで……」
「……宇治の宝蔵、ですか?」
伊藤の目が輝く。伝承として伝えられてはいるし、本当に伝説だとされているそれが出てきたのだから、千年前のことを研究している人間からは確認したい代物だろう。
伊藤の輝きに圧されて、松葉はこくこくと頷く。
「宇治の宝蔵は本当にいくら調査しても文献でのみしか見つからず、嘘や創作だとしてもいったいどこから来た話なのかわからなかったんですよ。でもそれが見つかったとなったら……京都の富豪、ですか?」
「え、ええ……そう朔夜さんが」
松葉の言葉に、朔夜はにこにこと笑って頷く。
「いえいえ。知り合いの商家の人間が、宇治で買い取りの仕事をしている際に、そこを発見したとかで、それがあまりにも伝説の代物ばかりが出てくると大騒ぎになっているんですよ。ただ、集団で見つけて集団で見失ったとかで、ヒステリーに」
「……村ぐるみで語られている話でしたら、たしかに存在を認識することができず、確認するのも難しいのかもしれませんね」
どんどんと物言いが早くなっていく伊藤を見ながら、知識があるとすぐに足を引っ掛けられるんだなとみずほは思った。
たしかに宇治の宝蔵を【小福屋】が見つけたのは本当だが、何物かの夢渡が原因で発見されたものだから、記憶を操作されて普通の方法ではそもそも辿り着けるのかも怪しい。こんな嘘ついてどう収拾付ける気だろうと、みずほは困惑しながら眺めていたが、やがて「わかりました」と伊藤が立ち上がる。
「どうせしばらく休校ですし、文献を読んで袋小路になるより、現場を見たほうが早いですね。行ってきます」
「……伊藤先生、フットワーク軽いですね?」
「直接見に行く暇もなくて後悔したものは、いくらでもありますからねえ」
伊藤がいそいそと家に帰る準備をはじめるので、松葉は慌てる。
「わ、私も、伊藤先生! 行きたいです! ほら、伊藤先生が現場検証している間、宿のことする人間が必要でしょう? 伊藤先生ったら、うちに通わなかったらまともに食事も摂りませんし!」
「松葉さん……いつも煩わしてしまってすみませんね」
「いーえー! 店長、私しばらく休みます!」
店長はのんびりした様子で「いいよ」とだけ言った。
「あっちこっちの学校が休みに入ったら、商売上がったりだし、それだったらいっそ、こちらも旅行に行って、新しい店のメニュー考案を考えたほうがよさそうだしねえ」
店員と常連が盛り上がっている中、みずほはほっとした。店がしばらく休みに入るのだったら、この店の女給も店長も無事だろう。伊藤と松葉もしばらくは京都に出かけるのであれば、これで自分は心置きなく戦える。
松葉はうきうきした気持ちを隠すこともなく、「お待たせしました、珈琲とワッフルです」とふたり分並べてくれる。
しばらくこれともお別れかと思いながら、みずほは珈琲をすすり、ワッフルをナイフとフォークで切り分けて食べる。
そんな中、朔夜は本当に苦渋の顔で、牛乳の入ってない珈琲を見下ろしていた。黒い。
「……あのう、朔夜さん。苦いの駄目ですよね。牛乳入れてもいいですよ?」
「いや、いい。しばらくはこの薬湯ともお別れだからな」
「薬湯ではないんですけど……」
「飲むぞ」
一気に真っ黒な珈琲を呷り、やはり我慢ならなかったのか、ワッフルをむしゃむしゃと食べるのを、みずほはまじまじと見ていた。
このつかの間の平和も、しばらくはお別れ。
……藤原千方と、四鬼と決着を付けなければいけないのだから。
****
着物に刀。顕明連ではなく獅子王を差して、みずほは朔夜を伴って歩いていた。
どのみち、これだけ気配を隠そうともせず垂れ流していたら、いちいち霊剣を使って探索せずとも見つかるのだ。
「……よく、これだけの禍々しい気配を垂れ流せますね」
みずほは顔をしかめる中、朔夜は着物を衣冠に切り替えて「ふむ」と言う。
「核を手に入れて、娘の肉体を奪って鬼をつくる方法を簡略化させたか」
「核って……」
「人間は心の臓で動く。鬼もまた同じだ。まがい物とはいえど鬼をつくるのだから、藤原のは娘たちを殺して回って、心の臓を得ようとしたが、手に入れる前に俺たちが前の鬼を壊したからなあ……だが、心の臓の替わりに核を得たのなら話は別だ」
「……どうなるんですか?」
「前は心の臓がなかったがために、四鬼も完成されてはいなかったが、今は違う。みずほ、あれは前よりもよっぽど強いぞ」
途端に、水音が響いた。
雨は降っていない。川は流れていない。水道は走っていないのに、だ。
みずほは反射的に刀を抜いて、一歩足を踏み出した。
みずほの刀が、姿を捉えた。
水を噴き出して動く、皮膚を昆虫ような甲殻で覆った、額から角を生やした……水鬼だ。
「あなたは……!」
「やっト完成したと思ったラ、よりによってまた貴様らカ……!?」
口調のちぐはぐさは、やはり藤原千方そのもの。またも鬼を通してしゃべっているのだ。
みずほは大きく刀を薙ぐと、刀の切っ先がなにかを撫でる。かまいたちがぶわりと巻き起こり、それをみずほの刀が切ったのだ。
さらにみずほと朔夜の頭上からなにかが落ちてくるのを、朔夜は黙って直刀を鞘に納めたまま突く。
水鬼、風鬼、金鬼、隠形鬼。
藤原千方の四鬼が、地面を割り、つむじ風を起こして現れたのだ。
朔夜はようやく直刀を抜く。
「どうした。今まであれだけこそこそとしていたのに。まるで新しいおもちゃを自慢したい童じゃないか」
「うるさイ、黙レ! 貴様にはなにも言われとうないワ! 水鬼、風鬼、金鬼、隠形鬼! このふたりを始末しろ!」
千方の激しい憤りを覚えた声が吠える。
みずほは刀を構える。前よりもよく見え、前よりもよく刀が振るえた。前は甲殻の硬い金鬼に当たってしまったとはいえど、それ以前に動きを完全に読み切ることはできなかった。
でも、今は見えるし、たとえ金鬼であったとしても戦える。
負ける気がしない。
「……倒れるのは、あなたのほうです……!」
戦闘が、はじまった。
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