怨讐・一
影と影の間を、勢いよく移動する気配があった。
以前のみずほではその動きを読むどころか、目で追うことも適わなかったが、今の彼女には、その動きが驚くほどよく見えている。全て活動写真のコマ送りのように見えているのだ。故に、行き先を読み切る、その次の一手を読み解くことが可能となっていた。
みずほは、次の次の動きを頭の中で浮かべて、獅子王を振るう。
「はあ……!」
大きく振るった一閃の中に、鬼を上手く巻き込んだ。以前に対峙した金鬼よりも装甲はやわく、難なくみずほの太刀がのめり込んだのだ。
手応えがあった。しかし、太刀に抉られたまま、その鬼はみずほの手を掴んだ。その力は、みずほの腕をちぎらんとばかりするものだった。それにみずほは顔をしかめる。
仕方がなく、腕を掴まれたまま、足を突っ張らせて、その鬼の鳩尾に大きくブーツのヒールをのめり込ませる。そこで息を噴く音が響き、痺れた腕を無理矢理引き剥がすことができた。つくられた鬼が呼吸をするものとは、みずほも知らなかったが。
朔夜はあの装甲の硬い金鬼とやり合っている。あの鋭い爪を、彼は直刀で受け止め、一気に跳ね上げていた。
「みずほ、隠形鬼がすばしっこいが装甲はそこまで硬くはない。捕まらないようにしろ」
「……わかっています。あの、金鬼は、逆にものすごく硬いですが」
「これくらい、あまり問題ない。この間の大嶽丸のほうがよっぽど難しかった、さ」
そう言って、再び直刀を振り上げる。金鬼は硬くてちっともみずほの攻撃が入らなかったというのに、朔夜の腕にかかれば簡単に悲鳴を上げる。
彼の鬼を圧倒する力に、だんだんと慣れてきてしまっている自分がおそろしく思うが、その気持ちは一旦自分の内にしまい込んだ。どのみち、四鬼の始末をしなければ、この町に安寧はやってこないのだから。
みずほは隠形鬼と距離を取り、再び彼の鬼にひと太刀浴びせようとしたところで、ふたりの間を引き裂くようにつむじ風が吹き荒れた。風鬼が妨害してくるのだ。みずほの長い御髪は嬲られ、髪の毛が何本も絡め取られていく。
袴が大きく揺れるのに、みずほは不快げに睨み付ける。風鬼がみずほと朔夜がそれぞれ鬼と戦うのを妨害しているのだ。
更に霧雨が降り注ぐ。水鬼が大量に水を吐き出し、それで視界を遮っているのだ。ただでさえ隠形鬼を追うには目に頼らなければならないのに、目を封じられてしまったら意味をなさない。
しかし風で妨害されても、霧雨で視界を遮られても、朔夜はいつもの調子のままだ。
彼は戦場では、決して調子を崩さない。
「挑発に乗るな、藤原ののよくやる手口だ。呪術師は、人を不快にするということをよく心得ているからな」
「……わかっています。ただ、不愉快なだけです」
「そうなるように仕向けているからなあ。風鬼と水鬼、あれが妨害の要だからなあ。こいつら全員全盛期の頃の力を取り戻しているみたいだからなあ」
「……なんですって?」
「先程も言っただろう。核を得ていると。その核の力が強力なんだろうな、その核を壊さぬ限りは、こいつらは何度だって蘇るし、攻撃したところで、破壊し尽くせん」
あっさりと言ってのけた朔夜に、みずほは歯噛みした。
たしかに、先程みずほが刺した隠形鬼に対する一撃。それはくぷくぷと音を立てて塞がり、もう目に見えなくなっているのだ。みずほだって傷が治るのは早いが、あそこまで早く塞がることはない。
大嶽丸のときに戦ったときから思っていたが、千年前の鬼の力は、常識は、大正の世からしてみればでたらめにしか見えないのだ。大嶽丸だって、たまたま首だけだったから、たとえすぐに首から胴体が生えてもぎりぎり対処できた。
だが、今は核を得た四鬼に苦戦している。全盛期の頃の鬼が全力で暴れたら最後、町どころか日ノ本がどうなっているのかさえわかったもんじゃない。
朔夜は直刀をかまえながら、ちらりとみずほのほうに視線を向けて言う。
「核を壊すとなったら、内側に攻撃するしかあるまい。お前さんできるか?」
「……やらなければならないのならば、やります」
「そうか」
蒼い瞳は、何故か心配と憂いを帯びていたが、それにみずほは目を合わせる。
たしかに桁外れな化け物揃いで、このところの戦いは、ずっと朔夜に甘え続けている。だが。
みずほは退魔師だ。訳のわからない扱いをされようが、出自がわからなかろうが、今代の退魔師はみずほだけなのだ。彼にだけ甘える訳にもいくまい。
彼といると安らぎを覚え、背中を任せられるくらいには信頼している。
しかし信頼に応えなくして、信頼は返ってこない。
彼に町の人々の背中を託したのだ、彼の背中を守るのは、自分だろう。
みずほは、刀の柄を握った。目を閉じ、呼吸を整える。
次の瞬間、額にわずかな水滴が滴り落ちた。……水鬼が、風鬼と組んで、金鬼と隠形鬼への攻撃を妨害してきたのだ。
つまり、攻撃の要は金鬼と隠形鬼で、防御の要は水鬼と風鬼……連携して、みずほと朔夜を妨害しているのだ。水鬼か風鬼、いずれかの核を壊せば、この連携が崩れ、勝機が見えてくる。
そこまでみずほは頭に叩き込んで、地面を蹴った。
朔夜は朔夜で、直刀で襲いかかってくる金鬼の爪を受け止め、弾いていた。朔夜は淡々と金鬼越しにいる者に向かって問う。
「……藤原の。貴様、いったいどこでそんな核を手に入れた? 貴様、夢渡であれに出会ったんじゃなかろうなあ?」
「ふん、貴様にハ関係なかろう」
「いや、関係がある。あれは貴様では御しきれるもんでもあるまい。核に使われているものは、無銘ではあるが霊剣だ。そんなものをただでほいほいと渡せるものでもあるまいよ」
「なんだ、敵を揺さぶって、それで四鬼を操ル力を解くとでも、そう思っているのカ?」
「いや、そんなんで貴様が揺らぐならば、千年前はよっぽど楽できたと思っているよ。だがなあ、呪術師の貴様が、あれの存在をそんなに軽く見るとは思わなんだ。今の内に手を引けば、残りの余生、そこそこましに生きられるとは思うんだが」
「抜かセ……! この国をならし、我が国を建国する夢ハ、潰えてはおらヌ……!」
金鬼を通して訴える、千方の言葉に、朔夜は心底憐憫を込めた瞳で見た。
都転覆の夢が破れ、自身の怨讐を刻んだ四鬼を復活させて、何度目かの襲撃をかけたものの、これもまた失敗に終わっている。
今代、藤原といえば、豪族ではなく貴族であり、都を牛耳った者たちを差す。豪族や士族にも同姓はいたが、藤原千方の名はほとんどの人々が覚えていないどころか、知られていない。彼の名は、全くもってこの世に刻まれなかった。
千年経ってもなお、その執着は衰えることを知らず、むしろ目的と手段が混在し、どうして都を転覆させようとしたのか、どうして名をこの世に刻もうとしたのか、本人が覚えているかも怪しい。
「……そんな夢、千年前の都で捨て去ってきたほうがよかろうに。拾った命をむやみに捨てるような真似をして」
「ええイ、黙れ黙レ黙レ……! 貴様になにがわかル! 全てを得て、名を残シ、血を残シ、栄光を湛えられた貴様と、全てを奪わレ、名も血も栄光も忘れられタ我に、交わる箇所などあるわけがなかろウ……!」
「……たしかに、そうか」
千方の言葉を、朔夜は肯定も否定もせず、ただ相槌だけ打った。
みずほはその言葉の意味がわからず、黙って太刀を振るって隠形鬼の攻撃を捌く。
朔夜がどうして千方と知己なのかは知らないし、何故彼の暴言をそのまま受け止めているのか、みずほにはわからなかった。
彼の千年前のことは知らないが、どの世でも彼の願いが受け入れられた試しはない。
千年にも渡る妄執は、ここで終わらせるべきだ。みずほは再び太刀に力を込め、隠形鬼を睨み付けた。
目では見えている。致命傷は与えられていないものの、腕さえ掴まれなければなんとかなる。ただ、核を壊す方法だけは見えないでいる。
朔夜だったら、なにかしら訳のわからない方法があるだろうが、みずほ自身にはそれが思い浮かばない。自身の血を流せば、弱い魑魅魍魎だったら殺しきることができるが、金鬼のときですら、動きを止めるほどの力もなかったから、無駄に血は流せない。だからと言って、むやみに霊力を流し込んだとしても、それが核に届かなかったら意味がない。いったいどうしたら……。そのとき。
みずほは隠形鬼の姿が、一瞬だけ透けて見えることに気付いた。目を瞬かせたが、気のせいではなく、なにかがうっすらと見えるのだ。本来、体内が見えることなんてまずありえないが、みずほの目には、隠形鬼の中に霊剣が一本差し込まれていることに気付く。あれが、核だろうか。
元々、朔夜と一緒にいたら楽に戦え、目がよくなっているとは思っていた。ひとりで戦っているときには速過ぎて見えなかったものが見え、かろうじて大嶽丸とも戦えていたのだから。だが。これだけはっきりと、つくられた鬼の中身なんて見えたことがない。
この間から聞こえる謎の声といい、自分の目といい、いったいなにが起きているのだろう。一瞬みずほは揺らいだが、今は戦うことだけに集中しよう。みずほは、太刀を構え、隠形鬼めがけて、霊剣に届くようにと大きく突き出したのだ。
「う…………!」
隠形鬼は声を上げる。悲鳴というには禍々しい、咆吼という雄叫びを上げ、辺り一面にぶおんぶおんと超音波を発生させる。
みずほは顔をしかめて、隠形鬼に向かって更に太刀を貫き、自身の霊力を込める。
「観念、なさい…………!」
「ぼああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあ……!!」
みずほの霊力が流し込まれると、ピシピシという霜柱を踏んだような音が、太刀越しに聞こえてきた。霊剣がみずほの豊潤な霊力を納めきれずに、ひび割れたのだ。
今だ。みずほは太刀を更に突いて、そのまま太刀を手元に引いた。途端に、核を破壊された隠形鬼は形を保てず、だんだんと身が崩れていった。そのままパラパラと流れていく中、金鬼からまたも悲鳴が轟く。
「おのレぇぇぇぇぇぇぇぇ…………!!」
「……我が妻を舐め過ぎだ」
朔夜は少しだけ笑うと、再び直刀を跳ね上げた。もう問題ないだろうと、金鬼の硬い甲殻を力任せに直刀で貫き、そのまま力を込める。
霊力が流し込まれた金鬼は、ぴるぴると震えて、やがてその身を崩し、バラバラになって散らばった。
「おのレぇぇぇっぇぇぇぇぇ…………!!」
あと二体。風鬼と水鬼だ。
風鬼と水鬼は、互いを見合わせると、だんだん二体でぐるぐるとその場を走りはじめた。最初はただのこけおどしかと思っていたが、そうじゃない。
ぐるぐると回った鬼の二体は、風と水を巻き起こし、やがて竜巻をつくったのだ。ぶわりと風であちこちの石が、芥が、塵が巻き上げられ、細やかな雨粒が視界を遮る。更にあろうことか、雷すら呼び起こして、ごろごろと空を轟かしはじめるでないか。
今まで、何度もありえないという鬼と対峙してきたが、これだけあり得ないという鬼は初めて見た。
これが、藤原千方の四鬼。二鬼失ってもなお、その存在感を世に知らしめようというのか。雨に嬲られ、風に嬲られ、だんだんと身が重くなっていくのを感じた。袖もずっしりと重くなり、おまけに視界が利かない。
こんな状態で、鬼どころか、どうやって嵐と対峙すればいいのだろうか。
「ふむ」
みずほの怯んだ顔の横で、朔夜は至って冷静であった。それにみずほは振り返る。
「朔夜さん、これ、本当にどうしましょう……こんなものぶつけられたら……それ以前に、今でも普通にこの町に残っている方はいるんですよ? こんなもの放置していたら……」
「たしかに、藤原のの理想通り、この町はならされるだろうさ。いくら文明が発達したとしてもな、そう易々と嵐を割る方法もあるまい。どの時代でも、天災に勝てた試しはないよ」
「なら……!」
「だがなあ、藤原の。焦ったのだろうが、俺の前でするべきではなかったなあ」
「……え?」
朔夜はくつくつと喉で笑う。巻き起こる嵐で、烏帽子の下の金色の髪が散らばろうとも、物ともせずわらっている。
そういえば、とみずほは今更ながら気が付いた。
朔夜は、いともたやすく川を割り、火を熾し、あの大嶽丸ともやり合うようなものであった。嵐ごときで、膝を折ることもなければ、屈する訳がない。
「俺を屈したくば、星でも降らせ。まあ……藤原のでは無理だろうが」
朔夜の蒼い目は、星空を思わせるように爛々と輝いていた。
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